綺麗ごとを言ってるダサさ
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て末輩中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私、これまでに、このポッドキャストでも何度も言ってきたかと思うんですけども、ツイッターを見ているとすごいしんどくなるから、あんまりツイッターを見ないようにしてるって言ってたし、そうしてきてたんですよ。
なんでかっていうと、ツイッターって結構、子育てネタでもかなりネガティブなことが多かったりとか、愚痴系のことが多かったりとか、旦那に腹立つ、義理の両親に腹立つ、道歩いてたらこんなこと言われたら腹立つ、っていうようなことがすごい多いように感じてたんですよね。
だから、インスタとか他のSNSに比べてツイッターってすごく鋭い言葉が溢れてるから、見てるだけでも結構メンタルやられるなっていう感覚があったんですよね。だから、ツイッターは見ないようにしようっていうのが自分の中にもあったし、周りの人にもそれをおすすめしたりとかしちゃってたんですよ。
だけど、最近私のツイッターのフィードがですね、すごい平和なんです。
最近ちょっと前から、ポッドキャスターアワードあたりから、いろいろなポッドキャスターの方をフォローしたりフォローしていただいたりとか、それ関連でつながっていくっていうことが多くなってから、私のツイッターが本当に安全地帯になっている、本当に穏やかな文字しか流れてこないっていう感じになってるんですよ。
だから、子育てネタですごいトゲのある言葉が並んでいた時っていうのは、私のアルゴリズムがそうなってたなっていう、そうなってただけやったなって。
それをあなたのところもなってるでしょ、あなたのところもなってるでしょって勝手に思い込んでたな、恥ずかしいなっていうことに気がつきました。
やっぱりツイッターもそうだし、インスタとかもそうなんですけど、TikTokとかもね、おすすめ欄に出てくるアカウントだったりとかツイートとかっていうのって、すごく今の自分の心の中を表しているなと思いますよね。
お仕事でビジネス使いしている方はまた別かなと思いますけど、そうではなくて何気なしにインスタ見てたりとかツイッター見てたりTikTok見てたりYouTube見てたりとかしていると、やっぱり自分に合うものとか気になるもの、興味があるものがアルゴリズムで流れてくるようになってるから、そこを見るだけでも今の私の興味があるものとかこととか、そういうのがわかるな、こわーってなりましたね。
こわ恥ずかしいってなりましたね。
今日のテーマなんですが、今日のテーマはとにかくダッサイ生き方したくないっていう話です。
ちょっとなんか口が悪くなりそうな気がしている、今日は。
ダッサイの定義はいろいろあると思うんですよ。
ダッサイの定義はいろいろあると思うんですけど、ダサいっていう言葉に対してすごくパンチをくらいやすいんですよね。
傷つきやすい。言われると傷つくし。
もっと言うと、これほんまにあかんことやけど、誰かを攻撃したいときもダサいっていう言葉を使っときゃいいと思ってる節があるなって思うんですよ。
使わんほうがいいけどね。
私のダサいの概念定義って何なのかなって思ったら、結局いろいろこう考えた結果、素直に生きてない人がダサいなって思うんですよ。
これは他の誰かというよりも自分自身が一番そうですよね。
素直に生きてない、素直に思ってることを言っていない、していない瞬間がすっごく自分ダサいなと思って、めちゃくちゃ自分のこと嫌になるんですよね。
だからこのポッドキャストもそうで、自分が実際できてないのに、子供に対してね、全然できてないのに、わかったような口聞いて、綺麗ごとばっか並べて、
子供も別の人格ですからとか言っちゃって、いやいやさっきまで私となり散らかしてましたやんかみたいなことになる時とか本当にざわつくんですよ。
確かに本ではそうやって書いてあるかもしれない。
こっちのコンディションがいい時はそれができてるかもしれないし、それをやろうと頑張って意識してる時もあるんです。
だけどそれができてない時もあるのに、こんな風にペラペラペラペラさ、教育論とか語っちゃったりしてたら、いやいやどの口が言うとんねんってなるわけですよね。
そういう時とか本当に自分ダッサイなと思うんです。
ダサさの概念定義
あとは、最近TBSラジオにお邪魔したりとかね、いろいろなポップキャスターの方々とコラボしたりする時も、
あの時は緊張して緊張していつもの力が出せませんでしたみたいなこともよく言ってるんですよ。
それとかもほんまダサいなと思うんですよ。
いやいやいやいやと思って、その時の実力が私の実力やからと思ってね。
