1. 本語り~読んだ本について語るひととき~
  2. #051 稲垣えみ子の現在地/『買..
#051 稲垣えみ子の現在地/『買わない生活』/本語り
2026-11-01 25:19

#051 稲垣えみ子の現在地/『買わない生活』/本語り

おたよりを送る

物を減らし、お金に頼りすぎない暮らしを追求すると、行きつく先は、人とのつながりでした。街を我が家のように使い、季節の恵みを味わい、健康は日々の習慣で育てる。お金は便利ですが、それはときにコミュニケーションの代役でもあります。幸福とは何かを考えるきっかけを与えてくれる一冊でした。

【言及した本】

・稲垣えみ子『買わない生活』(東洋経済新報社、2026)

・福岡賢正『たのしい不便:大量消費社会を超え』(南方新社、2000)

・稲垣えみ子『魂の退社』(東洋経済新報社、2016)

・稲垣えみ子『もうレシピ本はいらない:人生を救う最強の食卓』(幻冬舎文庫、2023)

・唐来参和「莫切自根金生木」『黄表紙 洒落本集』(水野稔校注、日本古典文学大系59、1958)

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本を減らし、気に入った物を長く使いたいという自身の性格を出発点に、福岡賢正『たのしい不便』から受けた影響を振り返る。自転車通勤や家電を使わない試みは、不便を楽しみながら大量消費社会を問い直し、健康にもつながるものとして描かれていた。続いて稲垣えみ子『買わない生活』を取り上げ、退社後に風呂や収納のない住まいへ移り、冷蔵庫や洗濯機も手放して、道草や野菜の皮まで食べる生活を紹介する。稲垣は旬の食事、運動、睡眠など、金で買えない習慣によって健康と小さな喜びを得ている。所有を減らすと、銭湯や古本屋、カフェを含めた街が家になり、周囲の人々が拡張された家族のようになるという発想も示される。買わないことでお金が貯まり、最終的には応援したい相手への購入や贈与、物々交換へ向かう逆説も語られた。さらに、稲垣が社会とのつながりのために働いていることから、お金は交渉やコミュニケーションを代替しうる一方、人との関係を得るには贈与や会話が必要だと考察する。地方の助け合いにはしがらみ、大都会には関係の希薄さがあり、最後に『たのしい不便』と『買わない生活』を通じて、幸福の核として選択的な共同体や人とのつながりを考えさせられた。

