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2023-10-24 14:07

27 - 自分の立場を脅かす新人を排除しようとする古参、どの時代にもいる説

聖書には現代の問題が詰まってるなあ、と思います。
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日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活で感じたこと、驚いたこと、考えたことなど、ありのままお伝えするポッドキャストです。
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こんにちは。この間もね、バイブルトーク行ってきたんで、またそこで考えたことをシェアしたいなと思います。
私は、アメリカ人のおばあちゃんJと、ユダヤ人のおばあちゃんDという2人の友人兼先生から、聖書について学んでいます。
最近はね、Jがちょっと忙しいみたいで、Dと2人で、Dのお家で話すことが多いです。
Dはね、背がそんなに高くなくて、150センチちょっとぐらいの、すごくふくよかなおばあちゃんです。
ステラおばさんを想像してもらえたら、ぴったりかなと思います。
あれ、ステラおばさんってクッキーの方やっけ?シチューの方やっけ?多分どっちもふくよかったと思うけど、ふわふわな感じのふくよかさです。
いつもね、お家に行った時とか、バイブルトーク終わって帰る時とか、すごいギューってハグしてくれるんですけど、もうふわふわですね。ふっかふかです。
多分60代か70代くらいかな。お孫さんが13歳って言ってたんで、でもとってもパワフルで、笑顔がもう太陽みたいな、ニコーっていう感じのショートカットの眼鏡かけたおばあちゃんです。
そんなDとね、今回読んできたのはマッティューの12章、マタイの福音書かな、日本語で言うと。
主な内容としてはフェラシーズっていう古代ユダヤ教の人たち、
その中でも特に古代ユダヤ教の教会の中で権力を持っている人たちがイエスキリストを貶めようとする、殺そうとする。
それに対してキリストが諌めたりしてくる、みたいなのが主題の話です。
なぜフェラシーズの人たちがキリストを排除しようとするかっていうと、単純に自分の既得権益を脅かすからですね。
それまではみんなユダヤ教を信仰していて、自分たちはその中で地位も築いてきて、尊敬もされてて、いろんなメリットを享受していたんだけれども、
そこにイエスキリストが突然現れて、自分が神だと言って、いろんなミラクルを起こしていくわけです。
病気の人を治したりとか、目が見えない人を見えるようにしたりとか、悪魔に取り憑かれた人から悪魔を追い払ったりとかして、
どんどんどんどん人々が、あの人すごいね、みたいな感じになっていくわけですよ。
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それを見て自分たちの立場が脅かされるっていうので、排除しようとしてきます。
それこそ悪魔を追い出せるなんて、あいつは悪魔の力を持っている証拠だ、あれは神の力じゃない、みたいなことを言い出したり、
あとはユダヤ教って安息日っていう、労働してはいけないと定められている日があるらしいんですけど、
その安息日、労働してはいけない日に、キリストが誰かを治したりした、誰かの病気を、キリストが誰かの病気を治したりすると、
それは労働じゃないのかと、今日はそもそも労働してはいけないという風に定められている日なのに、
労働するなんて、神の推しに逆らっている、みたいなこととか、揚げ足取りみたいなこととかをして、どうにか彼を貶めようとしていきます。
そこに対してキリストが言ったこととかが、すごいインプレッシブだった、すごい感銘を受けるようなことだったっていうよりは、
この構造そのものが現代社会にも当てはまって面白いよなと思いました。
単純に今のストーリーだけ見ると、愚かだなって思うじゃないですか、フェラセイズの人たち。
キリストってただやってきて、私が神なんで言っただけじゃなくて、実際にミラクルを起こし続けるわけですよ。
それを目の当たりにして、信じないって、どんだけ自分の既得権益に固執する感じじゃないですか。
しかも本当は、お互い神を信仰している身のはずだし、ユダヤ教にはメシアが、救世主が現れるって書いてあるから、
