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心とか、死後の世界くらいわからない
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今、福岡市の自宅の方から、鷹橋・いかにゃパレットに向かって車を走らせております。
時刻はお昼過ぎですね。12時34分でございます。
今日は車内研修があるんですね。それで今向かっているんですけど、
僕は未熟な会社なので、リソース不足というかお金もないし、時間もみんなぱつんぱつんの中で頑張ってやっているので、なかなか研修みたいなものでできなくて。
会社によっては、ちゃんと新入社員が入ってきたら、研修ができるようになっています。
1年くらい、いろんなプログラムの中で勉強してみたいなことがあったりとか、あとは研修旅行みたいなのを行ったりする会社もあるし、合宿したりする会社とかもあるじゃないですか。
知見を深めたりとか、スキルを尽きるためのプログラムをやったりとか。
やっぱりどこかで体系的にスキルとかをつけないといけないなみたいなことで、車内研修をとりあえずやってみようということで、
今日やらせていただきました。
ビジネススキルみたいなものってあるかないかも正直わかっていないんですけど、
やっぱりどこかで体系的にね、そういうスキルとかをつけないといけないなみたいなことで
社内研修をとりあえずやってみようということで、今日やるんですけどもね。
僕自身、ビジネススキルみたいなものってあるかないかも正直自分では分かってないんですけど
一応なんか自分で会社を立ち上げて今のところつぶえずにやってこれたっていうことは
学んだものもあって、例えばタスク管理とかマナーとかいろいろあるんですけど
こういうのってたぶん野良でやってる中でその場その場で自分で考えたりとか
人からその場その場で単発的に教えてもらったりしながら
なんかギリギリ身につけてきたもので、僕自身体系的に学んだことないですね。
実際友達でいうとリクルートとかで働いてる人とかの研修の話とか聞いてたら
めちゃくちゃちゃんと学んでるんですよね。羨ましいなって思ったところもあって
僕も受けたいなということで、今日はみんなで一緒にスタッフと一緒に受けるということで
めちゃくちゃ楽しみなんですけど。
最近心について考えることがとても多くてですね。
人間関係でいろいろ会ってるからなんですね。
マサの件だったり家族の件だったりとか、子供とか家族とか
家族っていうかうちの両親との件もあるし
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家庭も一応人間関係でやってるじゃないですか。
全然全て違う種類の大変さがあるわけなんですけども
やっぱり一番そこで焦点になっているのは心というものの問題ですよね。
感情というものというか心というものがあるから
いろんなトラブルの元になっているっていうのが出るんですけど
まず喜怒哀楽みたいな方向性があるわけじゃないですか。
なんとなく怒っている、なんとなく喜んでいる、なんとなく悲しんでいるみたいな
これプラスそれの根拠みたいなものがあるんですよね。
こういう理由だから怒っているみたいな。
確かこれも前回も言ったんですよね。
なんで怒っているか自分ですら理解できていないみたいな
トラノスケがお風呂を通さんと入るみたいなところで
入らないのが嫌だって怒ってたって思ったんだけど
それは自分が怒っているっていう感じを説明できていないだけ
みたいなところだったんですけど
心ってマジなんなんやろって思う時があって
なんでこんなものいるんやろとかいうところまで最近行っちゃってて
同じことを同じ体験をしても違うわけですよね、捉え方が。
全く同じ体験をしているのに捉え方が違うみたいなところがあって
しかも同じように認識をしていてもそれによって受ける印象が全く違うみたいなね
これがめちゃくちゃ面白いなと思っているんですよね
具体例を出さないと何の話をしているか全然わからないですけど
具体例が出せないっていうあれですね
よくあるロバの背中にロバを連れている老夫婦みたいな絵があって
詳しい内容は忘れましたけど
ロバに乗っている老夫婦を見た人はそれを揶揄するわけですよね
ロバ虐待しやがってみたいな
ロバにおじいさんを乗せておばあさんが歩いているのを見たら