物を減らす生活と『たのしい不便』
本語り51回目です。私はミニマリストではないんですけれども、 比較的、片付けたい、そしてまた、物は少なくしたいというふうに思う性格です。
ですので、本なども読むのは好きなんですけれども、 一応それなりに持ってはいるんですが、この職業、大学の教員という職業、特に文系ですね、
にしては少ない方なんじゃないかなというふうに思います。 私の知っている蔵書家の人というのは、研究室から自宅から、もう本で溢れているという人は大変多くいますので、
そういう人に比べると、私などはかなり少ない方なんじゃないかなというふうに思います。 本当に気に入った本というのは、やはり手元に置きたいというふうに思うわけなんですけれども、
そうでもない本というもの、それは比較的手放すことに抵抗がないという性格ですね。 一方で、蔵書家の方というのは、一度手にした本、手に入れた本を絶対に手放さないという方もいらっしゃいますので、
それはそれで素晴らしいことだなと思いますが、私はそちらの方ではないという感じになります。 そして本に限らずなんですけれども、
できるだけものを絞り込む生活をするように心がけております。 いわゆる断捨離本というものも一通り読んだことはあるわけなんですが、そこまで激しく絞り込んではないんですけれども、
たくさんのものを持つというよりも、気に入ったものを長く使うというのが好きですので、 なるべくものは増やしたくないということをしております。
何がきっかけだったかなということを思うと、もともとそういう性格だったということもあるんでしょうが、はっきりとものを減らしていったというのを意識したのは、
あ、そういえばあの本があるなと思います。 それは福岡健成さんという人、これは毎日新聞の記者だった方、今はもう退職されているかと思うんですが、
その方の楽しい不便という本がありまして、これは毎日新聞に連載されていたものを本にしたものなんですが、これが非常に面白くかつ影響を受けたと言えるなというふうに思います。
どういうものかと言いますと、世の中は非常に便利になっておりますけれども、 あえて不便をするということを始める連載があったわけなんですね。
それは例えば、電車などの公共交通機関を使わずに自転車で通勤するとか、 自動販売機で買わないとか、外食しないとか、季節派で野菜を食べないとか、
あるいは電化製品の類ですね、それもなるべく使わない、掃除機ですとかね、もそうですし、 あるいはティッシュペーパーを使わないとか、アイロンをかけないとか、生ゴミや大皮にするなどの試みをやっていくという連
載があって、
まあ実験的な連載があって、そうすると、だんだんもちろん不便なんだけども、 その不便が楽しくかつ健康になってきて、
また現在の大量消費社会というものに対する疑問というものが湧いてくるというもので、 大変これには興味を覚えまして、
思えばそれの影響もかなりあったと思いますけれども、 私は当時勤めていた学校に車で通っていたんですけれどもね、
結構アップダウンのある道だったわけなんですけれども、 自転車に通勤に変えてですね、片道40分自転車で通うというふうなことを試みて、
非常にこれは良い経験でしたけれどもね、 そういうのを試みるぐらい影響を受けた本だったなというふうに思います。
久々にちょっとその本を手に取ってみたら、後半部分が対談になっていて、 カヌイイストの野田智恵ですとか、
森崎一恵ですとか、そういった対談も非常に刺激を受けるんですが、 最後の最後に三田宗介との対談が入っているんですね。
これがまたね、改めて読むと本当に素晴らしくて、 改めて充実した本だなということを思ったりしました。
全然古びてない、今でも現在の日本の在り方を 相対化するような本になっているなということを思いますので、名著だと思います。
稲垣えみ子の『買わない生活』
しかし、今回紹介したいのはそちらではありませんで、 同じ方向を向いていると言っていいんでしょうか?
そんな比較的新しい本を紹介したいと思います。
それは稲垣恵美子 川内生活 東洋経済新報社です。
稲垣恵美子さんは元浅井新聞の記者という形で、 くしくもと言いますか、あるいは必然かもしれませんが、
どちらも新聞記者だった方々の本になるわけなんですね。
稲垣さんは50歳の時に浅井新聞を辞めて、 福岡さんとはまた別の形で絞り込む生活と言いますか、
ミニマリストという言葉を本人は使ったのは 見たことないんですけども、そういった生活をしているわけなんですね。
魂の代謝ですとか、もうレシピ本はいらないですとか、 その生き方、やはり興味深いものですので、
すべてではないんですけども、 機会があるごとに読んできたわけなんですけども、
その比較的新しい本がこの川内生活ということになるわけなんです。
これまでのその生き方、ライフスタイルというものに興味を覚えて読みつつも、
