1. 樋口聖典の世界
  2. 考え方はモジュールだ論
考え方はモジュールだ論
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はい、おはようございます。今はですね、福岡市の自宅から、田川シリガネパレットに向かって車を走らせております。時刻は、もう嫌ですね。午前中の10時2分でございます。
いやー、もうほんとね、僕は朝が憎くて夜を愛してますよ。はい。
この世から朝がなくなったらいいのになぁと思いますよね。あの、僕の好きな、イエローモンキーの、えーとですね、何やったかな。
パールか、パールっていう曲の中に朝、えーと、違う、夜よ負けんなよーか、朝に負けんなよーっていう歌詞があるんですよ。
夜よ負けんなよ、朝に負けんなよ、っていうめちゃくちゃ好きな歌詞なんですけど、ほんとにその通りですね。
朝嫌いです。はい。
ということで、あのー、ちょっとですね、先日、新型オトナウイルスの収録をしまして、コバと話してたんですけども、その収録の中でちょっと面白かったんですよ。
僕の読書感想の回があってですね、二人がお互い読んだ本の読書感想を言い合うっていうコーナーをやってるんですけども、その中で僕が読んできた本の結論っていうのと、コバの会社の理念っていうのが食い違ってると。
で、あれこれ、その、樋口さんの読んだ本の答えも確かにもっともらしいし、そういう研究結果が出てるっていうのは分かりつつも、自分の会社の理念と全然真逆のこと言ってるから、え、これマジ俺どうしていいかわかんないっすねみたいな感じになってて。
ちょっと面白かったんですけど、これあのまだ配信してないんで、配信を楽しみにしてもらいたいんですけども、次の次の回かな。おそらくリリースされると思うんですけども。
いやーで、それであのー、まあなんかそれまた収録終わって冒頭考えてたんですけども、あーと思って、考え方がこれ違ったってことですね。で、僕が読んだ本の考え方とコバの考え方が違ったっていうことなんですけども、僕思うにですね、考え方って一貫してなくていいと思ってるんですね。常にずっと。
で、これどういうことかっていうと、考え方っていうのはモジュールだと思ってるんですよ。つまりあの、なんていうんですかね、ツールというかその時に都合がよく使える道具であり関数でありモジュールなんですけども。
なんか、なんていうんですかね、あのー、この場合この性格の人がこういう問題に直面したときはこの考え方を使ったら問題解決できるよっていうことなんですよ。だから逆に言うと違う人が違うパターンでその考え方使ってもダメな場合があると。
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で、むしろ逆の考え方使った方が問題解決できる可能性もあるんですよね。うん。なんか本当にトンカチみたいなもんで、うん。やっぱその考え方の使い方とかも全然違くて。
なんかこう、今これ板に釘打てなくて困ってる状況のときに、あのー、ペンチ出されてもちょっとなんかうまく使えないんですよ。そうこうはやっぱ金槌を出したらいいんですね。うん。で逆に釘抜きたいときがあるんですよ。
そのときに同じ考え方をするって、一貫性がある考え方をするってどういうことかというと、釘抜きたいのにトンカチで叩こうとするってことですよね。これ違うんですよね。うん。あの今釘抜きたいんだったらトンカチ狂ったり逆にして釘抜きの方を使って釘抜いたほうがいいんですよ。うん。
なんか、あのー、要はその状況によって本当にどっちが正確か変わるみたいなもんってことですね。で、なんかこれ、あのー、ちょっとピンとこないかもしれないんですけど、日本のことわざに例えると、ちょっともしかしたらピンとくるかもしれないんですけども。
よく、例えば、せいてはことをしそんじるって言うじゃないですか。要は急いだら失敗するよっていう話ですよね。うん。で、逆のことわざで石橋を叩いて渡るってことわざあるじゃないですか。これあの、慎重に行けよってことじゃないですか。
ん?せいては、あ、じゃあ急がば回れか。ごめん。急がば回れと、せいてはことをしそんじるが逆か。うん。そう、あのー、え?ですよね。そうそう。せいてはことをしそんじるは急いだら失敗する。え?じゃあ一緒か。あれ?あれ分からなくなった。
じゃあ、逆の意味のことわざあるんですよ。えーとですね、あれちょっと、めっちゃちゃんとこれ言いたい。えーと、善は急げだ。そう、善は急げと、せいてはことをしそんじるが逆だ。うん。そうなんすよ。とかあのー、あれですよ。
