00:00
今日のテーマトークは、フリクリです。はい、では、マリオンさん、解説お願いできますか。
はい、今回は、Wikipediaの概要から、少し引用させていただきます。
フリクリは、2000年から2001年にかけて、全6巻のOVAとしてリリースされた日本のアニメ作品である、
新世紀エヴァンゲリオンの自作品である、彼氏彼女の事情以降は、原作付きのアニメ化しか制作していなかったガイナックスによる久々のオリジナル作品。
また、フリクリは、新世紀エヴァンゲリオンで副監督を務めていた、鶴巻和也の初監督作品である、という感じですね。
はい、では、ここからネタバレ込みの話、入っていきたいと思います。
もしよかったら、見てからぜひ聞いていただけたらと思いますので。
はい、では、我々の触りの感想をしていこうと思うんですけれども、マリオンさんいかがでした?
あのー、ついさっき見終わったんですよ。
あ、そうなんですね。そうなんですね。
そう、ついさっき6話まで見終わって、あのー、まだ正直、整理がついていない状態なんで、喋れるのかな、今日って思ってたんですけど、
でも、ただなんか、とにかく全6話駆け抜けて、とにかくすごかったんですよね、本当に。
まずやっぱアニメ表現が異常すぎるっていうのは、もうちょっとすごかったですね、本当になんか。
こんなになんか、いろんな実験的なことをやりきって、リアリティラインがすごいなんかもうブレブレなんですけども、それこそがフリクリなんだな、みたいな感じ。
これ、もうフリクリだから成立するんだろうな、この感じだっていうのは、ちょっと見ながら思っていて。
もうとにかくずっとそのなんか、意表をつかれまくってて、物語の感じとか、あとバックで流れるピローズの曲とかを聞く暇がほぼないんですよね、なんか。
もう、とにかく圧倒されてたんですけど。
で、やっぱ物語も、まあなんて言うんでしょうね、ちゃんとした1個の物語のラインはあるんですけど、なんか結構、1個1個ちゃんともう独立したなんか、1ペン1ペンの作品って感じがすごくするというか。
なんかやっぱり、思春期ぐらいの男の子のいろいろな葛藤とかなんか、なんか成長段階というか、大人と子供の間の時のこうなんとも言えない感じみたいなのが、
1ペン1ペンなんか、いろんなところからこう引っ張り出しそうにまつわる話が展開されていくっていう感じが見てて感じたんですけど。
なんだろう、本当にふわっと概念だけはすごくわかるんですけど、言葉にするのがめちゃくちゃ難しいなみたいな感じにはめっちゃ思ってて。
確かにこれ、まあ今だいぶ大人になって見てるから、ある程度こう冷静にちょっと見れてるのかなって思うんですけど、
これ本当にたかんな時期に見たらなんかもう、わーってなってたような気がして、すげーなこのアニメやっていうふうにすごく思いましたね。
はい、えーと僕はですね、見たの自体は5年ぐらい前なのかな?もうちょっと近いな。3年?4年ぐらい前かな?3年か4年前なんですよ。
多分4年前だわ。
あ、そうなんですね。
割と最近なんですけど、むっちゃくちゃよくて、もう僕の好きなものが詰まりすぎてるなと思って、まず世界系ではあると思うんですよね。
03:12
世界系の中でもね、ハコニックは世界系って言ったんですかね。
あー、はいはい。
世界が閉じてる感じがね、むっちゃ好きで、あとその新規の男の子の自意識、特に性の目覚めが混じってるところがですね、すごくよくて、それに対して答えを出せてない状態。
何だったら自分の中の性欲が嫌な状態の男の子の自意識っていうものの話になってて、それに対して2人の女性が出てくるんですけど、これがまたその新規の少年には咀嚼しきれないんですよね。
咀嚼しきれない女性2人が出てきて振り回されるっていう、それはものすごい苦い経験なのかもしれないけど、それでもまあ何かにはなってるよなっていう。
それで得られる成長っていうものも、かすかなものかもしれないなっていう。ちょっと前まで飲めなかった酸っぱいジュースを飲めるようになるとか、そういうレベルだと思うんですけど、それでも前には進んでるかもねみたいな、その感じがね、超好きで。
なるほど。いやまあ、めっちゃわかるな。そこはわかりますね。
まあ、作風の感じも、なんというか僕がかつて憧れたサブカルってこういうのだよなっていう雰囲気がね、プンプンしてて、そういうとこ込みでね、好きなんですよね。
