夫婦の意見の食い違い
漫画家・冷え田やっこの子育て在宅ワーク奮闘ラジオ、おはようございます。
いよいよ今週末ですね、9月7日日曜日に東京コミティアが開催するんですけど、そこにアンマーサロンですね。
冷え田がフリーランスになってすぐからずっとお世話になっている漫画家サロンのアンマーサロンが、今回合同プースで参加するということで、
冷え田も委託販売にはなるんですが、そこに一冊本を並べていただくことになっております。
お忙しい中、安寿先生が昨日コミティア会場に荷物を手配してくださったそうで、本当にありがたいです。
安寿先生とか、他のアンマーサロンの仲間の方は何人も現地参加される予定でいるので、
安寿先生会いたい方とか、アンマーサロン気になるなと思っている方もぜひコミティア行ってみてください。よろしくお願いします。
冷え田の方もよろしくお願いします。一応予約販売受付しています。
DMとかでも全然構わないので、行く予定で取っておいてほしいなと思う方はぜひお気軽にお声掛けください。
予約してくださった方には缶バッジ、郵送先を教えていただける方のみにはなってしまうんですが、
今回は現地参加する予定で色々作っていたんですけど、そのうちの一つのお豆腐缶バッジを郵送でプレゼントさせていただきたいと思っています。
放送の概要欄に詳細のポストを貼っておくので、いくつでもよかったらチェックしてみてください。よろしくお願いします。
お人よしの価値観
さて本日はですね、朝別に喧嘩じゃないんだけど、旦那と意見の食い違いみたいなところで少し話になったことがあったので、それについてはちょっと喋りたいなと思います。
別に喧嘩はしていないんですけど、結構ねちょいちょい、結婚してからちょいちょいあるなって、ここすごい感覚、旦那と私違うんだなっていうところが一個あるんですね。
これは別に旦那が悪いとか、私も悪いとかではないかなとは思う。
何かというとね、タイトル通りですね、お人よしは悪なのかっていうところですね。
よく言われるんですけど、今日の朝もちょっとした話からね、お人よしすぎないっていう話になったんですよね。
私は自分の感覚としてはね、自分のできる範囲で人に親切にすることとか、人によく思ってもらえるように行動することっていうのにあまり抵抗がないタイプの人間なんですね。
むしろそっちの方がなんか気持ち的に楽な人間なんですよ。
なので旦那にそうやって感覚の違う旦那に言われて初めて、これは私お人よしの行動なのかみたいな感じで気づかされる部分もすごいあるんですけど。
一方ね、旦那が別に血も涙もないやつみたいな感じでは全然なくて、旦那もいいやつだと思うんですけど、
旦那はね、誰かで構わず親切にするっていうのはどうなんだろうみたいなタイプなんですよね。
どっちかというと全体的に疑り深い、慎重派ですね。
男の人ってそういう現実思考みたいなところで、女の人と喋っていると結論何なの?みたいな解決策を先に言っちゃって、女の人はそうじゃなくて話を聞いてもらいたいだけなんだみたいな感じで、よくある男の女のさみたいなところで。
科学的にも論じられている、よく論じられているような話かなって思うんですけど、私が何気なくやってあげようかなみたいに、別に近しい人じゃなくても、いろんな人にやってあげようと思うようなことが旦那から見ると、それはちょっとお人よしじゃないとか、それはちょっとやりすぎじゃないみたいに思われるみたいな話をされることっていうのがちょこちょこあるんだよね。
でね、この差について、じゃあどうしてそういうふうに旦那からはそういうふうに見えるんだろうというか、私はね、割とそんなに深く考えずに、なんかこう自分ができそうだなと思うと引き受けちゃったりとか、そういう思考回路なのかっていうところと、逆にね、旦那はどうしてそのお人よしはあまり良くないものみたいな感じで捉えるのかっていう、
ここの差がね、どうやって生まれているのかなっていうのを、なんかちょっと自分なりに考察してみたりとかして。
今日はそれをね、思いつくままに喋っているような感じなんですけど、じゃあ何が違うのかなって考えたときに、多分これは普段から自分がどのぐらい人に頼って、人に助けてもらっているのかっていうところの差なんじゃないかなっていうふうにね、すごい思いました。
多分その助けてもらっている自覚みたいなところ、誰かに自分は助けてもらって生活してるな、生きてきてるな、みたいなのを感じている回数が、多分旦那と自分でね、私で全然違うような気がしました。
旦那のね、感謝の気持ちが足りないとかそういう話じゃないんですよ。これは多分旦那はね、割と自分で誰かに相談したりとかはしないでね、自分で考えて自分で結論を出してやってみたりとか、
