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2024-06-04 31:50

『まんがで読破 資本論』 #3

本紹介

金が何でできているか知ってるか?

19世紀前後の産業革命以後、工業化により商品の大量供給が可能になったが、貧富の差はますます広がり、人々の生活は豊かになるどころか苦しくなるばかり。労働者を酷使する生産過程の中で新たな価値を生み出す「搾取」のシステムが明らかになる…。資本主義社会に生涯をかけて立ち向かった革命家・マルクスの代表作を漫画化。


要約

資本主義と経済学の役割について活発な議論が行われました。参加者は、市場の失敗例や資本主義への批判、経済学の限界と課題について意見を交わしました。アダム・スミスの道徳感情論に触れながら、経済活動における倫理観の重要性が指摘されました。また、労働の意義や自己実現の在り方、ベーシックインカムの可能性についても議論が及びました。さらに、経済学の科学性と人間性のバランスについて、認知科学の役割や人文学との関係性が検討されました。最後に、マキャベリとマルクスの著作についての感想が共有されました。

サマリー

アダム・スミス氏の道徳感情論を読み直し、資本主義の中で道徳的な気持ちを保つ方法について考えます。森林保全の取り組みやベーシックインカムの概念についても話し合われています。経済学のモデルの厳密な定義と理論の範囲が人の心や道徳を排除する傾向にある一方、経済学の目的は社会の構成物を増やすことであり、企業行動や金融政策などを通じて社会貢献を図ることも可能です。ニコラス・タレブの反脆弱性などの例を挙げながら、経済学の役割や価値の創造について考察しています。『まんがで読破 資本論』 #3 では、経済学と人文学の関係、マキャベリとマルクスの著書について話されています。

アダム・スミスの道徳感情論
最近見て、面白いなあと思っていた、その、何て言うんですか、史上の失敗例なんですけど、
さっきも申し上げたみたいに、アダム・スミスさんっていう人は、こういい道徳感情のもと、人間が正しく欲求を発揮するっていうことをすると、
社会って良くなりますよねっていうことを言って言われていた人。 そうですね、バランスが大事ですねと。
そうすると富っていうのが増大をして、みんな幸せになれますって話をしたんですけど、
あんまりやっぱりみんな道徳とかどうでもいいわけじゃないですか。 個人もそうだし、個人の集積になった、
企業とかいうものになると、一層この道徳なんてものが消え去ると。
最近見て面白いなあと思ったのが、森林保全を市場主導型で解決しようという取り組みって、たくさんあるんですよね。
できるの? 例えば、じゃあ森林を伐採しちゃったら、その森林が生み出してた分の二酸化炭素排出量分のクレジットを買って、
費用負担を増やしましょうとか、あとはこの会社がやっている取り組みは森林破壊とは関係がありませんということを認証してうまくやりましょうみたいな取り組みってあるんですけど、
まあうまくいってませんっていう報告書。ミキさんも今直感的にうまくいかなそうだなと思ったじゃないですか。
うまくいってませんでしたみたいな話がたくさん上がってきているっていうのを見て、
アフリカでめちゃめちゃでかい森林保全のプロジェクトをやってるんだけど、むしろ地元住民が森林利用ができなくなっちゃった。
