1. 羊と繋がるラジオ🌱🐑
  2. 私の中にある第六感
2024-09-21 35:56

私の中にある第六感

羊と繋がるコミュニティ🌱🐑
https://discord.gg/mzQbwqqYfK
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349f1d50cee2a08cae9da11
00:07
はい、お疲れ様です。飼育員の丸岡です。
人と羊が繋がることをテーマに活動しております。よろしくお願いします。
今日はですね、何を喋ろうかなと思って、ちょっと考えたんですけどね。
たまにはというか、ちょっと羊から離れたところで喋ってみようかなと。
最近ずっと羊に関わることに、ちょっと追われ気味でして、一旦現実逃避していいですか?
ちょっと別の考えを頭の中に混ぜ込みたいんで。
ずっと同じことを考えていると、考え方が偏ってくるじゃんね。
なので、ちょっとね、味変したいなと思ってんですよ。
なので、何を喋ろうかなって思ったんですけど。
多分、なんだかんだ最終的には羊に戻ると思うんですけど、
自分の中で色々と物事を考えたりする上で、
基本的に私は、そこまで頭がいいわけでもなくてさ、
感覚で動いちゃうタイプなんですよ。
なんかこっちがいいみたいなね。
理由は後で考えるみたいな。
そういうタイプなんですね。
ちゃんと考えがあった上でそっちに動くっていうよりかは、
そっちに行きたい何かがあるんだけど、
それがよくわかんないけど、とりあえず行ってみたらわかるかなと思ってそっち行って、
こういうことだったのねっていう後付けなんですよ。
僕の中で理由があるような喋り方したりすると思うんですけど、
結局後付けというかさ、後になって、
03:03
こういうことで私こっち選んだんだろうな、きっとみたいな。
そういう感じなんですよ。
なので最初はやっぱり私感覚で選ぶというか、
その感覚ってどうですかね、皆さんなんかあります?
僕もこれなんかよくわかんないというかさ、
わかんないなりにちょっと考えてはいるんですけど、
私がこういう動物系の仕事を選んだ理由っていうのもさ、
なんとなくです。
自分、何だろう、
ずっと外に行くこともあるんだけど、
インドアだよね。
家に帰ったらカバンを下ろすよりも先にゲームのスイッチポチって押してるような、
そういうタイプの子供時代を過ごしてたんですよ。
大きくなったら何になるんだっていうところでも、
何ていうのかな、
物作りは好きっていうのもあったから機械工学というかさ、
そういう物作りでもいいのかなっていうかさ、ざっくりね。
あとはゲームも好きだったからゲーム作ったりもしたいなとかさ、
なんかそういうことをぼんやり考えていた時期があって、
でもそういうとこ行くのってやっぱなんだかんだ頭が良くないといけなくてさ、
結局私はいけなかったんだよね。
いけなかったのはどうしようかなと思って、
ぼんやり考えていたら、
何してる時が楽しかったかなっていうのを思い返すと、
小さい頃に、
あれは何だったんだろうな、今思うとよくわかんないんだけど、
親元から離れてしばらくの間、
夏休みとかだと思うんだけど、
みんな集まってさ、
どっかそういうファームステージじゃないけど、
なんかそんな感じで、
子どもたちが集まって合宿みたいなところがあって、
そこにうち私も親に放り込まれ、
牧場の牛とか鶏とかいたと思うんだけど、
そこのところにお世話になったことがあって、
06:00
それが、
自分はね、
集団行動苦手だからさ、
知らん人が周りにいることが問題だったんだけど、
それが毎日の日課としてあるんだけど、
それが唯一の救いというか、楽しかったなっていう思い出があって、
なんかああいう仕事、
ああいう仕事があったら、
子どもたちと一緒に遊びに行ったりとか、
子どもたちと一緒に遊びに行ったりとか、
子どもたちと一緒に遊びに行ったりとか、
なんかああいう仕事、
ああいう仕事ができるといいかもなみたいなね、
っていうところで、
