1. 樋口聖典の世界
  2. 30代を振り返る
30代を振り返る
00:01
今、福岡市の自宅から、鷹橋イカネパレットに向かって車を走らせております。
時刻は、昼の12時30分でございます。
昨日往復したんですけど、昨日の夜に自宅で用事があったので、どうしてもちょっと帰らないといけなくて。
昨日一往復した後に、さらに今日朝起きて、今向かってるっていう。
今日はコテンラジオの収録なので、今日撮って。
明日はコテンラジオのゲストの方が、イカネパレットに来られて鷹橋で収録して、明日帰るっていう。
だから、3日間で2往復かなっていう感じのスケジュールになっております。
今日撮るのは、コテンラジオの生の歴史っていうことで、めちゃくちゃ楽しみですね。
これ、また違うユーザー層を獲得できるんじゃないかなっていう、そういう目線もあって。
もちろん内容は楽しみっていうのは毎回変わらないんですけど、僕の中では変わらないんですけど、毎回楽しみなんで。
これがリリースされた時に、どういう層が効くかっていうのが、ちょっと楽しみなんですよね。
やらしい気持ちとか、普通に興味本位で聞いて、あれ聞いてみたらちょっと違うぞみたいな。
ちょっとやらしいとかそういうことじゃなくて、あれあれみたいな感じで思いっきり引き込まれていくみたいなことが起こればいいなと思ってます。
これ、今喋っているのが2021年の8月19日なんですけども、
今日はですね、僕にとって30代最後の日っていうことで、
僕誕生日が明日8月20日なので、今僕年齢が39歳なんですけども、明日でついに40歳になるということで、
あともう12時間切りましたね。だから30代として過ごせる時間がということなんですよ。
最初に来るのはあれか、19から20になるときに何か皆さん感じるものがありますよね。
年齢が20になったってめちゃくちゃいろんなことが実際に変わるじゃないですか。
お酒を合法的に飲めるとか、タバコ吸ってよくなるとか、そういうものがあったりしますよね。
だからやっぱり19から20って本当に人生が変わるんですよ。何かしら。
03:01
世間から見られる方は20歳を過ぎているってなると一気に大人って見られますからね。
っていうまずインパクトがありますよね。
もう1個あるのは、24から25になるときに何か感じる人が多いと思うんですよ。
これは死者誤入すると30になるという年なんですけども、
アラサーの眺め入りを、まだアラサーではないか25は、しかけるっていうところ。
で、29から30っていうのも本当にインパクトあると思ってて、
若者から中堅への梯子を登っちゃったってことになりますよね。
多分一昔前だったら30とか完全に若者じゃないんですけどね。
まあまあ今は30とか全然若者の部類に入る業界とか分野もありますよね。
例えば芸人とかだったら30とか全然若者扱いですし、
ビジネスの世界でもどうかな、まだ30は若手って言われるような気がしますね。
まあまあまあとかがあったりして、職人の世界だったらもう完全に中堅かもしれないですけどね。
まあまあそんな業界によって違うと思いますけど。
で、また同じように35っていうのがあって、これはもう中堅ですよね、35はもう。
で、次は40とあると思うんですけど、
実際僕今振り返ったときに、そのタイミング全然覚えてないですね。
いやだから多分自分にとって、
おそらく多分まあ、世間一般で言われている年齢に対するこの感覚とか、
まあいろいろ良い意味でも悪い意味でも複雑な思いみたいなもので、
ちょっと薄めではあるというような気がします。
だから今あと12時間ぐらいで30代終わるなって思っても、
まあ別にまあそうかぐらいの感じで捉えてはいるんですよね。
まあとはいえなんかこう、不締めではありますよね。
なんか別に感情がどうとか、良いとか悪いとか、やる気がどうとかっていうことではなく、
普通にやっぱ不締めではあるなっていうのはもう客観的事実として捉えてはいて。
で、30代ってどういう年だったのかなっていうのを、
