2020-01-15 08:29

#14 アレクサンドロスとヘレニズム時代

マケドニアの英雄アレクサンドロスと彼のたどった遠征の歴史、およびその統治方法など受験に出てくる切り口ちやワードを中心に流れを説明していきたいと思います。 
<受験キーワード> 
アレクサンドロス、フィリッポス2世、マケドニア、ギリシア、ローマ、スパルタ、ヘレネス、バルバロイ、コリントス(ヘラス)同盟、アケメネス朝、イッソスの戦い、アルベラの戦い、ダレイオス一世、ダレイオス3世、アンティゴノス朝、プトレマイオス朝、セレウコス朝アリストテレス、ヘレニズム時代
<制作>
出演:オルタ・百合城 
プロデューサー:富山真明 
制作:株式会社PitPa

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こんにちは、オルタです。
こんにちは、ユリシロです。
今回は、アレクサンドロス大王から東方遠征からヘレニズム時代の形成までの流れについて説明します。
ヘレニズム時代ってどんな時代かわかりますか?
アレクサンドロス大王の遠征から前30年までのプトレマヨス朝エジプトの滅亡までの時代。
彼は、紀元前356年に生まれて、20歳で父のフィリッポス2世の後を継いで、前334年に東方遠征を開始して、ギリシャからインドに渡る大帝国を建設します。
戦いは負けたことがないと言われているくらい強くて、歴史上最も成功した統率者としても考えられています。
彼が住んでいたマケドニアはギリシアの北にあって、
今、北マケドニアって言われている国のあたりですね。
地方だったんで、ローマとかスパルタとか、ギリシアからしたらバルバロイって言われてたんですね。
訳のわからない言葉を話すものって。
そういう意味ですね。
彼らは異民族のことをバルバロイって言って、自分たちのことをヘレネスって言ってました。
スパルタでは自分たちのことをヘイロータイって言って、異民族のことをペリオイコイって言ってました。
これややこしいとこなんで、覚えついたほうがいいですね。
まずアレクサンダトロス大王の父であるフィリポス2世の功績から話していきたいと思います。
フィリポス2世は紀元前338年カイロネーヤの戦いで、アテネやテーベの連合軍と戦って勝利します。
この後同盟作るんですけど、何ていう同盟か覚えてますか?
デロス?
それはペルシア戦争の後のアテネですね。
コリントス同盟って言うんですけど、別名ヘラス同盟と言って、スパルタを除く全ギリシアを集めて、それらを支配下に置いたんですね。
これ意外だと思うんですけど、この同盟はギリシアの平和の維持と永続化を目標にしてたんですよ。
だから単純に支配じゃなくて、そういう目標もあったんだなって。
別に戦うためじゃなかった?
戦うためじゃなくて、平和とかのためだったんですね。
彼は軍事的とか外交的手腕に優れていたんですけど、ペルシア討伐のために昭和時代に渡るんですね。
その時に暗殺されます。
なぜ?
勢いづいてたんで油断してたんですよね多分。
敵に暗殺されちゃうんですね。
フィリポス2世の死後、子供のアレクサンドロスが在位につくんですね。
この時彼は20歳だったんですよ。
彼はコレントス島名のメースとして、パケドニア王位に就いたので何でもできちゃうんですね。
この立場を利用して東方衛星を始めます。
彼は少年時代、アレクサンドロスの教育には母のオリンピアというのが影響していて、
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13歳から15世紀、これは有名だと思うんですけど、アリストテレスが家庭教師として教えていたという。
アレクサンドロスは教えてもらっていたアリストテレスに教えてもらっていた人と一緒に戦うことになるんですよ。
その時の同級生と一緒に戦うんですね。
だから彼らもアレクサンドロスの助けになったんですよ。
母の教えが大きく影響していると言ったんですけど、母はヘラクレスやアキレウスのように英雄になれとずっと教えていたんですよ。
だから実際にアキレウスのことをすごい尊敬しているみたいですね。
東方衛星を始めるじゃないですか。
紀元前334年に開始して、アキュメネシチョウペルシアを侵攻して、約10年間というすごい短い時間にもかかわらず、ギリシアからインドまですごい広範囲を自分の支配下に収めるんですよね。