その進化形と言いますか、現在どこにたどり着いたのかなという興味で、 今回も買って読んでみました。
大手新聞の記者さんというのは非常な高級取りですので、
1000万円を超えるような収入だったのは間違いないはずなんですけれども、
そんな生活をしていたけれども、50歳ですので、 そこで退社をされたということになります。
もちろん収入は激減と言いますか、 基本的になくなっていくわけですので、
どうしたかと言いますと、まず家賃の安いところに 引っ越さないといけないとなったときに、
そこで探したのが、風呂なし、収納なし、 宿、古、かなり古いマンションというものを見つけたわけなんですね。
収納がありませんので、持っていた服なども非常に大量に処分し、 かつ家電の類も相当処分したと。
何を処分するかという中で、私なんかも電子レンジとかテレビなどは もうとっくにないわけなんですけれども、
それでもやはり冷蔵庫、洗濯機というのはないと、
さすがに楽しい不便と言い切れないほど不便になっちゃうんですね。
普通の勤め人をしていると。
しかし稲垣さんは冷蔵庫も洗濯機も処分するというレベルで、
かなり絞り込んだ生活をしているということが見えるわけなんです。
道草と旬の食事がもたらす喜び
その稲垣さん、現在どういう境地にたどり着いているかと言いますと、
道草を食うという状態になっているわけですね。
具体的にはよもぎを食べるところから始まり、
結構草はうまいという話になりまして、
たんぽぽなんか食べられるんですね。
そういうのを食べておいしいおいしいと食べていると。
このおいしいというのも実は語弊があって、
毎日基本的に玄米ご飯をはじめとした
一重一切的な健康的な食事をしているわけなんですけれども、
それを食べているときに、
おいしいのは多分おいしいんですが、
価値観がおいしいよりも食べられるということになってきているそうなんですね。
おいしいからうれしいというよりも、
食べられるから喜びと言いますか、
喜びが感じられればいいわけなんですけど、
食べられる方がおいしいよりも喜びになるという風なね、
価値観になってきているそうですので、
ですので非常に満足をもって道草を食べたり、
あるいは野菜なんかも普通は捨てるような、
皮の部分なんかもね、食べるような生活を続けているというわけなんですね。
そうなると旬のものしか食べないというのは、
基本になってくるわけなんですけれども、
旬のもの以外は日常同じものを食べているはずなんですが、
ここで池澤夏樹なんかがエッセイで書いていたのを覚えていますけど、
旬のものを食べていたら、その時期には同じものをいっぱい食べることになるわけなんですね。
あるいは基本的にベースとなる食事は同じなわけなんですが、
表現で確か池澤夏樹が、
餌の喜びみたいなことを書いていたんですね。
毎日毎日同じものを食べるその喜びみたいなことを言っていてね、
若い頃読んだエッセイなんで、
どの本に入っていたか忘れましたけれどもね、
人というのは違うものを食べて、
今日は何を食べようかなという喜びも確かにあるんだろうけれどもね、
毎日毎日同じものを食べるという、
その安定した喜びというのも確かにあるよなということをね、
気がついた記憶があります。
大体旬のものというのは、その時期にはその食べ物が出てきますので、
でもそれってやっぱり一番おいしいんですよね。
それをね、毎日毎日同じものを食べる喜びっていうのはね、あると。
そんな中でも季節が変わったら食べるものも少し変わっていてね、
それの玄米ご飯なんかは変わらないんでしょうけどもね、変わっていく。
その喜びっていうのは、いわば人口的に季節外れの食べ物を食べて、
バリエーションを出すという喜びよりもずっと大きいんだろうなということは、
私も比較的旬のもの以外は買わないようにしてますので、
それは感じるところではありますし、
餌の喜び、安定したいつもと変わらぬご飯の喜びっていうのは非常に共感するところです。
街を家にする所有しない暮らし
根本的な発想の転換というものが退職した時に起きているわけなんですが、
それは所有しないということですよね。
そこに本格的に舵を切っていくわけなんですね。
そうすると、まず発想が自分の持っているもので満足を目指すというよりも、
街が我が家という発想になるわけですね。
何しろ風呂なしですので、風呂は銭湯に行くしかないわけなんですけれども、
それがまたいいわけなんですね。
あるいは本なんかも古本屋が自分の本棚のようになり、
そしてカフェが自分の書斎になりという感覚で、
自分の住んでいる街が拡張した自分の家みたいな感覚になってくるわけなんです。
そうなってくると当然ながら、そこで接する人々というのが拡張家族みたいになってくるわけなんですね。
要するに所有という概念を外してくると、
そういう満足も当然生まれるという、