で、富がヨーロッパに流れるようになりましたとか、
ガーナのカカオ生産でもろもろみたいな、地元の農民の収入むしろ減っちゃってますみたいな。
私とか見てると絶望的な気持ちになって、もう一回私はみんなアダム・スミスの道徳感情論をみんなで一緒に読もうみたいなことを思うんですけど、
そりゃまあ難しいよなっていう気持ちになるやつですね。
そうね、もう一回アダム・スミスを召喚して、今世界ってこんな感じなんですけど、この中で道徳の気持ちを保つにはどうしたらいいんですかねって聞きたい。
そうね、何て言うんだろうね。
いや絶対いいこと言ってくれると思うんだよな、アダム・スミス。
みんなアダム・スミス嫌いなんだよな。
そうなんだ。
うーん。
なんか言葉に紐づいたポジティブイメージ、ネガティブイメージって自然にある、例えば洗脳とか言ったらさ、明らかに悪い言葉だなとかあるとしてさ、資本主義って言った時にすごい悪いイメージない?なんか。
あー。
うん、まあ確かに資本主義的とか言うとすごい悪くなる。でも資本主義自体はさ、もう生きてるからそこに。私のイメージだとニュートラルかなと思うけど、まあ確かに悪い、どちらかと言えばネガティブ。
そうね。
でも社会主義の方がネガティブな感じだけどね、思想強いみたいな感じっていうか。
と思うよね。
私の印象ではね。
毎回資本主義を批判する人って結局何を主張したいんだろうって思うんだけど、あまり毎回甲斐がないんだよ。
そのあんまり経済学に立ち座ってこなかったのに関わらせると、資本主義が過ぎるとか言うときはただ豪欲とか金に汚すぎるみたいなイメージ。
うんうんそうだよね。
なんか私は毎回そう言えばいいのにと思うんだよね、なんか。
だから金に汚いっていう表現を使うとその人自身がすごく義賓に見えるから、私は文化的な人間ですよというオブラートに包むと資本主義が過ぎるっていうことになるんじゃないですか。
経済学の観念などインストールした文化的な人間だから言える法律的な批判なのですかということじゃないですか。
そうなんだけど、一般的に資本主義ではそういうことではないっていうことを思うと、毎回、なんていうんですか、誤用を気持ち悪く聞いている人間の気持ちがやっとわかるっていう。
へーなるほどね。
森林保全と資本主義
何を言ってんだっていう。人間が豪欲じゃなかった時なんてあるんだろうかっていう気持ちにも毎回なるんだよね。
そうするとひっぽけろき妄想するっていうか、やっぱり労働をなくせたらいいんじゃないかとは思う時あります。
それは人間が労働をするなってことじゃなくて、労働をしなくてもベーシックインカム的な衣食住とかが担保されててある程度、全ての労働が価値を埋めるものじゃなくて自己表現になるっていうこと。
だから髪切るの好きな人いたら髪切ったらいいと思うんですけど、それはお仕事じゃなくて自己表現。他人の頭をヘアスタイルを素敵にする表現みたいな。
服作るの好きな人いたら服作ったらいいと思うんですけど、それは表現。
建築好きな人いたら家作ったらいいと思うんですけど、自己表現みたいな。文章書くの好きで小説書くの好きだったら書いたらいいと思うんですけど、自己表現。
カウンセリング好きだったらカウンセリングしたらいいと思うんですけど、自己表現。全部の労働が何かの価値を得るための働きと並みではなく、やりたくてやってる自己表現っていう世界だったら人は幸せになれるんじゃないかとは私は思ってます。
三木さんはその方が幸せになりそう?
