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日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活やその中で感じたことなどをありのままシェアする番組です。
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久しぶりのバイブルトーク、聖書の勉強会でございます。
今日ちょうど行って、今帰ってきたところでして、ついにですね、マッティュー、マタイによる福音書、全28章を終えました。
1週間に1章やってるので、28章だと28週で、計算上は6ヶ月ちょいぐらいで終わるはずなんですけど、1年かかりました。
まあね、2ヶ月日本に帰ったりとか、座りでできない時があったりとか、ちょっとヘビーな章だと2週間かけてやったりとか、
のろのろやったので、なんと1年もかかってしまったんですけど、ついに終えました。
最後の3章、26、27は、ジーザス、イエスキリストがついに捕まって、張り付けにあって、殺されて、その死体が洞窟の中に入れられて、みたいなところの悲惨な章で、
一番最後の28章は、暖楽というか、ちっちゃな章としてはもう3つしかなくて、そこでついに復活すると、神の力で復活するっていうので、マッシュは終わりです。
このマッシュの一番最後の28章の一番最後の一文について、今日話したいなと思います。
一番最後の28章は、さっきも言った通り、死んでいたと思われたジーザス、イエスキリストが復活するという話で、その復活したイエスキリストの元に弟子たちが集って、その集った弟子たちに、
ジーザス、イエスキリストが私の教えを、神の教えを全世界に広めていきなさいっていうことを伝えるんですね。
この章の本当に最後の一文がですね、20章の20節になるんですが、こういう文章です。
And teach them, themというのは人々ですね、教えるという対象の人々, to obey everything I have commanded you, and I will be with you always to the end of the ageという文章なんですよ。
これちなみに日本語訳すると、私が訳すとすごい拙いと思うので、ネットで見つけた訳を読むんですが、
あなた方に命じておいたことを全て守るように教えなさい。私は世の終わりまでいつもあなた方と共にいる。
っていう文章なんですが、なんか英文を読んだ印象としては、to obey everything I have commanded you。
私が命令したこと全てに従いなさいって文章がめちゃめちゃ強いなと思って。
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なんか急にすごいなんか上から、俺の言ったこと聞けよみたいな感じ出してくるやんと思うんで。
それで聞いてて、で一緒に教えてくれているおばあちゃんDが解説してくれたところによると、
まあもう亀が望んでいるそのコマンドメント、命じていることっていうのはもうたった一つだと。
もうlove your neighbors、隣人を愛しなさい、でlove yourself、自分を愛しなさいっていうもうこの一点だけなんだ、みたいなのを教えてくれて。
でそこでふと私は、いや私もう1年もかけてるので、ちょっと記憶が定かじゃないんだけれども、
このマッヒューの28章の中において、ジーザスがその隣人を愛しまた自分自身を愛しなさいって名言したことあったっけって聞いたんですよ。
イエスキリストはもうたくさんの例を用いて愛について教えてくれているので、
人を愛するっていうことが大事だっていうのはものすごい伝わってくるものの、すごい直接的に愛するっていうことが私のコマンドメントなんだ、命令なんだっていうことって言ってくれてたっけっていう気持ちになって。
でなんか最後の最後にね、私が目指してたことに従うのだって言うから、なんかそれちゃんと言ってくれてないと例だけ言われてもわかりづらくない?ってなんかちょっと思っちゃって。
そのおばあちゃんDが、うん確かにと。いやマッヒューって言ってた気もするけど、ちょっとググってみよっつって。
でググってみたら、実はマッヒューではなくマークっていう違う章で言ってると。
でもしかしたら、マッヒューでも言ってるかもしんないけどね、みたいな感じになったんですよ。
あそうなんだ、やっぱりこの様々な角度から愛とはとか神からの愛とはとか愛するとはっていうことを聖書の中で説いてきたけれども、直接的な証言というか直接的に神がこれだって言ったそのままのセリフを書いたのは弟子の中でもマッヒューではなくマークだったんだなへーって思ってたんですけど。
そこで愛、ラブっていうワードが出て、私自身思い出したことがあって、何かって言うと、私ちょっと前に誕生日を迎えたんですけれども、夫から誕生日プレゼントでピアスをもらったんですね。
これは夫からのプレゼントということになってるんですが、私自身が見つけた可愛いショップで、私自身が選び、私自身が購入手続きをしました。
バイ夫のクレジットカードみたいな感じで、家に届いたんで、届いたものを私におめでとうと言って渡すのは夫がしてくれたみたいな感じで、ロマンチックさは1ミリもないんですが、私はそのピアスがめちゃくちゃ気に入って、すごい欲しかったんで、もうこれでバンバーザイ、何の不満もなくありがとう買わせてくれて、みたいな気持ちで受け取りまして。
それがピアス2つなんですよ。夫婦のピアスに可愛い石がついてるやつと、夫婦のピアスにお月様のモチーフがついてるやつで、2つ並べてつけるとめちゃめちゃ可愛いやつなんですけど、残念ながら私ピアスの穴が1つずつしか開いてないんですよ。
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だから、2つ並べてつけられなくて、でもどうしても2つ並べてつけたいから、いい歳してね、ピアス開けたんですよ。前に開けたのがね、大学入る時の18歳だから、なんかすごい久しぶりにあるんだな、こんだけ生きてまたピアス開けるとかいうことってなりながら、開けまして。
そのね、ピアスを買ったアクセサリーショップのオンラインショップ、他のアクセサリーを見てみると、結構ね、ジーザスモチーフとか天使のモチーフとかあって、割とアメリカのショップだからなのか、すごいキリスト教を感じるようなラインナップもあるんですね。
別に全部が全部そういうわけじゃないんですけど。で、まぁそこで買って、ピアス2つ届いたら、なんかおまけでブレスレットが入ってたんですよ。それもなんか、全然そういうおまけが生まれたかも知らなくて。
そのブレスレットは、もう単純なミサンガみたいな刺繍糸で、三つ編みみたいにしてある単純な紐に、えっと、一つだけモチーフがついているもので、そのモチーフがね、どのぐらいの大きさかな?
