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2024-08-31 16:46

#043_美術の先生になっていたかもしれない話

1 Mention

#高校 #国語 #教員 #声日記 #お便り

▼テーブルとイスの話

「ジモティがすごい」という名前ではありませんでした。

 

サマリー

このエピソードでは、国語の先生が自身の進路選択を振り返り、美術の先生になりたいという思いを語っています。小学校での国語の授業の楽しさや、進路選択時の数理科目への苦手意識についても触れられています。また、美術への情熱から美術の先生を目指すものの、最終的には国語の先生になることを決意した経緯が語られています。進路選択や実技試験の厳しさを通じて、自己の進むべき道を見つける過程が描かれています。

国語教育の思い出
どうもお疲れ様です、いかです。この番組では、高校の国語化教育をしている私、いかが、仕事のことや仕事以外のことをゆるくおしゃべりしていきます。
今日は土曜日ですね。夏休み最後の土曜日。皆様いかがお過ごしでしょうか。
まあもう始まっている学校も結構ありますが、私はもう余命を全うしております。言い方ちょっとやばいですけど、まあとはいえ学校でいましたね。今日も夕方ぐらいまで。
部活あったっていうのと、まあ教材研究を学校の方が集中してできるっていうことで、今日は2年生の文学国語の心の教材研究を進めてましたね。
まあまだ終わってないけれど、2学期から始まるので、今日と明日とで急ピッチで集中して進めたいなと思います。
さて、昨日からですね、お便りを読む回ということで、今日も残りのお便りを読んでいきたいと思います。
ではラジオネーム、ひろひろしさんから。
エピソード008のテーブルと椅子はその後どうなったのでしょうか。
ありがとうございますお便り。えっとですね、ジモティでダイニングテーブルと椅子を買ったんだけれども、家の中に入りませんでした。
っていうエピソードがあったんですよね。で、その後どうなったかは何も明かしていなかったんですが、結論から言うと、今私はそこに座ってテーブルも家にあります。
家の中にちゃんとあります。入りました。はい。その入らないってなった翌々日ぐらいに、えっとワークマンに行ってですね、近所のね、工具を買って、で、イケヤのテーブルを解体して何とか部屋に収めることができました。
いやーあれはね、壮絶だったんですよ。ジモティがすごいっていう名前のエピソードだったと思うんですけど、ジモティがすごいっていうか、私の波乱万丈ジモティライフをね、ぜひ聞いてほしいなと思います。
あれはね、結構夏休みの出来事の中でも結構自分の中で大きいものでしたね。すさまじかったですね。大変だった。
はい、無事、使いやすいテーブルで、結構生活がしやすくなったので、よかったですね。はい、という感じです。
で、もう一ついただいてました。
高校の国語の先生とのことですが、なぜ国語の先生になりたいと思ったのでしょうか。
はい、ということで先生、国語の先生になろうと思ったきっかけですね。
えっと、私は、現体験は小学生の時でしたね。
小学校で、自分で言うのもなんですけれども、結構真面目な生徒で、児童って言った方がいいか、児童で、やらないといけないことはちゃんとやるし、発表も結構するし、積極的にね。
なんかまあ、先生からすると、手のかからないような感じの子供だったような気がします。
で、なんで私はそういう生徒だったのかなと考えてみると、頑張ったこと、真面目にやったことを、ちゃんと評価してもらえるような学校というか、環境だったんですよね。
結構ちゃんと褒めてくれたし、それでもっと頑張ろうって素直に思ってましたね。
特に印象に残っているのが、先生になりたいと思ったきっかけになったのが、5、6年生の担任の先生ですね。
はい、その方、学級通信を結構頻繁に発行してくれていて、
例えば、このノートの書き方が素晴らしいよねとか、こういう自主ノートっていう、自分の興味があることを調べたり、勉強したりした結果をノートに書く、そして提出するみたいな宿題が毎日かな、週に1回ぐらいだったのかな。
