友人の産休の話
こんにちは、ひなみ ときあです。今日は、産休を迎える友人を羨ましいと思った理由について、気づきがあったので、お話ししてみたいなと思っております。
このチャンネルでは、大手外資系企業人事の40代時短勤務ワーママである私が、自分のキャリアのモヤモヤに向き合って理想の働き方や、その実現に向かって歩みを進める様子を素直な言葉で綴っていきます。
今、冒頭でお伝えした通り、今度、私の友人、同級生の友人なんですけれども、めでたく第2子を授かったということで、これから産休に入るよというお知らせをもらったので、先日、家族でその子のお家まで遊びに行って、ちょっといろいろお話をしてきたので、その時のことを少しお話ししてみたいなと思っています。
その友達は、今お伝えした通り、同級生ですと、今回第2子ということで、その子が1人目が女の子、今回が男の子が生まれる予定というふうに今聞いています。
私自身は、上が小学生の男の子でしたが、1歳の女の子ということで、男女は順番は逆転したわけなんですけれども、これからお互いに男女のままだねというようなお話をしたりとか、今の産休に入る前の仕事の状況とか、私は逆に9級から復帰しての状況とか、いろいろなお話をしてきました。
帰ってきたわけなんですけれども、帰ってきて振り返って思うのは、この友達を羨ましいなって思ったんですよね。
その子のことを、普段からすごく違いがあって羨ましいと思っていたかというと、全然そんなことなくて、学生時代からの友人なんですけれども、環境は似ているところもあるし、違うところもあるしというところではあるんですが、学生時代から仲良くさせてもらっていて、
もう会社員生活、社会人生活も20年近く経つわけなんですけれども、今でもお互い家族ぐるみで交流をしていて、お互いの結婚式にも行き合ったりとかしてみたいな感じで、お互いそれぞれの生活がある中でも、友人関係としてすごく仲良くさせてもらっている友達なんですよね。
なので、その子のことをすごく羨ましいと思ったり、逆に羨ましがられたりということはなく、いい友人として距離感を保ってお付き合いできているかなと思っていたんです。
だけど、今回は3級を迎えるその友人に対して、私の中で生まれた感情はもちろんおめでとうって思ったし、一緒にママできること嬉しいよねみたいな話もしたし、すごく前向きに捉えているんですけど、ちょっとどこかに引っかかる感情として、羨ましいなっていうのがあったんです。
その羨ましいって何なんだろうっていうのをちょっと考えてみてたんですけど、いくつかあるなと思っていて、そこについてちょっとお話できたらと思っているんですが、まず羨ましい一つ目としてあるのは、仕事休めるのいいなみたいなところですよね。
別の配信とかでもお話をしていたんですけど、私今時短勤務っていう形でお仕事はしてるんだけど、実際時短にできてなくてフルタイムみたいに働いていて、ちょっとプレッシャーもあるし、自分の思うところというか、自分のやりたいこと、好きなことだけじゃない仕事っていうのももちろんやらなければいけない。
会社員なのでね、そういうところもあったりとかして、手放しに仕事大好きとか会社員万歳とは思っていなかったりするんです。なので、そういう意味でも仕事を休めるっていうのは、ある意味ストレスからの解放とかプレッシャーからの解放みたいなところもあって、そこを羨ましいなっていうのは自分の中でも納得かなって思っています。
さらに思ったのは、仕事を休めるということに付随するような話かなとは思うんですけれども、自分の時間っていうのが増えるよねっていうのも羨ましいポイントの一つかなって思っています。
お仕事を休むことによって、自分の時間として平日の昼間に読書をしたり、映画を見に行ったり、そういう生活ってなかなか社会人、仕事をしている会社で仕事をしている会社員として仕事をしていると、時短勤務とはいえ、そういうことってなかなかできなかったりするので、有給とか使えばもちろん違うとは思いますけれども、
自分の時間として、自分の思う通りに24時間をコントロールできる、100%じゃないにせよ、でもそういう時間が増える、自分のいわゆる箇所分時間っていうんですかね、それが増えるっていうのは単純に羨ましいな、今の自分にはなかなかそれができないのでっていうところで羨ましいなと思ったっていうのがあるかなと思いました。