年っていうか期間だったのかなっていうのを振り返って見てるんですけど、
まあ2011年ですよね、30になったときって。
2011年ってもう例の東日本大震災ですよね。
で、住んでたのが中野か、中野に住んでたときなんで、
東京に一人暮らしをした後に弟と二人で住んでた時期ですかね。
引っ越して中野に住んでたんですよ。
で、その後に阿佐ヶ谷の一軒家に引っ越すんですけど、その前の時期。
06:03
この時期って多分もう仕事をずっとしてた時期だと思いますね。
仕事をしまくってた時期です、多分。
多分人生で一番忙しかった時期でしょうね、あれは。
おそらく、多分2010年から12年ぐらいが人生の中でもピークで忙しかった時期ではあるんですけども、
そこを振り返るとやっぱり何というかものすごい感情になるんですよね。
一番頑張ってた時期というか、頑張ってると言うといつでも頑張ってるんですけども、
身をこなにして頑張ってたっていうイメージが強いですね。
なんかこう責任を負うとか、分かんないけどがましらにやるっていうよりは、
本当に社会の中で自分の時間と才能を使って、
どれだけ社会の与えられた場の中でインパクトを残せるかみたいな。
そこにすごくこだわってて、一番ギラついてて、
一番体も壊した時期だと思いますね、その30になった頃というのは。
エネルギーもあったと思います。
エネルギーあったのに体壊してるからどれだけやってたかということだと思うんですけど、
今振り返って考えると。
そこからはどんどんどんどん階段を駆け上がるように時間が過ぎていきましたね。
だから一軒家になって引っ越して売り上げも上がっていって、
4つ家にスタジオを作ってみたいなのが2013年とは10年なのかな。
そのぐらいから有志という一番弟子を雇ってみたいな時期があって、
4つ家にスタジオを作ったのが2014年とかかな。
30代前半ぐらいでスタジオを作ったりとか。
2016年に株式会社ブックス設立。
これが35歳の時か。
35で6500万円の地方創生加速加工付金を国から使用経由していただきまして、
おもとにいい金パレットを作ったってことになるんですね。
2017年、これが35歳か。
5歳の時。
あと結婚もそれぐらいか。
結婚したのが2017年の1月なんで、これがなんすね。
性力と年齢の対応ができないんですけど。
結婚したのは何歳?
2017年の1月だから今、
09:02
35で結婚してますね。
36で虎之助が授かりまして、今に至ると。
そう考えたらなんすかね。
めちゃくちゃ長いですね人生。
例えばここ5年考えても、ものすごい長いですよね。
5年前って、え?
5年前ってまだパレットないんですよね。
信じられないですね。
パレットめちゃくちゃやってるイメージがあって。
パレットがない時期の感覚忘れかけちゃってますもんね。
まだ東京住んでましたし。
東京住んでたのが5年?
そういう感覚ですね。
だから45の時とかも想像つかなさすぎて。
やばいですよね。
5年前まさか田川拠点にすると思ってないですからね東京に住んで。
まだ僕だからパレット作った時って東京に拠点がありますから。
東京で働いてますから。
考えるとね、今40ですけど、
45になった時って人生がどれだけ変わってるのかっていうのが想像がつかないですし。
さらに50になった時ってどこで何してるかもわからないし。
社会がどうなってるかですね。
多分SNSが思いっきり出てきたのが東日本大震災の時なんですよ。
僕は覚えてるんですけど。
それでツイッターっていうのが世の中に思いっきり浸透して認められたというか認知度が上がったんですけど。
なんかツイッターが世に浸透してまだ10年かっていう感覚なんですよ。
そう考えると年齢関係ない話になりましたけど。
それを振り返るとまだまだ人生、普通に寿命まで生きるのは長いなと思って。
まだまだやりたいこといっぱいあるなって感じ。
やれるだろうなっていう感覚しかないですね。
頑張ります。
11:39

コメント

スクロール