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都市で耳を開放する。自然音と人工音。
2026-04-28 08:00

都市で耳を開放する。自然音と人工音。


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こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。
前回は、目と耳を同期させることによって、臨場感が上がりよう、集中力が上がりよう、みたいなね、自分が感じた話を書いたんですけれども、
デバイスだったりとかね、そういう自分の身体拡張的なAIだったりとか技術っていうものに順応していくほど、人間の物理の能力が下がっていく、みたいなことに関してはね、
多分、AIに関して、会議的な人たちは基本的にそういうところを気にしてるんだろうなぁと思いつつ、身体性みたいなことをちゃんと別軸で喋っていかないとなぁと、
喋っていかないとなっていうかね、自分の中で意識的に持っておきたいなぁと、手綱として持っておきたいなぁというのは思ってるんですけれども、
目と耳だったりとかね、視覚でテキストを書いたりとかするっていう、基本的には仕事の中で自分で作業するみたいなことに関しては、目が結構重要な役割を果たしていると思うんですよね。
それこそ、都会とかで生きてると、いろんな機械音だったりとかね、人工物の音みたいなのがね、わりとノイジーだったりもするんで、
エアポッツつけて歩いてるみたいな人ってすごいたくさんいるし、自分も結構そういうところはあるんですけれども、なんかそうやって都市の中で音を遮断するっていうことっていうものがね、
ある種、都市の繋がりの希薄さみたいなものを助長させるなぁみたいなことに関しては、僕は結構問題だなぁと思っていて、
なんとなく江戸時代とかの落語とかに出てくるね、隣の人に話しかけたらそいつも話しかけてくれるとかね、ニューヨークとかだと電車の中でね、
いい服だね、いい靴だねとか言って、ちょっと雑談が始まったりとかするみたいなやつがあって、僕はそういう公共空間におけるコミュニケーションっていうものが、
普通に行われていることっていうことに対してね、憧れありつつ、当然面倒くささとかね、ストレスとか、それこそ認知負荷が高いからこそ、
そういうのを遮断したくなるっていう気持ちはね、どっちもわかる派なんですけども、
前にね、僕AirPodsも結構無くすんですよ、もう4台目なんですけど、それを無くした時にね、結構無くしたっていうだけでストレスだったんですよね。
音楽も聴けないし、結構僕、本読む時にオーディブル一緒にやるとかって言ってたんですけど、オーディブルが無い時はブラウンノイズっていうのを聞くんですよね。
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ザーっていう、なんていうんだ、砂嵐みたいな音を聞くみたいなことをやってて、これも一つの自分の特性に関わる告白みたいなもんなんですけど、
実は音楽アプリでノイズをただ再生してますみたいなのもあるんですけども、
そうやって聴覚を遮断することによって目の前のものに集中するみたいなのがあるとは言いつつ、
公共空間におけるコミュニケーションを断絶させるっていう、能動的に断絶させるっていうことに関してはね、
それはそれで問題があるっていうのはね、繰り返しですけど思っていて。
エアポッツがなくなってね、すごい不安だったんですけども、
エアポッツがない中で生活をするっていうのをちゃんと意識的にやると、
街の中にいろんな音が溢れてるっていうことに気づき直すみたいな体験があって、
そんなの信じられないですよね、昔の社会だったらね。
当たり前のように生きてた生活音だったりとか、いろんな音がしてくるわけじゃないですか。
公園で子供がはしゃいでる声とか、隣の雷爺が子供を叱ってるとか、
校内、学校のチャイムが鳴るとか、何でもいいんですけど、東京にいるとやっぱりね、
電車のゲーっていう音だったりとか、車のブーンっていう音だったりとかっていうのがね、
いろいろある感じで、なんか耳を閉ざしたいみたいな気持ちになっちゃいかねない時もあるんですけども、
そういう都市の喧騒みたいなものもね、なんかすごいフラットな視点で耳を傾けてみると、
なんかそういうものの中に自分はいるんだなっていう、なんか全体感覚というか、
包まれる感覚になるなと思ったりもして、ちゃんと音楽を聴くときには音楽を聴くとか、
そういう使い方をするしつつ、たまに外に出たりとかするときには、
YouTube見て情報を取ったりとか、ラジオを聴いてなんかやったりとかっていうだけじゃなくて、
普通に自然の音に耳をすませるみたいなのが大事だなと思いましたね。
とはいえさっき言ったみたいに、都会の中ではどうしてもノイズが多かったりとかするんで、
それこそ地方だったりとかね、山に行ったりとか自然に行ったりとかして、
川のせせらぎだったりとか虫の声とかっていうのを聞くっていうのはね、
本当定期的にやっていかないと、たぶん自分の耳っていうものだったりとか、
06:05
音に対する感度っていうのはすごく下がっていくんだろうなっていう危機感があってね、
それは生きる上で絶対に大事なんで、
AIによって自分をコントロールしていく、デジタルテクノロジーに自分を順応させていくみたいなことをやると同時に、
両輪で回していかなきゃいけない回路なんだろうなっていうのは思いますね。
前、男は辛いよについて喋りましたけど、昭和の映画とか見てるとね、
高度経済危機っていうかそれぐらいのタイミング、わからないどういうタイミングかあれですけど、
日本がどんどん豊かになっていくみたいなのもありつつ、
本当に昔ながらの江戸の長屋みたいな文化がそのまま家族の中に残されているみたいなね、
ああいう過渡期の映画っていうのはね、結構東京だとしても虫の声だったりとかね、
鳥が鳴く声とかっていうのはね、瞬間瞬間にファーッと挟まれてて、
音としても美しい音世界みたいなのが広がってるんですよね、サウンドスケープというか。
だから耳を澄ませる、自分が聞こえてる音がどれぐらい近くで聞こえてるのか、
どういう音なのか、人工音なのか、自然音なのかみたいなのをね、
聞き分けながら自分が心地いいと思える音が聞ける場所に身を置くっていう体験をね、
ちゃんと適切に設けたいなと思いましたっていう反省も交えてっていう感じですね。
まあそんな感じで耳と目にまつわる話からの続きでした。ありがとうございました。
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