だけど、最大の羨ましいポイントってなんか違うんじゃないかなと思っていて、なんかそれはですね、私の中でのそのサンキューを迎える友人を羨ましいと思った理由、最大のポイントっていうのは、あ、この人お母さんになれるんだな、これからっていうのがなんかすごく羨ましいなって思ったんです。
なんか変な言葉かなと思うんですけど、確かに私も今すでに2人の子供がいるわけで、お母さんやってるので、別に何かお母さんっていうことが新しい役割っていうわけでもないですし、そこは別に羨ましがるようなポイントじゃなくないっていうところは、自分の頭の中ではあったりするんです。
さらに言うと、生まれるまでも生まれてからも嫌なことも辛いこともいろいろあるっていうのも、2人子供を育てていく中で感じている経験もあるっていうところで、
新生児なんか特に大変ですよね、寝られないし体力も年取ってきているので、これから40代で新生児を迎えるってすごい大変だろうなとか、育児をしているのって結構孤独に苛まれることもあったりして、大人となかなか会話ができないとか、
夫、パートナーが忙しかったりもすると、平日ワンオペで全部をやらなければいけない、完璧でなければって思うけれども、なかなかそうできない自分に対してのモヤモヤする感情とか、そういうのもあるのも分かるし、
必ずしもお母さんっていう一言が100点満点のハッピーな状態かというとそうじゃないっていうのは自分でも分かっているんです。
ただ、明日ともにお母さんでいることを良しとされている時間を取れるっていう、この産休と育休っていうすごく特別な期間ってすごくいいな、羨ましいなって私は感じたんですよね。
人間って、なんか変な話が飛ぶような感じになっちゃうんですけど、人間っていろいろな側面を持っているわけですよね。私も母がいて、父がいて、生まれてきた娘っていう役割もあるわけだし、
学校にいたときは学生っていう役割があるわけだし、今は会社員っていう役割があって、あとは夫に対しては妻、子どもたちに対してはお母さん、さらに子どもたちの学校とか保育園のお友達や先生からはなんとかくんなんとかちゃんのお母さんみたいな、
なんかいろんな役割、いろんな側面を持っていて、私っていう人物が構成されているっていうのもわかっているんです。ただその中で私はこの母、誰々くんのお母さん、誰々ちゃんのお母さんっていう母でいられる自分っていうのに対して、結構喜びを感じてるんだなーっていうのを今回すごく感じたんですよね。
だからこそ、自由な時間が過ごせるからOKとか、仕事を辞められて休めてラッキーとか、そういう感情よりも、お母さんでいることがいいよね、お母さんでいるための時間だよねっていう形で自分の時間を取れる3級1級っていうのが羨ましいと感じてるのかなーっていうのを今回気づいたのが私の中でのすごく発見でした。
母親としてのアイデンティティ
何々くんママって自分のことを呼ばれると、それって私じゃないしって思う人ももちろんいると思うんです。何とかくんのママっていうと自分らしさがなくなるとか、なんかそれって私自身のアイデンティティじゃないって感じてる人もいる。
だからこそ、私が私として人生を歩んでいくためにって言って何かを始めてる方とかやってらっしゃる方っていうのもたくさんいらっしゃると思うんで、それはそれで全然いいと思ってるんですけど、
私は〇〇くんママとか何とかちゃんママっていう自分を演じているというか、そういう自分でいることっていうのも結構喜びだったりする。
そういう状態も意外と私らしいのかもって思って、何とかくんママとしていられる時間を伸ばしていきたいって思ってるところに、実はそれがひいてはキャリアのモヤモヤとかにつながっているのかもしれないなーっていうのをちょっと感じたという雑談でした。
すいません、長くお話ししたわりに結局私自身がこうじゃないかなって思ったことを話して終わりにしちゃうっていうのはなんかあまり良くないのかもしれないんですけど、私にとってはすごい大きな気づきで、自分が自分であるとか自分が自分らしくいるってどういうことなんだろうっていうのを考えたときに、
私は母であるということが自分のアイデンティティを形成するのに結構大きなウェイトを占めているのかもしれないっていうのに気づいたっていうのが、今回大きな気づきだったのでお話をしてみました。最後まで聞いてくださった方がいらっしゃったらありがとうございました。