私はそう、そんな世界だったら何もしないくてハッピーだし、なんかしたくてしょうがない人は自己表現したらいいなんて思う。
へー。
そうしたら、何がしようとか、そういう時にめちゃくちゃ面白い作品とか生まれるのかっていう問いはあるんですけど、それを追い付いて、やりたいとかやってそれで認められる世界ですよ。上手い下手とかお金稼げる稼げないとかっていう世界じゃないから。
芸人やりたかったら芸人やればいいし、それで食えてる食えてないとかじゃないっていう。全員が自己表現だから。
両道なわけですよ。自己表現っていう上では。
なるほどね。
で、みんな生きていけてるわけ。めっちゃ平和じゃない?って思いますけどね。
なるほどね。
そういう、なんか、価値で測られないというか、労働がまるで自分の価値だったり、労働の成果とかクオリティに応じてもらえる対価が異なるっていうのは結構、
だから理工的になるような人はって思うので、労働的にはもうやめ、全てが自己表現の世界っていうのは一個ありかなとは思います。個人的には。
なるほどね。
なんかベーシックインカブ、いろんな実験もあるから、なんか上手くいってるとこもありそうな気が。
なるほどね。
でもベーシックインカブも一応資本主義の中に差し込む感じじゃないですか。
だからベーサー、これね、あと豊かにしたかったら、あなた頑張ってもいいですよっていう感じじゃないですか。今のベーシックインカブって。
完全に労働の廃止。労働を廃止する感じ。
労働と自己表現
なるほどね。
なるほどな。なんか、そうね、よくあるベーシックインカブの批判ってさ、なんかこう、人間が頑張らなくなるんじゃないかとか、そのお金をどこに出すんだとかっていう。
よくあると思うんだけど、その辺は私全然なんとかなると思うんですよ。
でさ、なんかこれ個人的に自分はそれに耐えられるんだろうかとたまに思うことの1個がさ、この労働だから人のせいにできてるやつってなんかあるじゃない。
例えば?
例えば、しゃーなしでやってるんですよっていうことって多分たくさんあると思うわけ。
これって例えば私たちで言うと、いやクライアントの指示があんなかイマイチなんだよねとかさ、忙しいからこんな感じになっちゃいましたとかさ、人のせいにできてることって結構あるじゃない。
でさ、なんかその、自分で頑張れることになったとしてさ、なんか誰のせいにもできないことが増えるじゃない。
だって君が望んでやってんだよねっていう逃げ道が1個、結構大事な逃げ道がなくなっちゃうじゃない。
でもそしたら辞めたらいいんだよ。だってもう労働しなくてもいいんだから。嫌だったら辞めるって思っちゃう。
辞めればいいと思うんですよ。で、常になんかそれに晒されるわけじゃない。
だから何をやっていても、それだったら辞めればいいじゃんって習えるときに言われうるっていうことだと思うのね。
で、本当に全部辞められる人がいるかっていうのを自分自身について考えるわけ。
でもなんか全部辞められる人って俺そんな多くなくて、何かやりたくなっちゃうと思うんだよね。
で、それのすべてがあなたが自発的にやろうと思ってることですよねっていう、つまり誰のせいにもできない環境になったときにさ、俺はなんかすっごい辛くなる気がするんですよ。
そういう隠れ身の人みたいなものがあれから生まれるものってありますよね。
そういう人のせいにしたいとか、人のせいだっていうことを隠れ身にして上手くいくことってありますよね。
そうそうそうそう。それが誰かのせいっていうだけじゃなくて誰かのおかげもそうだけど、それによって何とか自分を保ててる人って多分たくさんいて。
例えばさ、将棋の騎士の先生ってみんなめっちゃすごいと思うのはそれなんですよ。
例えば野球選手とかあらゆるスポーツ選手ってさ、運の要素があるから体調悪かったですとかさ、風が強かったですとかさ、
あの時観客のある人が声出したのが悪かったんですとか、他人のせいにできる要素がたくさんあるから何とかできるけど、
将棋って全く運の要素がないゲームなんですよ。
だってお互いに全部手も見えてるし、時間も平等だしっていう時に負けたら全部自分のせい。
でもそれちょっと強定期圧だったとか理由にできないですか?
でも相手もそうじゃん。
なるほど。でも定期圧で影響を受けやすい個体かどうかとかはあるじゃないですか。
うん、それも自分のせいじゃない?
