1. 樋口聖典の世界
  2. Consensus Building Vol1
2022-03-21 19:30

Consensus Building Vol1

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Consensus Building Vol1
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今、タワーシーカネパレットから福岡市の自宅に向かって車を走らせております。
時刻は、深夜25時19分です。
夜中のドライブですね。
なぜこんなに夜中に移動しているかというと、さっきまで打ち上げをしていたからなんですね。
今日は何があったかというと、Eカネパレットの方でライブイベント、音楽ライブイベントが行われておりました。
コンセンサスビルディングvol.1という名前でですね。
ライブがあったんですよ。シェアライブラリーというEカネパレットの一番でっかい屋内の部屋があるんですけども、
そこにPAセットを組みまして、簡易的な照明を組みまして、
そこにバーカウンターを作り、お酒とフードを販売し、物販の机を用意し、床にある机や椅子を全部取っ払ってライブ会場にしてライブを行うというイベントでございました。
出演したのがですね、ラッパーのりょふかるまさん、ザ・プラクティスさん、ヌイもバンドですね。
あとDJがそうひておみくん、そして大石ゆうすけくんということでですね。
もうなんというか、一個の形容詞で表せない感情になりました。
ちょっと心が揺れ動いた日でしたね。
心が揺れ動いた日でした。
あのー、どこから話したらいいんかなー。
どこから話したらいいんやろ。
主催がですね、Eカネパレットのスタッフである松本圭ちゃんっていう人なんですね。
僕の年齢は一個下になるんですけど、圭ちゃんなんです。
パレットで行われたイベントなんですけども、圭ちゃんの自主企画イベントになります。
この圭ちゃんっていうのがですね、去年の9月からうちのスタッフとして参加したスタッフなんですけども、
元々僕バンドをやってた時代に、2006年とか7年とかじゃないですかね。
それぐらいの時に何回か対話したことあるスペクトラムシンシャサイズっていうバンドがあるんですけども、そこのベーシストだったんですね。
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ただ圭ちゃんとは当時はそんなに話したことがなくて、多分会っても挨拶する程度ぐらいなんですよ。
時は流れてみたいな。去年スタッフ募集をしたところ応募してきてくれたということで、そこで改めてお話をさせてもらいまして。
実は昔対話したことあるんですよみたいな。
僕はそんな感じなんですけど、スタッフの青柳がですね、圭ちゃんが働いてたビデオ屋でバイトをしてたっていうところもあって、
それからずっと青柳は圭ちゃんと関係性があったんですね。
なんやかんやと告知をした時に情報が行き渡りまして、圭ちゃんはうちに応募してきてくれたみたいな感じなんですよ。
だからいわゆる昔のバンド仲間でもあるんですね、圭ちゃんは。
そんな圭ちゃんがパレットに入っていろいろやっていく中で、圭ちゃん自身はずっとベースを続けていて、ベーシスターなんですけど。
ベースをずっと続けていて、パレットに勤務するってなった時にやっぱり音楽、
自分のライフワークである音楽を盛り上げていきたいということで入ってきてくれたと。
実際圭ちゃんが入ってきてくれて、すごく音楽的に良くなってったんですよ、パレットが。
例えばエントランスにある楽器とかがあるんですけど、それもメンテナンスされてなくてぐちゃぐちゃだったりするし、
あまりにも使われ方が雑なので、楽器をちゃんと拭いたり整備したりとか、スタンドをしっかり立てたりとか、ケーブルを巻いたりして綺麗に使ってもらうようにしましょうよとか。
あとはそのうちスタジオにマイクがあるんですけど、そのマイクもちゃんと毎回毎回消毒をして綺麗にしましょうよとか、
そういった形で音楽施設であるパレットにしっかりと音楽の風というものを吹き込んでくれたっていう人なんですね。
そんな圭ちゃんが去年の暮れぐらいかな、もう音楽イベントやりたいですと。
僕が主催で音楽イベントやりたいですって言ってくれて。
で、実はもうりょふかるまさんを呼ぼうと思ってますって言って、
OK、出たんで音楽イベントやりますって言って、自主企画イベントを行ってくれたと。
で、別にこれねパレットで企画してやったらよかったんですけども、やっぱり多分そこは恐らくなんですけども、
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圭ちゃんが一人でやった方が失敗した時にも自分で被れるし。
