1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 549.多様性とか言う前に
2023-12-07 22:52

549.多様性とか言う前に

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多様性ってなんなん?
【目次】
・カメムシと共に
・小説「正欲」を読んでしまって
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・多様性と反省
・知った気、分かった気になる怖さ
・いざ我が子の身に起こったら…

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サマリー

ママが自分を取り戻すラジオです。子育て真っ最中の彼女が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしています。多様性について考える前に、まずは彼女自身の家族を受け入れることが重要であると感じています。自分の家族の多様性を認められず、夫婦や子育ての意見の違いから喧嘩することになってしまいます。また、彼女はADHDを持っている子供と向き合うことに苦しみ、不登校になった長女に対して自身の感情にも戸惑っています。多様性という言葉を言う前に、身近な人たちや家族の受け入れが大切であると再度反省しました。結局のところ、身近な人たちとの関係こそが本当の多様性だと私は考えています。

カメムシ大量発生
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。いかがお過ごしでしょうか。
少し前のエピソードで、私、収録をしながら、カメムシが顔面に飛んできて、叫び散らかすというエピソードがあったかと思うんです。
本当に途中で叫び声を入れてしまって申し訳ありませんという感じだったんですけれども、
それからというもの、収録をする前に車の中にカメムシがいないかなって確認をするようになったんですね。
いるなと思いながら、収録していた回も何回かあります。
実は今回もいます。いらっしゃいます。
ハンドルの向こう側のあたりに、またいらっしゃいます。
これは11月の初め頃に、キャンプをした時に、カメムシ大量発生してたんですよね。
大量発生してたのに、車の窓とかドアとかを、
全開にしてたもんだから、その時に多分ね、大量に車の中にカメムシが入ってきたんだと思うんです。
その時の彼かな、これは。
でも、1ヶ月経ってるんですよ。カメムシってそんなに生きるの?
そんなに長生きする?
食べ物も、何食べてるのか分かんないですけど。
そう、多分その時に連れて帰ってきたのかな。
これまでにね、もう累計6匹くらい逃がしてるんですよ。
サバ呼ばずによ。
7匹目くらいやと思います。
そう思うんですよね。
どんだけカメムシ連れて帰ってきたんって感じなんですけど。
はい。
なので、ちょっと今日のカメムシさんはおとなしそうなので、そこにいてもらって、このまま収録をしたいなと思います。
多様性の考え方
はい。
今日のテーマはですね、
もう長くなりそうな気がするし、難しい。これは本当に、多様性についてです。
はい。
もう、あの、わきは後ほどゆっくり話しますが、多様性という言葉を使うことにも、もうね、
あの嫌悪感を抱きながら、
多様性って言ってるんですけれども、
今日のテーマは、
多様性とか言う前に、というテーマでお話をしたいと思います。
何が言いたいのかというとね、
多様性とか言う前に、
ていうか、多様性とか言うんだったら、
その前にさ、
一番身近な家族を、
本当の意味で受け入れたりとか、
寄り添ったり、
しようよ、っていう話です。
これは耳が痛いよ、自分で言いながら。
本当にね、
自分への意味を、
今、締めも込めてですね。
なぜこのテーマでお話をしようと思ったかというと、
最近、性欲という小説を読んだからなんです。
正しい欲と書いて性欲です。
浅井亮さんという方が書かれているもので、
3年ほど前に出版されたのかな。
で、最近、
あの、映画が上映されてるんですよね。
多分、まだ映画館で上映されているところもあるんじゃないかなと思うんですけれども、
稲垣五郎さんと荒垣結衣さんなどなどが出てらっしゃる映画。
なんですよね。
で、私も映画見に行きたいんですけどね、
ちょっと近くの映画館でやってなくて、
そう、タイミングが合えばまだ上映している間に行きたいなと思っているんですけれども、
はい、どうなることか。
なので、映画は見てません。
小説だけを読みました。
で、これも私が大好きなポッドキャスト番組、
無限まやかしというね、
あの、番組がありますけれども、
あの、それで、
少し前に、
あの、その、
エピソードを話されてたんですよ。
で、
そのエピソードを聞きたい、
がために小説を読みました。
はい、すごいですね。
無限まやかしの影響はね。
はい。
ちなみに、
あの、話にそれますけれども、
スポティファイまとめ2023というものが出ましたよね。
あの、今年よく聞いた音楽とかポッドキャストとかが全部こうランキング付けされていて、
何をよく聞いたよとか、
ね、何分聞いたよとかが、
あの、分かるものがありましたけれども、
皆さんご覧になられましたか?
