1. 樋口聖典の世界
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構造主義とやら(まだ全然わからない)
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はい、今はですね、田川市飯金パレットから家の福岡市に向かって車を走らせております。時刻は深夜の24時46分でございます。ラジオ深夜便でございますね。
いやー、もう今日はずっと話してましたね。
明日から5日間飯金パレットではイベントがあるんですけども、みんなはその準備をしている中、僕はずっと来客があってお話をしたりとか、あとはズームで打ち合わせをしたりとか、いろんなことをやりましたね。
っていう1日でした。
いやー、なんかこう、うん、疲れましたね。楽しかったんですけども。
なんか最近ずーっと話してる感じがしますね、人と。
人と話すこと自体はめちゃくちゃ好きなんでいいんですけども、ちょっと前まではね、編集をやったりとか作業をやったりする時間ばっかりだったんですけども、今は意識的にその時間をですね、ちょっと人にお願いするようにしてて、編集をやってくれるパートナーが見つかったのでですね、そのパートナーにポッドキャスの編集とかをガンガンやってもらってるって感じでございますね。
その分、ちゃんと人と話す時間ができたので、まあいいことではあるんですけども、本当はね、ソロ時間ももうちょっと空けて、本読んだりする時間とか、あと一人で冒頭、物思いに吹ける時間とかもね、あればもっといいかなと思いつつも、まあまあまあ、いいかなと思いながら1日過ごしました。
今日2本目のポッドキャストになるんですけども、前回というか今日の朝ですね、話した本の、本が読めないということで読書会をしようということになったんですけども、せっかくなんでその読んだ本を、本の紹介もちょっとね、1日中人と話しすぎてね、もうね、なんか喉もちょっと、
若干枯れ気味だしね、もう眠いであくびも出てきてますしね、言葉も出ないんですけど、あの室越さんとやった読書会で読んだ本の話をちょっとしたいんですけども、この読んだ本っていうその課題図書っていうのは何かっていうとですね、あ、やばい、忘れた。
あれ、本のタイトル忘れた。えっとね、何やったかな、初めての構造主義やったかな。要はその構造主義っていうものについて書かれた本なんですよ。で、その構造主義は何なのかっていうと、一個の思想なんですね。
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で、じゃあ一体どういうものかっていうと、すみません、まだちょっと読んでる途中なのでちょっとわからないんですけども、サルトルっていう、その前から言ったマルクス主義っていうやつがあったらしいんですよ。ちょっと僕本当にわからないんですけども、なんか昔のマルクスさんっていう人が言ったマルクス主義っていうのがあって、それが一応社会の基盤になってる考え方だったんですけども、
それがやっぱ違うんじゃないかっていう人が出てきてですね、で、サルトルっていう人とレビストロスっていう人がそれに異議を唱えたと。サルトルっていう人が唱えたのが実存主義で、レビストロスが唱えたのが何を書くかというと構造主義っていうことなんですよね。
で、ここでサルトルとレビストロスがバチバチ言い合ったりしてみたいな話なんですけども、じゃあマルクス主義っていうのはどういうものだったのかというと、歴史の中に人間がいると。歴史っていうものは人間がどう動くにもかかわらず、ある方向性の中で自然と進んでいくものだと。
で、例えば資本主義があったらその後にポスト資本主義が生まれて、また共産主義が生まれてその後に社会主義になるみたいな流れっていうのはもう流れの中で決まっていると。そういうのがマルクス主義が言ったことなんですけども、それを否定したサルトルの実存主義ってのがあるんですね。
それっていうのが、マルクス主義っていうのはある種人間っていうものに主軸を置いてないと。キリスト教っていうのは一人間個人に主軸を置いた考え方っていうのがあって、マルクス主義っていうのは非人道的だみたいな意見がキリスト教の中から出てきて。
じゃあサルトルは歴史の中に人がいるっていうことで、人はいるけどその人は歴史の中にポーンと投げ込まれて、そこで鞘が投げられたみたいな言い方をするんですけども、その中で人間がどう動くかみたいなことを言及した。
これだけだとちょっと分からないですよね。大丈夫です。僕も全然分かってないんで。そう書かれてたんだよね。
ことを言ったことに対してレビストロスが言った構造主義っていうのは、そもそも歴史という文脈から切り離して考えることが大事だみたいな。
一旦それは横に置いといて、文脈じゃなく今そのものっていうものを考えようって。これを言った人なんですけども、そういうことを言ったので、歴史っていうのは人間が作ってきたものじゃないですか。
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そこから切り離して客観視をしようみたいなところで、これは人間を無視した非人道的な考え方じゃないのかみたいなことで一旦批判されるんですけども、いやいや違いますよと。
これは私が言っている歴史というものは、西洋の中でヨーロッパの中で生まれた歴史っていうことを指して言ってるのであって、むしろそこを横に置いてみるっていうことは、ヨーロッパの歴史の文脈に囚われないで見るっていうことなんで、より逆に人間的なんだと。
例えば未開の地は未開の地の文脈があって、そこで今何が起こっているかっていうことを見るっていうことは、今まではヨーロッパの文脈の中でその歴史を見てたんですよ、未開の地の歴史をですね。
ごめんなちょっと誤帳になりましたね。今まではヨーロッパの文脈を起点として未開の地の歴史っていうものを見てたんですけども、いやいやもうちょっとヨーロッパの文脈一旦置いとこうみたいな。
ことで、未開の地そのものを今その瞬間で見ていくっていうのがこの構造主義で言ってたことの一つなんですけども。
もちろんその構造主義っていうのはマルクス主義からポストマルクス主義っていうことで生まれたんです。ヨーロッパで生まれた考え方ではあるんですけども。
でも、ヨーロッパの中から生まれた考え方がヨーロッパを否定するというか、その本の中ではヨーロッパの腹から生まれた構造主義がヨーロッパの思想を食いちぎるみたいな考え方をしてたんですけども。
そういう思想だということですね。じゃあこの具体的に何を言ってたかっていうので言うと、本当に僕はまだサワリしか読んでないんですけども、ある人が書かれてた言語学、レビストロースっていう構造主義を唱えた人の主な一人はですね、
人類学を研究してたんですね。人類学って比較法で物事を見ていく、それとそれ以外のものを客観的に比較するっていう方法で見ていくっていうことなんですね。そもそも人類学っていうのが。
構造主義っていうのも結構そういった見方をするということで、人類学とか言語学みたいなところから構造主義っていうのができてたっていうことらしいんですよ。
僕もね、ちゃんと解釈ができてないので説明が下手すぎるんですけども、僕も今言いながらだいぶ整理されていってますね。なんですよ。
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じゃあまずは言語学から見ていきましょうよということで、言語を見ていくっていうところで一応終わったんですけど、面白いことですよ。
例えば犬っていう言葉は、犬っていう音と犬っていうもの、意味が組み合わさってできてると。
これっていうのは、何か物理的な現象を指して犬っていうことを言ってるわけではなくて、人間が犬を見たときに、ここからここまでは犬、ここからここ、それ以上は犬じゃないっていうことを定義して初めて犬っていうものがこのように存在するとか人間に区別して認識されるみたいなことを言ってて。
それは音と意味の組み合わせによって初めてできるものだって、これがその連結がどこかに行った地点で、それは消えてなくなる存在だみたいなことを言ってるんですけど。
これあれでやろうかな、新型アウトナウイルスの読書感想会でやってみてもいいかもしれないですね。多分今よりももっとうまく説明できるような気がします。
つたない説明ですけど、ちょっと頑張って説明してみました。構造主義めちゃくちゃ面白いんで、もうちょっと頑張って勉強してみようかなと思います。
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