1. 樋口聖典の世界
  2. 分かるとは、分けること
分かるとは、分けること
00:00
今、福岡市にある自宅の方から北九州市、小倉のクロスウェームに向かって車を走らせております。
時刻は朝の10時20分でございます。
今日は、今年最後のファンファン北九州の収録でございます。
頑張っていかなきゃいけないなと思っています。
しかし、きついですね。
昨日から今日にかけて、結構寝たんですよ。
妻が気を使ってくれて、あまりにも僕はきつそうだったので、
トラノスケをお風呂に入れようとしていたら、私が入れてやるから、ちょっと寝とっていいよって言われて、
ありがとうって言って、横になってたら、そのまま朝になっちゃってたっていう。
だから、8時くらいに寝たんですけど、それでも眠いですね。
眠くはないか、きついって感じですね。だるいって感じなんですけど、まあいいか。
前回から、分かるっていうことについてお話をしたと思うんですよ。
物事が分かっているかどうかって、結局のところ、本当に分かっているかどうかを分かる手段がないし、
それは突き詰めていくと、コミュニケーションも相手と自分が分かり合うっていうことがコミュニケーションだと思っているので、
結局のところ分からないってなると、コミュニケーションができているかどうかすら分からず、
僕らはこの世の全てのことが分かっているかどうかも分からないまま死んでいくということが、
とても寂しいなっていう話をしたと思うんですけど、
あれからね、結構ね、分かるっていうことは何かっていうのをずっと考えてるんですよ。
で、その時に、ああって、ちょっと改めて踏み落ちたことがあって、
分かるっていうのは、そのものとそのものじゃないものの境界線を明確にすることが分かるっていうことだっていうことを改めて思ったんですね。
改めて思ったっていうのは、知識とか言葉としてはこれ知ってたんですね。
つまり分かるって、分けるっていう漢字が一緒なんですけど、1分、2分の分ける、分かるなんですけど、
要はその物事を分断するっていうことが分けるっていうことなんですね。
分断するっていうことは、そこに境界線が生まれるっていうことで、それを認識できるようになるっていうことが分かるっていうことなんですけど、
03:02
これはちょっといろんな人が言ってて、それは知ってたんですけども、
なるほどなと思ったんですよ。踏み落ちてないの関係性って、それだなと思ったんですね。
先にモデルのほうからなんですか。
あるここに教師と生徒がいました。
教師は、先生は生徒に数学というか、整数を教えています。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、これが整数だよっていうふうに教えてるんですね。
生徒は分かったっていうわけですね。
100も、1000も、1万も、1万10も、1万30も、1万4,511も、全部整数だよ。だって数えられるからねっていう教え方をしたとしますね。
生徒は分かったっていうわけですね。
じゃあ先生はこのリンゴを持ってきて、この半分っていうのは整数か、つまり2分の1は整数かっていう聞き方をするわけですね。
そうだよってリンゴの半分が1個2個って数えられるから、2分の1っていうのは整数だよって生徒が言ったってするじゃないですか。
これ違いますよね。
で、要はこれ2分の1っていうのは整数じゃないわけです。
で、生徒は分かってないと。
これが違うってなったときに初めてこれが整数っていうことが分かる。
今までの1と2とか3とかっていうのが整数だっていうことが分かるわけですね。
小数点とか分数とかそういうものが整数じゃないってことが分かると。
で、じゃあマイナス1とかマイナス3とかマイナス4とかも違いますよね。
だって数えられないんですもんね。目に見えないからっていう言い方したときに、
あ、ごめんそれ整数なんだよって。
で、えーってなるわけです。
あ、これは整数かと。
え、でも数えられないじゃないですか。
あ、でもそれは整の数と負の数っていうまた別の概念なんだよみたいな。
りんごが負の数ってないけどじゃあ後ろに一歩二歩歩けるだろうっていうまた違うモデルを持ち出してきて説明をすることによって
あ、なるほどみたいな形になるわけですよね。
これでやっと整の数負の数っていう概念と整数や小数点っていう概念の一部分が分かったってことですね。
だからえーと1,2,3,4,5,6,7,8っていうのをパッと整とか認識したときには
06:05
まあその整数かどうかっていう指標と整負の数っていう指標、今2つの僕捉え方で説明したんですけども
あそこ、そういう捉え方をしたときに生徒はそこを分けて考えてないわけですよ。
えっと整の数でありかつ整数であるものが
あ、だからごめん違うか。
生徒は最初整の数のことを整数だって勘違いしてたわけですね。