ああ、そうなんだ。
で、思えちゃうからさ、全部自分のせいだって背負ってる人の精神強靭すぎないかと思うわけ。
まあ確かに騎士はだいぶ外部要因少ないですね。まさに定期ぐらいじゃん。
そう。そうなのよ、そうなのよ。だからなんかそうなんだよね。
誰かのせいにできるって私めちゃくちゃいいなっていうか楽だなって思っちゃう。
資本主義は誰かのせいにできる主義ではありますよね?よく言うと。
資本主義もそれで別に社会主義でも何でもいいんだけど、
誰かが何かをしたことによって自分が影響を受ける社会っていうのは
あらゆる側面で誰かのせいにできる。
労働ってそうか。
そうそうそうだと思うんだ。労働って誰かのせいにするってことだからさ。
いやーなかなか、なんて言うんだろう。
さっきの最初のみきさんがいいって言ってたコンテンツでいろんなテーマになっているものってあるじゃない。
それもいろんなこんなのおかしいって言ってる人がたくさんいるでしょう。
その人たちなんかそれのせいで社会が悪いと思ってると思うんですよ多分。
それが仮になくなったときにあなたは何をするんですか。
あなた本当にハッピーになるんですかって時毎回疑問に思ったりするのね。
例えば男女平等社会でじゃあこういう制度を変えましょうっていう人がその人が言ってるとするじゃない。
その人がそれが実現したらあなた本当にハッピーになるんでしょうかって思うと
毎回そうでもなさそうだなってその人を見ると思うっていうのを繰り返してさ。
へーそんなこと思ってるんですかね。
めっちゃ思ってる。
私が別にそれを主張することはさ、その人がこの問題をなくしたいっていうのはあるかもしれないけど
経済学のモデルと人の心
単純に一人になったらなくせないから関係人口を増やしたいみたいな気持ちで言ってるだけかもしれないなっていうか。
これをこの問題が解決されたら私がハッピーになるからやってますって言うわけっていう行動原理じゃないかなっていうのがあって
なんかこれも不思議な気持ちで聞いてた。
それは何、これを解決したいという主張に見えるが別に解決されなくても仲間が増えればいいと思ってるじゃないかってこと?
そういいとか、それが直接的な解決にじゃなくてまずこれを直した後これを直してとか
なんかそういうふうに考えている可能性もあるなとか思ったけど。
でもまあちょっと言わんとしてることも少しわかるからあれだけどそういう人もいるけど確かに。
ただ怒ってるだけに見える人とかもいるから言ってることわかるけど
まあね。
どっちかっていうとそう別に解決すればいいと思って行動してるわけじゃない人もいるかなとは思ったという。
まあそうだね。
そうか。
その経済学部に行ってさ。
確かに。
アダム・スミスから連綿と繋がる、何て言うんだろう。
そう連綿と繋がってるまだ。
この社会と経済学のことを考えると絶対にこんな風にはならないよなっていう学問をしてると思うんですよ。
何を言っているかというと工学部とかだとさ、例えばこの部品はこうやって扱う、この部品をこう扱うとかこうやった方が摩擦が減るからいいことだとか増えるからいいことだとかこういう設計が善であるっていうことを扱うじゃない。
でも経済学で基本的にやることってさ、理想はこうなんですけど絶対実現しませんみたいなことを延々とやるわけですよ。
例えば需要と供給のこういう右上がりの供給と右下がりの需要の交点が均衡ですみたいな話ってあるじゃない。
均衡なんか誰も見たことないじゃん。
一生均衡にならないと思うんですよ。
経済学の本当に一番最初にやる均衡とかってそこの落ち着いた瞬間にもうそこから動くことはないんですよ。
誰もそこから、一瞬だけピッて振れることはあるんだけど常に均衡に戻るっていうのが学部1年生の一番最初にやる経済学なのね。
なぜかというとそれが均衡の定義だから。
でもそんなのってぶっちゃけもう無理じゃん。
その前提になっているのってさっきのミキさんが言ってくれた見える範囲だけうまくやればいいっていう社会じゃないじゃんみたいな。
環境とかいろんなところに影響出ますよねっていう。
