1. 本そば ポッドキャスト休憩室
  2. #81 本づくり今昔物語 ゲスト..
2022-04-01 1:43:17

#81 本づくり今昔物語 ゲスト 久田一樹さん

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90年代から現在まで、出版社を渡り歩き雑誌・ムックなど本作りを続けている現・山と渓谷社編集者の久田一樹さんをゲストに、アナログ時代の本づくりから現在まで本づくりの魅力を語ってもらいます。※少々大人向けの内容が含まれています。


 久田一樹 

1970年、北海道帯広市生まれ。男性娯楽誌、音楽月刊誌の編集を経て山と溪谷社に入社。『skier』『自転車人』『トレイルラン』などの雑誌・ムックの編集に長く携わり、現在は書籍も含めて、いろんな本作りをしています。趣味は本を読むこと、スキー(ここ数年はクロカンに傾倒)、登山、ゆるゆるトレイルラン、ベースを弾くなど、こちらもいろいろ。 


おたよりはこちらから↓

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00:02
本のそばには楽しいことがあるをモットーに、書店員歴25年の元書店員すずきと、
出版取り継ぎ7年、出版社営業13年、現在、書店と出版社の現場をつなぐ一冊取引所運営1年8ヶ月目のわたなべの2人で、
書店員、出版社、一般の読者の方からの素朴な疑問に答えるポッドキャスト休憩室のお時間でございます。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
マクラーもほどほどに。
今回はですね、私たちが過去チラチラと話しているアウトドア系の話をですね、
今回はタイムアウトゲストをお呼びしております。
私も数年前からちょくちょくとお付き合いもある方なんですが、
大和渓谷社の久田和貴さんをお呼びしております。
久田さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こんばんは。
こんばんは。
久田さんとは。
よろしくお願いします。
どうもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大和渓谷社で本を作られている久田さんなんですが、
僕は3年ぐらい前からイベントとかでいろいろお付き合いいただいたりとか。
ひなびた温泉パラダイスですね。
出版記念トークイベント。
そうですね。
はい、そうですそうです。
私も今やひなびた温泉研究所研究員になって。
歴史としたメガネの。
メガネ温泉をやっている。
メガネ温泉を主催されている。
今たった一人でやってますけど。
久田さんとはお話ししながら、過去にもいろいろ、
大和渓谷社に入る前のお仕事とかもめちゃくちゃ面白い話があるので。
いやもう難しいくらいでございます。
この出版界の中で非常に変な会社である大和渓谷社と、
そこに入った変な久田さんという話を今回は聞きたいと思うんですが。
渡辺君は大和渓谷社のイメージはどうですか。
いや、すごい、なんていうんですかね。
歴史と伝統のあるかつ、なんかこう、新しくもあるというか。
やっぱり登山も何でも、ハイキングでも何でもそうですけど、スキーとかもそうですけど。
常に最新のトレンドってあるじゃないですか。
一方でですね、私も山系文庫の中ではとりわけ、
日本の秘境っていう、この岡田希秋さんのですね。
03:06
面白いよね、日本の秘境はね。
これはもう日本て読むのか日本て読むのか、
今ドキドキしながら発言してるんですけれども。
とにかくですね、こういった過去の本を文庫で復刊してまた読めるという環境づくりとかも含めて、
やっぱ山系さん、本当に好きだなっていう感じですよね。
こないだの極北の動物誌も復刊ですし。
そうですね。
いろんなアーカイブされているものを掘り起こすっていうこともやっていかなきゃなっていうところも。
あと、ジョン・クラカワの「空へも」。
あっ、「空へも」そうですね。
文春文庫で長らく品切れていたのが復刊とかさせていただいて。
あとは長谷川常夫さんの、「岸壁おはよう」。
おはよう。
ここでもう復刊。
中古文庫のやつ、元は。
そうですね。
残念ながら長谷川常夫さんの本が今、のきがみ絶版になってしまっていて。
そうですよね。
これが非常に残念だなと個人的に思います。
なかなかの名文化。
そうですよね。面白いですよね。
すごい長谷川常夫さんのストイックさというか、
山屋さんたちのある意味ストイックなところと、
集団的な面白さもあるし、面白いですよね。
岸壁おはよう。
長谷川さんは、日本の登山会って大学三学部とか、
知的エリートの人たちが引っ張ってきた部分がある。
そのほうで長谷川さんは、高校卒業されてすぐ就職をして、
社会主になって山に目覚めた。
なので、労働者階級って言っていいのかわからないですけど、
そういったところからの登山を目指して、
あとは集団行動、拒絶って言うんですかね。
自分がやっぱりソロに向いているみたいなところで、
ひたすらストイックに突き進んだという。
加藤文太郎的な、国王の人にあるような。
あれ何でしたっけ、作った登山会というか。
あ、ウータンクラブでしたっけ。
すごいですよね。
ストイックすぎてすごい怖いっていうぐらい。
なかなかの快速というか、経験もあって。
06:06
そこで山登った人たちはみんなすごい人たちなんですけど、
今見たら絶対に一緒に山登りたくないなって。
今、毎年秋にですね、
奥多摩日の原あきる野やってる、
日本三角大球ですってのがあるんですけど、
通称破雪ネカ。
どんな内容でしたっけ、あれすごいですね。
24時間制限時間で、
71.5キロを山の中をずっと走るっていう。
それって千日解放とかじゃないですよね。
ちょっとここ3年ぐらいはコロナだったり台風の影響で解散されてないんですけど、
30何回目ですかね、今5回目とか。
1982年ぐらいに始まってたと思うんですけど、
もっと後だったかな。
当初は山岳マラソンっていうんですかね。
山屋のための山のマラソン大会みたいな。
本当それだけでもすごいんですけど。
どんどんそこからスピードが進化してきてですね。
最速記録で7時間9分とか。
70キロ7時間ですからね、山で。
上田瑠衣さん。
7時間1分13秒って。
ものすごい記録なんで、全力疾走でもそんなに。
だって山ですよね。平地じゃないですよね、山なんですよね。
めちゃくちゃ山ですね。
山積標高差4582メートルってウィキペディアに書いてありますけどね。
そうなんですよ。
すごいですね。
登って降りて登って降りて。
美藤さんとか大竹さんとか。
最終的にはコンピダウネっていうところでまた戻って。
これにやっぱりいろんな人が説明を目指して。
でも結構その年配の人もベテランの人も出てて。
そういう人たちはスピードっていうよりかは自分への挑戦って言うんですかね。
もう24時間以内で完走するぞっていう。
修行ですよね。
修行ですね。
まあでもその71キロっていう距離は昔はすごい長い距離って言われてたんですけど。
最近は100マイルレースとかトレイルランニングっていうのを組んでると、
09:05
富士山一周の160キロとかですね。
結構エクストリーム化してるところがありますね。
エクストリームすぎますよ。
なんかそうですね、長谷勝弘さん同人誌で、同人でしたっけ?