何よりやっぱあれらなしですよ。イベントを自分で企画したっていうことは今までなかったらしく。
もちろんバンドやってるんで、いろんな人が企画したライブにはバンバン出てたんですけど、
自分でやったことはないっていう状態の中で、田川でやるっていうのもあってお客さん呼べるかどうかわからないみたいな。
呼んで企画してライブやったところでお客さん呼べなかったらどうしようかなみたいなところもあったと思うんですよね、多分彼の中で。
なんで一旦責任を切り離した状態で一人でやりますっていうことで一人で自主企画ライブをやってくれたっていう。
田川にお客さん呼ぶっていうのは相当きついですから普通に考えたら。
そんなんもあったんだと思いますし、やっぱり誰を呼ぶかとかギャラをいくら払うかとかそういうのもまあいろいろ考えるところあったんだと思うんですね。
それで一人でやりますって言ってくれて行われたっていう感じで、結果から言うとお客さん130人くらい来てておそらくもう赤字覚悟でやってたんですけども、
ありがたいことにその面ではまずお金の面では目標クリアっていうことなんです。
すごいこれちょっとめちゃくちゃすごいことなんですけど伝わりますかね。
田川にりょふかるまさんを呼んで130人お客さんを動員したんですよ。
まあもちろんりょふさんだけの力ではないですよ。参加していただいた皆さんの全員の力ではあるんですけど、
130人あの場所にいたっていうのがすごいですよね。もちろんチケット有料なんですよ。
チケット有料で1500円かな。
チケット有料でやりまして。
でね実際この風景を見るとチケット2000円だ今見てましたけどチケット2000円ですね。
それで130人来まして。
それでですねあの風景は本当にねまあもちろん僕映像撮りましたよ。
撮ってインスタにちょいちょいあげたりとかしたんですけどツイッターにもあげたかな。
でもねあの風景はちょっとね伝えられないですね。体験した人ではないと。
そうなんですよね。なんか田川のあの廃坑、元廃坑だった施設に人が集まって音楽、一つの音楽で体を揺らしているあの光景ですよね。
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いやーちょっと感慨深いものがまずありました。
まずねトップバッターがぬいっていうバンドだったんですけどこれがけいちゃんのバンドなんですね。
自分のバンドも出るって言ってそれがまずトップバッターとして出たんですけどもうちょっとその時点でやばかったですね。
ぬいっていうのがジャンルなんつうんかな。
あれのジャンルをどう表現していいかわかんないんですけど。
あとオシャレってめちゃくちゃかっこいいインスタなんすよね。
もうやっぱ思ったのがカルチャー根付いてるやんって思ったんですよね。
ちょっともう伝えられんな。
DJやってくれたのも大石くんっていうのとあと総秀尾くん、僕これ上さんって呼んでるんですけど、
その二人も地元の仲間なんですね。
で、その二人の仲間の中でね、
っていうのと、あと総秀尾くん、僕これ上さんって呼んでるんですけど、
その二人も地元の仲間なんですね。
あーダメやなこれ伝えられんな。
前提条件の説明が必要すぎてちょっと、
これ伝えるの諦めます。
なんですけど、とにかくそのこの二人なんですよね。
大石くんも上さんも田川の音楽シーンの中でめちゃくちゃキーパーソンな二人なんですよ。
その二人がまずDJとして力を貸してくれたっていうのと、
それぞれの持ち分を果たしてくれたっていうのがまずあったんですね。
まあいいや、ここが本当は一番肝なんですけども、
これはちょっと僕の胸にしまっときます。
まあいいや。
で、そこからプラクティスってバンドが来てくれて、
ここも実はいろいろあったんですよ。
なんですけど、何回か一回は出演が難しいかもしれないみたいな感じになったんですけども、
そこをいろんな調整調整をして何とか出てもらえることになったっていうことがあったりとか、
で、りょふさんですよね。
で、りょふさん目当てに地元の子供たちとかが見に来たりしてて、
うわ、りょふカルマや!みたいな感じで見てたりしたっていうのがまずあったんですけど、
またその日にですね、僕の同級生がスケボーのチームみたいなものをやってるんですけども、
そこのスケボーチームのバーベキューを今日やってくれたんですよ。
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30人くらい、40人くらい来たのかな。
で、あえて今日やるわって言って、ありがとうって言ったら、
いやだってその何人かがライブ見たいって言って見てくれたらよかろうって言われて、
てっちゃんっていう友達なんですけど。
いやー、この気持ちもありがたいじゃないですか。
僕がですね、
