1. 樋口聖典の世界
  2. 人をコントロールしちゃいけな..
人をコントロールしちゃいけないってどういうこと?
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今、北九州市黒浦クロスFMから福岡市の自宅に向かって、車を走らせております。
時刻は夕方17時25分です。
ファンファン北九州という、毎月収録しています。
ファンファン北九州という番組は、僕がディレクターとしてアサインされていて、出演はしていません。
スペシャル回ということで、僕をゲストに呼んでいただきまして、4週ぶち抜き以下で、今までの配信分を全部振り返りながら、どの配信が良かったか、みたいな感じで、
ディレクターとして出演させてもらったんですね。
もし、今までファンファン北九州という番組を聞いたことがない人がいらっしゃると、
今は北九州に住んでいないし、縁も床にもないから興味ないよという方は、
もし、ファンファン北九州という番組を聞いたことがない人がいらっしゃると、
今は北九州に住んでいないし、縁も床にもないから興味ないよという方は、
もしよかったら、僕が出ている回だけでも聞いてほしいなと思いますね。
ちょっと遡れば、ファンファン北九州勝手にポッドキャストアワードみたいなタイトルで特別回みたいな感じであるので、
もしよかったらそれだけ聞いてください。
結構面白いと思ってるんで、僕は。
僕自身、北九州に全く縁も床にもなかったんですよ。
子供の頃ちょっと遊びに行ってたぐらいの感じなんですけども、
この番組を始めることで、めちゃくちゃ北九州に興味を今持っていて、
どんどん北九州の面白いところとか、面白い人みたいなものを知ることですごく興味を持てているので、
僕は同じような感覚を縁も床にもない方が味わうことができると思っているので、
もしよかったら、ベスト回だけでもいいんで、とりあえず皆さんもあれじゃないですか、
初めてのアーティストを聞いてみようという時ってベストアルバムから聞くでしょ。
なので、とりあえずベストアルバムのレビューを聞いてみて、
それで興味あったやつだけをポンポンポンって順番に再生してみて、
それでも合わないなと思ったら別に無理して聞くもんではないと思うんでいいんですけど、
僕は楽しんでもらえるかなと思って一応お勧めをしておきますっていう感じですね。
今日話したいことなんですけど、最初に言っておくと答えがバシッとあるわけではないです。
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これってどうなんかなっていうのをずっと思っているような期待なんですけども、
人をコントロールするって何?っていうことなんですよ。
正確に言うと、人をコントロールしちゃいけないんですよ。
最近特になんですけど、人と根本的に分かり合うのが難しいんじゃないかって思ってるんですね。
愛の楽曲公募の方でも、
愛の楽曲公募の方でも、
実家の片付けプロジェクトっていうのをやったんですよ。
そこでも話したんですけど、まずその母親と、両親かな?両親と、僕&タイトルマン。
タイトルマンが一番好きで、
タイトルマンが一番好きで、
タイトルマンが一番好きで、
両親かな?両親と、僕&タイトルマンっていう親ペアと息子ペアっていうものが、
ずっと対立構造にあるんですね。
対立構造って言うと、父親はちょっと微妙なんですけど、
基本的に分かりやすく言うと、母親vs息子2人みたいな、
ずっと対立構造があって、これってずっと分かり合えないっていう、
どっちの気持ちもどっちも分からないみたいな状況がずっと続いていて、
それを打破するというか、死ぬまでこの状態が嫌だからって言って、
片付けプロジェクトっていうのをやったわけですよね。
結果どう思ったかっていうと、分かり合うのは難しいんじゃないかっていう、
今僕の中の暫定的な結論になってるんですよ。
実はこれだけじゃなくて、他にもたまたま僕の身の回りにそういうことが2,3件あったりとか、
あと僕とちょっと遠い関係性の人もそういうことあったみたいなのを聞いたりすることがたまたまここ最近多くて、
人と人って分かり合えないかもしれないなとか思ったんですよね。
今回の対応のモチベーションで言うと、分かり合えない相手に対して分からせたいっていう気持ちをずっとやってるんですね。
分からせたいし、こうなってほしいっていう気持ちがとてもあるわけです、対応からすると。
実家の片付けに関してはこういう考え方で、こういうふうなスタンスで家の整理に向き合ってほしいみたいな、
今このものはここに置いてあるけど、絶対ここのほうがいいからこうしてほしいみたいな感じで、
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対応の圧倒的な正解とか正義みたいなものがあって、それを分かってほしいみたいなモチベーションがあったわけですよね。
それをずっと伝えようとしていた。伝わらないし、そう思うようにならないみたいなところで、
またずっと結立が進んでいくわけなんですけども、
なんかね、ここがものすごくいいのか悪いのかっていうのが、いい悪いじゃないな、なんていうか、いい悪いなんかな。
できるのかできないのかとか、これがいい結果を生むのか生まないのかみたいなところが、
僕はとても今考えてるんですよ。ずっとずっと考えていて。
なんかよく言う言葉がありますよね。やっぱり人はコントロールできないししない方がいいみたいなことってよく言われると思うんですよ。
相手は相手で一個の独立した人格なのであって、自分とは全く違うものだと。
相手の価値観というものはもう自分とは全く違うものを持っていて、すでに。
そこに対して思想の違いとか価値観の違いみたいなものを押し付けることって、ある意味人権の侵害にもなり得るみたいなことがあるから、
人はコントロールすべきではないみたいなことって誰でも聞いたことありますよね。
多分100人いたら100人その思想を聞いたことあるっていう感じになると思うんですけども。
今回の件って太陽がある種コントロールしようと仕掛けているとも言えるわけですね。
それがいいのか悪いのかというと、もちろんコントロールしてるとは思うんですけども、
悪いとも思えないっていうことなんですよね。