経済学的に言うと外部性っていうものだったり、それを前提にした市場の失敗っていうものもあるし、情報の非対称性っていう。
ミキさんも知ってて私は知らないことがたくさんあるっていう状態で私たち2人で取引をすると正しい取引にならないとかっていろいろあるんだけどさ。
経済学って理想はこうなんだけど、こういう感じで社会と人間は失敗してますみたいな延々と勉強する学問なのね。
経済学の社会貢献
そういうふうに捉えてるんですね。
私はそう捉えていてめちゃめちゃ性格悪くなるよね、やると。
でも貧困と戦ううちだとさ、実際途上国のワクチン接種率がガンって上がったりとか病気の発生率減らしたりとかしてたって、そういう目に見える成果も出ているじゃないですか。
あれはすっごく難しいんだけど、あれは経済学なのかっていうのが、経済学なのかっていう理論があってですね。
人の心ハックみたいな部分は多分にあったけども。
そうそうそう、だから行動経済学みたいな、ビジネスマンも大好きなやつがあるんだけど、行動経済学のゴリゴリの経済学っぽい行動経済学論文ってあるんだけど。
なんて言うんだろうね、それでもなんて言ったらいいのかな、それって心理学の論文じゃないですかみたいなことを言う人結構いるのよ。
経済学の厳密な定義の話は置いておいて、さっきの社会構成を増やすにはどうしたらいいかっていうのが基本的な経済学の問いなのね。
だからさっきのワクチン接種率が上がりましたみたいなやつって別に経済学の問いではないのよ。
つまりそういう行動を取らせるために人はこういうふうにやると動きました、だから別に認知科学じゃないですかみたいな話があるから。
なんか人によっては、もちろんノーベル経済学賞を受賞してるから経済学なんだけど、
なんて言ったらいいのかな、あれがど真ん中の経済学かって言われると、待ってどうかなみたいな。行動経済学、それもど真ん中かなみたいな。
でもすごく面白い経済学の一側面ではあるかな。
でも経済学の祖ですよね、アダム・スミスは。
と言われるね。
祖祖、県内学の祖祖が朗読感情論とかも書いて、この人の心との理解と共感のバランスが大事ですと言っているのに、
なぜ経済学はその後、そのあまり人の心の側面を置いていきぼりみたいになっちゃったんですか。
スーパーグッドクエスチョンですね。スーパーグッドクエスチョンですけど、経済学を科学にするためには、
道徳感情みたいな計測できないものは扱えない方が都合がいいわけですよ。
シミュレーションとかやりづらいものは確かに。
そう、シミュレーションにも置きづらいし、計測もできないし、計測できないものは科学できないっていうのがあるように、
道徳とかを科学できないなら扱わない方が扱い、科学がしやすいでしょ。
だから経済学の基本的なモデルにおいては個々人の動きはモデルにしちゃって、この人はこういう反応する人間を仮定しますってやる方が科学っぽく見えると。
確かに再現性も高いし、人に理解されやすいしね。
そう、だから最近私も読んでたニコラスタレブっていうブラックスワン書いたおじちゃんの反脆弱性っていう本を読んでたんだけど、その中でニコラスタレブはもう経済学なんて本当ゴミみたいな、誰もやる必要ないみたいな。
経済学者全員本当にいらないみたいな。
えーどうなんだ。
論文のための論文を書いて社会に何にも貢献してないああいうやつの本当にいらないっていうのをめちゃくちゃ直接文章で書いてる。めっちゃ口の悪い。
じゃあのぞみさんも院とか行ってて、その時は人間をモデルとして扱っていろんな指名書をしてるタイプの経済学をやってたんですか。
いや、私が大学院でやってたのは企業行動みたいなやつをやってたから、人間を直接扱ってはいなかったんだけど、同じように企業にも道徳というか意思決定基準みたいなやつがある。
と仮に仮定をすると結構そういうのはもうガン無視して、かなり強い前提を置いてやろうとしてたと。
何を言っているかというと企業というのはたくさんお金を稼ごうとするために活動する主体であるっていうのを前提にしてモデルを組むんだよね。