ついに私たちが待っていた救世主だ、みたいな気持ちになって叱るべきなのに、それができずに、むしろ排除しようとすると。
よくありがちな、現実を受け入れられない愚かな人として描かれているな、みたいなふうに思うんですけど、
全然これね、本当私たちの身にも起こるよなって感じて。
例えば、自分の職場とか所属しているコミュニティとかで、自分はもう長年そこに所属していて、
自分なりに年月とパワーを抑えて、確立してきたやり方があって、仕事なのか運営方法なのか、何なのかね。
それによって、職場とかコミュニティ内でチームを築いて、周りからも認められていて、自分としてもそこに誇りを持っている、自信を持っている、みたいな状態のところに、
ポッと来た新人が、全然違うやり方で成果を出して、周りもすごい、みたいなふうになってて、そっちのほうがいいじゃん、みたいな。
今までのやり方は別にいらなくない、みたいな空気になってきて。
で、そこにちょっと必死の抵抗を試みるも、そのポッと出た新人に、いや、それ違うから、みたいなことを言われるっていう。
もう、面目丸潰れだし、今まで自分がやってきたことって何なんだろう、みたいな気分になるっていうのと同じ構造だなって思うんです、この聖書のね。
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マッセイユ12章に書かれているキリストとフェラシーズの人たちって、特にフェラシーズの人たちって、生まれた時からユダヤ教で、
ユダヤ教って、かなりね、ルールが細かくて厳しいらしいんですよ。
ほんと、ただ聞いた話ですけどね。
で、そのルールもしっかり守って、これを守ることが神を信仰することなんだって、小さい頃から考えて積み重ねてきて、
それで、地位を築いたのに、いきなり出てきた神と名乗る人に、全部かっさらわれるっていう状況なわけですよね。
なんか、そこにすぐ脳と心がついていかない、その気持ちちょっとわかるよ、みたいな気持ちになりました。
このストーリーで思い出したのが、私が新卒の時に入った会社で言われたことで、
私はですね、新卒の時には、某製鉄大手のシステム子会社におりまして、
システム子会社って言っても、システム会社としてかなり大きな規模で、
製鉄に限らず、いろんなシステムをたくさん作ってました。
私が配属されたのは製鉄部門だったんですね。
だから、お客さんは親会社だけ。
その親会社もシステムを発注するのは、子会社である私たちだけ。
だから、そこにコンペとか競合とかいうものは存在しないんですよ。
だから、親会社と子会社で、一応お客さんという立場なんですけど、
お互いに運命共同体、同じ仲間みたいな感じで働いてました。
かつね、私が配属されたのが、すっごい小さい製鉄所だったんで、
システム部門も人が少なかったし、毎年のように新人が来る環境じゃなかったんですね。
だから、すごくラッキーなことに、まだPayPayの時から、
全国の製鉄所の代表が集まるプロジェクトとか会議とかに、
代表として行く機会をもらえてたんですよ。
めっちゃ楽しかったです。
そこで、その会議を統括するような親会社のお偉いさんと何度も会って、仲良くなって、
そのお偉いさんに言われた言葉なんですね、私が今でも覚えているのは。
条件も覚えてて、とある製鉄所に出張に行く時で、
その製鉄所に入るためのタクシーの後部座席に2人で乗ってて、
その製鉄所の話とか、これからのプロジェクトの話とかをしてた時に、
そのお偉いさんが言ったんですけど、
製鉄部門とシステム部門、お互いを見合ってちゃいけないんだよね。
同じ方向を向かないといけないんだよねって言ったんですよ。
どういう意味かっていうと、製鉄部門もシステム部門も目指す先は一緒ですよね。
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このお客様に対していい製品を提供するとか、いろんなゴールがそれぞれあると思うんですけど、
だから部門がそれぞれ同じ道の向こうを目指して歩いていたら、
そこでこのゴールのためにはどうしたらいいかっていうような建設的な話し合いができるはずなんだけど、
お互いを見合っちゃってる。
お互いを監視しちゃってると、
例えば製鉄部門はシステム部門はあれこれ言って、あれもできない、これもできないって言うし、