それの取り組みとかも学級通信に載せてくれたりしてて、とにかくやればやるだけ、すごい評価してくれる環境だったんですよ。
私はですね、それが嬉しいもんだからどんどん頑張ってですね、おかげで頻繁に載せてもらって、学級通信にも。
自主ノートもすごい良い評価をコメントとか書いてくれてて、あの時はすごく前向きにやってたなと今考えても思いますし、先生がどれだけそれが大変だったんだろうと考えると、本当にありがとうございますという思いですね。
で、そんな感じでとっても楽しく小学校生活を過ごしていて、特に授業で面白かったのは、やっぱり国語の授業だったんですよ。
もともと得意だったのもあるんだと思うんですけど、やっぱり授業をあんなに面白いと思ったことはなかった。
小学校の記憶ってほとんど残ってないんですけど、今でも鮮明に覚えてるのはやっぱり国語の授業で。
例えば桃太郎をようやくしてみようっていう課題が出て、最初は例えば50文字とか多めの字数が与えられてたんですけど、だんだんそれが短くなっていって最後10文字ぐらいになったのかな。
進路選択の経緯
で、それを班の人たちと話し合ってホワイトボードに書いて発表するみたいな。
最終的には体現止めにするとうまくいくみたいなことが見つかった気がしますね。
鬼退治をした桃太郎。
鬼退治をした桃太郎。
これ11文字ぐらい。漢字で書いたらもうちょっと少なくなる。
そんな感じでですね、それをすごい熱中して取り組んだ覚えがありますね。
今はツイッター、ツイッターじゃないや、Xか、ツイッターでいいや。
ツイッター私大好きなんですけど、ツイッターの面白さと似てますよね。
その限られた文字数の中で自分の言いたいこと、表現したいこと、相手に伝えたいことをいかにうまく落とし込むか。
ツイッターだけじゃなくて、短歌とか俳句とかも通ずるものがありますけれども、
その言葉を工夫する、表現を工夫する面白さの現体験がそこにあったなぁなんて思います。
そんな風に、他にもね、国語の授業で覚えてるものたくさんあるんですけど、
キリがないんでね、ここぐらいにしとこうかな。
で、まぁそんな感じで国語の授業が楽しかったし、得意だった、読解が。
で、中学校に上がって相変わらず国語は割と得意だったんですが、
中学校の先生がなんせ大変そうでね、やんちゃな子が結構多い中学校で、
授業がちゃんと静かに受けられるっていう環境があるほうが珍しいというか、
すぐおしゃべりがね、しちゃう子がいたり、
あとは体育館の屋根に登ったり、窓ガラスがすぐ割れたり、
なかなかね大変な学校だったろうなぁと今考えると思いますが、
先生たちが結構大変そうだったので、中学校はないなぁなんて思ってましたね。
自分が先生になるならね。
で、高校に上がって高校の先生はそれと比べてなんか楽そうに見えたんですよ。
職員室でコーヒー飲んで授業して、でなんか終わりみたいな、
しつこい話なんですけど、当時視野が狭いというか、何も見てないんですよ先生たちのことなんかね。
課題と部活だけやる生活を送りですね。
高校の先生もいいなぁなんて思いました。
いざ進路選択をするとなった時に、
小学校の先生ももちろん選択肢に入っていたんですけれども、
自分は特に国語が得意だし、成績も国語だけ何とかいい状態を保ってていたので、
そっちに特化してもいいかなということで高校にしましたね最終的には。
美術に対する憧れ
で、進路選択っていう言葉が出てきましたけれども、
私国語じゃなかったかもしれないんです。
実は美術の先生になりたいなって思った時があって、
っていうのも私が通っていた母校はですね、単位制というシステムの高校で、
いろんな授業を選択科目を自分で選んで取ることができるような学校だったんですね。
で、私は数学がめちゃくちゃ苦手だったので、
受験にも使えそうもないレベルだったし、
これは諦めようということで、
今それを私が生徒から言われたらそんなマイナスな考え方でというか、
消極的な考え方で進路選択をするのはやめなさいなんて言ってしまいそうですけれども、
