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2021-10-18 08:12

【第217回】80歳になった親父に関するエピソード②

親父に関するエピソード第2弾です。私が大学卒業とほぼ同じ頃、親父は定年退職しました。就職氷河期で就職を決められない私にある会社を紹介してくれたのも親父でした。私にとっては不本意な経験でしたが、親父様々だったのです。
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こんにちは、まっちゃんです。
親父に関するエピソード第2弾なんですけども、
私が覚えているのは、ちょうど20年前、
私が大阪にある大学、米津大学を卒業したんですけども、
卒業と同時にですね、ほぼ同時に親父が60歳を迎えて、
1年、2年延長があったんですけども、親父はね、仕事で単身不倫ですね。
ちょうど私が社会に出ると同時に親父が引退しました。
その時にですね、私はちょっと病気だったんですけども、
病気になってしまってたんですけども、
親父がですね、私がアメリカ行きたいとかって言い出したので、
卒業旅行でちょっと、両親とですね、
おふくろと親父と私とですね、卒業旅行も兼ねてですね、
アメリカへ行こうという話になって、
3人で2001年3月ですね、アメリカへ行きました。
ロサンゼルスですね、ロサンゼルスに降り立って、
写真とか記憶しているのはですね、
ロサンゼルスから親父がレンタカーを借りてですね、
メキシコまでね、メキシコシティ、シティじゃないですけど、
どこの町か忘れましたけど、
メキシコまでドライブしましたね、高速道路乗ってね、
ハイウェイって言うんですか、アメリカでは。
それとかユニバーサルスタジオ、ハリウッドのね、行きましたね。
それはすごく楽しい思い出として残っておりますね。
それから引退して20年、私が社会に出て20年、
親父が引退して20年経ったんですけど、
最初は他趣味だった、現役時代からね、親父は他趣味でですね、
麻雀もやり、タバコも吸い、お酒も飲み、
ギャンブルだけはしないんですけども、
釣りをしてゴルフをしてというね、
ずっと付き合いもありましたしね、当時はね、
接待もあったので、そういう付き合いで行うことっていうのは
全部趣味としてもやってました。
ただ、お酒をピタッとやめてですね、
70歳くらいの時からお酒をやめ、タバコをやめ、
それから釣りはずっと続けてましたね、70歳になるまでね。
それからグランドゴルフを始めまして、
今日も言ってるんですけど、
グランドゴルフは今80歳になった時点で6年間続けているようですね。
2箇所、2つの町のグランドゴルフのサークルっていうんですかね、
海に入って毎日楽しくやっているようですね。
海外20カ国以上行っているという話なんですけど、
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アフリカではですね、アフリカはエジプトと、
ナイジェリアだったかな、ガーナだったかな、ちょっと今度聞きますけど、
ナイジェリアで発電所の仕事で行ったというのは聞いております。
トランジットっていうんですか、乗り換えのところでアラスカも行ったとかって言ってましたね。
アラスカで北極の上を通ってですね、アラスカ、寒いところですね、
行ったことがあるというのは言っておりました。
親父に関するエピソードの第2弾なんですけど、
やっぱり私がはっきり覚えているのは、私が中学校1年生の時ですね、
本当に努力家の親父がものすごい怖いガキ大将だったんですけどね、
当時はね、親父をですね、
私がトレンディドラマ1990、忘れもしない1年か2年の頃ですね、
101回目のプロポーズのドラマ、トレンディドラマ前世紀の時にはまりまくってましてですね、
試験勉強もせずに101回目のプロポーズを見て、
9時、夜の9時5分か10分くらいに、お袋が試験勉強しない私をですね、
実家に帰っておった親父に言いつけて、親父がもう部屋に入ってきて、
コラッて怒りあげるんですね。
勉強しろと。
もう私は雷が落とされたことで怖くなってですね、
そこからもうテレビを切ってですね、3年間中学を勉強しましたね。
で、学年で一番になるくらいまで勉強してね、
親父は相変わらず単身で仕事に行ってたんですけど、
私もそこで努力すること、結果を出す学生の時にね、
試験の結果を出すことっていう面白さっていうのもそこで気が付いたんですけど、
親父に怒られたこと、雷落とされたことがきっかけで勉強をし始めました。
その時、私が13歳くらいの時かな。
で、親父が50くらいの時かな。
50歳くらいの時でね、まだまだ脂が乗ってる時。
あとはですね、私が2001年に3月に大学を卒業したエピソード、
その時はですね、時代は超就職氷河期だったですよね。
皆さんも記憶に新しいかもしれませんが、
就職氷河期もあったことによってバブルが崩壊した後ですね、
就職決められなかったんですよ。
どこも決まらなかったんです。
20社以上受けた、30社くらい受けたんですけど、どこも決まらなかった後。
で、ここで初めて公開しますけど、
親父が日立物流という会社をですね、紹介してくれたんですね。
私は不本意でした。
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本当はですね、テレビ局とかに憧れて入りたかったんですけど、
プロデューサーとかに憧れてた映画監督とかね、
ドラマが好き、ドラマ好きがたたってですね、
テレビ局のプロデューサーになるんだという夢があったので、
まあだけども、試験に落ちて、
会社員、サラリーマンになると、
不本意だったんですけど、本当は断りたかったんですけどね、
私は弱い面でね、断れなかったんですね。
で、約2年ほど千葉県柏市で、
まあ親父が日立なんでね、
コネだったんですね、要はね、簡単に言ったら。
まあ20年前の話なのでね、21年前の話なので、
まあここでぶっちゃけますけど、
いやー不本意でしたね、不本意なんだけど、
不本意という言葉も知らない私は、
2年間千葉県柏市で働きました。
まあ生活としては楽しくはやったんですけど、
私自身がね、組織で働くというのは、
まあ皆さんもご存知かどうか分かりませんが、
組織で働くのは向いていないので、
社会に出て20年経って気が付きましたけどね、
オンライン入国教師になるべく活動してますけども、
退職して広島県の実家に帰ったんですね。
その時はですね、私もちょっと内面で、
精神的な面で病気も抱えてましてですね、
親父に土下座したことを覚えてますね、
親父と袋にですね、
そこまで向こうは引退したばかりで、
厳しく辞めたのかぐらいで受け止めてましたけど、
もったいないぐらいの感じで受け止めてましたけど、
私はすごく罪悪感があって、
ものすごく傷ついてました。
そんなことが20年前にありました。
親父に関するエピソード、
80歳になった親父に関するエピソード、
第2弾収録しました、
録音しました。
第3弾に続きます。
ありがとうございました。
聞いてくれてありがとうございました。
バイバイ。
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