一人だけ乗りやがっておばあさんにロバを引かせてひどいやつだみたいな
二人で降りてロバを引いていたらロバの背中に乗らずにね
ロバの使い方も知らない乗り方も知らないバカだみたいな感じで言われて
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それぞれ思うことが違うから同じ現象を見ていても
どこに何を感じるかは違うっていう例なんですよね
本当にゴミを拾うという行為一つだってそうですよね
ゴミを拾っている人を見るといいことをしているなっていう人もいるし
偽善者のくせにみたいな
その人の性質優側ですよね優側の性質がどういうものかとか
あと今どういう状況に現在置かれているのかとか
過去にどういう成功体験もしくは失敗体験したのかみたいなところで
その瞬間の感情が決まっているわけで
感情解釈両方か感情や解釈が決まっているわけですよね
これを僕らは当たり前のようにみんな同じように思っているに違いないって思うわけですよ
だからよく起こる時に普通そんなことせんやろみたいな感じで起こるわけですけど
普通っていうのが本当に人によって違いすぎるっていうことを
僕ら相当強く意識しておかないとついつい忘れちゃいがちっていうことは知ってるでしょ
皆さん女の知識としては知識として知ってるでしょ
みんな価値観とか違うんだから全然違うのに
ついつい普通に生活してたらそれを忘れちゃうよねっていうところまで知ってるのに
ついついそれを忘れちゃいますよね
っていうのをすごく思うわけです
これが面白いことに人がその状態に陥ってる時ってすげーわかるんですよ
なんかこの人みんな自分と同じ考えだなと思っているけど
かなり自分の考えの中で閉じ込められているなみたいなことって
本当に中の人は見えてないっていう
この視点持ち続けるのめちゃくちゃ難しいなっていうのがあってですね
よくあるバイオウェキの中に脳が浮かんでいて
脳はバイオウェキの中で何かを認識してるんだけど
それを生きていると思っていると本当は
この世界を脳内で作り出していて
でも実はその世界の外から見たらただバイオウェキの中に脳が浮かんでるだけ
みたいなことに僕らはなっているかもしれないみたいな話があるんですけど
結構それと近い状態のことが
感情や価値観の中に閉じ込められている人で起こっているような気がしていて
自分の価値観で自分の価値観しかないから
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その外にいるものあるものっていうのって
理論上は本当は認識できないはずなんですよね
でもなんか自分の価値観じゃないところで動いている人がいるから
あるかもしれないっていう想像だけで言っているだけで
本当はそんな価値観とかを明確に認識しているわけないんですよ
だからちょっと言ってること分かるかな
僕の知らない世界があるらしいっていうことまでしか分からなくて
その価値観って分からないから
永遠に分からないんですよまず
分からないなりに想像するしかないと思っている
だから死後の世界が多分天国というものがあるだろうぐらいの感じなんですよね
人って僕と違う考えでこういう考えの人がいるらしいっていうのって
マジでこれ伝わりにくいかどうか
伝わりにくいかもしれないですけど
死んだら天国っていう世界があってそこで生まれ変わるらしいとか
この世界は神様によって7日間で作られたらしいみたいなことと全く同じなんですね
でもそれを僕らは見える人間同士でやっているから
そんな見えてないって気づいてないだけで
本当はそのレベルの予測しかできてなくて
っていうことだと僕は最近めちゃくちゃ思うようになってきてるんですよ
ただ同じように人間の言葉を喋るし日本語を喋るし
使っている言葉遣いもめちゃくちゃ似ているんで
日本語という僕が使っている道具を使ってコミュニケーションをとっているし
だからついつい同じと思っちゃいますよね
でも本当に何回も言いますけど死後の世界とか霊の世界とかと同じで
見えないものをあると仮定して僕らは生きていて
人の心って生きて死ぬまで本当に一生見れないので
もうなんか見れないんですよ
忘れちゃいますねそのことを
見えないんですよね
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