田川を音楽で盛り上げようと思って始めてるわけですね。
で、その前は僕広告音楽の業界にいたんですよ。
広告音楽の業界にいました。
で、その前にバンドをやってたんですね、僕は。
逆にちょっと言いましたけど、
元々中学ぐらいでボーイを聴いてそれで衝撃を受けてバンドにハマって、
高校ぐらいの時でメロコア、ハードコアみたいな波を受けて、
そこからオリジナルを作り始めて大学、福岡市で活動を始めたぐらいから
ライブハウスに出入りするようになって、
いろんなヤバい人と出会うわけですよね。
バンドやってる人って本当に尖った人が多くて、
特におそらく福岡のシーンっていうのは、
そういうなんていうんですかね、野生臭がするというか、
売れるとか売れないとか、モテるとかモテないとかどうでもよくて、
自己表現というか生き方をそのままぶつけるみたいな活動の仕方をしてるバンドがめちゃくちゃ多くて、
僕らその中で活動してたわけですよね。
やっぱりライブハウスの匂いっていうものがあるんですよ。
これうまく言えないんですけど、
タバコと酒と何かしらが混ざった匂いというか、
みんな生きてるぞっていう匂いなんですよね。
自分とは何かっていうものを探しながら表現しながら生きてるぞっていう
独特の匂いがあったわけですよ。
ライブハウスの控室っていうものに。
そこが僕のおそらく音楽を始めた上での原点なんですね。
それを僕はもう辞めてしまって、東京に行って、
パソコンを使って音楽を作るという活動をし始めて、
それも辞めてしまって、
田川で地域を盛り上げるぞという地方創生の文脈と音楽を掛け合わせて
いいかねパレットを始めてみたいなところがあるわけなんですけども、
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今日の1日でいいかねパレットにライブハウスの匂いみたいなものを感じたんですよ。
これがね、なんかちょっと思い出してしまってとかいうレベルじゃなくて、
昔の自分がなんか出てきちゃったというかなんていうか。
ちょっとうまく言えないなこれ。うまく言えないですよね。
あ、俺、ここが自分の始まりだったんやなって思った感覚なんですよ。
なんか俺この空気の中に包まれて音楽というものに出会い、
ここで俺のアイデンティティみたいなものを形成されて価値観を醸成され、
出たなっていう空気を本当に何十年ぶりかに思い出したんですよね。
20年ぶりぐらいか。20年ぶりぐらいに思い出したんです。
それっていうのが、もちろん東京のほうでね、バンド活動はいまだにやってるんですよ。
ドブロッカーズとして。
でもなんかドブロッカーズで活動してるときのライブハウスでする空気とは全く違っていてですね。
福岡の、ちょっとわかんないと思いますけど、デカタンデラックスだとか、
キーズフラッグだとかブーツラウンジだとか、ハートビートCBみたいな、
その辺のですね、バンド、音楽で表現してる人たちの大衆みたいなものを感じたんですよね。
難しいな表現が。
もうちょっとうまく言えたらいいんですけど、ちょっとグズグズっすね。
でもそれぐらいちょっとうまく言葉にまとまらないままこれ回してるので、
多分もうちょっと時間が経ったらもうちょっとうまく喋れるとは思うんですけども、
多分ちょっと違うものになってるような気がしてて、
今喋れないといけないなと思って喋ってる感じなんですけど。
ちょっとそこに触れちゃった日でしたね、なんか。
今やってることが良いとか悪いとかではないんですよ。
音楽制作の仕事してる時が良いとか悪いとかではなくて、
俺はここから生まれてきたんやったな、そういえばって思ったっていう日だったんですね。
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で、そこでね、
今の音楽制作の仕事をしてる時が良いとか悪いとかではなくて、
俺はここから生まれてきたんやったな、そういえばって思ったっていう日だったんですね。
で、それがとても尊いものに思えたという、はい。
で、今パレットというものは、
僕が子供の時にこういう施設があったら良いなって思う施設を作ろうと思って、
スタジオ管理したりパソコンとか、
スタジオ管理したりパソコンを用意したりしているわけなんですけども、
このカルチャーの匂いというか、
表現者たちの匂いというか、
それってなんかやっぱりこう、
作ろうとしてできるものではなくて、
やっとなんかそれを感じれたなっていう日だったんですよね。
なんですよ。
はい、もう以上です。
ちょっと伝えるの難しいです。
ちょっと何とも言えない一日でした。
とても心が動かされた日でした。
ご視聴ありがとうございました。
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