かほは寝て待てとかもそうなんですけども、要は急げっていう教訓と急ぐなって教訓が2つあって、両方とも差も正しいかのように普通に当たり前に使われてるじゃないですか。社会の中で。え?どっち?ってなるじゃないですか。でもどっちも正しいじゃないですか。うん。
これも真逆ですよね。好きなのに、えーと上手にならないパターンもあるし、ならないぞっていうこう研究結果もあるし、えーと好きだったら上手になるよっていう研究結果もあるわけじゃないですか。これ要はどっちでもいいわけですよね。で、なんかこう、どっちが今状況的にマッチしてるかとか、どっちがピッタリなのかっていうのもあるじゃないですか。
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で、なんか、あのー、なんかそのバランス感覚だと思うんですよね。で、あのー、なんて言うんですかね。その考え方1つじゃあ身に着けたとするじゃないですか。それを自分なりにどんどんアレンジしていってもいいっていうのもあるじゃないですか。
でもなんやったら、そのアレンジしたものとは別に自分が発明したモジュールとかもその道具箱の中に加えていってもいいしみたいな。うん。だから僕なんかよく思うのが、この考え方が正しいとか、この考え方が間違ってるとかじゃなくて、この考え方を作りたいと思っていかなくても、どうしてもその考え方が間違っているとか。
とかじゃなくてこの考え方がしっくりくるとか使いやすいとか使いにくいとかこれ なんか好きとかこれなんか嫌いとか
なんかねそういうふうにその 考え方っていうのを捉えたほうが
なんか正しいんじゃないかって思ってるんですよねなんか
で なんていうんですかねこう
結局まぁねいつもコテンラジオの話になるんですけど 何が正解で何が間違ってるかみたいなものでそもそも簡単に結果が出ない
パターン の方が多いというかいやーこれもまた違うんですよえっと正確に言うと
短期的には成果が出ても長期的には成果が出ないみたいなパターンがあるんですよこれ なんかね
1回話しましたよこのポッドキャストの中で その
自転車事故にあった場合それがその瞬間は悪いことだけどそれが1年後には良いこと になってそれが3年後にはまた悪いことになってみたいなその波を走っている
みたいな その話をしたと思うんですけども要は
あの 物事の結果って
どこの 時間軸でどの姿勢で見るかによって
いい悪いの判断がどんどん変わってくるんですよ だから正しい正しくないっていう軸だけで見るのは結構間違ってて
だから便利かどうかとか使いやすいかどうかだけでそもそも見た方がいいんですね とか限定的にするって感じもあるかもしれないですね例えば今
この問題解決するにはこの考え方が 正しいかどうかで考えるみたいな
限定的正しさもしくは時期を限定しないんだったら好き嫌いやしっくりくるみたいな その
どっちの指標だけで考えるかのどっちかだと思っててでも何か人間ってどうしても全て の時間軸の中で正しいのはどっちかみたいなことで考えちゃうんですか
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けど すべての時間軸すべての人からの視点によって正しいかどうかで考えちゃうとまぁどういうことかと
言うと例えば自分にとっては正しいけど社会にとっては正しくないみたいなことって ありますからね
なんかこれ例としてめちゃくちゃ適当ではないんですけども 自分の子供が犯罪者だった場合に死刑にするかどうかってめちゃくちゃ
難しいじゃないですかそもそも死刑がいいかどうかっていうところから議論がまずあるのに そのであとは社会から見た時にはその因子は危険因子だから
抹殺せよっていうパターンもあるんですけど親からすると子供は生かした方がいいじゃない ですか
とか考えるとマジでどのレベルでどこでから視点が見るかによって全然変わってくるんで なんかそこまで含めて考えると本当になんて言うんですかね
あの 考え方って正しいのないので
なんか囚われずに使い分けるっていうのが大事なんじゃないかなと思います で今僕は考えてるんでこの考え方が今んところ
この瞬間では樋口にとって正しいなと思ってます皆さんにとってはどうでしょうか ですはい
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