ご自身の。
私はですね、
ポッドキャストに関しては、
もう、
ダントツで無限まやかしが第一位でした。
もう、だってもうずっと聞いてるものを、
もう毎日聞いてるからさ、
うん、もう納得の第一位でしたね。
はい。
またその話も改めてしたいなと思ってますけれども、
はい、まあそんなことで、
この浅井亮さんの性欲というものを読みました。
で、まあ内容はね、
私もううまく説明できないわ、これは。
もう全然説明できない。
だからもう、
気になる方は読んでいただきたいなと思うし、
映画も、
映画があったらね、
間に合えば見てほしいなと思いますが、
公式のホームページに書かれているキャッチコピーだけ、
ちょっと読みたいなと思います。
これは、
共感を呼ぶ傑作家、
目を背けたくなる問題作家、
というキャッチコピーなんですね。
で、
一つ、
あの小説の中からね、
抜粋されている言葉があって、
それは、
自分が想像できる多様性だけ、
来産して、
地図上整えた気になって、
そりゃ気持ちいいよな。
って書いてるんですよ。
これ、
自分の家族を受け入れる
刺さる。
はい、
ということで、
今回は、
この小説を読んでの感想ではないんですけれども、
感想とも言えるのかな。
この小説を読んで、
多様性について、
考えてみた、
っていう感じです。
結構ね、
考えてみたというか、
反省したんですよね。
どういうことかというと、
多様性って、
すごく言ってしまえば便利な言葉だから、
めちゃくちゃ簡単に、
もっと言うと、
安易に私自身使っていたなっていうふうに思ったんですよ。
特に最近。
そんな自分が、
あのすごい嫌になりました。
恥ずかしくなりました。
で、
もっと言うとね、
自分はそういうものには寛大です、
みたいな、
多様性の今のこの、
あの、
流れに乗ってますじゃないです。
けど、
どんな人でも受け入れられる寛大な心を持っています、
みたいな、
あの、スタンスでさ、
こうやって番組で発信してることとか、
まあ、日常生活でもそういう発言をしていることとかが、
もう本当に恥ずかしくなった。
もう、もう、
ほんと全部取り消して、
みたいな気持ちになりました。
なんかこう、
私は分かってます、
みたいなさ、
こととか、
私は知っています、
みたいなさ、
そういうのが本当に嫌になった。
もうね、
あの、
いやいや、
私は分かってますって、
分かった気になるなよって、
自分で自分を突っ込みたくなったし、
私は知っていますとかさ、
それもさ、
いや、もう知った気になるなよ、
みたいな、
なんか、
もうそういう、
なんて、私は分かってるんで、
みたいなさ、
もうそういう自分がいることに気づいたのも嫌になっちゃったし、
そんな自分も、
もうなんか、
もう分かった気になるな、
知った気になるな、
っていう気持ちになりました。
こうなんか、
目を覚ましてもらったみたいな感じですね。
で、この多様性っていう言葉をさ、
キラーの言葉で言うと、
なんかこう、
みんな違って、みんないい、
みんなそれぞれ違うもんね、
っていう言葉で、
片付けられちゃうこともできると思うんですよね。
で、私自身も、
なんかそんな風に思ってるし、
そんな発信が結構多いんですよ。
だけど、
もっともっとそこをさ、
細かく砕いていくと、
私自身は、
自分とあまり関わりのない遠くの、
自分とは違う、
価値観を持って、
いる人は、
受け入れられるよ、
っていう意味にも近かったな、
と思うんですよね。
どういうことかと言うと、
私と直接日常生活で関わることがない、
あの人のことだから、
私と違う趣味思考を持っていても、
私と違う価値観を持っていても、
あの、それはあなたの話ですよね。
これは私の話です。
みんな違うよね。
みんな違って、みんないいよね。
みたいな感じで、
他人事、自分事、
みたいな感じで、
こう分けられてたんですよね。
だけど、いざそれが、
自分の家族とかってなってきたら、
家族の多様性と喧嘩
話は別ってなるんですよ。
自分の家族の多様性を、
全然認められてなかったんですよね。
認められてなかったし、
今もなんなら、
あの、認められてないこともある気がする。
本当に。
なんかこう、簡単なね、
好きな食べ物が違うとか、
好きなお洋服が違うとか、
好きな映画が違うとかぐらいだったら、
いや、それはみんな好きなものあるし、
みんなそれぞれ違うし、
っていう感じで、
あの、そうよね、そうよね。
あなたはこれが好きよね。
私はこれが好きよ。
みたいな風に言えるんですけど、
それが、夫婦関係の中の子育ての話とかって、
なってくると、
話が違うってなってくるんですよ。
これ、ありませんか?