「星と嵐」って作ってるんですけど。
元々ガスト・ヌービファーの本ってもう復刻してますよね、山形文庫で。
「星と嵐」って。
なんかすごいですよね。
長谷勤恵の「岸壁おはよう」本当に面白いですよね。
そうですね。
いろいろ本があるので、またチャンスがあれば、竹川さんの本なんかもいいんじゃないかなと。
なんかあれですよ、人生って大げさじゃないですけど、
なんかちょっと普段モヤモヤしてたりするときに、
登山の本読むと、殴られた感じがしていいんですよ。
なんかシャキッとするんですよ。
確かにそれはあるかもしれないですね。
なんか変な、こんなちっぽけなことで迷ってちゃいけないなとか。
山井康史さんの本なんかもなかなか強烈ですよね。
山井さんはもうちょっと、山井さんもやっぱりちょっとぶっ飛んでますよね。
そうですね。
ネジ2、3本外れてる感じが。
奥様もすごい人で。
そうですね。
なんとか真似できない境地。
真似できない。
なので結構、山と渓谷者っていうのが、
かなり先鋭的でストイックな感じがイメージとしてある人も持ってると思うんですけど、
実は結構そうじゃなくて、北沢さんのような。
そうですね。
最初から山家に入る人。
這い抜きの人もいれば。
そこにすごい山、いわゆる山屋ってんですか。
例えば山岳部とか。
ワンダーホーゲル部っていう人たちもいるんですけど、
みんながみんなストイックな山屋かっていうとそうでもなくて。
そうですよね。
山やってた人、探検部とか。
あとは山系のサークルとか研究やってた人とか。
あとは自分のような中途で入ってくる人。
バラバラっていう感じがありますかね。
いろんなジャンルで今本出されてるから、料理の本も出されてるし、
いろんな戦力が必要ですよね、今は。
12:04
ある意味総合出版社ですもんね。
結果的に、そうなったのかもしれないですかね。
北沢さんは何年に入られてるんですか。いくつのときに山家に入ったんですか。
1998年。
98年。
それまでは。
95年から98年、その3年間が2つ目の会社。
一番最初に入った会社もちょうどおなじする会社を辞めて、
スイングジャーナル社っていうジャズの専門社を出した会社に移ったんですね。
ここもなかなか個性的な会社で。
ですよね。
ジャズの専門誌を出してる。
たぶん想像がつくと思います。
けど、僕CD担当のときに、
ジャズの売り場作りはほぼほぼスイングジャーナルを参考にしてましたね。
ありがとうございます。
ジャズの専門誌って、スイングジャーナルがあったり、
いくつかありますね。
ジャズ批評とか。
あとは今も出ている。
ジャズライフとか。
ジャズライフ。
ジャズライフとスイングジャーナルっていうのが月刊誌って2つ。
ありまして。
僕は同じスイングジャーナル社が出ているアドリブっていう。
もうちょっとコンテンポラリーなですね。
フュージョンとか。
R&B、ソウル系、日本のポップスとか。
ひっくるめたスイングジャーナルは、
純粋なジャズの、メインストリームのジャズ。
アドリブはそれ以外みたいな感じで。
僕はアドリブっていう雑誌の月刊誌の編集をやってるという感じですかね。
90年代後半って、まだCDもかなり一番売れてた時代ですよね。
90年代。
もうバブルの経済は終わっていたんですけども、
音楽シーンはまだそこからちょっと上昇。
まだ伸びてましたよね。
確か1998年ぐらいがCDの出荷枚数のピークっていうんですかね。
90年代後半ぐらい、98年ぐらいだったかな。
15:03
まだですね、音楽雑誌もいろんな種類のものが出ていて。
ありましたありました。僕も書店でやってました、その頃も。
ニッチなジャズの世界とか、フュージョンとかの雑誌が、
なんとか生き残っていけた時代の最後だったかなと思いますよね。
しずさんも音楽もやられますもんね。
たしなマネで。
下手な洋画的に言われますけど。
最初に入った会社は、ベストセラーズという会社だったんですけど、
KKベストセラーズという会社。
ワニのマーク。
ありますね。
今でも、ベストセラーズワニマガジン社。
ワニブックス。一応3つまだありますよね。
ありますあります。
最初の会社、ベストセラーズっていうところに入ったのが93年。
そこから聞きましょうか。
そっから聞きましょう。
もう29年ぐらいになりましたね。
出版社の当時の状況も踏まえた上での、
かなり本作りの手作り感が非常に面白いですね。
そうですね。当時はパソコンなんて会社にも普及してなかった。
会社に1台あるかないかぐらい。
Windows 95なんて言ってたのが95年なわけですから。
PC 98ぐらいですよね。
その前のMS-DOSみたいな。
編集の現場ではパソコンを使うっていうものは全くなくて、
ワープロすら使ってなかった。僕の最初の頃。
手書き。
手書き原稿。
原稿はFAXで送られてきたとか。そんな時代でしたね。
もちろん携帯電話もなく。
ですよね。
本当に今から考えてたら、どんなふうに連絡取ってたのか忘れないぐらい。
そうですよね。
直接電話は会いに行く。
会いに行く。足を使って取りに行く。
届ける。取りに行く。基本的にはそれが仕事のベースになっていて。
いうところでしたかね。
雑誌ですよね、作られてるのはね。
最初に配送されたのが、
18:05
当時、ベストセダーズって、
エロ本誌会ももう完全にシフトになっていまして、
そのザ・ベストっていう。
ザ・ベストありましたね。ありました。
女優さんに水をぶっかける教師の写真を多分記憶にされている
50代以上の方が多いと思うんですけど。
今はだってもう目にすることもないですもんね、そういう本を点灯で今は。
これちなみにあのこういう本があるんですよね。
日本エロ本全史。
安田隆之さんが出た。
これ、もうあの日本のエロ本の資料としては、
これに勝るものはないんじゃないかっていう。
カストリボンから持ってる。
わーすごい。
これにですね。
今これラジオ景色なんで、聞いてる人にはわからないです。
すみません。うちわの話ですね。
これすごいですね。大原玲子さんに水をぶっかけている。
すごいですね。
この本すごいですね。文化史としてすごいですね。
文化史すごいですね。
ピーク時で売り上げが100万部っていう都市伝説があったんですけど。
ザ・ベストガンですか?
ザ・ベストガン。
うわ、都市伝説ね。
本当に100万だってちょっとそういう中ではないんですけど。
ただ、自分が会社にベストに入った時に、
実売20万、15万、20万ぐらいは出てたんじゃないかっていう。
その時代って、広告出稿とかの雑誌の部数って、結構自称が多かったって。
多かったですね。今でもそれはあると思うんですけど。
結構この本は確かに売れてたみたいなんですよね。
いろいろエド本ではあるんですけど、
村上隆さんの連載が出てたりとか、
結構読みごたえのある骨太記事。
わりと大人の男性スペッキレベルが結構高いっていうか。
それって結構80年代からアメリカのプレイボーイとか、
ああいうヌードピンナップがあるけど、記事内容は結構政治ネタだったり、
社会派だったりっていうのも、やっぱりその流れがあったんですかね。
あったと思うんですよね。
21:01
ザ・ベストが、いわゆる本誌と呼ばれていて、
主軸にこれがあったんですけど、
ここから派生していった雑誌がたくさんありました。
そっちも完全なるエド本。
ザ・ベストスペシャルとか。
もう完全に女性の裸を、完全なメインとして扱ってる。
今それやったらもう完全にアウトな。
今こういうふうに久田さんと話してるのもこういう状態だから、
今山系っていう久田さんだから話せますけど。
なかなか普段話せないような感じ。
ただ、やっぱりこういう出版社って、それが当たり前の状態で。
昔はそうですよね。
僕が一番最初に配属されたところでは、
当時流行りつつあったエアヌード写真集とか。
エアヌードって元々はその辺が結構モヤっとして出たのって何でしたっけ?
篠山鬼神でしたっけ?
木口かなこのウォーターフルーツが多分最初なんじゃないかなと思うんですけど。
食い気味に来たね。食い気味。
いやもう思春期だった。思春期全らなかったんで。
宮沢Dさんもそうですね。
アンカフェ、朝日出版社。
その頃から色んなエアヌード写真集がバカバカ出てきて。
僕の高校時代ぐらいですもん、やっぱり。
すごいニュースとか本屋行くと。
そういうセクションができて、
写真集の編集部っていう名前だったんですけど、
そこでエアヌード写真集とか、
あとザ・ベソから派生してきた完全なる純粋なエロ本っていうんですかね。
そういうのを出したりとか。
編集の基礎はエロ本で叩き込まれたっていう感じ。
けどそれってあれじゃないですか、
かなりギリギリを狙うかどうかっていうのが重要な時期じゃないですか。
取締役に受けるか受けないかみたいな。
そこまで攻めた本作りって当時もしてなくてですね。
やっぱりいろんな規制に引っかかるものをできるだけ出さないように。
ぼかしとか、表現方法とか。
それで竹井さんがおっしゃったいろんな修正。
はいはい、修正。
星マークをちゃんと写真の場所に合わせて、
24:00
半下を作って付けるっていうような作業をやったりとか。
胸の大事な部分とか。
股間の大事な部分とか。
そうですね。
それがとにかく見えるとまずいと。
はい。
それ手作業でやってるんですよね。
手作業ですね。
当時の本作りの基本がやっぱり半下。
半下っていう本と同じ同サイズの紙で原版を作るんですよね。
そこに文字が写色で貼り付けられていて。
それを半下屋さんで作り、最終的に印刷所に納品するっていう。
星のマークがずれていたりすると、白って見えちゃったりするとまずいと。
はいはい。
ということで移動工で。
移動工で、お前星これずれてんじゃねえかとか言われる。
おいくつぐらいだったんですか、その時は。
それが22、3ですね。
22、3ね。
大学出てすぐ。
1年留年してたんですよ。
てことは世間の20代前半の男の子が、その星の下が見たいのにっていうふうに悶々としてた人たちを差し置いて、
沢田さんはその星をつけてたってことですよね。
星つけてましたね。
星をつける作業の前に撮影の現場に立ち会ったりとか。
はいはい。
いろんなモデルさんの潜在写真をおっかない事務所に取りに行ったりとか。
あるんですね、そういうの。
芸能事務所?モデル事務所なんですか?