一旦これぐらいにしとこうかなと思います。あとお便り3ついただいてますので、紹介させていただきます。マニオさんお願いします。
はい、じゃあ読みますね。
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
原口さんがいたら大変なことになってたと思いますよ。
いやでも、解説欲しいな。めっちゃ音がかっこよくて好きなんですけど、聴いてる場合じゃないんですよ。歌詞の内容を頭に入れる場合じゃないんですよ。目の前で起こっていることが。
06:04
本当に何もそこにまで至ってなくて、本当に申し訳ないんですけど。ただ、曲としては、リトルバスターズって曲だったかな?がめっちゃ好きでした。
どれだろう。
あの、だいたいあの、結構かかるんですけど、ロボットみたいなのに、なおたがロボットみたいなのに飲み込まれてめっちゃかっこよくヒーローゼンとして活躍するじゃないですか。第2話あたりとかね。あそこで流れてる曲ですかね。
もう、今めっちゃイキってるときに書かれる曲って思ってないですかね。めちゃくちゃイキり倒してるときに書く曲ですね。
いやー、えっと僕、ヒーローゼンめっちゃいいんですけど、僕がヒーローについて言えることは2文字なんですよ。
いい、以上。 いいしかねえ。あれ?
僕なんか、そこに関しても何かあるかだって思ったんですけど、特にそこもいいねしか言えないんですね。
いや、あのね、馴染みすぎてて引っかからないんですよね。物語と有機的に融合しすぎてて、もうそのままゴロンと全部飲み込めちゃうというか、なんかこのピローズのここがいいよねってならないんですよね。
全部が合体したままドンと受け取っちゃってて、なんかね、あのピローズの音楽かかってて、あの映像が流れててっていうので、なんかね、もう思春期の知識ってこれのことですみたいな、ジスイズって感じで飛び込んでくるから。
なるほどね、まあまあまあ、あとこうなんて言うんですかね、こうやっぱ思春期とロックって結びつくよなーっていうのはすごくわかるんですよね。
ただ、僕の中であんまり自分の思春期とロックが繋がってないんですよね、実は意外と。それもあってなんかすごく思春期とロックという記号みたいな感じでもちょっと見えるんですけど、個人的には。
そうですね。
まあまあまあ、それはそれとしてね、いいんですけど、それはね。
そっか、まあ記号的な引用だと思いますね。反骨心、ロックみたいな、ある程度記号化されたイコールで繋がれてると思うんですけど、そうですね。
さあ、どこから掘り下げていくかですけど。
どこから掘っていくか、本当これ、もう見たとき、本当になんか衝撃しかないんです。本当にあのこれ、何これっていうことしか起こらないし、描写もされないので、とにかくなんかアベントしてたので、これをなんか初見で飲み込めてる人はいるんですか、ちゃんとこれっていうのが正直な感想ではあるんですけど。
うーん、そうですね。言いたいことは割とわかりやすいかなって気もしてて、SF的な要素が結構目立ってて、そっちで気を取られそうにはなるんですけど、言いたいことっていうのは思春期の自意識ですね、みたいな感じだとは思うんですね。
で、僕はもうそういう映像的なテクニックとか、あとそういうサブカル的な文脈の引用とか全然わかんなくって、ギターの名前とかもわかんないんですよ。フライングVとかなんか聞いたことあるなぁとかいう感じではあって、あんまりその文脈で広げれなくって、本当に思春期の話として僕は見てたんですよね。
09:22
で、本作、脚本がエノキドヨウジさんっていう、新世紀エヴァンゲリオンとか少女革命、ウテナとかの脚本をされてた方が入られてるんですけれども、こういうSF的な舞台というか、あくまでフィクションとしての舞台と思春期の自意識とかっていうものを絡ませるのがむっちゃ上手いというか、作家性って言ってもいいのかもしれないですけど。
で、ちょうどこの時期に集中的にそういう仕事をやってるんですよね。新世紀エヴァンゲリオン95年で、少女革命ウテナ97年で、フリクリ2000年なんで。どれも僕は好きですけど、フリクリはその一つとしてめっちゃ好きっていうのがありますね。
で、まず僕が刺さったのが、マバセ市っていう舞台になってる地方都市の画面なんですね。町の真ん中にでっかいアイロンがドンと置いてあって、蒸気を上げ続けているっていうあの絵なんですけど、むちゃくちゃいいなと思うんです、あれ。