もうちょっと正確に言うと企業は将来を見た時の利潤、言ったらこの一瞬の利益だけじゃなくて将来に渡って稼ぐ利益の合計を最大化しようと思って活動する主体である。
で、そのために金融の資金調達をどうするかみたいなことで言うとこうするはずですよねっていうモデルを私はシミュレーションで解いてたのね。
実際会社と触れ合うようになるとそんなこと考えてる人あまりいないじゃない。
あと映画の夜明けのすべてみたいな会社とかもあるしね。
あの潰れるだろうなーみたいな感じのおじちゃんね。
そうね確かに。
そういう意味で言うとさっきも言ったみたいに理想というか一つのこういう形ってありますよねっていうところをモデルにして解いているから。
ニコラスタルブが言うように意味のわかんない前提で意味のわかんないという誰の匠にならない形で解いている人たちイコール経済学者っていう。
みきさんのそれはスーパーグッドクエスチョンですね。
今まで。
経済学の目的と役割
どうぞ。
結構たまに問わせたから反応してて、経済学者って多分なんか社会に貢献してる感じがして経済学部とかあるのってわかるんだけど、
日本の大学におけるチェコ文学研究とかやってる人たちってどういうビジネスモデルってかどういうことで価値を生み出せるってことになるんだろうねみたいな。
そういう超ニッチな文学研究とかってどういうモチベーションだったりどういう気持ちでやってるんだろうねみたいなことを話したことあるんですけど、
別に経済学も同じくらい別に、何て言うんですかね、目的、その人がやりたいからやってたっていう感じなんですね、実際のところは。
うん、と思う。
と思う。
で、
えっと、
そうだね。
雰囲気だよね、何か。
価値を生み出している。
雰囲気はあったってことか。文学研究とかよりは十分にあったってことか。
でもそれも厳密にあるかというとわかんない。ロジックは不透明で、例えば、いや、金融政策とかの効果を考えるときに経済学の基礎を勉強できていった方が早いよねっていう。
でもそれは何て言うんですか、経済学が大事かっていうのは、
これっぽいロジックを組みやすいっていうのはあるのかもしれないね。
なるほど。
うーん、
まあそうだね。
このそのニコラスタレブさんが言っている、
それがあの認知科学、えーっと、
アーネマンの著作だけ読んでればいい、
で、
それを読むだけで、
あのー、
あのー、
その、
その、
その、
その、
その、
その、
その、
えーっと、アーネマンの著作だけ読んでればいい、
って言っていた。
この、よくあるプロスペクト理論っていう、
あのこの、
人間はプラスよりマイナスの方を評価しまくるみたいな、
例えば、
1万円もらうのと1万円を失うんだったら、
1万円を失う方が心理的な痛みが倍になるみたいな、
こういう曲線で表示されるプロスペクト理論ってやつがあるんだけど、
それだけ勉強しておけばいいよって言ってた。
それはそれで過激派だなぁ。
うん。
面白おじいちゃんだよね。
面白おじいちゃん。
なんかそういうこと言う人って、それでも、
たぶん、例えばですけど、タネもらって、
ストレンジャーシンガーズ面白ーんだ、ストレンジャーシンガーズ作ってくれてありがとう、
とか思うわけじゃないですか。
作品名は例ですけど。
そういうクリエイターのことどう思ってんですかね。
なんか。
認知科学だけ、地球上の便位が認知科学だけやってたら、
ストレンジャーシンガーズ生まれないじゃないですか。
彼の文脈としては、社会科学の中で勉強するんだったら、
それだけでいいって言っているっていうことだと思うよ。
人文学とか理系の話は全部バッと。
そういうことじゃなくて。
そうそう。法学とか経済学とか。
経済学を心がすんだったなってことね。
いやいや、経済学を心がすんじゃなくて、
社会科学と呼ばれるやつ。
社会科学をやるんだったら。
経営学、経済学、法学とかってのは社会、
あと社会学とかもあるんだけど、その辺全部いろいろあるんじゃない。
あの辺は全く勉強する人がないって言っている。
経済学と人文学の関係
何を目指していようと。
認知科学?認知心理学だっけ?認知科学?