モデル事務所ですね。
モデル事務所もいろいろありまして。
現物を撮りに行くっていうのが、メールテンプとかではないという。
とにかく現物。
写真もだって、デジカメないから。
写真も基本的にそうですよね。
ポラロイドでテストして、フィルムで撮るっていう。
はい、そうですよね。
プロの写真家というかフォトグラファーの人は。
そうですね。
そこで、当時いろんな誰かの写真を撮っていた方が、
今も活躍されていらっしゃる渡辺達夫さんとか、
竜木良寛さん。
大物写真家の方。もちろん荒垣さんも含めてですね。
いろんな有名な写真家さんの事務所にお使いに行ったりとか、
ちょっと撮影に差し合わせてもらったりとか。
27:01
そういった意味ではすごい貴重な経験ができましたね。
だからもう、久田さんの星をつける話は、
どこかで後でちょっと、星をつける男ってタイトルで。
星をつける男、何の星?
いやけど、そういう話。
ミシュランの話かと思うんですけどね。
ミシュランの話。
話したい。
言い張りする男。
そうなんですよ。
だからその時代の星の作り方とかって全然知らないので、
たぶん僕らはそういうのに励んでるし。
ですよね。デザイナーさんも今はインデザインとかソフトを使って、
当時はレイアウト用紙に原寸大でレイアウトを引くっていう。
けど月刊誌じゃないですか。今と変わってないわけじゃないですか。
販売スパンっていうか、タイムスケジュールって。
そうですよね。
人数も多かったんですか?
人数当時、いやでも、
僕と5歳ぐらい上の先輩と編集長が1人いて、
基本的には2人でやってましたね。
2人でやってるんですけど、ヘンプロさんにお願いするページも。
ヘンプロさんも当然レイアウト手引きで、
写真は全部個人入稿なので、
入稿素材、デザイン用紙と写真を取りに行ったりとか。
何かを持って行ったりとか、とにかく頻繁にやってましたね。
なんでそこから山系に行ってんだよ。
写真がすごく重要な雑誌ですもんね。
ラビア雑誌ですもんね。
そうですね。江戸本なんですけど、
そこでいろいろ厳しく指導されまして、
今同じことやったら即問題なんじゃないかっていうような、
愛のあるご指導を。
そうですか。
そんな時代でしたよね。
結構やっぱりそういう世界って、とにかく修行みたいなのが厳しいですよね。
ちょっとウィルスミス張りの平手打ちとかも。
そういうアカデミー賞の辞児ですね。
あれはだって指導じゃないでしょ。
まあそうですけど。
大島渚と、
野坂明。
あの一つのシーン思い出しましたね。
30:02
そうですね。囚人監視の中で。
奥さんが止めるっていう。
そうですね。
指定制度っていうか、
いっぱい社員にとにかく一から叩き込まれるみたいな。
体育会計。
そうですね。
自分もそうだし、
カメラマンのアシスタントが、
ものすごい厳しい仕打ちを受けてたりとか。
いやー、もうなんかもうその想像つきますね。
そういう時代ではあったのは間違いないですかね。
昭和ですね。
昭和ですね。
ただまあ、それもそんなにひどいものではなくて、
理不尽ないじめみたいなものではなく、
とにかく仕事をちゃんと教えるんだ、みたいなところがあって。
それが今でも役立ってるっていうか。
本を作る人って、作ってる時もそうなんですけど、
世に出ることだから、そこの緊張感とか責任みたいなものはやっぱり、
昔から変わんないですか、やっぱり。
そうですね。
厳しさみたいな。
そうですね。
でも、なんかそこに自分が面白がれる要素っていうんですかね。
はいはいはいはい。
それはやっぱり重要だなと。
自分が興味を持って楽しく面白くやると。
ただまあ、厳しい世界なので楽しいことばっかりではないんですけど。
そうですね、その労働環境の問題とか、給料の問題とか。
結構その、ベストセラーズも家代わりの激しい会社で、
もう一体何人の人が自分が、もう2年しか僕いなかったんですけど、
2年間で何人変わったかなって思うと、本当にすごい人数が通り過ぎていった感じがありますね。
けど出版社っていうものは、まだまだ当時は憧れる職業でもありますしね。
なので、流動性の高い業種ではあったのかなと。
いろんな会社からやってきて、また違うところに行ったりとか。
辞めて違うところに行ったりとか。
今それでも出版社で本作って人って、
石澤さんの年齢も含めて、結局多分その当時が楽しかったんでしょうね。
楽しくないって思ってないですよね。
そうですね、そういうのも含めて、なんていうか、
33:03
当然徹夜したりとか。
生活はめちゃくちゃなんですけど、それが痛快で楽しいっていうふうに見える。
そういうところもあったりとか。
周りの人、普通の会社に勤めている人とかを見ると羨ましいなと思う反面。
なんかこう、通勤ラッシュで逆の電車乗って家に帰る俺はなんだろう。
これもまた人生。
分かるなぁ。
そういうのはありましたかね。
渡辺くんも今、普通のサラリーマンじゃないですよ。
まあそうですけど。
そうですよね。
もうこうなると、この業界から足を洗えなくなる。
一度足を洗ってしまう。
そうですよね。
もう大体魅力に取り憑かれてるって感じですよね。
当時のベストセラーズもいろんな個性派社員がいましてですね。
まあアウトロー的な人物の。
ブライってやつですよね。
ブライ。
そうですね。
なんかそういういろんな人がいましたね。
22と今思い返すと。
伝え聞くのはもうそういう話、ブライかアウトローかっていうぐらいありますよね。
けどまだ雑誌も反論も相当。
コンビニはそこまでまだ世の中に普及してなかったですよね。
まあありましたけど、全国一通ぐらぐらって感じはあったですよね。
コンビニもどんどんどんどんお店が増えていく中で、
コンビニで雑誌を売るっていうビジネスが急拡大して。
そうですよね。90年代後半からですね。
だから書店の仮想的が結構コンビニだったりしましたもんね、当時。
もう今じゃそんなこと一つもないですけど。
あと紙媒体のエロ本というのと、
あとビデオですね。
ビデオもとにかくいろんなメジャーな会社から、
わりとインギスっぽいところで、どんな幅広い会社がいろんな作品を出していて。
36:04
はいはい。映像コンテンツが。
そうですね。そういう専門誌も結構多かったですよね。
エロビデオ系の専門誌。
そうですよね。99年ぐらいからDVDが本格的に引き出し始めて、
映像コンテンツが雑誌の付録になったりとかもし始めて。
そう。一口目、エロ本男性誌って言っても、
いろんなバリエーションが、たぶん90年代が一番多かった時代なかもしれないですね。
わりと綺麗めなグラフ誌。
あとアイドルっぽい女の子が出てくる本があったりとか、ザーベスみたいな総合誌って言うんですかね。
風俗専門誌とか。
はいはいはい。
この本にもうその全てが出ているっていう感じではあるんじゃないかな。
この本買わずにはいられなかった。
日本エロ本全史。
日本エロ本全史。これ勉強になりますね。
いやーしみじみと。勉強してどうするんですかもう。
自分の生き方をこれで振り返る。
なるほど。そもそも山系に入るきっかけはなんなんですか。
そこからスイングジャーナルに行くんですけど。
はい、スイングジャーナルに行って。
もともと学生時代にですね、スキーの手だと言って、
5年間ずっとスキーを、学校も行かないでスキーばっかりやってたんですよね。
そういう自然とかウドドア、スキーも含めて、興味があったんですけど、