そんなこともわかってるの。その当日とかもわかってるんですよ。
言い訳したくなる感じとかもすんごいダサい。もう本当にダサい。
嫌い。
保険をかけるというのか、予防線を張ってるというのか、
ちゃうんですちゃうんです、いつもの私は違うんです、もっとできるんですみたいなさ、
いやいやいやもうそれが私の今の実力やからって思うわけですよ。
本当にね、だからこの素直に生きていない瞬間っていうのが本当に嫌なんですよね。
なんか等身大であるということ、それは自分もそうだし、
なんか他のものとか人とかにもそうなのかな、等身大であるということにすごく惹かれるんですよね、私は。
かっこつけることの場面とダサさ
あの人ってすごくありのままの自分を出してるなとか、
かっこつけることが悪いことだとは思わないんですけど、
時にはほらかっこつけないといけない時もあるわけですよ。
今パッと浮かんだのが、シャネルの小松菜菜とかさ、
全然世界線が違いすぎて今ちょっと例え出してからあれって思ったけど、
シャネルの広告党になっている小松菜菜が、
いやいやそんなもう私かっこなんてつけれませんって言ってたら、
いやもう今そんな絵柄ってあるじゃないですか。
あなたがシャネルの広告党として抜擢されてるんだから、
ここではもう死ぬほどかっこつけてください。
かっこつけることが仕事ですっていうことも場面とか状況によってはあるし、
気持ちが追いついてなくても堂々としないといけない場面とか、
仕事としてかっこつけないといけない場面とかも絶対あるんですよ。
それはだからかっこつけるっていうことが悪いことだと思わないですけど、
等身大で生きること
でもなんかこう等身大っていうのはすごく私は惹かれるし、
いいなと思うし、自分自身もそうでありたいなと思うんですよね。
それで言うと中梨沙のYouTubeとか本当そうですもんね。
そうですもんねってみんなが聞いてる手で話してるんですけど、
本当に彼女のYouTubeはありのままの等身大の部分を出してらっしゃると思うんですよ。
わかんないけどね、本当のところはわからないですけど、
でもいろいろな子育ての悩みとかを打ち明けたりとか、
夫婦関係のことを打ち明けたりとか、
それこそお気のぼさぼさのところを出したりとか、
っていうのをされてるのを見て、すごくいいなって、
なんかすごい等身大で素敵だなと私は思うんですよね。
今でこそ私は前に比べるとだいぶ、
自分のリアルな姿と外面みたいなのを一致できるようになってきたというか、
一致させるようにだいぶ意識してるところがあるんですけど、
そこが私、小さい頃から本当にかけ離れてたんですよね。
家の中の自分と外の自分が全然違うみたいな振り幅がすごい大きいっていう感じだったんです。
それはそれでありだとは思うんですよ。
人って一つの顔だけじゃないから、いろいろな顔を持ってるわけでね、
学校での顔とか、友達との顔とか、地元の友達との顔とか、
大学の時との友達との顔とか、彼氏の前での顔とか、親の前での顔とかいろいろあって、
それが集合して一人の個人になってるから、
自分の顔、本当の顔っていうのは一つじゃないですけど、
でもあまりにもそこの振り幅が大きくて、
自分自身がすごくしんどかったなっていうのが、実恵頃からずっとだったんですよね。
だから、よく思われたいとか、嫌われたくないとか、
自分らしく生きること
みんなに好かれたいみたいな気持ちがあったりとか、
あとはすごい人って思われたいとかね、
なんかそういういやらしい気持ちがね、ありましたね。
それを持ったまま、結構大きくなって大人になっていったもんだから、
好きなこととかも素直に好きって言えないみたいな時があったんですよ。
すごい覚えてるのが、大学の1回の時かな、
英語?文化?そっち系の授業で、
何かしらのコンテンツを持ってきて、
自分の好きなコンテンツを持ってきて、
それについて分析をして、自分なりに解説をするみたいな授業があったんですよね。
私その時、BeyonceのIf I Were a Boyっていう曲の歌詞をコンテンツとして持っていったんです。
もし私が男だったらこんなことしなくていいのにとか、
もし私が男だったらこんな風に振る舞うのに、みたいな歌詞なんですよ。
私その曲すごく好きで、その歌詞もすごくたくさん考えさせられる、
考えるきっかけをもらえた曲だったから、すごい好きだったんですよね。
なんですけど、それをコンテンツとして持っていった時に、
まだ大学1回生の頃で、友達もそんなに広がってない、深まってない関係性の時である友達に、
あ、Beyonce好きなんやな、私も好きって言われたんですよね。
その時に私、いや、Beyonceは別にそんな好きじゃないねんとか言っちゃったんですよ。
めっちゃいやらしくない?