違いには言えないというか、何というかね。
コントロールって何っていう定義からちょっと曖昧だなと思ってるんですよ。
コントロールっていう定義を自分が相手にとってこれがいいと思ったことを自分の手を動かしてやるみたいなことがコントロールするという行為だとすると、
自分が毎日毎日息子の虎之助にお風呂に入ってご飯食べなさいっていうのはコントロールしてることになるのかっていう話になるんですよ。
で、ちゃんと寝ないと次の日つらいわけですよ。
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ちゃんと食べないと体力落ちていくわけですよ。
例えば義務教育を受けるようになった時に、普通に日本語を教えておかないと生きるのがちょっと困難になるじゃないですか、言語を習得しないと。
でも、義務教育の言語を習得するという勉強をしたくないって子供が言った時に、ある程度無理して最低限の知識とか教養を教えておかないとめちゃくちゃ後になって困るかどうかっていうのは本人は知らないわけですよね。
その瞬間は小学1年生2年生の瞬間を知らないわけで、じゃあそれをコントロールしてはいけないってなると、
学校に行きたくない、嫌だ、宿題しないっていう子供に学校に行かせないっていうことになるし、嫌だお菓子しか食べないっていう子供に対してお菓子しか食べさせないっていうことになるんですね。
これが完全にいいとは僕は思えてないっていうことなんですよね。
だから判断する情報みたいなものが十分に与えられてない状態の対象に対して、本当にコントロールしない方が絶対どんな状況でもいいのかというとそうじゃないなと思ってるんですよ。
ただ難しいのが、いわゆる世間一般で言われているコントロールすべきではないという状況ももちろんあるんですね。
それが、じゃあ進路の問題でもいいや。
じゃあ僕は公務員なんかに、親は公務員になって安定した生活をしてほしいって言ったとして、でも僕は公務員なんか嫌だと。
なんかこういう職業に就きたいんだってなったときに、親がダメだっつって、あんたは公務員になるべきだっつって説得しかけたりとか、この手を使ってコントロールしようとしてきたりとか制限をしてきたりすることっていうのはとても僕はやっぱりやるべきではないと思ってるんですね。
で、これに関しては十分な情報が与えられてないっていうことはもちろんそうなわけですよ、子供にとって。
今進路に迷ってる、じゃあ高校生でいいんですけども、高校生にとって十分な情報って与えられてないじゃないですか。
だって責任知らずなんですから、社会に出たこともなくて、そのお金の辛さとか安定の大事さみたいなものを知らない状態で判断させようとしてるんですけども、
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ここに関してはコントロールしすぎるべきではないというか、選択肢を与えてもいいけど、与えるだけに留まらせておいて、
強制すべきではないと思ってるんですね。
だからここの強制すべきな事柄と強制すべきではない事柄っていうものの違いって何なんだろうっていうのが、僕の中でしっかり定義付けられてないっていうのが結構僕の中で最近の問題なんですよ。
で、一個だけあるのは最終的に自分で判断できる状態であるかっていうのはかなりそこに近いと思ってるんですね。
要はコントロールはしてないけども、アドバイスをめちゃめちゃするみたいなことはできると思うんですよ。
最終的に自己責任で判断させるっていうのはできると思ってるんですね。
例えばさっきの高校生の公務員になるような問題で言うと、いいかと。
公務員になるとこういうメリットがあって、社会は今後こうなっていくときに公務員になっておくとこんな良いことがある。
ただこういうデメリットもある。お前は選ぶことができる。さあどっちを選ぶっていう判断基準の材料を渡すっていうところまではまだコントロールしてないわけで。
気づかせてやるみたいなのは、気づかない状態から気づかせるとかいうのはある種のコントロールなんですけども、そこに関してはいいような気がしてる。
最終的に決断は自分がやれるわけで嫌だやっぱり。そんなメリットデメリットを踏まえた上で嫌だっていうことができればこれはコントロールされてない状態ですから。
それはいいと思ってるんですよ。ただねこれはこれでめちゃくちゃバイアスがかかった解釈がゴリゴリに入った情報を与えるっていう時点でコントロールしたくなくてもコントロールしてる状態にはなるなーとか思うわけです。
とかなると今僕がいいと思ってるアドバイスっていうのも潜在的にはコントロールしてるっていうことにもなりうるし。
実際僕が与えてるご飯とかちゃんと夜は早めに寝なさいよっていうのって良かれと思ってやってるつもりですけども、これがいいって思ってるのも社会によって作られた価値観だったり、
本人にとってそれが本当に幸せかどうかって分かんなかったりするわけで、そう考えるといいと思ってるものが悪いになり得るし悪いと思ってるものがいいになり得るっていう今結構難しいなーって思ってる状態なんですよね。
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この辺って皆さんどう向き合ってるのかなーっていうのがとても僕は興味があるんですけど、僕は今のところ全く答えが出てないです。
だから母親だったり子供だったり、ある種自分より情報が足りてないと思ってる人、母親に情報が足りてないって僕は思ってるんですけど、ここも分かんないですけどね。
僕はもうちょっと人間と何かとか哲学とかいわゆるリベラルアーツ的なものを勉強するともうちょっと変わるとは思ってるんですけども、だからそういった意味では情報や知識や視点が足りてないって僕は認識してるんですけども、認識してるんですけども、
ただこれ自体が信仰主義というか優生劣性があると決めつけてるような思想かもしれないなーと自問自答してますね。だから母親をどう見てるのがいいかどう見るべきかですよね。子供と同じように母親を見るべきか。
難しいですよね。僕の中では色んなことについて答えが出てないです。色んな指標についてね。
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