一方で、ベストセダーズが出していた本の中でも、
エロ本はあんまり馴染みがなかったんですけど、
当時、小学校5年生ぐらいの時に、万歳ブーム。
万歳。
万歳ブームですね。
2ビートとか、B&Bとか、
コボンコボンとか。
コボンコボンとか。
そういう人たちがボーンと出てきて、
2ビートの、わ、毒ガスだっていう、すごい売れた本が。
ありますねー。
バニーの。
あれがベストセダーズに出てたんですよ。
ベストセダーズって、僕5歳ぐらいの兄が、
深夜放送とかも大好きで、
その兄が買ってきた、わ、毒ガスだとか。
39:02
谷村真嗣のアリスの、
天才秀才バカっていう、
これまたラジオのネタ本みたいな本があったんですね。
なんか谷村真嗣さんのラジオが、今のラジオの、
深夜ラジオの元を作ったみたいな、
話がありますよね。
僕の直接的なその、
世代っていう感じではないんです。
もうちょっと上の下。
なぜかその本が家にあったりとか、
天才秀才バカとか、
2ビートの本とか。
あとは、江本武之。
トレアキーを10倍楽しく見る本。
映画にも出てましたしね。
あれベストセダーズですかが。
あれベストセダーズなんですよ。
ノリノリですね、ベストセダーズ。
めちゃくちゃ売れたみたいですけどね。
あれ心霊写真の本とかもそうじゃなかったっけ。
結構出てましたよね。
心霊写真の本も出てましたよね。
オカルトグルームの時に出てましたね。
すごいっすね。
小関一和子先生の、
はいはい。
そうですね、独占心の本です。
そこでビルが建ったっていう。
いや、すごいな。
すごいな。
お笑いとかサブカルとか、
音楽とか、
ポップカルチャーですね。
そうですね。
当時、80年代の前半、漫才ブームなり、
田森さんがドーンと出てきて、
笑っていいともが始まって、
田森クラブが始まって、
そうですね。
今夜は最高とか。
今夜は最高とか。
で、ベストヒットUSAとか。
一緒くたに、
そういう、
お笑いとか、
サブカル、
音楽、
一緒くたになって、
自分の青春時代がですね、
それに彩られて、
兄の影響もあって、
同世代の人たちとは、
ちょっとまた違う、
もうちょっとお兄さんお姉さん世代。
はいはい、上の世代。
上の世代を、
影響を受けてきて、
音楽が、
とても好きで、
兄の影響もあると思うんですけど。
で、ちょっと話が長くなっちゃったんですけど、
そういう、好きアウトドアとか、
音楽、
お笑い、
サブカル、
両方好きだったんですよね。
で、何かしら、
自分の好きなことができるといいなっていう、
希望あったんですけど、
たまたまその、
ベストセラーズ。
お、あのベストセラーズ。
たまたま。
たまたま。
あの。
あのベストセラーズにたまたま入れたので、
それはもうエロ本だろうが、
なんだろうが関係なくて。
知ってる出版社ってことだけどね。
そうですね。
おーって感じですよね。
はい、楽しそうなことができそうだなと。
42:01
まあ、道を外れる予感はたくさんあったんですけどね。
そして、まあ本、星をつけて。
それで星をつけていったんですよ。
それで、2年が過ぎてそのベストセラーズで。
はいはい。
で、さすがにちょっとこの業界もですね、
いろいろ辛いことも多いし、
これから10年後とかどうしてるのかなと考え、
矢先にですね、
アドリブという本の、
本の刊末の奥づけで、
編集部員募集っていう小っちゃな囲みの記事を見つけたんですよ。
当時の専門誌って雑誌で編集部員募集とか。
求人。
はい。
求人募集とか。
はいはいはい。
こうやってやっていって、
それを見つけて、
アドリブの大学の頃から読んでいた本であるんですけど、
もしかしたら。
持ってスイングジャーナル社に面接に行ったと。
へー。
そんな流れで会社はこうなった感じですかね。
音楽とかそっちのほうで。
音楽、そうですね。
で、スイングジャーナルってすごいちっちゃい会社で、
社員が25人くらいですかね。
ベストセラーズはもうちょっと人数がいたんですけど、
6人くらいいたんですかね。もっと少なかったかな。
ベストセラーズは営業部もありますもんね。
そうですね。
スイングジャーナルは営業部はあるんですか。
スイングジャーナルは営業部と広告が異色端になった5人くらい。
20何人しかいない会社なんで、
スイングジャーナル編集部8人くらいかな。
で、営業部に経理のセクションが3人とか。
アドリブが4人とかっていう。
東京タワーのふもとの雑居ビル。
いいっすね、いいっすねー。
東京タワーのふもとの雑居ビルですね。
すごい。
けどやっぱりあっち海外なんですね、音楽系って。
港区とかそっちのほうなんですかね。
多いですよね、音楽デコードメーカーとか。
そうですね。赤坂。当時赤坂とか多かったですね。
45:02
父会社っていうのは当然知ってたんですけど、
なかなかやっぱりそういう、もっとギュッとストリックさを凝縮したような雰囲気があって。
そこの社長さんと息子さんが、社長と専務みたいな感じで。
よく言えば家族的。
悪く言えば?
悪く言えばですね、家族系のあんまり良くない面が強力に作ってて。
これがジャズの世界かっていう。
やっぱりそういう、ジャズも音楽の中でもかなり、ファンの人たちも厳しいじゃないですか。
厳しいですね。
ちょっと違いますよね、やっぱり。
間違えられないっていう、そういう編集部。
特にスイングジャーナルっていうジャズの本の編集部っていうのは、
みんなジャズオタク。
ジャズオタクじゃないと仕事にならないような。
まあそうでしょうね。
割とそこはオタクっぽい感じだったんですけど、
自分がいたアドリブっていうところはもうちょっと緩めとは言えないかな。
もうちょっと一般的。
もうちょっと幅広い。
ジャズ一変等じゃなくて、割とそのいろんなジャズっぽいもの、フュージョンとか。
渡辺くんが好きなTスクエアとかも。
僕もTスクエア大好きで。
初めてその、スクエアは高校のときから好きだったんですけど、
アドリブに入って一番最初の取材がスクエアの安藤雅宏さんの取材。
ものすごく若く。
ものすごく若く信じた。
一夜屋のソニーに行った記憶がありますね。
そういうその、自分好きなアーティストに会える楽しみ、喜びとか。
取材だったりライブだったり。
そういう喜びがあるんですけど反面、
労働環境の厳しさとか。
なんかあれですよね。
沢さん天秤にかけてますよね。
今一番その、労働環境と楽しさが一番釣り合ってる状態で。
そうですね。
48:00
そういうバランスが崩れていくと、みんなやめちゃう。
やっぱりそのやりがいっていうのかな。
厳しさを凌駕する楽しみみたいなのが出ましてですね。
20代、25歳ぐらいからスイングジャーナル行ったんですけど。
若さみたいなのやっぱありますね。
そうですね。今ほら、やりがい作種とか言われるじゃないですか。
けど、その辺結構天秤にかけて楽しさを少しある程度
ウェイトを重くしてバランスを取って
我慢って言い方おかしいですけど乗り切れば
今の久田さんのようにスキーに行けるような仕事がつけられますね。
そうですね。
音楽雑誌で仕事をするっていうのは、なかなか言ってみれば
その本の編集部って4人とか5人。
その4人とか5人しか味わえない世界でもあるわけで
それは本当に貴重な体験ですかね。
レコードメーカーに行くってことも結構初めてですよね、そういう時って。
そうですね。
音楽業界に若干ちょっとコミットしていくみたいな、ワクワク感みたいなのもあるんですか?