その魅力を説いているのはなかなか重要な視点だと思います。
これについても私はある経験があるわけなんですけれども、
東京のある郊外に住んでいる人がいて、
その人の家を訪ねる機会があったわけなんですね。
そこには小さな庭があって、それはそれで非常に素敵なわけなんですけれども、
そうではなくてちょっとそれで感心したんですけど、
その家から歩いて本当にすぐ数分で素敵な小川がありまして、
その川のそばを散歩道があるわけなんですね。
そこからずっと川を通ってまた公園につながるような緑があふれているわけなんですけれどもね、
その環境を見て、これは庭というのはいらないのかもしれないなというふうな気になりました。
すなわち庭を自分で所有しなければならないとなったら、
管理とかあるいはそれだけの土地を確保しないといけないということで大変なわけなんですけれども、
自分で庭のある家を買うというよりも、
そういった魅力的な散歩道を自分のものにするといいますか、
その近くに住んでいれば、言ってみれば誰かが管理してくれている場所ではあるわけなんですね。
そこに日々好きなときに行くことができるということを考えたら、
所有という概念を外したら、
非常に実はこの住みやすい環境というのはまだまだ手に入るんじゃないかということを感じたことがあります。
そういった意味で私は今マンション住まいですので、庭はないわけなんですけれども、
私も非常に魅力的な自分だけの散歩コース、
自分だけというか他の人も歩いているわけなんですけど、
自分の散歩コースを持っていますので、
これはこれで魅力的な拡張した家という大豪邸と言っていいのかな、
それを持っているような感覚になりますので、
この自分が持つ所有という概念を外したら、
案外住みやすいものになるかもしれないなということを思ったりしたものです。
だからそれを実践しているのが稲垣さんということも言えるわけなんですね。
買わない生活と健康の習慣
所有しないということになってくると、
要するに買わないということになってきますよね。
まずは切実な注入が激減したという状況から、
必然的に始めなければならなかったけれども、
しかし買わないことを心がけていったら、
非常に健康になっていくということも抱えているわけなんですね。
だいたい健康本というものを読んでいったら、
そしてまたお医者さんだって誰だって、
基本的に健康のために何がいいかといったら、
食事と運動と睡眠ですよね。
究極的にはこれに尽きるわけなんですね。
稲垣さんも食事、運動、睡眠のところは規則正しい生活ということを言っていますけれども、
食事、運動、規則正しい生活というものこそが健康だということをおっしゃっていて、
もう本当その通りだと思います。
それは金で買えるものじゃないわけなんですよね。
何なら金で買わないほうがいいものといいますか、
金で買おうと思っても逆に乱れていくということがありますのでね。
そういった生活のリズムといいますか、
そういったものを買わないということによって、
逆に手に入れていくわけなんですね。
そうするとそれは何が楽しいんだというふうに、
そういう生活をしていない人には感じるかもしれませんけれどもね、
感情の起伏の大きな波というものが去っていったら、
気づかなかった小さなものに気づいていって、
そこにこそ実は喜びを見出していくというような、
感覚の変化というものも何か描かれているように思いますね。
ですので、達成目標といいますか、
何とかしたら嬉しいという感覚が、
世の中の価値基準による喜びから自分の中のもの、
例えばですけれども、
これは本当にささやかな例として挙げているけれどもね、
ある坂を自転車で立ちこぎで越えていくみたいなね、
今まで行けなかったことができていくみたいなね、
こういったことに喜びを見出していくということなんですけれども、
これは確かに幸せな生活だよなというふうに思ったりしますね。
自分でコントロールできる喜び、
間違いない喜びというものを感じているということで、
それは素晴らしいなというふうに思ったりします。
贈与と応援買いの逆説
そうなってくると、
ものをもらうということも大事になってくる、
あるいは自分もあげるというね、
贈与の関係になってくるわけなんですね。
買わないのでお金も貯まってくるわけなんですけれども、
所有欲もないのでどんどん人にあげていくと。
しかし、そうするとあげたらまたお返しをもらったりするので、
それはそれでものがまた豊かになっていくということになっていくわけなんですが、
物々交換の世界ということになっていくわけなんですね。
皮肉なことなんですけれども、
面白いわけなんですけれども、
買わない生活を続けていったら最終的にどうなっていくかといいますと、
変なものを買わないほうが幸せですので、
そうするとお金が逆に貯まってくるというね、
皮肉な欠陥になってくるそうなんですね。
