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口伝とバグと新陳代謝
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田川市ゆかねパレットの方から福岡市の自宅に向かって車を走らせております。
時刻は夕方18時46分でございますね。
結構雨が降ってるのですね。
雨が降ってるのですねって、なんか変になりましたけど。
今日は、パレットに企業研修みたいな感じで視察に来られててですね、お客さんが。
そのお客さん向けにゆかねパレットの授業、紹介みたいなものをする仕事をしてたんですけども。
それが終わったので、今日帰りに帰ってますと。
でですね、朝撮ったので、今日は2本目になりますね。
事務室で仕事をしてたんですよ、今日しばらくね。
最近ゆかねパレットに新しいバイトのスタッフが入りまして、まだ仕事を一人で回せないので、
それをいろいろ他のスタッフがついていろいろと教えてやってるところをぼーっと眺めながら仕事をしてたんですけども。
なんかそこで、ふとあったことがあるので、ちょっと共有しておきたいんですけど。
なんか苦伝ってあるじゃないですか。
苦伝って僕すごく効率悪いなって思ってたんですよ。
苦伝ってあれですね、口で伝えるって書いて、口伝とも読むし苦伝とも読むらしいんですけども。
まぁまぁ苦伝って言いますね。
要は書面とかマニュアルとかで技術とかを継承するんじゃなくて、口伝えてやるっていう。
いやなんかこれ、まだ文字がない時代の話やろうとか思ってて、めっちゃ効率悪いやんって僕昔思ってたんですけど、
ふと今日一生懸命スタッフが新しい、古くからいるスタッフが新しいバイトのスタッフにいろいろものを教えてるのを見て、
これめっちゃいいんじゃないかと思ったんですよね。
でも、これはこれでちょっと一個デメリットがあるなと思ったんですね。
それは何かというと、それ以上にまずならないんですよ。
基本的には。
なんかこう、それ以上にまずならないんですよ。
基本的には。
なんかこう、それ以上にまずならないんですよ。
でも、これはこれでちょっと一個デメリットがあるなと思ったんですね。
それは何かというと、それ以上にまずならないんですよ。
基本的には。
なんかこう、それの教え方の順番、それの教えてる内容みたいなものをアップデートするっていうのがなかなか難しいなっていう。
で、それ以上になるのはそっか、ごめんなさい、付け足していけばいいんですけども、
なんか、改変されないというか、
アップデートがしづらいんじゃないかと思います。
新陳対象が起きないと言いますか。
要は、マニュアルってそれに書いてることを必ず全部その通りに一回はやるわけじゃないですか。
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ただ、それと違うことはもちろんですけど、教えないですよね。
それに対して、句伝で教えるって、その時、その瞬間、その人が最良の方法だと思ったことを伝えていくわけじゃないですか。
これ、バイトとかだったらちょっとイメージがピンときにくいと思うんですけども、
例えば伝統芸能でいいですよ。
例えば落語でいいですよ、落語。
なんか、おそらくその時その時で状況って変わるはずなんですね。
社会の流れも変わりますし、聞いてる人の何かしらセンスとかリテラシーみたいなのが変わっていく中で、
おそらくずっと昔に作られたマニュアルを踏襲していくと進化が止まるはずなんですよ。
それに比べて句伝でその時最良の方法みたいなものを伝えていくと、自然と新陳代謝が起こってその人の中で、
悪いもの、今の時代に合わないものは意識しててもしなくても、システム上アップデートされたものが伝承されるはずなんですね。
これがですね、もちろんリスクもあるんですけども、これを持ってないとまずいんじゃないかと思ったって感じなんですよね。
で、もちろんマニュアルを一回作りますって完璧に誰もが覆せることができる情報にしました。
これを定期的に見直しましょうよっていう仕組みにしてもいいんですよ。
例えば落語だったとしても、一回台本できました、これを3年おきに台本を見直してアップデートしましょうみたいなこともやってもいいんですけども、やらないですよね人間って。
そういうルールや仕組みで動くようなものじゃないじゃないですか、そもそもテント受けになって。
その人がどう伝えてるかと。
で、それに対して句伝でやれっていうことがもし教えとして決まってるじゃないですか。