ありましたね。毎月本ができて、その本を届けにレコード会社を一日回る日があるんですけど。
iPhoneを営業、広告担当者と一緒に。
そうですよね。
それがまたすごい楽しみです。
取材でレコード会社に行ったりとか、レコード会社が借りているホテルの部屋に行ったりとか。
ライブの前後で取材したりとか。
憧れの音楽業界を垣間見ると。
僕もCD担当的にやったときに、結構レコードメーカー周りとかもしたんですけど、
ちょっとやっぱり違いますよね。出版社に回ると全く違いますよね。雰囲気が。
違います。
なんか、開かなくなるというか。
お洒落ですよね。
こちらは、本だけ見るとスイングジャーナルとかどういうところってかっこいいんですけど。
作ってるのは東京タワーの雑居ビル。
その狭い雑居ビルのマンションの部屋の一室が品種部で、すごい濃厚な雰囲気。
壁は全部CD。
51:00
そんな中で仕事をして、楽しいんですけどね。
そういう穴倉を抜けて、レコード会社。
レコード会社の赤抜けた感じの。
そうなんですよ。またいい場所にレコード会社さんがありましてですね。
そうですよね。
市街赤坂、あと外縁前とか表参道とか。
この辺に、ヴィクターなんかは表参道にあったりとか。
そうですね、はい。行きましたね。
コロンビアとかもなんかあったとか。
赤坂っていうか、コロンビア通りっていうね。
ニンヨンドから赤坂に向かう途中にあったりとか。
すごいですよね。
すごいんですよ。
いやー、こんなオフィスいいなーって思う。
僕が回ったのは2000年ちょい過ぎてからですけど、
ABEXとかも出てきて。
ABEX。
はい。ABEXとかにも行って。
ニンヨンド風。
そうですよね。
新譜をお披露目のときに、
あ、ベルファレ。
ベルファレなんですよ。
ベルファレ、ロッポンギ行きましたね、僕も。
ベルファレをお披露目で、そのときまだコーダー組がデビューしたてで、
あとダパンプもいたかな。
そうなんですよ。
コーダー組がレコード屋さんが招待されてる前でステージで、
歌うわけですよ、キューティーハニーとかを。
けど、もうなんかファンじゃないからみんな。
冷静に音楽を聴いてるから。
いやーこういうのも、歌手ってこういうのも仕事なんだなと思ってさ。
すごい勉強になりましたけどね。
今すいません、私アドリブの1994年7月号の表紙を今、
ちょっと検索したら出てきて、シャニースが表紙なんですけれども。
シャニースは僕Jウェーブめちゃめちゃ聞いてたんで。
Jウェーブがそうだね、登場したのがたぶん1994年5年とかそんなもんだよね。
そうっすね。
解局したのは。
Jウェーブのイメージもありましたね。
JウェーブのディレクターさんがCD表を書いてたりとか、
いろいろなつながりがあって、Jウェーブにも本届けたり資料借りてたり。
そうなんすか。
六本木通りと、昔のJウェーブですね。
できたばっかりの頃の。
僕その頃、中学生で聞いてました。
三岡ディオンがDJやってる夕方6時の番組に電話でリクエストさせました。
さすが、お買い払い。
54:01
山陽のラジカセで音楽聴いてましたよ。
Jウェーブのジングルとかが合間に入ってくる。
JウェーブのコンセプトCDみたいなのが裏出てたりとか。
僕たちの本袖のジングルは実はJウェーブのジングル。
全然弾けてないんですけど、一応イメージとしてはJウェーブの。
これ聴いてる方が多分過去何回か聴いたときに、たまにJウェーブのジングルに奇跡的になった時とかもあるんで。
オシャレだと思いましたよ。
81.3 Jウェーブ。
僕は田島孝夫さんが熱唱するバージョンのジングルが好きだったんですよね。
まあいいや。
交通情報のPCがずいぶん長いこと、チックコディアの曲がずっと使われてたんですよね。
僕の中学生のときは背伸びするから洋楽を聴き始めるじゃないですか。
で、FMでずっと洋楽をかけてるのがたまたまJウェーブが多くて。
それでJウェーブを一日中。
Jウェーブ、そうっすよね。
今Jウェーブ聴くと、一瞬僕ナックファイブ聴いてるのかってぐらい、だいぶ内容が変わっちゃってる。
変わりましたね。しゃべりも多くなったし。
そうですね、しゃべりが多くなりましたね。
広告が、引っ越し侍とか、家賃保証とか。
なんか英語ラジオっぽいなって。
英語ラジオっぽいですよね。
当時のJウェーブはどこに行っちゃったんだみたいな。
そうなんですよ。
コメンテーターというかDJもナックファイブ寄りになってきてるから。
ちょっと僕が中学の時に聴いたJウェーブとは雰囲気が違うと思いましたけど。
当時はCDショップも都内に多くて。
でしょうね。
タワーレコードをはじめ、HMVとか。
ドットフォンでニューウェーブっていうショップがあって、そこがまたかっこよかったんですよね。
なんかあれですよね、たぶん90年ぐらいにバージンメガストアが。
バージンメガストアありましたね。
ウェーブは確か日本の資本なんでしたよね、確か。
なんか外資系。ウェーブって西部系?
西部系ですか?
まあそういうときはだいたい西部絡んでるんですね。
ちょっとすみません、私も間違ってたからちょっとあれなんですけど、
いろいろそういう外資系CDショップをはしごするっていう謎の満ち足りた休日とかはよくありましたね。
そうですね。渋谷とか行ったら必ずCDショップに行かないと絶対にダメみたいなのがありましたよね。
57:05
でも視聴機片っ端から聞いていくっていうのがありましたよ。
銀座もCDショップだらけでしたからね。
銀座インズの中ずっとHMVがつながっていたりとか。
あ、そうなんですね。
今亡くなったハンキューにもHMVがあったりとか。
まあそういう。
いいですね。
いい経歴してますね、久田さん。
そういうところの雑誌の編集部でやれてたっていうのはやっぱりその、
まあ体力が結構大変なところはあるかもしれないですけど、
確かになんか気持ちとしてはなんかすごいちょっと、
満ち足りたものは感じざるを得ないですね。
あるでしょう。
あとやっぱりインターネットがそこまでなかったのが逆にいいかもしれないですね。
そうですね。インターネットはまだスイングジャーナル時代は全くなかったですね。
音楽の情報源がもうCDショップかラジオか雑誌。
テキストとしての雑誌がありますよね。
そうですね。
今だったらいろいろYouTubeもあるし、
いろんなインターネットのサブスク系のサービスもたくさんありましたよね。
曲の検索もいろいろシャザムとかあるじゃないですか。
流れてる音楽がわかる。
衝撃的でしたよね、シャザム初めて使った時。
あれだけ苦労して曲で当たりつけたCDがね。
そうなんですよ。
当たりつけてこれだろうと思ったらないってよくあります。
テキスト情報を見て、音楽も聞かないのに書いてるテキストでオススメされたら
これはもうなんか聞かないとダメみたいなのがよくありましたよね。
音楽は。
ライナーノーツ重要でしたね。
輸入版買うか日本版買うか常に迷うんですよ。
日本版はライナーノーツがしっかりと熟読してね。
そうですね。
楽しみでしたね。
華やかに。
仕事で考えるとやりがいはあるんだけど、とにかく生活面は非常に給料が安いから厳しい。
なので、いつも金じゃないんだって言い聞かせていました。
金じゃない。
スキーとかで冬になったら雪山に行きたい気持ちと、
なんか徹夜明けでもうヘロヘロになってなんか行けないとか、
あとはやっぱりお金の問題もやっぱりそこには、
1:00:04
ゲレンデが良いとかね、いろんなマテリアルも金かかりますからね。
そうですね。なので当時はやっぱりスキーに全く気が向かなかったですね。
スキーどこじゃないですよね。
そうですよね。
経済的な問題っていうのもあったし、
当時スイングジャーナル社はですね、土曜日も仕事があって、
月に2回土曜日仕事があって、
でもあんまそういうのは苦にならず、
とにかくいろんなライブ行けたりとか、
インタビューの席に立ち上がってるところで、
本当に充実した生活をですね。
まあある意味、冷静に振り返らなかったっていうのがいいですよね。
夜、家帰るときは金じゃないってぶつぶつ言いながら、
終電で帰ってたりしましたけど、
社員みんなそうだったんで、
なんかこう、同心みたいな感じになってくる、だんだん。
ああ、そうでしょうね。
今でも、本当に辞めてもう20何年経ちますけど、
いまだにたまに会ったりとか。
会社自体がもうなくなってしまった。
そうですね、スイングジャーナルがなくなっちまいましたからね。
なくなってしまったんですけど、
その当時の仲間、先輩も含めて、
たまに会って、当時のいろんな思い出話ですね。
当時はつらかったみたいな話をひとめどしたりします。
これはなかなかこれから出版業界を志望している若い人とか。
聞いても多分ためにならないと思うんですけど。
そうですね、あれも、
自分がやりたいっていう気持ちとか楽しいとか。
そうですね。
仕事って楽しいだけじゃないですか。
まあそうですね、もちろん。
それをひっくるめても、編集の仕事っていうのは、
最終的には楽しいっていうところには行き着くのかな。
その魅力に取り憑かれた人がたくさんいますからね。
もっともっと腹どな状況を飛びり抜けてきてる人がいますよね。
まあいますけどね。
百戦錬磨の人はいますけどね。
百戦錬磨の人はいるでしょうね。
で、今、大和警告書に。
何年入ったんですか、大和警告書は。
大和警告書は98年ですかね。
98年ですね。
スウィングジャーナルは3年しかいなかったんですけど。
3年しかいなかったとは思えないぐらい濃密な感じはありますね。
いいですね。
1:03:02
山と警告書入ったときって、まだ今の社屋ではないじゃないですか、当然ね。
おなりもんに当時の会社があって、
そこは割と畜年数の古いビルだったんですけど、自社ビル。