だからなるべくそれを寄付しようとしたりするけど、
それにもなかなかちゃんとしたことに使ってほしいというのを厳密に見ていったら、
限界があるということになる。
じゃあどうするかというと、
最後の最後は結局、
投資という感覚で買う。
応援買いですよね。
ここには頑張ってほしいという形で応援買いするようになってくる。
しかし自分はもういらないことも多いので、
余剰といいますか、それを誰かにあげるということに勝って、
こんなに素晴らしいものがあるよという形で人にあげる。
そうするとまた人からお返しが返ってきて、
ものが増えちゃうみたいなね。
江戸時代の起業詞で、
トーライサンナという人の
キルナの根から金のなる木という起業詞があるわけなんですけど、
金持ちすぎて面白くないので、
何とか貧乏になれないかということをやっていく。
だから普通の人が貧乏になるというパターンをね、
例えば人にお金を貸して踏み倒されるとか、
あるいは誘拐で轟頭をするとか、
大人旅行をするとかね、
そういったいろんなことをここで見るんだけど、
やればやるほどどんどん金が貯まっていくと裏面に出てね、
最終的にはさらなる金持ちになっていくというね、
非常に面白い話なんですけど、
案外あれっていうのは真理なのかなというね、
ことを感じさせるような展開になっているのが非常に興味深いものでした。
お金が代替するコミュニケーション
そうなってくると、もうこの稲垣さんというのは、
いわば働かなくてもいいぐらいの状態になっているわけなんですけれども、
じゃあなんでそんなに働いているか、
まったくこういう執筆とか講演とかあるんでしょうけれどもね、
そういった仕事をするかというと、
社会とのつながりのために働くというふうなことに、
今現在の境地にあるそうなんですね。
なかなかそれも興味深い結論じゃないかというふうに思います。
以上のようなことを読んで私は考えるわけなんですけれども、
稲垣さんの生き方っていうのは、
大変魅力的に思えるわけなんですけれどもね、
ああなるほど、現在っていうのは、
コミュニケーションを金で買っているんだなということを思ったりしました。
逆に言えばなんだけど、
お金がないのに生きていくためには、
人とのつながりが不可欠なんだなということを思いました。
これはしかし前提がおかしいわけで、
本当は人とのつながりっていうのは、
人が生きていくためには絶対に不可欠なものなんだけれども、
金があれば、それがなくても生きていけるような、
気がするような状況を得ることができるわけなんですね。
それこそ、物々交換というものは、
自分の持っているものと相手の持っているものを交換するという状況ですけれども、
それを無言のままに行うということは基本的にないわけで、
何かの根拠性があり、そこで話をして、
円滑なコミュニケーションの上で、
物と物を交換していくということですよね。
それが拡張していく状況なんだけど、
そこにいざお金というものが媒介したら、
コミュニケーション能力がなくったって、
金さえあれば、金があるなら交換しましょうという話になっていくわけなんですね。
すなわち、お金というのは交渉をなしにしてくれる存在でもあるわけなんです。
逆に言えば、人とのつながり、
これは裏表なんですけれども、
人とのつながりを得ようと思ったら、
お金を使ったらいけないわけなんですね。
お金を使わないであげる、もらうという関係性をしていったら、
人とのつながりが出てくるということなんです。
でも稲垣さんも退社する前までは、
人とのつながりを重視して生き方ではなく、
自分の時間、一人の時間というものを非常に愛していたように見えるわけなんですけれども、
私は人とのコミュニケーションを取ることが嫌いではないけど、
好きでもないというぐらいの言い方をしておきますけれどもなんですね。
すなわち、毎回お店に行ったときに、
どんなお店にでも話しかけてという日々は、
小さい頃から要するにスーパーマーケット、コンビニは今ほとんど使わないんですけれども、
そういったチェーン店での購入というものが多いような人生を送ってきているわけですので、
そういった場合は会話なんかしなくたってものは買えるわけなんですね。
なんなら会話しないほうが楽ちんと言いますか。
わざわざ話さないですもんね。
向こうがマニュアル化された発言をして、
こちらはマニュアル化された通りに支払いをしていくと、
そのときにうなずくとかぐらいはあるんだけど、
声は発しないよなということを思うわけなんですね。
それはそれでもうなりきってますので楽なんですよね。
話さないでいいというのは。
ですので自分の中で不思議なんです。
コミュニケーションスキルの高い人と言いますか、
そういう性格の人なんかは店に馴染みになるのは好きなんでしょうけど、
私結構ね、お馴染みさんになるのって結構抵抗があるんですね。