そうか、動物系かと思って、
それもありかなというところで、
そっち方面のことをちょっと考え出したときに、
たまたまうちのポストの中に、
動物系の学校の生徒募集みたいなやつがさ、
専門学校のね、
そういったDMが入ってたので、
これだと思ってた。
で、それをね、
そのDMを片手に、
面接というか入学にね、
入学の面接かのところに行って、
で、なんだかんだとそこに入ることになったんですよね。
っていう感じで、
なんだろうな、
そのときの感情というかさ、
感覚でこう動いて決めてっていうところがあるんだけど、
結局なんだろう、
そのとき自分が進む方向っていうのは、
こっちの道はなんだろうな、
自分に合ってるかどうかっていうかさ、
自分は楽しめるのかなこっちっていうところで、
決めちゃったりしてるので、
今もそこはあんまり変わってなくてさ、
自分今羊のほうをなんだかんだやってるんですけれど、
やっぱね、楽しいなっていうのがあるから、
なんだろう、選択できるというか、
体がね、
体が、気持ちが、
そっちのほうを求めてるっていう感覚があるんですよ。
それこそ小さい頃の牧場というか、
09:01
農家さんのところにお世話になったときの、
あの感覚に結構似てて、
きっとこっちのほうは楽しいんだろうなっていうさ、
それを手がかりに突き進んでいるわけなんだけど、
実際入ってみてね、羊の世界にも入ってみてさ、
やっぱりいろいろ考えるわけを、
じゃあなんで私こっち選んだのかっていうかさ、
それが私の中で、
例えばさ、羊界の世界と、
私のいるこの飼育員の世界っていうのは、
結構違うんですよね、分野が。
じゃあ羊界になりたいかって言われたら、
正直私はそこまでじゃないんですよ。
そこはなんか僕の中でちょっと違うっていうのがあって、
自分が行きたいのは多分そっちじゃないんだなっていうのはあるんですよ。
なのであんまり、
いわゆる大自然の中で羊がたくさんいて、
羊だけで暮らしていく、生計を立てていくっていうのに、
憧れも特になくってさ、
なんか私の体はそっちを求めてない。
私の気持ちはそこは特に求めてないっていうのがあって、
だから僕あんまりそっちには興味がないんですよ。
なんなんだろう、じゃあなんで逆にこっちの、
要は飼育員というかさ、そっちの方になんか興味があるんだろうなっていうところを、
考えるんですけど、
多分ね、なんていうのかな、
僕の中でのいわゆる羊界と呼ばれている方、
語弊があるといけないからな、この辺難しいんだけど、
いろんな羊界さんはいると思うんです。
本当の意味での羊界、ハイジの世界ですか。
12:00
じゃなくて、生産者として羊とか牧場をやっている方の生産する上での羊界。
伝わるかな、難しいなこの辺が。
えーと、
暮らしのための、なんていうの、
ライフワークとライスワークみたいな感じでさ、
食べるための羊界と、
人生を、
なんていうの、
過ごすための羊界。
人生を通して羊界を全うするみたいなさ、
そんな感じの違いなんだけど、
あんまりこう、
ライスワークとしての羊界には興味がなくて、
あんまりいいイメージを持ってないっていうのが正直なところ。
別にそれが良い悪いとかではなくて、ちょっと何か無理してる感があるんですよね。
だから続かないというかさ、
羊だけでは食べていけないって言われてるじゃないですか。
なので、そこも何かそうなんだなと思ってさ、
あんまり興味がないというか、
なんですよ。
説明が難しいな。
っていうぐらい、
僕の中でそっちに足を踏み入れる、
なんていうのかな、
求めているものがそこにあるのかって言われると、
求めているものがそこにあるのかって言われると、
多分ないんだろうなって思ってて。
じゃあ逆にどこにあるかって言ったら、
今のような感じ。
今僕は何て言うんだろう、
あまり無理してないというかさ、
やれる範囲のことしかやってないっていうところ。
結局羊に関しては牧場があるから、
私はただただその空いた時間を使ってね、
その羊の活動をしてるっていうところで、