絶対句伝、これだけは絶対守れよって上から師匠から伝えられてたと。
ただその弟子がまた師匠になった時にまたその弟子に対して句伝でやりますよね。
ってなると時期によってアップデートしないといけないみたいな意識じゃなくて、何かこの方法をやらないといけないっていうものの中にも、句伝による真摯代謝っていう現象がシステム上組み込まれてることになるんですね。
これがすごいなと思ったんですよ。
で、一回僕落語家の方とお話を聞く機会があったんですけども、その伝承の仕方について。
やっぱり未だに口伝えっていうのは、句伝っていうのはやってるみたいですね。
このボイスメモとか映像を撮れたりとかパソコンでいくらでも議事録が取れるこの時代に、あえて句伝で必ずやるっていう習慣を未だに残してるって聞いて、へーって思ったことがあったんですけど。
多分そういうことなんじゃないかなと思いました。
やっぱり大事なのは、物を教えるって、教える側もやっぱりすごく成長するんですね。
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アドリブで人に物を教えるって相当深く理解してないと自分の言葉で喋れないですから。
一回抽象化して具現化するっていうステップを踏むじゃないですか。
ってことは当たり前ですけど、その習ったこと、教わったこと、自分の中にあるものっていうものを完璧に抽象化しないと自分の言葉で具現化できないですから。
まずは抽象化っていう道を辿るんですね。
そこで多分頭の中にガポッとしっかりとインストールされるみたいな。
あと他の卸しもできますよね。自分の技術とかスキルとか。
なーと思ってるんですよね。
だから口で伝えるっていうのはすごく重要というか有用。
もちろんですけども、これずっとやってたら毎回毎回考えないといけないんですよ。
じゃあ同じ師匠が毎回毎回至に伝える、複数の弟子に伝えるってなった時に一番簡単なのは動画を撮ってポンって送るわけですよ。
でもこれを何回も何回もやるってなると多分ですけど毎回毎回違うんですよね。
1回目と2回目違いますし2回目と3回目必ず違うんですよ。
やっぱ抽象化された何かしらから具現化する時点でその具現化するところで必ず何かのランダム値が入るはずなんですね。
そこでアウトプットが完璧に一緒になるっていうことは明らかにないので。
例えばちょっとテンションが違うだけでもランダムですし、昨日見たニュースとかによってもランダム値っていうか不確定要素が掛け合わされるはずなんでそこで変わっていくはずですよ。
それによってほぼほぼ10回伝承したとして9回はほぼ同じだったかもしれないですけど10回目で何か自分が今まで思ってもなかったことがポンって出る可能性があるんですよ。
これがいわゆるバグですよね。よくも悪くも。
これが人間の進化であり突然変異でありこれが多様性であり身体障害者が社会の中で生きている理由でもあり
このバグを人間って必ず起こす仕組みを持ってないと必ず伝われると思ってるんですね。
ここが面白いなと思ったんですよ。さっき冒頭に言いましたけど、今日来られた視察の方の前でプレゼンしたんですけどもそのプレゼン資料自体って実は結構前に作ったやつであんま変わってないですよ。
でも毎回毎回同じパワポ資料を使ってしゃべるんですけども内容が変わるんですね。
言い方とか言い回しとか付与する情報とかニュアンスとかが全然変わっていくんですよ。
思ったのがよくプレゼンする時にいちごいくスクリプトを書く人いるじゃないですか。しゃべる言葉も。
もちろん一定以上の得点は叩き出すと思うんですけどもやっぱりこれをやらないでなるべくアドリブでその場で思ったことをしゃべるっていう訓練をしとけばしとくほど自分にバグが起きますし
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バグが起きるっていうことは悪い方にも働くこともありますけどやっぱりバグでいい方に転んでいくことももちろんありますから
自分自身をアップデートしたいんだったらそういう余白というか遊びの部分というか
自分を不確定要素の海に放り投げるみたいな仕組みっていうのをちょっと意識しとくといいんじゃないかなと思ったんですよね。
本当に人類もそうやし社会もそうだなと思いますね。だから本当に淀まないことですよね。
人の体の細胞もそうですし、全てにおいてこれが言えるなと思ったっていう訓練についてでしたね。
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