だからいつもありがとうございますって言われたら喜ぶ人は多いんでしょうが、
私なんかうっと思って顔を覚えられちゃったからって、
まあそれは誰でも何回も買えば覚えるんでしょうけどね。
それはそれで何かね、なぜかそこには抵抗を感じてしまうということは、
やはり商品をお金で買うというね、
そこにコミュニケーションが介在しない世界というものに、
ある種の心地よさを覚えている性格なんだろうな、
ということを思ってしまうわけなんですね。
都市と地域のちょうどよい関係性
しかし一方ではなんですけど、
全部が全部そうではなくって、
お馴染みのコーヒー豆を買っているところなんかではね、
結構喜んで話をしたりする。
あるいは美容師さんに髪を切ってもらうときには話をするという状況もありますので、
相手によると言ったらそうなんでしょうけど、
そういう状況があるということなんですね。
これは言ってみればその田舎に行けば行くほど、
日本の現在でもね、やっぱりお金が通用しない、
まあもちろんお金は必要なんですけど、
お金ではないコミュニケーションって必要になってくるわけなんで、
そこでは金なんか持っててもしょうがないっていうのは言い過ぎだけど、
お金ではない物々交換とかコミュニケーションによって、
環境を築いていくことがあるでしょう。
だからそれが好きな人はたまらなく好きな助け合いとか、
田舎の暖かい人情って言いますけど、
しかしそれは裏表でしがらみでもあるわけなんですよね。
それはきついなあと思う。
でも一方で大都会となると、
いよいよそこでは関係性というのは希薄になってくるでしょうから、
それはそれできついわけなんですね。
だから私の現在は、
寂れた県庁所在地が一番住みやすいと思っているわけなんですけども、
だから山口って最高なんですけども、
ちょうどいい関係性というものを維持できているかなというふうに思うわけなんですね。
でも稲垣さんは東京在住でしょうけれどもね、
そんな中で町のコミュニティというものを、
東京においてもやはり、
お金をなるべく使わないという生活をしていったら、
つながりを得ることができている。
そのつながりというのは、
応援会という形で上手に維持できているように見えますのでね。
ああなるほど、こういう生き方もあるんだなあ。
しかし、これはまたどちらが先かという話になるけれども、
コミュニケーションを取らなければ生きていけないというのと、
逆にコミュニケーションを求めて、
そういう生活に入っていくという段階も、
どこかであるのかもしれないなあなんてことを思ったりしました。
不便の先にある共同体と幸福
畑から見たら大変そうな部分も実はあるわけなんですけれども、
しかしその大変さの中に喜びもあるでしょうから、
人生の価値観が変わったときには、
そっちに踏み出していくということもあるんだろうなというふうに思いますが、
例えば、しかし町に馴染めてなってくると、
お祭りに参加して見越しを加速するということと、
裏表と言いますかね、
そこまでのコミュニティに入りたくないという思いがまだ今はありますのでね、
難しいところですが、しかしそれもいざ入ってみたらね、
住みよいものなのかもしれませんけれどもね。
ここらへんというのは考えさせられる。
でも実はそれがこの買うという行動ですね、
そこと裏表にあるんだなあということを強く感じさせてくれました。
結論としてね、買わない生活をしているときに、
結局応援街、買うべきところで買うという結論に持っていっているところもね、
非常に興味深いところだったなというふうに思います。
そして改めてそのパラパラと冒頭に紹介した楽しい不便を見ていたら、
最後の三田宗介との対談がやっぱり興味深かったわけなんですけど、
三田さんがね、この大元の福岡県政さんの連載記事をまとめたものと、
その後のいろんな対談を読んだ上での感想として述べているのが興味深かって、
結局みんな愛を補うということを言っているのは同じですね、
みたいな指摘をしているわけなんですね。
やっぱりそれはこの不便、楽しい不便ということ、
あるいは大量消費社会というものを超えようとしたときに、
肝となるのは愛を補う、人とのつながりということになっているでしょうから、
選択的な共同体ですよね。
人が生きていくということにおいてはね、
そこが肝になっていくということは、
改めて意識される部分なんだなということを思ったりしましたので、
自分の中でのスタンスというのはまだ固まりませんけれども、
やってみれば幸福の一番大事な部分というのは、
実はそこにあるのかなということを考えさせてくれるものでした。
本語は毎週日曜日更新です。
Spotify、Apple Podcast、Audibleなど各プラットフォームで聞くことができます。
継続してお聞きくださる方は是非フォローをお願いします。
以上で51回目を終わります。
25:19

コメント

スクロール