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日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活で感じたこと、驚いたこと、考えたことなど、ありのままお伝えするポッドキャストです。不定期ですが、たくさん配信しようと思っているので、よかったら番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
こないだ、友達と話したときに、子育ての考え方みたいな話になって、そういうのも日々、駐妻で喋ったらいいんじゃないって言ってもらえたので、ちょっとそういうことも話してみようかなと思っています。
ただ、子育てって、住人トイロっていうか、70億人、70億色というか、本当に、親の人間性と子の人間性との掛け算で、もうひとつとして同じ子育てはないので、私のこの考えがどうとか、正しいとか、そういうことを言うつもりも全くないので、そういう考えでやっている人もいるなら、面白いなぐらいに思ってくれれば嬉しいです。
私が子育てって大切にしていることのひとつに、子供の起源を取らないっていうのがあります。
もちろんね、起源を取る取れないって、子供の年齢によって変わってくることだと思うんですけど、うちの子の場合まだ小さいので、当然自分の起源を取るみたいなことはまだまだ難しいんですけど、
それでも、誰かに自分の起源を取ってもらうっていうことが、当たり前にならないようにしていきたいなっていうのがあってやってます。
多分私がですね、自分で自分の起源を取れない大人を今まで見てきて、すごい苦手だなっていう意識があるから、そうはなってほしくないなみたいなことが根底にあるのかなと思っているのと、
やっぱり自分で自分の起源を取れる人って、どんな環境でもハッピーになれる道を見つけられる人かなと思っているので、そういった背景から意識してます。
もちろんね、痛いとかすごい痛い思いしているとか、すごい悲しいことがあったとか、普通に大人でも自分で自分の起源を取れないようなモーメントにそれを強制するわけではなくて、
どういうときに意識しているかっていうと、娘がやりたいことがあったけど思い通りにならなくて、干涉を起こしているときみたいな感じですかね。
例えばレゴとかブロックとかで物を作ってるんだけど、思い通りに作れなくて、ああーみたいなイライラして、もーみたいなときとか、
もっとお菓子が食べたいとか、もっとアニメが見たい、でも親がダメって言って、見たいのにって、わーみたいな感じで怒っているときに、
これもね難しいんですよ。これが外とか人の家にお邪魔したときとか、誰か来てるときとか、要は起源を取らないことによってその干涉みたいなものが長引いて、
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周りにいる人に気を遣わせたりとか、迷惑かけるっていうときはちょっと例外的なので、基本的に家にいて、周りの人に対して影響がないときにやってるんですけど、
基本は本当に相手にしないです。相手にしないっていうのは無視するっていうことではなくて、例えばアニメを一つ見ますと、一つって約束して見終わったら、
もっと見たいっていう風になって、ダメだよ約束したよねって話すけど、まだ騒ぎ続ける、見たいと言い続ける。これは別に子供として自分の欲求に従っていることだし、
異常なことだと全く思わないんですけど、まだ約束したよねっていうことを言い続けて、それでもやだって騒ぎ続けた場合は、
お母さんにはこれ以上どうすることもできないよと約束して守ってほしいと、これ以上見せることはないと、あなたが泣き続けるのは全然自由だと、
悲しい気持ちでいて、そうやって振る舞うのは自由なんだけど、お母さんはそれに一緒に付き合ってあげることはできないと、
叫び続けたり、やだやだって言われるのはお母さんもあまり嬉しくないから、お母さん別の部屋に行ってるねとか言って、その場から立ち去ったりしますし、
何なら叫んだりとか手が出たりとかしたときに、そういう風に叫んだりとか叩いたりとかされて、人の気持ちは動かないよ、それをされたとしても絶対にお母さんはおまげないよと、
