1. ごりの堂々巡り
  2. #22 障害の歴史を聞いて2
2023-02-01 12:49:00

#22 障害の歴史を聞いて2

COTEN RADIO 障害の歴史

インクルージョン

ノーマライゼーション

あなたも私も今日から障害者になれる

かわいそうと思わないで!当事者の言葉

00:04
毎度、ごりです。今日もね、またちょっと障害についてのお話をね、したいと思います。お願いします。
えっとですね、あの、まあ障害、まあ、いろんな障害がありますよね。肉体的な障害、知的な障害、精神障害、いろいろあると思うんですけども、
そうですね、うちの子供はですね、発達障害のグレーゾーンというかね、そういう感じで、まあスペクトラム、自閉症スペクトラムというね、
ところに、まあ、いるんですけれども、定型発達とはやっぱりちょっと違うのかなという部分もありつつ、
かといって、じゃあ、生活する上で困っているのか、障害になっているのかと言われると、
最近はそうでもないのかな、ということで、まあ、領域的なところからの卒業をしたんですけれども、
まあいろんなね、見方というかね、考え方とかいろいろあると思うんですけどもね、まあこの、
自閉症であったりね、知的な障害であったり、まあいろいろあるんですけども、
まあ、前回ですかね、話をした、知的な障害を自覚しているというね、
そしてその人が犯罪をするというケースを見てましたっていう話をね、ちょっとしたんですけども、
それとは別でね、今日はちょっと、障害ってどれぐらい自分の身から遠いのかということでね、
まあ、コテンラジオの障害の歴史の中でも出てきてはいたんですけども、例えばメガネ一つとってもですね、
メガネがあるとないとで生活が違うわけですから、
そういう道具があるから、まあ僕もメガネをかけてますけども、メガネをかけている人というのは助かっているわけですね。
そういうツールが発達したおかげで、障害が障害でないというふうに自覚できるまでに進んでいるわけですけれども、
障害ってね、その視力障害ということもあるんですけども、それぐらい身近なんですよね。
とっても身近なんですよ。
で、これもね、障害の当事者の方とお話をした時、
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その当事者の方の、これは講演会というか講習会というかね、お話を聞くという機会があって聞きに行ったんですね。
これはどういうタイトルだったかちょっと忘れちゃったんですけども、
その方は身体障害ですね。中途障害ということで、
高校生の時にオートバイの事故で積損をして電動車椅子になってますという方のお話でしたがね、
非常に若い時に事故に遭われて中途障害ということで障害者になられたと。
本当にその日までは健常者としてオートバイに乗って生活していた。
今は車椅子で生活している。とっても不便だと。やはりその、
世の中全てがこう、いわゆる健常者と言われる人たちに合わせて作られている。
どっか行けば段差がある。スーパーの棚は取りづらい。
いろんなことが本当に問題になるっていうふうにおっしゃってたんですけども、
いろんな方がその方の講演会を聞きに来てまして、かなりね、障害者へのボランティアだったりとかも、
あと、施設にお勤めの方とかそういう方もね、数多くいらっしゃってたんですけども、
そんな中でね、その当事者である講師の方が結構強めの口調でね、
おっしゃってたんですけども、障害と一口に言っても何回も出てますけども、先天的な障害と中途障害とあるわけですけども、
大変なことはもう否めないと。大変そうだということは否めないと。であればあなたたちはどう思ってほしいかと言ったら、
なんでね、大変な状況にあるのかと。それは障害を持った人のせいじゃないんですよと。
さっきも言った断算があるとか、スーパーの高いとか、トイレが使いにくいとか、そういうのはすべてその健常者ルールを作ってる。
その健常者のルールでいいとしているあなたたちの考え方、もちろんその障害者になっていないからわからないでしょうと。
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で、その障害を持った人に対して大変だなって思ったら、声かけていただいて構いませんと。
その方はですね、声かけていただいて構いません。スーパーで買い物してる時にちょっと高いところを見てみながらね、
お手伝いできることあったらいつでも声かけてくださいね。店員さんにも声かけましょうかとかね。
どんどん言っていいですと。ただその方はね、僕は遠慮せずに店員さん呼びますけどって言ってましたけども、
言えない障害の方もいろいろいらっしゃるのでね、そうやって一緒に生活している同じ社会に存在している人間としてね、
みんなで共同体として生活できるように助け合っていけたらいいなぁということでの発言ではあったんですけども、
強い口調でその方が言ったのはね、今すぐにでもあなたを私は障害者にできますよって言われたんですよね。
車椅子で引けば怪我させることもできますし、本当にちょっとしたことで、
どんな人でもね、障害者として今から生活できますよみたいなことをその方がおっしゃったんですね。
なので、大変そうだな、かわいそうだな、特にかわいそうだなと思ってくれるなっていうのは強く言われてたんですね。
本当にいろんな経験をその方はされたんだと思います。その上でのそういう発言なのでかなり重いなとは思うんですけども、
とにかく障害者に対して目を向けていただくことは非常にありがたいと。
ただ、障害者に対して目を向けた時点で本当に目を向けて欲しいのはあなたたち自身のことですという風にね、結構昔の話ですよ。
ノーマライゼーション、今ほどこう裸に言われてないのかなと思うんですけども、その方はもしかしたらそういうノーマライゼーションということに触れていたのかもしれませんね。
自分が当事者になって、なのでそれをすごく強くおっしゃってましたね。
いつでも誰でも障害者になれる、当事者になれるというね、そういうことをね、やはり我々ね、今
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自分は障害者じゃないと思いながら生活している人はね、全員自覚するべきことだと思います。
例えば、障害者という言い方、どうなのかな、当事者って言った方がいいのか、まあよくわかんないですけども、
歩けないとかね、手が動かせないとか、いろいろあるわけですけども、そんな中でね、
いつでも障害者になれる、自分が好むと好まざると好んで、ディサビリティというね、そういう障害を自分に刻み込もうという人はそんなにいないのかなとは思いますけども、
まあ社会の中での生きづらさっていうところであるとね、すごい広い意味で社会の中での生きづらさっていうものって見ると、割とね、
日本という社会の中だと、例えば、入れ墨ですよね。これ入れると結構社会的に生活しづらいんですよね。そういう場面ね、まああると思うんですよね。
例えばピアス、耳に1個ピアス開けてるぐらいだといいと思いますけど、7個も8個も耳にピアスしたりとか、下にピアスしたりとかね、鼻にピアスしたりとか眉毛のところとかね、唇のところとかいろいろありますけども、
そういうのやってるとどうでしょうね。やっぱり生きづらい場面、それが許容されるシチュエーションと許容されないシチュエーションというのが出てきますので、広く見ればそういうのもね、ある種の子障害になってしまっているのかなと。
まあそういうのも全てね、広く受け入れる土壌ができると、また世の中がね、また変わってくるのかなと思うんですけども。
なのでね、本当に多様性、多様性ってよく言うんですけども、多様性を受け入れるっていうところの、この範囲の広げ方って本当に範囲を広げるとかなり社会の見方が変わるんですよね。
なので、どんどんね、自分の中での玉ねぎの皮みたいにどんどんどんどん剥いていってね、一枚一枚めくっていって、自分の色眼鏡をめくっていくというイメージなんですけども、どんどんどんどん外していって、
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自分自身の素直なところで周りの人と関わることができたら、もっと楽になれるのかなというふうに思ってますっていう。
まあ今日はそんな話でした。
じゃあ今日はこれで終わっちゃいます。皆さんどうもありがとうございます。
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