ご家庭の中で。
で、夫婦も、もちろん違う人じゃないですか。
違う感性を持っていて、
違う価値観を持っていて、
違う意見、違う感覚、
違う考え、違う感情を持っている、
違う人生をこれまで歩んできた人。
ADHDの子供との向き合い方
だから、違うのは当たり前。
だけど、その間に、
その2人の大事な子供とか、
子育てっていうのが挟まった時に、
大事な者同士がさ、
こう、喧嘩するんですよね。
譲れなくなっちゃうんですよね。
これが本当にね、
子育てに、
夫婦関係の違いをすり合わせるってなると、
本当に話が難しくなるなと思います。
で、私は、
これ多分過去のエピソードでも言ってますけど、
すごく言葉が好きで、
言葉を大事にしたくて、
言葉を大事にしている人がいいなって思うんですよね。
で、旦那さんもその節あるんですけど、
でも多分ね、
これは最近分かったことですけど、
私ほどではない。
だから言葉の優先順位が私ほど高くはない。
低くはないけど、
私ほど高くはないっていう感じなんですよ。
だから私は、
旦那さんの子供たちに発する言葉が、
結構ね、もうなんか逐一気になったりしちゃうんですよ。
もう嫌でしょ。
こんな、もう、逐一気になるの。
何?今の言い方とかさ。
そんな言い方せんといてくれへん?とか、
言っちゃうこともあるし、
言わんくっても思っちゃうことも結構頻繁にあるし、
言っちゃうこともあるし、言わんくっても思っちゃうことも結構頻繁にあるし、
言っちゃうことも結構頻繁にあるし、
だけど旦那さんからしたら、
言葉の優先順位ってそこまで私ほど高くないから、
ポロッとトゲのある言葉を言ったりとか、
それ私使ってほしくないなっていう言葉を言ったりとかするわけです。
でもそれってさ、
本当に大事にしてるものの違いとか、
優先順位の違いとかなわけじゃないですか。
だけど、
そうやって冷静に考えたら分かるんだけれども、
ここの違いを、
子供のことになると許せない。
子供のことになると許せない。
この一番近くにいる旦那さんの自分との違いをさ、
受け入れたり寄り添ったりできないくせに、
もう全然遠くの人のことをさ、
もう私はいろいろな違いを認めますみたいな、
いろんな違いを持っている人たちのことを認められる、
とっても寛大な心を持っている人です、
みたいなニュアンスで話してる自分、
恥ずかしいと思って、
そんな遠くの人のことそんなん言ってるんやったら、
その前にさ、
一番身近な旦那さんのこととか、
子供のこととかさ、
そこを本当の意味でよ、
本当の意味で受け入れたりとか、
寄り添ったりとかしろよ。
してきた?