1円玉よりも小さいぐらいの大きさの、金色の天使様のモチーフなんですよ。天使様のモチーフがあって、で、その裏にですね、
筆記帯で、You are loved。あなたは愛されているって書いてあるんですよ。それが、すごい聖書的だなというか、キリスト教っぽいなぁと思って、すごい気に入ってて、
You are lovedって書いてあるものを、常に身につけてるって、なんかいいなぁと思って身につけてたんですけど、今回このマッヒューのね、最終章をやって、
神から命じられていることっていうのは、要は己を愛し、周囲の人を愛することだっていうのを聞いた時に、私がこのブレスレットと何の関係があるねんって言うとですね、
ちょっと前に夫と喧嘩というか、言い合いみたいになって、その時になんかもう、すごい絶望的な気分になったっていうか、すごい惨めな気分になったんですよ。
はぁー、もうすっごい落ち込んで、もう私なんて誰にも愛されてないし、誰からも必要とされてないし、一人ぼっちだ、みたいな悲劇のヒロインみたいな気持ちが落ち込んだんですね、その時。
まあ私は本当に即座に復活するんですけども、その時はもうどうしようもないぐらい落ち込んで、私気分が落ち込む時ってどこまでも落ち込もうっていうタイプなんで、なんかずーんってこうドロドロの奈落の底にいるような気持ちになった時に、
ふと自分がこの毎日つけているブレスレットのことを思い出して、その時は天使様が見えてたわけなんですが、裏返してYou are lovedって書いてあるのを見て、
あ、そっか、たとえね、その時言い合してたから、夫が私を愛していなくて、世界中の誰もが私を愛してないとしても、これはあの悲劇のヒロイン思想なんで別にそれが真実だと思ってるわけじゃないんですけど、
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まあそういう気分で。そうだったとしても、神様だけは私のことを愛してるわって思ったんですよ、自然に。
ちょっとこのね、聖書とかキリスト教を学んでいるが故の発想なんですけど、あ、私はもうすでに神に愛されてて、
その他の愛が得られなかったとしても、この神の愛だけは絶対にここにあるものだわ、みたいな確信をその時して、
これによってなんか神の存在を信じたとか、そういうことではない、神の存在を感じたとか、そういうことではないんですけど、なんかでも何に見捨てられたりしたとしても、
神だけは私のことを絶対に見捨てないで、無償の愛で愛してくれてるんだって思うことって、なんかすごい自分に力くれるなぁと思って。
私、別にクリスチャンじゃないし、イエス・キリストのことを心から信じてるわけじゃないんですけど、なんかそのコンセプト。
イエス・キリストが実際にいて、神が実際にいて、私のことを愛してくれてるって確信してるわけじゃないんだけど、でもそういう存在がいるんだって自分が能動的に確信することってものすごい力になるなぁって。
なんか本当に元気でなんですよ。You are lovedって書いてあるこのモチーフを見ることで、それがどういうことなのかっていうことをうまく言語化できてるかは分からないんですけど。
これはでも、私が間違いなく聖書を学んで、キリスト教を学んだからこそ思うことであって、このインプットなしにただただこのYou are lovedを見たところで、そうですかというふうにしか思えなかったと思うので。
なんかこう、私たちは一人残らず神に愛されてるんだっていうコンセプトを、まあ少しずつこう聖書を読みながら理解していって、愛ってどういうことなんだろうみたいな、神って自分にとってどんなもんなんだろうっていうのを学んでいった結果、この感覚が得られたのだとしたら、ものすごいやってよかったなぁと。
それ以外の面でもやってよかったなって日々思ってるんですけど、そんなことを思った日でございました。それをね、すごい思い出しました。今日の28章を勉強してっていう感情のシェアでございました。
なんのこっちゃいって話かもしれないんですけど、以上です。本日も聞いていただきありがとうございました。
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