なんか知らないけど、この街に不安が横たわってると。で、そこにナレーションが重なるんですよね。すごいことなんてない、ただ当たり前のことしか起こらないっていう。このアニメは当たり前のこと全く一つも起きないんですけどね。
日常に生んでることの象徴みたいな感じで、アイロンがあって、それがなぜアイロンなのかっていう深読みすることはできると思うんですよね。
そうですね、確かにね。アイロンって抑えつけるものの象徴的な感じもしますしね。
で、スチームを上げて空気自体が不穏な感じになるし、あと中盤の話では脳みそをまったいらにするものっていう感じで、世界を菌質なものにしちゃうやつみたいな、そういったものとしても出てきてますけど、正直僕アイロンである意味ってそんなにないと思ってて、なんかそういう意味多分後付けだと思うんですよね。
なんかアイロンっていう感じ。それを理解する人ってないのかなぁと思ってて、僕はそれでいいかなっていう感覚なんですね。
例えば子供の時に街の中によくわからない建物があって、それがどうも大人の世界だけでなんか動いてると、子供には預かり知らない、よくわからないものですと、それものすごく子供心に不穏なものとして映ってたと思うんですけど、
そういったものっていうことでいいのかなと思ってて、自分がよくわからない理屈で存在してて、よくわからない目的のために動いているものっていう不条理な存在としてあって、それは巨大で威圧的で不穏な状況をあげててっていう、
12:13
それがこの街にどんとそびえているっていう、自分の前に立ち塞がっているっていうのでいいのかなって思ってて、その絵の時点でもうめっちゃ好きで。
あと6話ぐらいになったらすごく閉塞感漂う街って感じがめちゃくちゃ前面に出てくるなって思ってたんですよね。最終話ぐらいで。なんかもうここから出られないんだみたいな感じの田舎の地方都市感って言うんですかね、ああいうのって。
僕だとすぐ悪の花とか思い出すんですけど、あの感じにやっぱりすごく近いなと思って。この半径何メートルかぐらいしかない世界の話っていうので、そこで一生が終わるんじゃないかっていう嫌な感じと、でも俺はもっといけるぜっていう感じの虚勢を張りたい感じみたいなのが入り混じるような感覚っていうのが、
すごく6話ぐらいから一気にブワッとテーマとして持ち上がってきて、そこがわかるわかるとか思いながら見てましたね。
そうなんですよね。その不安感っていうか、自分はどこへも行けないんじゃないか、何者にもなれないんじゃないかみたいな不安があって、特に直太は兄貴が出来がいいじゃないですか、アメリカに野球で留学しててみたいなのがあって、
その劣等感もあるしで、無理に大人ぶろうとしている感じがあって、そうすることで自分はここに縛られない存在になれるみたいな思いがあるのかなっていうふうには見えるんですけど、それでもやっぱりそこで背伸びしている子供でしかないっていう悲哀はずっとあるようなと思うんですね。
すごく頑張って大人びたことをしようとしているなっていう感じがすごく感じましたよね、前編本当に。大人たちがこぞってカオスを持ってきたりというか、はちゃめちゃだったりとか、ある意味で子供っぽかったりするので、余計に大人っぽさが際立つというか、大人っぽくあろうとするところが際立つって感じですかね、大人っぽいというより。
また大人に対する嫌悪感もあるじゃないですか、彼。
うん、すごくありますよね、なんか。
特に父親だと思うんですけど、あの親父かなりきついなっていう感じがあって。
きっついっすよね、親父はきついなっていうのはありましたけど、なんかね、ああいうすぐ子供に下ネタ振ってくるようなやつ嫌だよなっていうのはめちゃくちゃ思いましたし。
なんかね、東京でサブカル雑誌の編集長をやっててっていう経歴、こいつ粘っこいぞみたいな感じがあって。
そうですね、もうすれてる感じがやばいなっていうのはめちゃくちゃ思いましたけどね。
15:00
でまた喋ることがスノップじゃないですか。
本当に。
直田くん、やっぱ緑ジャケット加配みたいなこと言うじゃないですか。
うるせえなと思って、何をやってるんだと思って本当に。
そこまでルパン入れるかねみたいな感じのね、こととかやったりとか。
でまた声やってるのが松尾鈴木じゃないですか。