自分の生活を確保できてるわけでした。
活動費っていうのも、
生活費から出してるわけでもなくって、
活動費は活動費で自分で稼いで、
それを使って自由に使えるっていうところだから、
別に無理してないんですよね。
15:03
っていうところがあるから、
僕はこれでいいかなと思ってて、
これ以上のものを特に求めるつもりがないっていう感じ。
やっぱね、バランスっていうのがすごく僕の中で、
キーワードとしてデカいんですよね。
僕結構何かにつけてバランスって言葉を使うと思うし、
無理はしないっていうのもよく言うと思うんですけど、
そこがね、結構僕は大事にしているところなんだなっていうのが、
分かってきてるところで、
なので、羊飼いというか羊で食べていくって、
相当無理しないとダメなんじゃないのかっていう風に思っちゃうよね。
難しいんだろうなっていうところがさ、
ちゃんと周りの環境が整ってないと、
自分の身体の状態が悪いんだろうなっていうところが、
ちゃんと周りの環境が整ってないと無理でしょっていうね。
この僕が今住んでいる場所ではちょっと無理があるんじゃない?って思うよね。
やるならね、もうちょっと田舎の方っていうかさ、
土地がいっぱいあるところとかじゃないとしんどそうだなって思うから、
ちょっとこの辺では現実見ないよねって思って。
そこはあんま興味がないんだよね。
もうちょっとこう、要は自分が何が言いたいかって言うとさ、
突き詰めて考えるとね、
なんでこんなバランスとかさ、
そういったことを私は重要視しているかって言うと、
身体がそれを求めているというかさ、
自分の感覚をすごく僕は大事に知っているので、
僕の感覚が求めているものが何かっていうところで行くと、
やっぱね、その感覚が何かっていうと、
美しさなんだよね。僕の中での。
その辺は人それぞれだと思いますよ。
何をもってして美しいと感じるかは。
なので、そこに関しては、
18:01
あくまで私の感覚、私の考えっていうところで聞いてほしいですけど、
皆さんが美しいって感じるものってどんなものですか?
花を見て美しいって思うのもあると思うし、
山を見て美しいなって思うこともあるだろうし、
空を見たりとかさ、
そこに関してはね、
自分の感覚、自分の考えっていうところで聞いてほしいですけど、
山を見て美しいなって思うこともあるだろうし、
空を見たりとかさ、星を見たりとか、
虹を見たりとか、
そういった自然なものを美しいって思うこともあれば、
楽しそうにしている家族を見たりしても、
幸せそうだなって思う家族を見ても、
野球少年を見ても美しいなって思うだろうし、
人の笑顔とかも美しいなって思うだろうし、
悔し涙をしている野球少年を見ても美しいなって思うだろうし、
いろんな美しいってあるじゃないですか。
僕の場合、羊を見てさ、
汚れた状態の羊を見て心が痛くなっちゃうんだけど、
そうじゃなくて健康的な羊毛、綺麗な、みっちり毛が詰まったさ、
健康的な羊毛とか羊を見ると美しい羊だなって思うし、
健康な羊は見た目が全然違うからさ、
そういうのを見ると、
その美しさに惚れ惚れしちゃうんだけどさ、
別にカバー着てる着てないは関係ないよ、これは。
そういう美しさではなくてね、
これが羊なんだっていうね。
この美しいかどうかの線引きって自分たちが、
私は何で仕分けてるんだろうなって思うわけですよ。
基本的にさ、
自然なものっていうのは基本的に美しいなって感じると思うんですよ。
それって要するに自分の中でどういうことかっていうと、
21:02
やっぱりこの無駄がない状態。
もう木が一本生えてるだけにしてもさ、
その木の樹形とか、
その木の色とか、
その木の香りとか、
その香りとか、
その木が一本生えてるだけにしてもさ、
その木の樹形とかさ、
木の形とか葉っぱ一枚一枚付く場所、
生えてくる場所、
木の実がなる場所っていうのは全部理由があってそこにあるわけで、
根っこの広がり方とか幹の枝振りとかも、
太陽の光だったりとか風の流れとか、
いろんな要素が組み合わさってそこにあるべくしてあるわけで、
