救う
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おはようございます。今はですね、田川市から福岡市に向かっている車の中でございます。
時刻は朝の10時12分かでございますと。
いやー、寝坊しましたね。
ちょっとこれ、今、実は11時にですね、銀行さんの方に行かないといけない用事があったんですけども、
福岡市内のですね、銀行に行かないといけない用事があったんですけども、
いやー、これ間に合うかどうかということで、まあ、はい。
かっ飛ばして向かっているところなんですけども、いや、ほんと寝坊って嫌っすね。
寝坊ってもう、どうやったら寝坊しないのかですよね。だから僕、起きるの嫌いなんですよね。
もうなんか、寝ないで頑張るっていうのは根性でできるじゃないですか。もう根性だと思うんですけど、
寝坊するときって、根性を出す環境にいさせてくれない状態で失敗させられるじゃないですか。
いくら起きたいと思っててももう起きれないからですね。
なんか危ないですよね。
まあまあ、僕はいいかねパレットの中の独房って僕が呼んでる施設の中でね、泊まりしてるんですけども、
あのね、今日は運良くその弟子のマサが今日何時に出ないといけないってことを知ってたんですけども、
その時間になってもどうやら僕がいるっぽいということで、
あのドアをダンダンダンダンダン叩いて師匠!師匠!って起こしてくれたんで、
なんとかギリギリ間に合うかどうかっていうところで行ってる感じでございますね。
でまあ、しかもこれ何をしに行ってるかっていうと、
僕は会社の代表なんで、会社の代表やったことある人とか自営業やったことある人はわかると思うんですけども、
結構ほとんどの場合って銀行さんにお金を借りてですね、やるんですけども、借りてるお金が返せないということで、
返せないんで返済をちょっと待ってくださいっていうのをお願いするっていうのは半年に1回ずつやらないといけないんですけども、
それはまた毎回やってる半年に1回の大切な儀式ということで、
すいません、来月からも返せないんでもうちょっと待ってください。
本当は毎月何十万ずつ返さないといけないんですけども、そのお金すいません、ないので、
丸々万円ずついいですかっていうリスケっていうやつをしに行くっていう、
これ儀式としてやってるんですけども、競争の日でございます。返したいなちゃんとね、ちゃんと毎月約束どおり、
こうやって高速に普段乗らないんですけども、高速に乗らないといけないぐらいセパ詰まってるということで、
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そんなことはいいんですけど、なんかですね、僕いかにゃパレットをずっとやってるとですね、いろんな人と話す機会をもらえるんですよ。
僕ね、前も言ったと思いますけど、人の相談に乗るっていうのが好きなんで、
僕もありがたいことにというか、自分で選んでというか、いろんな経験をしてきているので、
僕の経験の中から言えることっていうのがいろいろあるので、こういうことで悩んでるんでこうしたいんですみたいな相談をよく受けることがあるんですけども、
なんか最近ちょっと思うことがあってですね、結構今までってスタンスとして相談を受けるときも、
僕は人間の力で人間を変えることなんておこがましいと思ってたんですよ。
なんか僕が相手に対してこうした方がいいと思って、そしてそれをこうこうしろよみたいな、絶対こうした方がいいみたいなことを言って、
その通りに人を動かすみたいなことってやっぱりおこがましいと思ってたんですね。
し、なんか僕にしてやれることとかあんまりなくて、できることはもう本当にアドバイスだけで、
あとは自分がどう動くかはもう自己責任みたいな感じで、僕は結構思ってた節があったんですよね。
それが謙虚だと、それぐらいの謙虚さを持ち合わせていないといけない、おこがましい自分みたいなものがっていうのを結構思ってたんですけども、
やっぱりあまりに多くの相談を受けるんですね。
で、受けるたびにどうも今の状況を、相手の今の状況を見てるととても幸せそうに見えないことが多いんですよ、やっぱり。
で、なんかこれ2つあると思ってて、今ネガティブな状態になってるっていうのの、2つ状態があると思ってて、
1個は困ってるけど不幸じゃないっていう状態ってあると思うんですよ。
なんかこう、課題が見えててそれに対して立ち向かってて、答えは出てないんやけどその状態は不幸じゃないっていう状態と、
その状態を不幸だと感じてる状態ってこれ大きく違うと思ってて。
これ本当にね、いつもゲームに例えて申し訳ないんですけども、
ゲームでダンジョンに立ち向かってボスが倒せないってなったときに困ってるじゃないですか、倒せないから。
でも、それゲームやってる人ってやりたいからやってるわけじゃないですか。
別にマジで辛いんだったらやめたらいいじゃないですか、そのゲームもうわざわざしなくていいんで。
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でも困ってて解決したい問題、課題が目の前にあるけど、
それを解決すること自体が楽しかったりとか、それで学びを得たりとか、後々に繋がるからやるわけじゃないですか。
だから困ってるっていうことと、それを根本的に自分が望んで選択的に選んでるっていう状態って別で考えないといけないんですね。
それでいうと、自分自身を客観的に見てると、ずっと困ってるんですけど、ずっと絶望はしてないような感覚はありますね。
僕の場合はちょっと特殊か、絶望してるっていうことも勝てと思ってやってるので、絶望しに行ってる節があるので。
まあいいや、ごめんなさい、僕は1個レイヤーが違うんで、おそらく僕は参考にならないので一旦置いといて。
本当に不幸に見えるときがあるんですよ、相手を見てると。
で、そういうときにもう救おうと思ったんですね。なんか救わないといけないなって思ったんですよ。
だからおこがましいとか言ってられないなっていう。
で、これどういう状態かっていうと、例えば目の前で怪我を思いっきり大怪我をしたりとか、思いっきり病気でぶっ倒れかけそうになってる人を見たときに、
医者や看護師はそれを見て、自分みたいなものはまだまだ人を救うなんてもうできないですよとか、悠長なこと言ってられないじゃないですか。
いやいや、とりあえずちょっと血を止めようとか、とりあえずちょっと寝て薬を飲んでくださいって言うじゃないですか。
自分がどれだけできるかとか、自分にとってこれが正解かとかは分かんないかもしれないけど、
とりあえず目の前の人にできることを全力でやるじゃないですか。
なんかね、最近そう思うようになってきましたね。
そして、明らかに一般人よりは医者や看護師のほうが救えるじゃないですか。
知識があるし、技術があるし、救いたいという熱意もあるじゃないですか。
自分はもうそこの立場にいるんだっていうことを明確に理解しとかないと、これ正確じゃないなって思ったんですね、ファクト認識として。
あの、残念ながらというか、もう明確に、多分目の前で困っている人より僕の方が敬虚だと思うんですよね。
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そこに対する答えの精度も高いっていうことをちゃんと理解してないと。
これって逆に、うーんと、何て言うんですかね、謙虚さの中で、
自分がどうしたらいいかって言うと、やっぱり自分が気に入らない方がいいかもしれない。
自分が自分のことを知っている方がいいかもしれない。
やっぱり自分が自分が自分のことを知っている方がいいかもしれない。
やり続けた方がいいなっていうのは なんか思いましたね
なんかだから
僕はやりますよっていう感じです これはもう決意です
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