当時も担任の先生からやんわりと数学を取った方がいいっていうことはおっされてたんですけど、
断ってですね、美術と音楽の選択科目を取ってました。
音楽もすごく楽しくて、合唱するアカペラをしたりとか、読書をしたりとか、
そういう科目だったんですよね。
で、美術がね、特に私やっぱ楽しくて、
もともと絵を描くのは好きだったんですけれども、
私が取ったのはデッサンをする科目だったんですね。
デッサンってあの鉛筆で白い紙に目の前のあるものを、
できるだけそれに近い形、そのままの形で描くっていうものなんですけども、
それまで自分が描いていた絵っていうのは、
なんとなくこう可愛い女の子を描くとか、
自分の好きなように描いてたんですけども、
そのデッサンの授業でうまく描くっていうのはどういうことかとか、
技法を学ぶことができた。
描くっていうセンスじゃなくて、ちゃんとやり方があるんですよね。
それを知れたっていうのがすごく面白くて、
それから少人数の授業、4人ぐらいの授業だったんで、
手厚かったですし、落ち着いてただただ絵を描いているだけの時間が何回も流れて、
すごく好きな時間だったんですよ。
で、それが仕事にできたらなんていいんだろうと思ってた時期もあってね。
で、いざ受験をして私立と国立両方受けることにして、
美術専攻のある大学もセンターリサーチに入れてたんですよ。
自分のセンター試験の点数が同じ大学を志望している生徒の中で、
自分はどれぐらいの位置なのかっていうのが分かるリサーチをかけることができるんですけど、
その中でその美術を専攻する学部学科と、
私の点数が割とその生徒の中、いろんな生徒がいる中で上位だったっていうのもあって、
学力検査だけだったらワンチャンあるかもって感じだったんですよ。
で、二次試験は実技なんですね。
ただ結構実技の拝点が高くて、
画塾とかも行ってみたんですけど、2ヶ月ぐらいかな。
でもやっぱりね、つけ焼き場じゃどうしようもない壁があったんでしょうね。
それまでずっと専門的に美術をやってきた人にはかなわなくて、
入試はそこは落ちちゃって、
国語の先生として
で、違うところも受けてて、私立大学に結局行ったんですよ。
で、もちろん美術もいいなと思ってたけれども、国語も好きだったし、
国語の先生でも十分私はやっていきたいと思っていたから、
第二志望ではあったけれども、先生になるっていう目標というか夢みたいなのは、
どっちにしろ叶うので、いいかなとそんなに不満に思ってはないというか、
むしろそこの大学に受かれてよかったなっていう感じで、
結局中高の免許をその中で取りましたね。
まとめると、まず学校が好きだった。
褒めてもらえる環境、自分の頑張ったことが認めてもらえる環境に適応していた。
だから頑張れた。
そんな中で特に素敵な先生と出会って、私もそういう先生になりたいなと憧れを持った。
で、高校生になって進路選択を迫られた時に、美術の先生もいいなと思って目指してみたけれど、
そこはうまくいかなくて、結局もともと得意だった国語の先生になることになった。
国語の先生も今やっていて結構楽しいなぁと思うこともありますし、
向いてないなぁと思うこともあるけれど、
でもこれでお金をもらえているし、新しい発見をするのはやっぱり楽しいので、
今後も頑張っていきたいなと思っております。
こんな感じかな。
ということで、ひろひろしさんお便りありがとうございます。
リッスンではメッセージっていう機能があって、
ラジオ番組のお便り、はがきとかメールとかみたいな感じで送るシステムがあるみたいです。
それをくださると、何か質問とかくださると、私はめちゃくちゃ喜びます。
ので、じゃんじゃん送ってきてください。
もちろんコメントや星も今まで通りつけていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。
今日はめちゃくちゃ長くなっちゃいましたが、これぐらいで終わろうと思います。
ありがとうございました。
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