誰かがここに生えてくださいねって設計したわけじゃなくてさ、
そこの環境が作り出したもの、
そこにあるべき場所にあるっていう、
それが自然が作り出した無駄のない、
誰かが手を加えたわけでもなく、
あるべくしてそこの場所にあるっていう状態が、
何よりも美しいって感じる。
それの集合体が自然の風景だったりするので、
それを見ると全てが美しいというかさ。
もしここに人が手を加えて、
森にちょっと手を加えてさ、
いろんな伐採したりだとか、
木を植えたりだとかすると、
そこだけ何かおかしいんだよね、バランスが。
そこだけ何かちょっといびつな感じになって、
何か美しくない。
何か美しい、自然は自然なんだけど、
美しいかって言われると何かちょっと違うというか、
何か整えられてるなというかね。
なんていうの、きれいな感じ。
きれいと美しいの違いというかさ。
整えられたきれいさっていうわけじゃなくて、
自然が作り出したこの、
無駄のない、
火の打ちどころのない美しさ。
っていうところに、
自分の身体の中で、
っていうところに、
自分のこの目とか感覚というか、
そういったものがね、
そっちを求めちゃうんですよ。
なので、
何かいろいろとやっぱり、
24:01
物事を考えたりする上で、
いい循環が生まれるというかさ、
無駄のない、
何かいらないところのない、
そういう、
純粋無垢というかさ、
あるべくところに、
物事が流れるようなね、
そういう形とかさ、そういう仕組みとか、
そういうのにやっぱ、僕は
惹かれるというか、選びたがるところがあって、
その羊毛に関してもね、結局、
誰にこの羊毛を届けるかというと、
やっぱ、
ちゃんと使ってもらえる人のところに届けたほうが、
そりゃいいよね。
だってそっちのほうが無駄なく使ってくれるし、
大切に使ってくれるわけだし、
それで作られたものは大切に使う、
大切に作られたものは大切に使ってもらえる人のところに
やっぱ行くからさ、
一生懸命作ったものをね、
大切に作ったものが雑に扱われる人のもとに
売られるって方はまずないと思うし、
それはちょっと断るよね。
あなたにはちょっと売りたくないわっていう感じね。
やっぱ、そうなってくると、
やっぱ、
いい流れが生まれるというかさ、
美しい世界が広がると、
なんか感じますよね。
そっちの方向に動くような、
それがね、やっぱ、
僕はなんか美しいなと思ってて、
大量生産、大量消費みたいなね、
それがね、
やっぱ、
大量生産、大量消費みたいなね、
そっちはどうしてもこう、
人工的すぎるというかさ、
美しくはないよね。
どこに美しさがあるかって、
ちょっと探さなきゃいけないような感じに、
僕には見えちゃうので、
そうだね。
不純物が多いというか、
なんか負の連鎖が起きているようにしか見えないというかね。
結局それが無理が重なると、
どっかでこう、
潰れちゃうよねっていう。
そこで終わってしまうみたいな。
美しい循環って終わりがないからさ、
ずっとずっと続いていくじゃんね。
どっかで終わりが来てしまうっていうのは、
それはなんか循環としてはおかしいし、
美しくもないかなっていうところでさ。
美しさを追求することで、
27:02
結局なんだかんだこう、
続くんですよね。
続かないものは美しくないっていう。
何を私はさっきから喋ってるんですかね。
美しさについて語ってますけど。
ね。変ですね。
それこそなんか芸術とかもさ、
美しさについて語っていいですか。
芸術とかもさ、なんかあるじゃないですか。
文章もそうだと思うし、
イラストというか絵とか絵画ね、
とかもそうだと思うし、
なんだろう、例えば何?
ピカソとかさ、
僕は分からんよ。
そのヨシヤシなんて全然分からんけど、
でもピカソの絵って、
僕が見ても、
すごいなっていうのは分かるし、
なんかこう美しいなとすら感じるのよ。
この絵が何を意味して、
何をこう表現してるのか分からんけど、
でもね、その、
火の打ちどころがないようなこの、
なんていうの?