いうことをコンコンと伝えるみたいな感じですかね。
食べ物だったらなぜたくさん与えないのかっていう話をして、食べ過ぎたら体に悪いよとか健康でいてほしいからだよとか、
要は意地悪でしてるわけじゃないっていうのを伝えます。
こっちからしたら子どもに意地悪でするわけがないっていうのは当たり前なんですけど、
もしかしたら子どもからすると、それが意地悪でやってるのか愛でやってるのかっていうのはわからないかもなっていう風にただ思ってて、
栄養がどうとかね、健康がどうとかっていうことは子どもには難しいと思うけど、一応説明はして、
ただこれは本当にあんたのことが好きだからやってて、あんたが望む結果じゃないのはごめんねっていう話をして、もう食べられないよっていうことを伝えると。
その上で不機嫌になるんだったらさっきと同じように、お母さんはもうそれには付き合えないからごめんねと。
叫ばれるのも嫌だから、お母さんは他のところに行くねと。
もしあなたがその機嫌を自分でハンドリングできてニコニコになれるんだったら一緒に遊ぼうねとか、声かけてねとか、何かしたいことあったら教えてねとか。
あとはご飯はあげられない、おやつはあげられない、アニメはこれじゃ見せてあげられないけど、何かお母さんにしてほしいことあるとか、ギュってするとか、そういうことは声かけますね。
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機嫌を取ることはしないけど、気分転換になるようには仕向けるみたいな感じですかね。
そういうことはしてます。
うまくできなくて、わーって怒っているところに駆け寄っていって、お母さんがやってあげるからねとか、自分の欲しいものが得られなくて感触を起こしているところにまたそれをあげるみたいなことはしていなくて。
それはやっぱり子どもが生きながらどんどんケーススタディを増やしているんだというふうに思っているので、叫んで欲しいものがもらえたら次からも当たり前に叫ぶし、
感触を起こして親が言うことを聞いてもらうなら、次も感触を起こすんだと思うんですね。
だから、なるべくそのケースを学ばせない。
本当にこれ子どもによると思うので、みんながみんなこれできるわけじゃないし、これをやってないからあそこの家は何だとか言っても全くないんですけど、うちの場合どういう意図でやっているかというと、そういう意図でやってます。
ちなみに思い出したから言うんですけど、キニアゴトロとは全く関係なくて、こけた時とかもなるべく大げさに反応しなりしてるんですよ。
わーみたいな、大丈夫痛いねーよーみたいなふうにはちっちゃい頃からしてなくて、これはよく育児論みたいなのでよく見かけるので、
こけたりとかしてもあんまり大げさに反応しなかったら本人もケロっとしてるっていうのはよく言われてることなんで、実際やってて、
その時に私がやらないようになるべく気をつけてるのは、あー大丈夫大丈夫ってあんまり言わないっていう。
相反することのようにも聞こえるかもしれないんですけど、大げさに、こけたとしても大げさに騒がないし、大丈夫大丈夫とも言わないと。
なぜかっていうと、痛い時に他の人から大丈夫って言われるの普通にイラっとしませんかっていう。
もし私が痛い思いしてて痛いって言ってるのに、あー大丈夫大丈夫って他の人に言われたら、いや大丈夫じゃないわって言いたくなるかなと思うんですよ。
大丈夫かどうかこっちが決めるわと思って。
だからこう、なんていうか、例えばこけて、どうしようこれで病気になったらどうしようみたいなのだったら大丈夫だよ、そんなことないよって言うけど、
痛いよ痛いよって言ってるんだったら、あー痛いねーみたいな。
この傷だったらこのぐらい治ると思うよとか、こういうふうに手当てしようかとかは言うけど、大丈夫かなぐらいみたいなのは言わないようにしてます。
もうね、これも本当に子によると思うんで、大丈夫大丈夫って気持ち悪い母ちゃんの方が安心できるし、いいっていう具合もあると思うし、
もうこの辺はね、もう宗教ですよ。どういうのがいいかっていうのは各家庭にあると思うんですけど、私はそういうふうにやっています。
そう言いながらね、全然大丈夫大丈夫、もうそのぐらいとか言うことも全然あるんですけど、
そんな子育てフィロソフィーのお話でした。じゃあねー。