それ私って思ったんです。
うん、本当に申し訳ないっていう気持ちになりました。
で、こういう気持ちになったことって、
これまでに何度も、何度もっていうか、
何度かあったんです。
あれもあれもって思ったことがいくつかあるんですけど、
まず最初は、
長男の発達の偏りがあるかもしれないっていう風に
診断された時だったんですよね。
で、その時の時点で、
私はADHDともう診断されている友達がいたんですよ。
だからその存在も知っていたし、
そういう人の存在も知っていたし、
お友達だったし、
だからそこにはさ、
理解があるつもりだったんですよ。
すいません、切れてしまった。
続きいきます。
だから私はそこには本当に理解があるつもりだったんですよ。
私はそういう人を知っていますとか、
そういう人でも自分らしく生きているのを知っています。
分かっています。
理解していますみたいな風に勝手に思ってたんですね。
勘違いをしてたわけです。
だけどいざ我が子が他の子と同じようにできないとか、
他の子と同じように発達していないっていう風に分かった時に、
ものすごくね、
なんか受け入れられなかったというか、
衝撃を受けたというか、
私の身にそんなことが起こるはずがないみたいな、
極端に言うとね、
なんかそんな風に思ってしまってたんですよね。
でも頭では、
私はそういう人に対して、
なんか寛大に受け入れられるから、
みたいな風に思ってるから、
自分が受け入れられるから、
認められてないことを認められてないことにも気づけてなかったんですよ。
それが一番危ないというか、
怖いなと思うんですよね。
私当時、
療育に息子を通わせていたので、
その時の1日の生活リズムの記録とか、
療育の先生との交換日記じゃないですけど、
日誌の交換みたいなのをしていたので、
それを読み返していると、
はっと私自身が気づいている瞬間の文字があったんですよね。
私自身が気づいている瞬間の文字があったんですよね。
不登校になった長女への感情
私自身が気づいている瞬間の文字があったんですよね。
私自身が気づいている瞬間の文字があったんですよね。
今まで私が息子と過ごしていて、
しんどいな、つらいな、イライラするなって思ったのは、
頭ではこの子はこういう子なんだ、
こういう偏りを持っている子なんだって分かっているのに、
心がそれについてこなくて、
イライラしてしまうこと、
本当の意味で彼を受け入れてあげられないということが、
すごく辛いんだということに気づきました、
みたいな風に書いてた日記みたいなのがあったんですよ。
そこに先生がお返事で書いてくださってたのは、
それは大きな気づきですね、そうだったんですね、
みたいな風に、本当にそれだけなんですよね。
だけど、私はその瞬間に本当に気づいちゃったんですよ。
私、発達に偏りがある人とか、
周りと同じようにできていない人のことを、
すごくポジティブに捉えて、
捉えているつもりだったし、
そういうのを個性っていう風に捉えているつもりだったし、
全くそこに悲観的な感情を抱いていないつもりだったけど、
それは自分の子供とか自分の家族じゃないからこそ、
言い方悪いけど、他人だからこそ、
そうやって寛大に思えてただけなんだなっていうことに気づいちゃったんですよ。
そんな自分にめちゃくちゃショックを受けたんですよね。
私って、
あんな人やったんやみたいな風に。
でももうそこに気づいてからは、
もうそういう自分も受け入れて、
そういう風に思ってたんやな、
頭ではこう思ってたんやな、
でも心がついてこうへんかったんやな、
いざ自分の子供ってなったら話が違ったんやなってことにも、
気づいていけたんですよね。
だから、そこで気づけたことによって、
ちょっとずつちょっとずつ前に進んでいけたなっていう風に思うんです。
もう一つは、
長女が学校に行かなくなったとき。
長女が学校に行かなくなったとき。
息しぶりがすごく激しくなったりとか、
もう学校に足が向かなくなってしまったときに、
その時にも同じこと思ったんですよ。
私、不登校とか息しぶりに対して、
すごい学校がすべてじゃないよとか、
学校に行けなくたって違うところで勉強すればいいしとか、
フリースクールっていう選択肢もあるしとか、
行けなくても大丈夫みたいな風に思ってたし、
もしかしたら言ってたかもしれない、他の人には。
だけど、いざ我が子がそうなったときに、
すっごくうろたえて、
いろんな感情がありますよ、いろんな感情がある。
だけど、自分ごとじゃないときは大丈夫とか、
身近な人たちとの関係の大切さ
誰かを励ますような言葉を思ってたりしてるくせに、