認知科学だね。
そうですか。
どっちかっていうとニコラス・タレブさん。
どっちかっていうとニコラス・タレブおじいちゃんは、
経済学と人文学は同等だっていう主張だと思うよ。
ってことね。
別に経済学みたいなものを、それっぽいものを評価する理由は全くないって言っているの。
ってことだったんです。
そう。
私たちの生きてる世界のほぼくない原則をもう一回聞きたいと思います。
ほぼくない原則をもう一回立ち返れたいい漫画でした。
マジで漫画にしてくれてありがとう。リストプレッシャーって思いました。
漫画の漫画で読破シリーズの良さですね。
漫画で読破の資本論と君主論も読んだんですけど、めっちゃわかりやすくてマジでありがとうって思いました。
資本論と君主論はいかがでしたか。マキャベリとマルクスですね。
マキャベリとマルクス。
これも大よその言いたいことはわかったって感じですね。
資本論はもうちょっと後ですよね。国風論より。
だからより金の王者みたいな感じになってて切なかったです。資本論は。金金ってなってました。
より今っぽかった。よりこっちに近かったかも確かに今の世界は。
ちょうど100年後ぐらいですね。アダム・スミスの。
これは結構あんま時代の差を感じないというか、これは20世紀的だった。
こっちはちょっとなんかまだちょっと素朴だなみたいな当時の世界だなって感じでした。
国風論の方が素朴さあふれる感じだったと。
マキャベリとマルクスの著書
でも確かにここから始まってこれをベースにしてる感はすごいあって。
300年ってそっか大学生で変わらないんだなみたいな。
みきさんと一番親和性が良さそうなマキャベリズムはいかがでしたか。
リーダー論って感じで面白かったんですけど。
漫画だと結構この若くして死んじゃったリーダーに焦点が置かれてて。
マキャベリか。
シェーザレ・ボルジアに手段が置かれてて。
なんかこの若くして才能悪いのに若くして死んじゃったこのシェーザレ・ボルジアの物語を楽しんだ感じでした。
ああもう死んじゃったみたいな。
これは物語の小説ような感じでした。
マキャベリは君主論とかもそうですけど、民主性クソくらいっていうスタイルのやつですね。
マキャベリ自身も結構かわいそうな運命っていうか。
熱意があるのにその熱意を発揮する場所があまりにも少なかった2人の運命っていう感じで読んでました。
うーん、そうね。
44歳以降もうずっとあまり政治の場に戻れず、でもいっぱい本だけ書いて一生終えちゃったので、せめてこうやって日本で漫画化されてよかった。
いや世界中でいいリーダーになりたい人合わずみんなマキャベリズムから得るらしいですよ。
そうなんだ。
みんなでお話し合いの結果いい統治ができるなんていうのは幻想であると。
それはまあそうか。
これはなんか切ない男2人の運命小説として読みました。
あんまりクウンシュルを読んだ感想で男2人の運命あんまり思う人に出たことないけど、楽しい読書体験だった。
楽しかったです。
いいじゃないですか。
ありがとうございました。ゴールデンウィークに漫画3冊読んで楽しかったです。ご紹介ありがとうございました。
いいえいいえ。
いい感じ。
さあさあ次。
次回は森田雅夫さんの数学する神体を読みましょうということですよね。
前回は森田さんが訳したテンソー・オブ・ワンダーを読んだので、森田さんのデビュー作を読みましょう次は。
10年ぶりです私読むの。
私初めて読みます。
ぜひ一緒に数学と神体しましょう。
また次回よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
31:50

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