2020-01-22 07:54

#15 バルト三国の三国の関係

ラトビア、エストニア、リトアニアをバルト三国という形で言われていますが、このバルト三国はなぜまとめて言われるのでしょうか。この三国の関係や、その元となった旧ソ連のペレストロイカなどについても触れながら説明していきます。 
<受験キーワード> 
グラチノス(情報開示)、ペレストロイカ、ゴルバチョフ、ラトビア、エストニア、リトアニア、チェルノブイリ原発事故、歌う革命、バルトの道、人間の鎖
<制作>
出演:オルタ・百合城 
プロデューサー:富山真明 
制作:株式会社PitPa

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こんにちは、ユリシロです。
こんにちは、オルタです。
最近、香港の民主派のデモが続いていて、
デモの一環で、多分、今年の8月の23日だったと思うんですけど、
デモの一環で、人間の鎖っていうデモがあったの知ってますか?
知らないです。
人間の鎖っていうのは、みんなで長い距離、何キロも手を繋いで、
俺たちは団結してるよっていうのを訴えて、政府に代わってもらおうっていうデモなんですけど、
実はこれって、モデルになった出来事があって、
これは、ソ連から独立しようとしてたバルト三国で起こったバルトの道っていうデモがモデルだったんです。
今回は、そのバルトの道とバルト三国の独立を紹介していきたいと思います。
このバルトの道っていうのは、さっき言った通り、
ソ連から独立をしようとしてたバルト三国が一種の同盟を結んで、
それでみんなで手を繋いだっていうものなんですけど、
よく中学校とか高校の社会とか世界史で、バルト三国ってどういう国?みたいな、
バルト三国の国言ってみてとか先生がたまに言うと思うんですけど、
実際バルト三国でどういう関係があったかっていうのって特には言われたことない?
言われてないですね、国しか。
バルト三国って実はよく並べられるんですけど、
実際そこまでつながりはなくて、実際にちゃんとしたつながりを持ったのは、
ソ連から独立しようっていう時ぐらいだったんですよ。
このバルトの道っていうのが形成される前、
バルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアでは各々別のデモを行ってたんですよ。
それでちょうどその当時にゴルバチョフ、
ソ連のゴルバチョフのグラスノスチやペルストロイカ、
ペルストロイカっていうソ連の再構築っていう、
そういうキャンペーンの一環でグラスノスチって言って情報開示、
ソ連が今までため込んでた周りの国に秘密にしてた情報をちゃんとみんなに伝えようっていう、
そういうゴルバチョフがやって、ちょうどその時に、
例えばラトビアではソ連がラトビアの川に勝手に水力発電所を作ろうとしてるとか、
ウクライナではチェルノブイリ原発事故があって、
ソ連はチェルノブイリ原発事故の情報を伝えなかったので、
そういうのが明らかになって、そこで独立運動がどんどん激化していきます。
ここでバルトス韓国がどうして独立しようとしたかっていうと、
ゴルバチョフが冷戦関係、技術開発を進めていってたため、
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ソ連が圧迫、財政が圧迫されていってたので、
それでさっきの情報開示によるいろんな問題が浮き彫りになって、財政が圧迫されているので、
みんなソ連から独立したいっていう国が増えていって、
それの一つがバルトス韓国だったわけです。
さっきも言ったんですけど、
ラトビアではラトビアの一番大きい川のダウガバ川っていうところに、
勝手にソ連が水力発電所を建設しようとしてて、
しかも首都のリガっていうんですけど、
首都のリガには勝手に地下鉄を建設しようとしてて、
市民がこれを調査したんですけど、
実はこれを建設すると遺産が壊されるだとか、景観が破壊されるだとか、
そういうのが浮き彫りになったので、
ラトビアは環境保全の委員会を設置して、
この委員会が結構影響力を持っていて、
デモの中心になっていて、
それが独立運動につながっていきます。
また、エストニアではソ連の後世国、
もともと独自の文化とか独自の音楽とか持ってたんですけど、
独自の民謡とか国家を歌うことが禁止されていて、
それへの不満が高まっていて、
エストニアでは歌う革命という、
エストニア人の4分の1ぐらいが集まる、
言ってしまえばフェスみたいなのが開かれて、
そこでだんだん独立の運動が高まっていきました。
また一番南のリトアニアでは、
民主運動を主導する政党がこの時に誕生して、
サユディスという政党なんですけど、
サユディスが主導で民主運動を起こして、
リトアニアも独立運動への機運が高まっていきました。
ここまで見ると、エストニア、ラトビア、リトアニアって
ずっと別々のことをやってるんですけど、
これどれも共産党の当局に解散要求されたり、
いろいろ介入されたりするんですけど、
この時共産党に対抗するために、
ヴァルト3国はここでようやく同盟を結んで、
ヴァルト3国の各国の代表者が集まって、
ヴァルト3国で議会みたいなのを作って、
そこで提案されたのが、
人間の鎖っていうのを作ろうっていう。
それがヴァルトの道になっていきます。
ヴァルトの道っていうのは、
ソ連が誕生した50周年記念。
だから、エストニア、ラトビア、リトアニアが
ソ連に併合されて、ちょうど50周年の日に行われて、
参加者はみんな、
エストニア、ラトビア、リトアニアの国旗が書かれたバッジと、
情報を伝えるためのラジオを持って参加して、
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600キロ。
だから、大体東京から青森の方までぐらいの距離を
みんなで手をつないで、それで独立を訴えました。
参加した人数が200万人。
200万人っていうのは、大体栃木県の人口と一緒で、
大体日本で言ったら、栃木県人全員が
東京から青森まで手をつないだみたいな、
そのぐらいの規模です。
で、ヴァルトの道を行った、
大体1年後にリトアニアは独立して、
そのリトアニアの後をついで、
ラトビア、エストニアも独立していきました。
でも、実際、今もヴァルト3国の中で、
在ロシア人の問題、
ロシア語しか喋れない人たちと、
ラトビア語とかエストニア語しか喋れないよっていう
人たちの間の格差とか、
あとエストニアでは未だに土地が、
ソ連が元々持ってた土地を、
ロシアがこれは俺たちのものだって主張して、
エストニアも主張しててっていうのがあって、
まだヴァルト3国とロシアの問題は続いています。
ヴァルト3国について話していきましたが、
結局ヴァルト3国が何かって問われたら、
ソ連からの独立を目指して、
一緒に戦った盟友ということです。
以上でヴァルト3国の独立の話を終わりにします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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