有名な戦いを今から紹介するんですけど、ペルシアをダレイオス3世を殺すのが何という戦いか覚えていますか?
ちょっと覚えてないですね。
一種の戦いでダレイオス3世という、アキュメネシチョウではダレイオス1世の方が有名だと思うんですけど、ダレイオス3世は多分アレクサンドロス大王に倒されたというのでしか出てこないですね。
グラニンコスカーの戦いというのも一応その次第では多分出るかもしれないです。
あと完全に支配したというのがアルベラの戦いというんですね。
これにおいてマケドニアがアキュメネシチョウを完全に支配下に収めるんですね。
彼はすごい勢いづいて調子乗っていたんで、アラビアへ進行途中にバビロンで病気になって32歳でまたこれは死にます。
だから父と死に方が同じ。
唐突に。
唐突に死んじゃう感じですね。
すごい経歴だったんですけど、彼は支配する先々にアレクサンドリアっていう都市を建てていったんですよ。
今昔は多分70個ぐらい最大で建てられてたんですけど。
エジプトにも。
エジプトにもあります。
エジプトのが一番有名なやつで今いるんですけど、中でもそのエジプトのアレクサンドリアにはムセイオンといわれる大い研究所が作られて自然科学とか人間科学について研究されていました。
またプテルマイアス城の都にもなって、ヘレニズム世界最大の文化都市とか経済都市にもなったんですよね。
ローマ時代に入ってキリスト教会の御本山の一つともなります。
アレクサンドリア。
なぜ彼がこんなに領土を拡大できたかっていう話なんですけど、
まず彼が政府国民に対して寛容だったからっていうのがまず一つで、
歴史上の成功者っていうのは大抵政府口の人たちに対して寛容なんですよ。宗教的とか。
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宗教を強制しちゃうと反乱が起こってうまく統治できなかったり。
明明市長とアッシリアとかは大分論術とかで出るんですよ。
アッシリアの統治と明明市長の統治の比較問題とか。
アッシリアはすごい厳しかったんですよ。
政とかも治めさせたり宗教的にもすごい支配してたんで。
あと13歳から15歳までアリストテレスをアレクサンドロスの家庭教師として招いたっていうのも大きな原因なんですね。
アリストテレスはミネザーの学園っていうところでアレクサンドロスと学友にギリシアの基礎とか教養などを教えたんですね。
この時の学友が後にアレクサンドロス対応を支える将軍となります。
これは諸説あるんですけど、戦い方とか政策とかを見るとアリストテレスの影響をあまり受けてなかったっていう人もいるんですけど、まだそこはよくわかんないですね。
影響を受けてるっていう人もいるし、受けてないって言ってる人もいるんで。
彼は死ぬ前に私が死んだら最も強いものが王になれって言って死ぬんですよ。
有名なエピソードなんですけどこれは。
彼の領土はデアドコイ、いわゆる後継者の人たちによって争われるんですよ。
結果はその部下の将軍たちによって彼の広大な領土はアンティゴの首長マケドニアとセレウスコ首長シリアとプトルマヤ首長エジプトなどの諸国へ分かれます。
ヘリニズム三国って呼ばれるやつですね。
文化的な面から見ても彼はすごくて、アレクサンドロスの東方遠征からプトルマヤ首長エジプトが滅亡するまでを約300年間をヘリニズム時代っていう文ですね。
これはギリシア文化とオリエント文化が融合したもので有名なものだとラオコーン、トロイア戦争の時にも言ったんですけどラオコーン。
蛇が巻きついてる絵で、あとミロのビーナス像とかそういう彫刻とかもこの時代に作られました。
あと日本史でも小僧院に治められているビアとかがヘリニズム文化の影響を受けているとかありません?
あと一番大きな影響を受けたのがササン町、アルダシール遺産とかシャプール遺産とかコスロ遺産とかそこら辺の時代なんですけど、その時にも大きな影響を与えたってされています。
これでアレクサンドロス第4についての説明終わりです。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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