自分ごととなったら、我が子のこととなったら
話は別なんやわ。
って思ってまたこれもさ
私ほんまに口だけで綺麗な
言葉みたいなことをさ
言ってるけど本心は全然違うやん
とか思ったりしてしまったんですよね
その感覚にすごく似ている
自分の綺麗事では
済まされない本音の本音の本音の
ところに気づいてしまった
みたいな感覚ですよね
だから
今は本当にいろんなところで
多様性っていう言葉を聞くし
その言葉の使われ方も
様々だと思うんですよね
いろんな形で使われているし
時にはすごく便利な
多様性って言っときゃいいわみたいな感じで
使われている場合も
あるんじゃないかなと思うんですよ
だけど
世の中のとか世界のとか
自分とはあんまり交わる
ところのない世界での
多様性を
謳ったりとか受け入れてる
って言うんだったら
その前に一番身近な
家族のことを
本当の意味で
理解しようとしたり
もう完璧に理解することは
無理ですよ本人にしか無理だからそれは
だけど
理解する努力を
惜しまないとか
寄り添う努力をするとか
そこを諦めない
っていうことがすごく
大事なんじゃないかなっていうふうに
改めて思ったんですよね
改めて思いそして反省をしました
なんかこう
一番大事なところって
本当に身近な人たちのね
家族だけじゃなくても
そうかもしれない
なんか周りのお友達とか
近所の人とか職場の人とかさ
なんか保育園とか幼稚園で出会う
あの子供の友達とか
その友達のお母さんのこととかさ
そういう何でしょうね
身近に溢れる多様性みたいなものを
多様性を理解し受け入れる努力
ちゃんと本当の意味でね
理解する努力っていうのは
し続けないといけないなと思いますよね
本当にね
ちょっと反省をさせられる
内容でした
結構なんていうのかな
特殊ではない
なんというのかなあんまり
どうでしょう
好みが分かれる小説なのかな
もしかすると
でも思うんですよね
そうだし私も最初読んだ時は
うわこれちょっと嫌かもって思ったんですよ
だから読めるかな
最後までって思ったんですけど
でもほんと最後まで読んでよかったな
と思ってます
今年読んでよかった本
トップ10には入るなって思いますね
私まとめトップ10には入るな
性欲
って思っておりますので
もしね機会があれば
読んでいただきたいなと思いますし
もう3年4年前ぐらいに出た本なので
読まれた方も多いんじゃないかなと思います
もしよかったら
皆さんの感想や意見も
聞かせていただきたいなと思いますので
是非ねメッセージいただけたらと思っております
はいということで
今日は多様性とか言う前に
というテーマでお話をしました
多様性多様性って最近ね
よく聞きますけれども
それの本当の意味って
私たち分かってるのかな
っていうところとか
遠くの人の多様性を受け入れますよ
っていうね
風に思うんだったら
じゃあ一番身近な家族とか
それこそ旦那さんとか子供とか
近所の人友達
幼稚園のお友達
そのお母さんたちとか
のことを本当の意味で
受け入れられているのか
受け入れられなくても
受け入れる努力っていうのをしているのか
みたいなことを考える
きっかけになったらいいなと思います
私もすごく考えるきっかけにさせてもらいました
はいということで
最後まで今日も聞いて下さいまして
ありがとうございます
今月も寄付サポーター
というのを随時募集しております
月額1000円からサポートしていただけます
サポート特典サポーター特典としまして
毎月新しい杉辺のおかんだより
というものがデータで届きますので
ぜひぜひ
応援サポートの方よろしくお願いいたします
今月のおかんだよりはですね
何書いたかな
それこそ年末なので
今年読んだ本の中で良かったものとか
グッズを販売し始めたので
グッズの話とか
なんかそんなことをいろいろ書いてます
はいそして
このねサポーターになってくださる方
っていうのはベースで
ベースというプラットフォームで
そのサポートのものをね
購入していただく形になるんですが
その際にアカウントには住所を入力していただく
必要があるんですね
なので住所をこちらでも把握することができるので
年賀状を送らせていただきたいと思っております
はいなのでぜひぜひそれもありますのでね
ぜひぜひ今月も寄付サポーター
よろしくお願いいたします
はいということで最後までご視聴ありがとうございました
最後まで聞いてくださいましてありがとうございました
今日も素敵な一日になること願っております
22:52

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