エレベーターのない自社ビルだったんですけどね。
そこが最初ですかね。
またまた東京タワーのショーですけど。
今では非常に近代的な人望庁の超高いビルにいますけど、
まさかそんな面影もない過去はすごい。
感慨深いですね。
東京タワーですね、もともと。
作居ビル、東京タワーを見上げて。
当時の山と警告書ってどんな雰囲気だったんですか。
当時はですね、出している本自体は今と変わったかな。
山と警告は変わらず、今もあるんですけど、
山系ジョイっていうタイピング雑誌。
これも形を変えて去年までワンダーホーゲルっていう名前で残っていたりしましたよね。
そういう雑誌と、あと書籍。
あと自分が最初に入ったスキーヤーっていう。
ああ、スキーヤー。
岩と雪。
スノーボード。
岩と雪もありましたね。
当時の雰囲気で言うと、もうちょっとスマートではないというか。
そうなんですか。
割とその会社でサンダル、セッタ、バキ、別屋です。
その辺で寝袋で寝ている。
寝袋で寝るのは特に中央即位そうですもんね。
割とそういう自由な雰囲気がバリバリ残っていた感じですかね。
当時山雑誌って、あんまり今と勢力図は変わらないんですか。
当時は、今の方がバリエーションが増えているかもしれないですね。
A出版。ピークス・ダンドネとかそういう。
A出版が出したとき。
その前だと、学人と、今もモンベルさんかもしれないですね。
学人と山系くらいじゃないですかね。
ですよね。
ただ、スキーの雑誌は結構多くて。
ブルーガイドスキーとスキージャーナルと。
1:06:02
スキージャーナル、スキーグラフィック、スキー屋。
あと、二箇所のブラボースキー。
ありましたね。
すごいですね。
僕買ってましたもん。
ベースボールマガジン社からスキングマガジンというんですけど。
あと、学研からボブスキーというのが出たとか。
スキーブームでもありましたよね、当時。
まだ身長よりプラス何センチのカービングスキー等が出始めたぐらいの時期だと思うんですよ、90年代後半。
そうですね、まさに。
ですよね、過渡期でしたよね。
過渡期です。
67年から徐々に増えてきて、98年、99年とかから一気に増えてきた感じがあります。
スキードームザウスなんていうのもありましたからね。
行きましたよ、ザウス。
真夏にね。
あの異様な建物でしょ。
ワンガンスキー屋ですね。
僕はスキーやったことないんであれなんですけど。
ぜひご一緒。
一つの人生で一度もスキーをやる機会というか、全くないんですよ。
これはじゃあ温泉セットで。
温泉セットで。
行かないといけない。
いいっすね、行かないといけない。行きましょう、今度。
ぜひぜひ。
今はスキー雑誌ってほとんどないじゃないですか。
今はそうですね、スキー屋は1年に1冊出してるんですけど。
あとは双葉社からブラボスキーがまた出てきて、
バックカントリーとかパウダースキーの本が出ていたりとか。
月刊誌はスキージャーナル社がなくなってしまったので、
スキーグラフィックが月刊誌で唯一今残ってる。
実日もスキー雑誌が無いじゃん。
随分減りましたね。
人望帳は結構多いじゃないですか、スキー屋さんというか。
なるほど、スノーボードとかも多いですけど。
スノーボードは今、人口的に多いわけじゃないんでしょうけど。
スノーボードも減りましたよね。
ベタンですね。
ただこのオリンピックの、北京のオリンピックがいろんな効果で、
またその旧民層がスノーボードをやり始めるかなっていう。
そうですよね、一時期流行って。
一時期流行って。
出てましたねー。
スキーもですね、結構中高年の人が、今もずっと昔からやってる人が、
1:09:03
そのまま世代がどんどん上がってきて、
結構年齢層が高めですね。
私のいとこがやっぱり、去年学校先生だったんですけど、
昔から大学時代からずっとスキーやってて、
定年してやっぱり検定受けて、コーナーで合格したみたいなことを。
すごいモチベーションですね。
やっぱりちょっと時間ができたりとかすると、
やっぱり昔スキーやってたっていうことでやってましたね。
そういう世代の人たちが今のスキーシーンを支える中心的な存在かもしれないですね。
外遊びというか、スキーも、あと登山もそうですけどね。
登山ブームの世代がだいぶ高齢化してきて、
あとどういうふうな状況になっているのかとかも、
若い人も一時期また登山ブームもあって、
山ガールの世代とか、ありましたけどね。
そうですね。山ガールのブームも少し落ち着いて、
今はまたウルトラライト系っていうんですかね。
出ました。
渡辺くんの大好きなUL。
影響を受けてますね、私は。
やっぱUL系の勢力がですね。
UL系あとソロ登山。
ソロ登山ですね。
テント博。
そういう人たちも増えたし、
中学年の人は相変わらずお元気で皆さん。
ハイキング登山っていうよりかは、もうちょっと真面目に山をやる。
ソロハイクの人とか。UL。
結構ユーチューバーの女性ユーチューバー。人気ユーチューバー。
そういうふうな、スキーがそれで下がりますよね。
カホの登山日記は見たほうがいいですよ、鈴木さんも。
カホさんもすごいですね。
YouTube登録20万人。
すごいなー。
勢力一番持ってる。
そうですよ。
僕は登山はやらないけど、登山の本は読むっていう。
そうですよね。
一応葛司登山かな。
葛司登山だ。
なんで、その辺りの山業界については興味津々なんですけど。
YouTubeはカホさんとか、いろんな人気の方がいるので。
弊社もYouTubeやってるんですけど、
1:12:00
YouTubeをやり、葛司の登山の文化っていうのを話したいかなっていうのはありますかね。
冒頭に言った長谷川千代さんの本とか、
昔の登山家の本、させみのさんの本とか、やっぱりすごいじゃないですか。
いい本がたくさんありますよね。
ねー、ありますよね。
加藤康夫さんなんかもなかなかいい文章が。
はいはいはい。
本当そういうのがあるから、葛司で山を楽しむのも結構。
まあ、標的には望まれないですけど、本であれば感じますね。
そうですね。
とりあえず根強い人気はやっぱりあるんですよね、山岳小説とか。
はいはいはい。
ノンフィクションも含めて。
亡くなった笹本良平さんのシリーズも結構人気がありましたよね。
そうですね。
山岳冒険アクションみたいな。
はいはい。
思うかったですけど。
そうそうそう。
山は写真もビジュアルもいいけど、葛司にしてもすごいいいから。
そうですね。
いいですよね。
ウルトラライトはね、道具の魅力がちょっとあまりにも強すぎてね、あれハマりだすとちょっとやばいんですよね。
ウルトラライトはハマる要素はたくさんありますね。
ありますよね。そもそもアウトドアグッズは軽いものは高いですからね。
そうですね。
本当に。
ウルトラライトの道具を使うと結構リスク、いろんなリスクっていうんですか、背負わなきゃいけないっていうか。
装備がとてもシンプルな分。
そうですよね。
走力とか歩く力をアップさせて、しっかり歩ける自力をつけながらULの装備を持つみたいなところもあったりとか。
そういう楽しさを追求していく面白みがあるのかもしれないですね。
テントハックもやっぱりテントの性能とかも上がってきてるからですかね。
テントの性能が軽くなってきてるっていうのはありますかね。
軽いですよね。コンパクトで小さくなって軽くなってますもんね。
そうですね。いろんな装備が軽くコンパクトになって。
ザック。と言ってもやっぱり50リッター60リッターのザックは必要かもしれないですけどね。
すごいストイックな人になると、もっと小さい道具で山歩いたりとか。
1:15:01
トランスジャパンアルプスレースっていう2年に1回やってる。
これまたウルトラスーパーエクストリーム。
もう何ですか。ウルトラスーパーにエクストリームって。すごいですね。
小山から大洲の海から静岡の海までアルプスを繋いで歩いて、7日以内で完走するっていう。
日本を横断するわけですね。
それがNHKの番組ですごく人気になって。
めっちゃおもろいですよね、あれ。
また最後幻覚見たりしながら、静岡の大浜海岸にたどり着くっていう。
幻覚見ながら。
幻覚見ながら。430キロぐらいあるんですかね。
ルートは決まってないんですか。
ルートは決まってます。
まず富山の海から。
やりがたけ。
やりがたけに夜中登って。
ありえない。
寝ないでそのまま立山に通過して。
嫌ですよ、そんなの。車でもバイクでも嫌ですわ、それ。
ずっと雲の中とか。
神高地に降りて。
そっから今度中央アルピスに入って。
降りて最後南アルピスを経て。
最後の区間、南アルピス降りると旗名木ダムっていうのがあるんですけど。
静岡市のずっと山奥です。
静岡市のずっと山奥の旗名木ダムからゴールの絵画までだいたい90キロぐらいあるんですよ。
そこを最後。
亡者のように。
亡者のように。
これが4連覇とかしている鉄人がいるんですよ。
餅月松さん。
この人5日とちょっとで走り上げたりしましたね。
すごいなー。
なかなか強烈ですね。
羽節音カップも取材に行ってましたけど、そのレースも取材に行ってるんですか。
はい。TJRも行きましたね、1回。
すごいな。
それ取材ってどういうふうに取材するんですか。
参加者はずっとレースしてるわけじゃないですか。
NHKのスタッフなんかはずっと振り付いていくんですけど、
自分の場合はスタート地点を撮影して、
翌日の夕方まで高山で取材をし、1回東京に戻ってきて、
今度はゴールするタイミングで静岡に行って、
1:18:03
ゴールで待ち構えてまた撮影とか取材したりとか。
すごいな。それでもすごいな。
今年ありますよ、また。
そうなんですか。
時期的にいつなんですか。
時期的にはオープンの時期ですかね。
夏!?