あとはこう、会社で勤めている立場的な部分でも、誰かに頼って助けてもらうっていうよりは、後輩とかをね、指示をしてスタッフを動かしてそれで仕事を回す、みたいな立場にどっちかというとついてるんですね。
まあそれもそれでね、助けてもらってるって考えたらそりゃそうなのかもしれないんだけど、多分どちらかというと、そんなに人に頼らずに行動をしているタイプなんじゃないかなと思います。
各優冷えたはね、ポンコツなので、各省いっぱい助けてもらいながら生きているなって私は、本当に助けられていろんな方に支えられて生きているなっていうのをもう本当に痛感しない日はないぐらい。
そしてね、なんか自分がどうしようどうしようってなった時とかに、もうすぐ頼るんですよ、人をね。ちょっとこれをお願いしていいかしら、みたいな感じでやってもらって、そのたんびに感謝の気持ちが生まれると。
そうすると、誰かに返したくなるんだよね。困ってる人とかいたら、自分もいつも親切にしてもらって、優しくしてもらって生活しているので、やってあげたいな、みたいな気持ちが出ちゃうんだよね。
もうね半分くらいおせっかいな気持ちなので、あんまり押し付けないように気をつけなきゃなぁとはいつも思うんですけど。
あとはやっぱりね、ママっていう立場ですね。子供がちっちゃい時って圧倒的に助けてもらうタイミング、助けてもらわないとどうにもならないタイミングとか、あとはもう猫の手も借りたいぐらい助けてほしいって思う瞬間がすごく増えたんですよね。
育児やってるとね、そんな瞬間は本当に山のようにあって、自分の助けてほしかった記憶とか、助けてもらった記憶とかを覚えているので、自分と同じように困ってそうかなと思う人とかがいたときにはね、どうしても自分がそんなに余裕がない状態でなければ、やろうかみたいな感じで引き受けちゃったりとか、
そういうふうなことでなってるんじゃないかなっていうその感覚の違いがね、発生しているのかなっていうふうに思いました。
だからやっぱり大きく言うと、男と女の違いみたいなところもあるんじゃないかなとは思いますね。
親切の重要性
うちね、結構夫婦でこぼこというか、多分性格的には割と違う部分多いんですよね。結構言い合いになったりとかね、ガチ喧嘩とかもしてきてますけど、結婚しても7年8年になるので。
ただね、すごいストッパーになってくれてて、聞き回避できていたりとか、やっぱり自分と似たような人からはもらわないような意見をもらうことで、こうやって考えさせられるっていうところ、考えさせてもらえるっていうのは、割といいパートナーだなというふうに思います。
旦那もそう思ってくれてるといいんだけどね。
ただあんまり感覚が食い違っていることで話をされたりとかツッコミを入れられると、それをすり合わせて納得して話をするまでに、ちょっとうんってなって、それがお互いにイライラしてきてみたいなのが結構あるから気をつけないとなと思うんだけど、
一生懸命理解しようとして話をすれば、そんなに喧嘩に勃発することはないので、喧嘩しないように気をつけて過ごします。
お人よしが悪いことみたいなふうには、私は個人的には思ってないので、できることはやるとまた自分も困っている時に助けてもらえるし、助けてもらうこともたくさんあるかなって思ってやってるっていう感じですね。
鬼滅とか読んでても、やっぱり炭治郎が過去にちょこっとしたことで助けた人が命を救ってくれたりとかね、あるじゃないですか。
でも本当に世の中そういうこと結構あるよなみたいな、命を救われたとかでっかいことじゃなくても、ここでこういうふうに親切にしてたからめぐりめぐって助けてもらえたなとか、
自分が本当に困った時にめっちゃいいタイミングで手差し伸べてもらえたなみたいなのとか、ちょっとした些細なラッキーに繋がっていくような気がしてるのでね。
ちょっと旦那には首をかしげられてしまうかもしれませんが、極力お人よしでやりたいなと思います。
変な人とかね、そこに付け込んで何かやってやろうみたいな人には気を付けずに過ごさねばなりませんが、
結構旦那はそういうところを警戒するタイプなんだよね。それって何かいいことを言いながらやらされてないみたいな。
だから半分私への心配の裏返しなのでね、そこは無限にせぬように。
ご助言ありがとうっていう気持ちでね、話を聞きたいなと常々思っております。
長くしゃべっちゃった。聞いてくださりありがとうございます。
皆さんもね、もしパートナーとかご結婚されてる方だったら旦那さん、奥さんとね、こういうところが感覚の違いを感じて、それをどういうふうに解消してるよみたいな。
こういうふうに夫婦閲覧を心がけてるよみたいな方とかあったらぜひコメント欄で教えてください。よろしくお願いします。
今日は夫婦論みたいな話になりましたが、聞いてくださりありがとうございました。
本日も良い一日になりますように。ではでは、失礼いたします。