不純物を感じないよね。
この線はここにあるべくして
あるんだなっていうように
見えちゃうっていうのが、
あれがすごいなと思ってて、
何かよく分かんない絵なんだけど、
でもなんかここにあるべくして
この線はあるんだろうなみたいなのが、
やっぱピカソの絵からは感じるからさ、
僕があんな絵描いてもさ、
絶対なんかこう歪な、
誰でも描けそうな気するじゃん。
失礼ですけど。
これだったら僕でも描けるんじゃないか
って思って描いてもさ、
絶対あんな美しく描けないんだよね。
なんでこの線がここにあるんだろうみたいな、
そういうものしか描けない。
なんでこんな形してるんだろうっていうかさ、
でもピカソの絵はちゃんとそれが、
そこにあるべくしてあるような、
そういうまとまり方してるからさ、
一つの自然の形だよね。
そぎ落とされた作品。
すげえなって思うよね。
そうってなことをね、
私はちょっと、
なんていうのかな、
自分の中にこう、
なんていうのかな、
あるみたいなんですよ。
そういうものをキャッチする。
センサーが。
多分これ、
僕の中で美しいかどうかをさ、
判断する基準、
30:01
感覚は何で決めてるかっていうとさ、
第六感というかさ、
五感があるじゃないですか、
人には。
視覚、聴覚、味覚、触覚、
とかあるじゃないですか。
その五感をフルに使って、
自分が、
気持ちがいいというかさ、
触れていたいというかさ、
見ていたいというか、
そういう五感が喜ぶものが、
結局その集合体が
その美しさだと思うんですよね。
美しいものを
人は選ぶようになっているはずなんですよ。
物理的にというかさ、
人が、
長い年月、
いろんな過酷な環境を
生き抜いてきているわけで、
やっぱそういう
生き抜いてきている
人が、
得た経験っていうのが、
僕らが喜ぶというか、
好き、これを選ぶっていう、
そういう経験を得て、
僕らが喜ぶというか、
好き、これを選ぶっていうところ。
それを選んできたから、
生き延びられてきているはずで、
もしここで、
美しくないものを選んでいたら、
その人は確実にやっぱ、
いなくなる、死んでしまうっていう、
やっぱそういう世界じゃないですか。
美しいものを選んでいる人だけが、
生き残る。
要は、毒があるのかないのかとかさ、
毒のある食べ物を
食べてしまった人は、
きっとその、
味覚も問題があっただろうし、
嗅覚に問題があっただろうし、
視覚にも問題があったかもしれないよね。
そこで選び、
間違えてしまった。
毒のある方を選んでしまった
っていうところで、
多分そういう意味で、
互換というのは、
研ぎ澄まされているはずなんですよ。
美しいものを選びなさいよ、
っていうふうにね。
それで互換で全部、
選んだものが、
OKを出したものが、
美しいものっていうふうに、
なると思うんですよ。
そっちが体を求めているはずなので、
それを私はすごくすごく、
意識しながらね、
私の五感が今何を喋っているのか、
っていうところを、
自分に問いかけながら、
なんかこっち違うと思うんだよな、
っていう内なる自分がね、
いたら、
そっちはちょっと私は選ばないというか、
なんかよく分からないけど、
私こっちの方がいいと思うんだよな、
っていう方は、
33:01
じゃあ私その感覚を信じるね、
っていう感じで、
とりあえずそっちに行ってみて、
で、後で理由は考える。
なんでそっちを選んだのかなっていうのは、
行けば多分分かるはず、
みたいなね。
そんな感じかな。
なんか、
取り留めもないようなことを喋っているのは、
自覚しているんですが、
大丈夫でしょうか。
なんていうのかな、
そんな私に
ついてきてくれている方たちに、
なんかこう、
申し訳ないとは思ってないけど、
要はついてきてくれているな、
っていうところは正直あったりもするけどね、
でもなんか、
楽しんでいただけているといいなと、
思っております。
私が変な方向を歩いていたら、
その時は教えてくださいね。
まるさんちょっと、
感覚にぶってますよって。
ちょっとそっち、
私のセンサーはちょっと、
私の五感ではそっちはちょっと危ない気が、
みたいなね。
ぜひぜひ、
そういう時は教えてください。
私も間違えるときはね、
絶対やるからさ。
という感じで、
今日は終わりにしたいと思います。
さあ、
明日からも頑張っていこう。
明日は雨だね。
久しぶりの雨。
この雨が過ぎると、
一気に春が、春じゃない、
秋が、
秋がやってくるような予報ですけど、
どうなんでしょうね。
早く冬が来てほしいね。
羊を見にまといたいでございます。
ぬくぬくっとしたね、
あの羊を。
やっぱいいよね。
はい。
ではでは、
最後まで聞いていただいて、
ありがとうございました。
ではでは、
おやすみなさい。
35:56

コメント

スクロール