もう余計にサブカル感がすごいなって思いましたけど。
また自分自身の性欲みたいなのも子供にバンバン見せるし、結構ねきついんですよね、あの。
なんかサブカルに精通しててスノップで、体勢には噛みつくけど体質としてはセクハラ込みのハラスメント野郎って、なんかこういう人いるんだろうなっていう感じかね。
そうですね。
で直田の中に父親に対する憧れって全然ないじゃないですか。
で憧れてるのは兄なんですよね、やっぱり。
うん、そうですね。
で兄のバットをずっと置いててっていう、もうずっと比較され続けるじゃないですか。
野球の試合に出ても兄今日向かったのになーって言われるし、で部屋にはずっとバット置いてるし、でずっとその直田の中に兄の原影っていうのがあって、それを追ってる。
でも必死に追いかけてるわけでもないんですよね。
なんか勝手に自分の中に描いて、それに勝手に追い詰められてるっていう感じがあって。
だからそのもがくことさえできてない感じがよりしんどそうというか。
うん、うん。
結構ムズいっすね、喋るの。
映像込みのカオスだから。
そうですね。
一本軸をつけて喋るの結構ムズいなっていうのはあるかな。
ムズいし。
うん。
描かれてることは確かに、うん、なんか分からなっていうのは、直感的には分かるんですけど、
言葉にしてくださいが一番難しいんだよなこれっていうのがめちゃくちゃあって、
うん、それはなんか思春期のこのモヤモヤした感覚は確かにこう分かるし、
そういったものを描いた作品っていっぱいあるけど、
なんかでもフリックリだけは唯一無二な感じに見えるのはやっぱりそれは何でだろうっていうのはめちゃくちゃ思うんですよね、やっぱりね。
映像とか、あと音楽とかも含めての総合芸術としての唯一無二性だとは思うんですけど。
うん。
僕は感じてるのは、あの好き勝手やってる感?クリエイターたちが好き勝手やってる感があって、
で、なんか俺こういう小ネタ好きなんだよねみたいなのどんどん詰め込むじゃないですか、パロディーとかね、
ちょっとスノップなネタとかも入りつつ、でアニメーションもむっちゃ低コンだと思ったらすごい力抜いてる感じのシーンもあったりとか、
無意味に正座してる状態のところがぐるぐる回っていろんな角度で動いてる作画があるとか、
あれ何の意味もないじゃないですか、正座した状態でぐるぐる回り続けるっていうのも、
作画の負担が大きいことをするっていうことぐらいしかたぶん意味のないやつだと思うんですけど。
18:03
その意味のないさそうなことをやる、何となく好きなことを詰め込むっていうこと自体が、なんか思春期の自意識そのもののような気もして、
作ってる側がやりたい方でやってること自体が、このフリクリっていう世界のあのまばせして閉じ込められた地方都市の中からどこかに行くことのように見えるんですよね、僕には。
僕30過ぎてからこの作品見てるんで、思春期にこれを見てるわけではないんですけど、実際にリアルタイムでもし見てたとしたら17歳で見てたことになるんですね。
もしその時に見てたら、どんな刺さり方したんだろうなって思うんですよ。
僕がかつて憧れたサブカルってまさにこれだったなと思って、最近初めて見たときに、自分が知らないネタをボンボン掘り込んでくる何かに詳しい大人たちが好き勝手に何かを作っているっていうこと。
そこには、ピーローズっていうオルタナロックの、オルタナロックっていうのが何かもわからないけれども、何か自分には刺さっているみたいなのが奏でられてて、それにはまってしまう。
なんかそれ、これが今自分がいる場所とは違う場所にある何かなんじゃないかっていう気がするんですよ、フリクリというものが。
今自分がいる、どこにも行けないかもしれないっていう感じていることに対して、どこかに行けた人たちが作っているものってこれなんじゃないかって感じたんじゃないかなと思うんですよ、フリクリという作品自体に。
あのなんというか、スノップな感じとか、ちょっとキッチュな感じとか、もうこのスノップとかキッチュっていう言葉を使うこと自体がもうなんかそのサブカル的なんですけど、
そういうことを言いたいっていう、その背伸びをしているということが、ここではない、どこかに行けてることなんじゃないかっていう感じがするっていうものが作品全体にあるような気がしてて、僕は。