でもそれは整負の概念をまず教える。
これでプラスマイナス要は整負の概念が分かりましたよね。
で、その後に区切る流度、流度ですよね。
数を区切る流度が小数点以下だったり分数にならないっていうことが整数かどうかなんだよって
新しい概念を教えることによってやっと整数というものを理解できるようになるっていう。
これってそうであるものとそうじゃないものっていうものが明確じゃないと分かんないですよね。
ちょっと説明が下手すぎたんでちょっとあれなんですけど
例えばじゃあ今僕運転してるんですけど目の前に車があるんですけども
いいかい、あれを車だって言ったときに赤い軽自動車だったとするじゃないですか。
もしかしたら飛行機を見たときも車だって言うかもしれないんですよ。
だってなんでっていうと車輪で動いてるのが車だと思ったからなんですよね。
車の定義って難しいですよねそう考えると。
だからでもあれは車じゃなくて飛行機なんだよって。
そうなの?わかんないけど。
じゃあこの目の前の赤い4つの車輪で動いてるやつが車なんだとしたら
じゃあ赤いベンツは車だねって言ったときに
それはね車だよと。
それは車だよと。
そっかそっかと。
そっかなんで赤いベンツは車なのに
じゃあ飛行機を赤く塗ったら車なの?とか言われたときに
またその定義を失わすわけですよね。
じゃあ大きさ、軽自動車より大きいものでも車なのに
飛行機は違うのはなんで?ってなるわけですよね。
こうやって境界線をずっと探っていくと
本当なくこれは車かな?車じゃないかな?とかになるわけですよね。
じゃあリアカーは車かどうかっていうと
これまた人によって定義分かりますよね。
リアカーは車か自動車じゃないけど車かっていう人もいるだろうし
09:04
車イコール自動車っていう定義をしてる人からすると
またこれリアカーはガソリンや経由などで動いてないから車じゃないかな?
って思うかもしれないし。
あ、じゃあ電気で動いてるのはどうかな?
あ、でも電気で動くのは車か。
あ、そっか。車ですよね。
じゃあミニ四駆は電気で動いてるから車ですか?
あ、そっか。でも人が乗れるかどうかが関わってるか。
じゃあミニ四駆は車じゃないか。
あ、え、あ、じゃあ人が乗れないかどうかは車に関わってくるんですね。
みたいな感じでいろんな評価軸で区切って行きまくって行きまくった末に
やっと車ってものが分かってくるってことですよね。
だから境界線もいろんな評価軸によって
ここからは違う、ここからはそうっていうのがあったりするわけですよね。
で、これが一個の評価軸じゃないっていうことがミソで
さっき車で言うと人が乗れるかどうかは一個の評価軸だったわけだし
エンジンが何で駆動してるかっていうのが一個の評価軸だったわけだし
大きさも評価軸だったわけですよね。
逆に言うと色とかっていうのは評価軸に含まれてなかったっていうことも
多分突き詰めていけば分かるわけですよね。
でも初めて出会う一個の物事っていうのって
その評価軸さえもままならないわけですね。
例えば、生まれて初めて難しい概念に触れたとき
ボーンって何でもいいんですけど
有意識論っていうのを僕初めてコテンラジオで知ったんですけど
有意識論にボーンって触れたときに
有意識論って何ぞやっていうことが分かるのって
有意識論じゃないものが分からないと何ぞやって分からないわけですよね。
もうちょっと言うと、有意識論で説明しているときに
人間は全て認識でできているっていう人がいて
人間が認識で
この世は人間の認識であるっていうことを理解するためには
この世は人間の認識でないっていうことを理解しないと分からないわけですよ。
想像の世界でもいいので。
認識でできているか認識でできていないかっていうものを評価するための軸って
どこに何個あって
その中でそこの境界線って何なのかっていうことを
理解しないと分かったっていうことにならないから
初めて出会う珍しい
今まで出会ったことないような概念であればあるほど
初めて評価軸を意識しないといけないっていうところがあって
そこがめちゃくちゃ難しいんですよね。
12:04
あー説明が難しい
だからこう分かる分からないっていう簡単なこの言葉ですけども
そこがなんで難しいかっていうと
分かると分からないを理解するための評価軸がめちゃくちゃあるからなんじゃないかなと思ってるんですね。
評価軸がいっぱいあって境界線を全部定義するっていうことが
概念的に広すぎて難しいっていうことが起こってるんじゃないかっていうのが僕の仮説です。
頑張って例えを駆使して説明しようと思った割には
うまくこの例えも機能してなかったなーって感じですかね。
僕の中でも分かったようで分かってなかったっていうことが
今説明頑張ってしようと思って分かりました。
13:05

コメント

スクロール