夏。
山だから夏じゃないときついんですか、さすがに。
そうですね。
アルプス系。
アルプスの山、夏でも天気によってはめちゃくちゃ寒かったりとか。
そうですよね。
めちゃくちゃ暑かったりとか、台風とか。
そういういろんな過酷な天候状況とか。
それがレースだもんね。
そこに予選を勝ち抜いて30人出られるんですけど。
出るだけでも大変っていうか。
自衛隊のレンジャー訓練合格しますよ。
そうですよね。
てか自衛隊員いるんですか、中に。
自衛隊員…消防士。
やっぱいますよね。
でもですね、普通の会社員の方もいて、
弁護士さんとかもいたりとか、
あと研究職の人がいたりとか。
ここでまたさまざまですね。
途中に別に誘導員がいるわけじゃないですよね。
昨日やられたルートがあって。
チェックポイントがあるんでしょうけど。
チェックポイントがあるんですよ。
そこに制限時間以内に行かなきゃいけなかったりとか。
そういうナビゲーション能力とかも当然皆さん…
ですよね。
出ないと。
もちろん。
すごい、
コアなことばっかりを言うとすごくあれなんですけど、
一般的な。
的警告の今月号の特集とか、
今月?今月?
今だと4月号ですよ。
日本アルプス自然史ガイドと非常に…
なんか山ごはんとかじゃなかったでしたっけ?
なんか本屋さんで見たけど。
今は山と警告は、
日本アルプスですよ。
山ごはんは1個前ですかね。
1個前でしたか。
今出てるのは、
日本アルプス自然史ガイドですね、特集は。
このテーマがですね、
結構やっぱり人気があって、
山のガイドの要素と、
例えば山の自然の動物とか植物とか、
火山の成り立ちとか、
そういうことが分かる内容になってるのかな。
地形の話とか、
植物、地形、
1:21:02
植物、地形、生き物の話。
そうですよね。ただ山登るだけじゃないですもんね。
みなさんそういうとこに興味はいきますもんね。
そうですね。
1年に何回かこういう特集をやったりしますね。
意外とこれがまた人気で。
僕はいつも新年号の1年振り返りと、
読者アンケートの号が好きですけど。
山の便利帳も。
山の便利帳もフロックでついて。あれいいですよね。
最近PDFでダウンロードできるようになって。
そうなんですね。あ、そっか。今タブレットで持ち歩く人もいるからか。
そうですね。もちろん紙の便利さもあるんですけど、
PDFのメリットもあったりとか。
山系雑誌のほうも、
毎号毎号何の特集してるのかなみたいなすごい興味があるから。
ありがとうございます。
いつもヤーマンがですね、
山戸警獄社のページを見るとヤーマンの、ヤッホーヤーマンのバナーがいつも気になるんですけど。
ありがとうございます。
8月11日が山の日ですもんね。
そうですね。山の日が、
初めて山の日が決まって、
山の日にいろんなイベントをやるよっていう。
そこの場所に行ったりとか、
いろんなショップにお邪魔したりとか、
山の日に合わせてアピールをいろいろさせてもらったっていう。
最近あんまり出番がなくて寂しいんですけど。
ヤーマンですか?
ヤーマンです。
ちょっとやっぱり、
昔の会社のときは、
やっぱり山屋さんがかなりセッターとか入ってる人たちって、
取材でも山に行くわけじゃないですか、当然。
当時は編集の人たちが記事を書いてたんですか?
そうですね。
基本的に編集部員が書くっていうパターンが、
多かったんじゃないですかね。
登山のニュースとかそういったのもあります。
そうですね。自分たちでも記事を書き、
もちろんライターさんに作ってもらうページもあるんですけど、
編集部員が取材をして書くっていうところは、
今もベースにあるんじゃないかなと思いますね。
沙田さん入ったときって、はじめからスキー関係ですか?
そうですね。最初からスキーの編集部に。
1:24:00
スキーやってたっていうことで。
そうですね。スキーの雑誌も山の本と同じで、
ガイドの要素だったりとか、
道具、スキーとかブーツとか、
あとはやっぱりテクニックですね。
そうですよね。
ハウツー、これは山の雑誌もスキーの雑誌も、
基本的には同じような構成で、
その3つの要素が入っているっていう作り方だったり、
一冊丸ごと道具だったり、
ガイドメインだったりっていうのを、
いろいろ年間何冊か出す中で変化をつけてやったりとかしてましたね。
いやー、なんかあれですもんね。
山系雑誌見てると、必ずやっぱりウェア特集とか見ちゃうんだよね。
欲しくなるんですよね。
欲しくなるんですよね。本当に。
これを切るシチュエーションないだろうっていうようなハードなやつがありますけどね。
道具もそうだし、ガイドもそうだし、
山は登らないけどどうしてもそういうのに興味があるんです。
でもツーリングとか行くときに山の道具はとても便利だったりしますよね。
そうなんですよ。
同じようにウルトラライトまでいかないですけど、やっぱり積載量が決まってるのでバイクも。
やっぱりコンパクトにせざるを得ないので、
そうするとやっぱり山の道具って一番いいんですよね。
何事も。テントもそうですし。
いろいろな細かい小物もそうだし。
あと防水とかそういったところもそうですし。
確かに。
かなりいいんですよね。バイクウェア専用よりは。
いつも昔からバイクのツーリングのときから結構見て、これ使えそうとか。
大体山の道具見ますよね。
街中でもアウトドアファッションの人。
今だけどだいぶ一般的になりましたよね。
一般的ですよね。
非常にいいにかなってるというか。
そうなんですよ。機能美もあるし。
アウトドアウェアの普段使いに慣れちゃうとシャツとか着てなくなっちゃう。便利すぎて。
普通にレッキングシューズとかも普段生活してると水たまりとかを気にしなくなるから。
単純にそういうところもすごい気が楽だし。
1:27:02
山の雑誌とか山系の人たちのあるあるで言うと、
非常に天候が悪い日、すごい雨とか雪とか。
この日にみんな燃えるっていうか、そういうのを待ってましたみたいなところで。
山の装備が生きるシチュエーションがあって。
そういう天候状況に左右されないっていう。
ある意味待ってましたという感じですよね。
そうですね。雪分とはちょっとワクワクして。
テントとかって雨降ったときが一番重要じゃないですか。
そうなんですよね。
悪天候のときにどのぐらい耐久度もそうだし、水を通さないだとか浸水とかしないかみたいな部分が一番重要じゃないですか。
普段晴れてるときに建ってるテントなんて、別にブルーシートでもいいわけで。
やっぱりそういうときに進化を発揮するのです。ウェアはやっぱり。そのために使ってますもんね。
そういう厳しい状況をイメージして、道具を選んだり使うっていうのが必要ですかね。
そうですよね。スキーの本もそうですし山の本もそうですけど、
シーズンとしては季節ごとに特集組むわけじゃないですか。
そうするとそのシーズンを迎えるときに季節作っても間に合わないから、やっぱり去年のストックとかになるわけですよね。
やっぱり一年前取材。
ですよね。
前年取材っていうのは基本的にありますね。
前年取材でしかできないもの、山のガイドなんかそうなんですけど、前年取材のものと、例えばそのギアの紹介なんかが最新モデルって考えると、直前の仕込み。
仕込みが両方ありますね。
なるほど。新商品とレビューとかもそうだし。
そうですね。例えばガイドのページとか、あとはHowToでその雪山とかがやっぱり前年でしか取材できないっていう。
その辺は上手く今までやってきた流れの経験値っていうんですかね。
前年取材、そろそろ雪山取材いっとかないとなーみたいな、そういうのが毎年毎年ありますね。
最近久々にこれ良かったってグッズありますか。
1:30:00
グッズ。
グッズ、道具。
道具。
道具、そうですね。なんだろう。
定番でもいいですけど、これは必ずっていう。手放せないみたいな。
一番便利で使ってるのはコンパクトバーナーのストーブですかね。
やっぱりそうですか。
新藤バーナーとか、最近人気がありますけど。
割と自分も新藤バーナー系の商品をたくさん使ってたりしますかね。
なんか新しいものとか買います?結構。
そうですね。
新製品目がないですか、久田さん。
いや、どっちかっていうとなんか長く定番を使うみたいな気がします。
やっぱ保守的な感じの。
そうなんですよね。僕も結構10年以上使うものばっかりで、なかなか新しいものいかないですよね。
そうですね。長持ちするものとか。
あと同じ、例えばウェアなんかもずっとそのメーカーで作り続けている定番っていうのがあるじゃないですか。
どうしてもそういうのを買うこと多いですかね。
技術的に大革新みたいなのはないじゃないですか、道具って。
軽さとかは徐々になってますけど、ゴアテックスとかああいうのも素材としてありますけど、
火を起こすことに関して革新的な何かがあるわけでもないですもんね。
そうですね。風に強いとか。
そういうとこ。
アルコールストーブとか、URGの人はそっちに行くっていう人も多いと思うんですけど。
ああ、アルコールストーブ。
アルコールとか固形燃料。
固形燃料!?