ああ、なるほど。確かに自由に自分たちの好きなものを詰め込んでっていうことができるっていう、いろんな世界を見てきて自由なことをしてるっていう意味では、それは多分、ナオタから見たら女性たちみたいなことにも見るよなっていうか、
すごくある種の自由を謳歌している人たちの話みたいなのを見てる。ある種、自分も羨んでいるしみたいな。けどなんか、その中で一歩冷静な自分もいてみたいな、そこがぐちゃぐちゃに混じってるみたいな感じなのかなみたいなのがあって。
なんとなく見てて思ってたのは、大人と子供の曖昧さみたいな感じなのかな、なんて言ったらいいんでしょうね、この感じって。
大人だけど子供っぽいとか、子供だけど大人っぽいとかっていう、その相反する感じのキャラクターたちの攻めき合いって、それって思春期だけじゃなくて、今もそれはあるものではないかなとすごく思って。
それはなんか、どっちも大切だよな、それっていうのは。自分の中に眠る大人っぽさと子供っぽさっていうのを大切にすごくしたくなるような感じの作品でもあったんじゃないかなというのはちょっと思ってたんですけど。
21:14
そうですね。大人子供っていうのがあんまり役割がちゃんとされてないというか、ちゃんとしてないっていうのが正しいかもしれないですね、大人たちが。
そういうところが、尚太の目から見た大人に対する定観でもあり、同時に自由さでもあるというか、そういうのはあるかもしれないですね。
子供性と大人性の共存している存在として、やっぱりハルハラ・ハルコがいるとは思うんですね。
やっぱり本作の最大の魅力って彼女の存在、彼女のキャラクターにあるとは思ってて、どうですか?ハルコ・ラハルはどうですか?
いやもう、まずもう、なんだこの女は?みたいな感じですよね、本当に。僕も本当に直ったと同じ気持ちです。お前なやねん!っていう感じですけど。
まあでもね、そういう女性に振り回されたいですよっていう気持ちにはやっぱりなるよねっていうのはね、大いにわかるなっていう感じですよね。
本当に掴みどころがある意味ないなというか、掴もうとすると逃げる人ですもんね、絶対この人って。
絶対この人は手に入らないなっていうか。で、また彼女もすごく手に入れたいものがあるんだけど、手に入れられない大人でもあるみたいなところも含めて、
誰もがやっぱりみんな遠い世界を見ているんだよなっていう感覚がすごく好きだなっていうふうにはちょっと思ってて、
そうですね、あの感じに振り回されたいなっていう、それはちょっと確かに男の子の願望的な感じなのも含めて、僕もそこにはめっちゃわかるって感じで思いながら見てましたね。
そうなんですよね、すごいいろんな面があるキャラクターで、まず男にすごく都合のいい女性像としてのハルハラハルコっていうのがあって、
なんというか、ちょっと服装としてはボーイッシュ系で、かつ下ネタとか付き合ってくれる人。セクハラとかやってもなんとなく受け入れてくれそうな感じで、サブカルトークに付き合ってくれる。
で、かつおっぱいが大きいっていう、実は一番男の幻想を詰め込んでいる存在なんですよね。そのフワフワガーリーとかよりこっちの方が男の幻想なわけですよ。
男の都合のいい夢側の存在なんですよね。男友達として付き合えるおっぱいの大きい女の子の方がいいわけですよ、男としては。
で、サブカルトークと下ネタがいけるっていう、こっちが本当の理想なんですよね。そういう存在が出てくる、どこか居心地の悪さというか、
同時にものすごく他者にとって都合の良くないというか、全く他者を寄せ付けない、自分ではない究極の他者としてのハルコもいて、自分が何者かも語らないし、しかもどうやら別の目的を持って行動してて、
24:17
それのために人を利用することなんて意図はないし、他人が犠牲になることも気にしないっていうものすごく恐ろしい存在としても同時に描かれてて、かつ、気さくて面倒見のいいお姉さんでもあるんですよね。その3つの顔が共存してて、尚太は引き裂かれるわけじゃないですか。
いやそうですよ。引き裂かれますよ、そりゃあっていうね。めっちゃ自分に構ってくれるっていうだけでもキュンとするけど、絶対この人なんか寄せ付けないよなみたいな感じなところでキュってかわしてくる感じというか。