その時、今もそうなんですけど、
本当はすごくミーハーだし、流行ってるものとか好きだし、
Beyonceも好きなんですよ。今も好きだし。
だけど、当時の私は、特別でありたいみたいな気持ちがすごく出てたから、
みんなが好きなBeyonce、ましてや他のこんなに近くにいる子たちが好きなBeyonceを、
私も同じように好きであることはなんか嫌みたいな、本当に気持ち悪いですよね。
なんかそんな風に思ってたんですよね。
だから、いや別に私はBeyonceが好きなわけちゃうねんとか言っちゃって、
この曲が好きなだけやからみたいな、なんかそんな風に。
言い方はこんなにトゲトゲしくなかったと思いますけど、
なんかそんな風に言っちゃったなーみたいなこととかも思い出して、
ダッサーと思ってるんですよね。
好きなものは好きって言ったらよろしいやんかと思って、
やりたいことはやりたいって言ったらいいやんって思うんですよ。
会いたい人には会いたいって言えばいいやんって思うんですよね。
でも結構私はずっと本当に好きなものを好きっていうことも抵抗があったし、
やりたいことをやりたいということにも抵抗があった時期も長かったし、
会いたい人に会いたいって自分から言うのも、結構ハードルが高かったりとか、
素直に自分を表現すること
なんかね、街の姿勢だったんですよね。
バイトとかでも、本当はこのポジションやりたいんだけど、
引っこ抜いてもらうのをずっと待ってるみたいな、
いや言えよって、やりたいって言えよみたいな。
で、私、牛角で働いてたんですけど、バイト。
牛角っていろいろポジションがあって、ホールの人、キッチンの人、
火のね、炭のかかりの人、あと案内の人とかいろいろあったんですよ。
私案内やりたかったんですよ。
結局当時の店長に引っこ抜いてもらって案内の役を任されたんですよね。
だけど、やりたいって自分から言わなくって、
引っこ抜いてもらうのをずっと待っていて、
引っこ抜かれた後も、
いや私本当はそんなにやりたくないんやけども、
やれって言われるんならやりますみたいなさ、またこれ気持ち悪い。
なんかそんな感じだったんです。
だっさい。もうほんまにだっさい。
だから、なんていうのかな。
もうこれからはね、そんなややこしい生き方してないで、
好きなことは好き。やりたいことはやりたい。
行きたいところには行きたい。会いたい人に会いたい。
そこの仲間に入れて欲しかったら入れて欲しい。
っていうのを正直に言えるような大人になりたい。
って思います。
大事なものは大事。とかさ。
そこに、いやいやなんか今日の服は、
あのもうユニクロのやつで適当に選んだやつやから。
とかさ、もう言って保険かけたり予防線貼ったりするのは、
もうやめたい。
そんなん言われたら金買ったらよろしいやんか。
って思いますもんね。
それがええと思ったから買ってそれを着てるんやろって。
自己肯定感と社会的役割
思いますもんね。自分に対して。
ほんとにもう言い訳ばっかりしてさ、
今日のもうじゃあねんじゃあねん適当に髪の毛とかもしてさ、
とか言って、もう時間なかったから化粧とかも適当にしちゃってさ、
もうなんかいろいろ食べたからなんかでことこもブツブツでさ、
とか言ってさ、もう言い訳にまみれた人生を、
これから先も何十年も送っていくんですかって、
言いたいわほんとに。
なんかイライラしてきた。
でもほんとにね、なんかそうやって、
等身大の自分で生きていきたいなっていい加減と思いますし、
それが結局素直に生きるってめちゃくちゃシンプル。
言葉にしたらすごいシンプルなんですけど、
でもそれが大人になるにつれて、
いろいろな母っていう役割だったり妻っていう役割だったりね、
この子のお母さんとか誰々の奥さんみたいな、
誰々の町内どこどこの町内のどこどこの家庭の人みたいな感じで、
いろいろついちゃうと、
なかなかそこを等身大で生きるとか素直に生きるとかっていうのが、
難しいんですよね。
素直に生きることの難しさ
難しいけど、私はそこにかなり自分自身に敏感に反応してしまう人で、
そんな自分が嫌やなとか思うし、
ダッサイなと思うから、
やめていきたいなと思いますね。
結局何が言いたいのかっていうと、
好きなことは好きって言え。
やりたいことはやりたいって言え。
もう察してとか、
なんかもう待ってますみたいな感じじゃなくて、
会いたい人にも会いたいって言え。
正直に言ってまえっていう風に思ってます。
私は自分自身にもすごく思っているし、
これすごい私切れ散らかしてるんですけど、
散らかしてはない。
いつもよりもかなりギャンギャン言ってるんですけど、
過去のことをいろいろ振り返ってたりしてたら、
本当に自分自身に腹が立ってくるというか、
いやいやいや、もう素直に生きようよみたいな風に思ったので、
今回は私の最近の胸の内をシェアさせていただきました。
これはどうなのかしら。
いつもとちょっと雰囲気違うんですけど。
最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます。
ご意見ご感想、そしてあなたのエピソードなどなど、
私もダッサイ生き方嫌ですみたいなこととかがあったら、
ぜひぜひメッセージいただけたら嬉しいです。
難しいんですよ。大人が素直に生きていくことなんて、
もうめちゃくちゃ難しいんだから。
今のこの日本で等身大で素直に生きるとか、
すごい難しいことなんだから。
そうなんですけど、いろいろそこに対してね、
こんな風に思うよとか、私はこんな風にしてるよみたいなことがあったら、
ぜひメッセージをいただけたら嬉しいです。
ということで、今日も最後まで聞いていただきまして、
本当にありがとうございます。
素敵な1日をお過ごしください。