Sビット、ポケットストーブとかそういう人がありますけどね。
お湯沸かすだけでいいのか、調理をしたいのかとか、
自分のやりたいこととか。
あと最近気づいたこととしては、防寒着とかもあるんですけど、
一番あったかいのは自分の体だっていうのが気づいたことがあります。
でも僕も自転車とか乗ってると、
上り坂は汗かくけど、ダウンヒルは運動はしてないけど寒いんですよ。
当たり前ですけど。
だからそうするとウィンドブレーカーみたいなのを絶対、
峠のサイクリングとか持ってった方がいいなとか。
こういうのも、ULとかもそうなんですけど、経験値なんだなと。
1:33:04
三和田からすると、雑誌とかで書かれてることってすごい参考になるし。
とりあえず私も定番とはいえ、周りに一緒に行ってくれる人がいないんで。
山形ブランドの単独講座。
羽田修さんの。
羽田さんね。定番本ですよ。
羽田さんのそうなん本が非常に人気がありますね。
これはもうやっぱり、あとちょっと語弊があるけどなんかゾクゾクした面白さがあるんですよね。
自分もこうなっちゃうかもしれないと思うと。
凄まじい話がたくさん紹介されてますよね。
ドキュメント生還。
ドキュメントシリーズですよ。
ドキュメントシリーズ。
あれはまあ本当ね、出毒と言っていい。
アウトドア、山行くときとか。
その文章で読むあのゾクゾク感。
道迷いの果てに、沢に迷い込んでしまい、最後は行き止まりで呆然と。
でも自分がいつそうなるかもわからないですし。
知識としてそういうものを読んでると、いつか何かしらの役に立つかもしれない。
これか、これかっていう。
僕もゲレンデで一回ホワイトアウトした体験とかもあるんですけど。
今まで空気だったところが真っ白になると、本当なんか今前後左右がわかんなくなっちゃうっていうのとかも。
かないですよね。
そういうのをやっぱり、自分の体験と人の体験を読むことを通じてとか。
あとは、この景色を自分も見に行きたいなとか。
そういうのがやっぱり、自分はヤマケイさんからもらってる活力みたいなのを感じますよ。
めったに本を読むときに失俗って言い方はしないんだけど。
羽田さんの本とか、アウトドア関係の本ってやっぱり命にかかることがあるから。
ぜひ読んでいただきたいなと思います。
失俗と言っても差し支えないですよね。
そうなんシリーズと、クマの話ですね。
クマの話ね。
クマの話。
クマも本当にいつ出くわすかわかんないですしね。
クマはもう本当に今、毎年春から初夏にかけては事故が起こるんで。
1:36:02
たまに何のうんちだかわかんないうんちとかを目撃するときがあって。
でもこれなんか、鹿の糞は奈良公園で見たことあるんで。
まんまるのコロコロしたやつ。
この間も比叡さん行ったときに、人間ではないけど何かの獣のうんちを目撃したんですよ。
自分も奥多摩でありますね。
割とここ数時間かなっていうような。
ほかほか感がある。
いやこれはさすがにまずい。
そのときは本当に誰も人がいないマイナーな骨を割ってたんですよね。
これはもしかしたらもしかしたら。
なんか一昨年、一昨年北海道を釣りに行くときに、北海道の川でずっと釣りを、釣り歩いたんですけど、
結構やっぱり湿地帯とかが多いんで、ぬたばってあるんですよ、岸に。
岸というか川岸というところに。
そこってやっぱり動物が集まるんで、明らかにヒグマの足跡があるわけですよ。
一人で入ってるから、いやーやっぱり北海道の釣りはあまり奥深くに入れないなって。
いやー、おかないですね。
おかないですよね。
もしかしたらその背後で見てたかもしれない。
そうですよ。
本当そういうシチュエーションって、釣りしててクマには目の前で出くわしたことはないんですけど、
絶対にどこか遠くから見てるシチュエーションって、どこかで絶対あっただろうなと思いますけどね。
北海道はいろんな事故なの。
そうですよ。
産経別事件でしたっけ?
産経別事件とか、ワンダーホーゲルブ事件。
こぼしりだっけ?
そうですね、とかもあって。
あれも本当にクマの行動が神がかっていて。
強烈ですよね。
ちょっと引いた場所から偵察して。
そう、偵察して、つけ狙って。
つけ狙って。経過的犯行。
そう、経過的犯行。だからそのあたりの、ああいうのが深刻化するのも意味わかるわってことですよね、クマの。
そうですね。
ノボディベスのクマ牧場にいるクマ可愛いですよね。
可愛いですけどね。
野生のクマは経過したくないですよ。
産経別事件のあった、あそこの役場にいたんですけど、クマばっかりですから、産経別事件の。
だいたい産経別の資料というか町紹介で、食い殺されたっていう文言が3回でできますからね。
地域紹介で食い殺されたって言葉が3つも出てくるとこないですから。
1:39:01
ですよね。なかなか強烈な内容ですね。
そうですね。
これから春先ね、登山シーズン改ざんしたりとかして、山に行くと絶対に出くわすんで、冬眠化されたクマと。
夏山シーズンの前にクマの本と、そうなんシリーズと。
おすすめとしてはですね、富山県警三角球場隊の本とか。
三角球場のドキュメント。ノンフィクションですかね。
これもなかなか面白くてですね、ぜひ読んでほしいなっていう。
だいぶお時間もいただきました。
あと梅雨時に入る前に、昼の山ビルの本とかもね。
そうですね、昼は木から落ちてこない。
そうそうそう、僕レビュー書きましたよ。
ありがとうございます。
子供たちが。
すごい、あれは天才集団ですよ。
水下りの常任。
丹沢方面要注意。
丹沢とか西日本のほうがやっぱりかなり昼は多いんですね。
僕東北しか釣りしたことないんで、ほぼほぼ。
だからあんまり6月とかの梅雨前シーズンとかって、
あんまり昼に出くわしたことがあんまりなくて、
西日本とかあの範囲はすごいんだなと思って。
西日本ですか。
昼ね、昼下りの常任買わないと。
あとアルコールに塩を混ぜて自分で作るっていう。
そうなんですね。
そういうやり方もありますね。
昼は木から落ちてこないんでね。
そうですね。
あとライターで。
そうそう、いろんな学びがあるからね。
学びありますね。
本に触れて。
ぜひぜひ、山系の本は。
すみません遅くまでありがとうございます。
いやいやいや、すごい取り留めのない。
いやいや。
星の話からなんか。
クマのヒルの話。
クマと。
ジャズの厳しかった話とか。
Jウェーブの話はもうできましたね。
Jウェーブの話とか。
けど面白かったです。
面白かったすごく。
今日のポッドキャストを多分、
坂井正明さんが聞いてくれたとしたらですね、
たぶん、星3つですって言ってくれるんじゃないかなと。
そのネタは古いけど。
そんな面白さがありましたね。
1:42:00
坂井先生に星3つですって。
今後ともお付き合いいただいて。
また何かお伝えにぜひまた。
また来ていただいて。
僕も後で遊びに行きますんで。
ありがとうございます。
ということで、
本当に楽しい時間でありがとうございました。
遅くまで。
また今度本の紹介とかの時にまた聞いていただければ。
ぜひ本の紹介したいなという時に。
ぜひぜひ見てください。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
それでは皆さん、山系文庫、山と渓谷含めていろんな本を読んでいただいて、
夏のアウトドアをちょっと満喫していただければと思いますので。
はい。
ひささんありがとうございました。
ありがとうございました。
それではJウェーブの全国で頑張りますんで。
それではさようなら。
さようなら。
さようなら。
聞こえました?今。
聞こえました。
Jウェーブのジングル。
よかった。
Jウェーブのジングルでした、今。
さようなら。
さようなら。
ありがとうございました。
01:43:17

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