時間もかかるしお金もかかるとか言い訳ばっかりしてくるみたいなことだったり、
システム部門は製鉄部門はあれもやれこれもやって無茶ばっかり言ってきて、
全然事情を理解してないみたいな風に、
お互いが自分の仕事をする上で相手が邪魔してくることとかが目について、
それについてごちゃごちゃ言い出すみたいな感じなんですよ。
自分たちの仕事をスムーズに動かすことを相手が邪魔してくるみたいな風に感じちゃうわけです。
そうやって別に邪魔じゃないですよね。
本来同じチームで同じ方向を向いてるはずだったらね。
そんな風に感じちゃうんですよ。
これは本当にそれからいろんな組織に所属したけど、何度も思いました。
もう本当再現性あるなって思いました。
同じ会社とか同じ協力関係とかそういうところでもやっぱり本来のゴールとか本質的なことではなくて、
自分の既得権益とか自分の立場とかメリットとか思いみたいなことを互いが優先しだして、
本当にお互いを見合ってあら探しみたいなこととかをしだすと全然うまくいかないんですよね。
このキリストフェラシーズの人たちも本来は同じ神を信仰していたのに、
キリストの方は別にフェラシーズなら探しとかしてるわけじゃないんですけど、
主にフェラシーズの人たちが神を信仰する上でどうかっていう同じゴールじゃなくて、
キリストがしていることは自分たちにとってどうかみたいな話をし始めてるっていうのは、
本当同じ構造だなという風に思いました。
もうね、聖書に書いてあるぐらい人間あるあるな挙動なんだなという風に、
いろんなことを思い出したバイブルトークでした。
ちなみにね、さっきちょっと言った安息日、労働してはいけない日があるじゃないですか、
このバイブルトークの先生Dはですね、
安息日の日にイスラエルにいたことがあるらしいんです。
その日は本当に労働してはいけないから、
その日は本当に労働してはいけないんですよ、イスラエルでは。
イスラエルではってか世界どこでもかもしれないんだけどユダヤ教の人にとっては。
例えばね、エレベーターのボタンを押すのも労働らしいんです。
じゃあどうするかって言ったら、その安息日の間はエレベーターは各階に止まるらしいんですよ。
だから5階に行きたかったらピュンって5階に行ってほしいけど、
2階3階4階って全部止まって乗る人がボタンを押さなくていいようになってるらしいんです。
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やばいですよね。そうなん?みたいな。
労働するなっていうことの、
労働するなっていう信仰が目指してるところって、そこなん?って思いますよね。
車の運転も労働だから歩かなきゃいけないとか、
どこからが労働で、どこまでが労働じゃないの?みたいな、
すごい謎で、それだけについて1、2時間インタビューしたいぐらい面白い話でした。
これもね、あるあるですよね。
本質的じゃないルールができていって、境外化して、
そのルールだけを必死に守るみたいな、
大きな組織においてありがちだよな、そういうのも思いました。
宗教でもね、あるんですね。
そうしてね、既得権益にしがみつき、お互いを見ることにせよ、
ルールが境外化してそれにしがみつくことにせよ、
自分の立場とか思いとか、メリットとかね、
そういうもののフィルターを通さずに、事実だけ見るってめっちゃ難しいし、
ほぼ不可能と言ってもいいんですけど、
そういう自分フィルターがあるっていうことに向き合えるか、向き合えないか、
認められるか、認められないかで、人生って結構変わるよなと改めて思いました。
そういうね、人生の教訓みたいなことに立ち返って思い出させてくれて、
考えさせてくれる、自分を振り返らせてくれる、やっぱバイブルトーク楽しいなぁと思った次第です。
本日は以上です。
聞いていただきありがとうございました。
もしよかったら、ハッシュタグ日々ちゅーずま、漢字四文字で日々ちゅーずまでつぶやいていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。
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どんで喜びます。ではではまた。
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