でなんかその姿がまたちょっとこう、何て言うんでしょうね、孤高感というんですかね。たった一人で独立してる感っていうのにかっこよさを覚えるというか。なんかそういうのに自分もすごくキュンとするなというか。求めたくもなるよなこういう感じ。でも一生そこ手に入らないけどみたいな風には思うんですけど、なんかでもその気持ちはすごくよくわかるなという感じにはなりますね。
そうですね。ハルコはまず個人としてむちゃくちゃかっこいいっていうのもあるんですよね。
そう、なんかいろんな意味での憧れの対象になるなっていうのがあって、そこがすごい魅力でもあるんですよね。なんかベスパーに結してナオタとちょっとツーリング行ってくれたりとか、むっちゃいいじゃないですか、あの感じ。
いいですね。
最後の方とかもう野宿旅行みたいなのがあってましたし。
でも同時にナオタのことなんてどうでもいいと思ってるんですよね。
接し方としてはやっぱり子供として接してる感はやっぱあるので絶対。やっぱそれはこっちのことは見てないんだなっていうことは多分ナオタもわかりつつも好きでしょうがないっていう感じを隠せないでいるっていうのが切ないですよねっていうね。
なんかもう届くわけないと思っているものに、でもそこに思いを寄せてしまっちゃうっていう感じって、もう恋ですよねっていう。叶わぬ恋に溺れてしまう感じっていうのはなんか切ねえなあっていうふうに思いましたし。
そうなんですよね。
なんか自分が利用されてるとか関係ないよなと思って、僕そこがね本作の結論としてむっちゃ好きなところで、なんか悪女と思ってた存在が実は運命の相手で相手も自分のことを理解してくれて相互に思い合う関係になりましたみたいなのってちょっと僕つまんないなって思っちゃうんですよね。
その関係を求める気持ちの動機づけに運命っていう概念を借りるなって思って。ちょっと僕そういう作品が一つ心当たりあって、運命に絡めとられていくような話にするのはやめてくれよと思って。
27:08
そういうそう決まってるからこうなりますみたいな、あくまでその初め悪女だったのもあくまでそれを際立たせるためのものでしかないますみたいな。僕乗れないんですよね。
本作結局ハルコは最後まで他人のことなんてどうでもいいし、ナオタのこともちょっとどうでもいいと思ってるとは思うんですけど、それでもやっぱりナオタがハルコに好きっていうのはね、僕はその感じが好きっていう。
確かにあそこってずっといいように扱われて思いを交わされてきたわけですけど、あの時だけはめっちゃよこせって言ってこっちに向かってくるわけじゃないですか。宇宙海賊の力みたいなのをナオタが持ってるからよこせってあそこでめっちゃ求めてくる感じ。
あそこでなんか来たーっていう感じがめっちゃしましたよね。あそこでようやくこっち向いてくれたんだって思うんだけど、でもそれでもやっぱりナオタのことじゃないから、それがまた切ないんですけど。だからあそこで好きって言えただけでもかなわないかもしれないけどよく言ったなっていう思いにはなってすごくよかったですね。
今までずっとひょうひょうとしてて、全部いなしてて、実は全部上から見てたハルコが余裕がなくなるじゃないですか。最終話で。あそこで初めて対等になるっていうのがめっちゃいいなと思うんですよね。余裕なんてこいてんじゃねーぞって。もう互いに必死で行こうぜっていう感じがね。
その上でナオタから好きって言って、それも別に響くとかっていうわけでもなく、その場はいろいろ一旦収まりますけど、ハルコはどっか行っちゃうし、ナオタは中学生になるしみたいな。でもそれでもなんかとりあえずあんたが何者だろうか知らないけど、僕は君が好きって言ったっていうことがもう好きすぎるんですよね。
本当にあそこらへんの最終話のエゴしかない感じがもうやっぱ最高で、やっぱそこはもう世界系的だなというか、もう本当になんかもう世界滅べちゃうんじゃないかみたいな感じになるじゃないですか。もうあそこでも超個人的なエゴでしかないことで全てが決定するかもしれないみたいな展開がやっぱめちゃくちゃ大好きですよね。
そこでナオタが素直になるというか、ひねくれてない自分を出すじゃないですか、その告白するところでね。結局その後中学校に入ってからもなんか前のナオタに戻ったっぽい感じもあるんですけど、ちょっと今まで飲めなかったジュース飲めるようになってるかなぐらいの感じも好きだったりはしてて。
30:01
まあ思春期のその自意識のモヤモヤって、まあそんぐらい些細なことなんじゃないかなっていう。ただ考えてる時はもうめちゃくちゃあれぐらい大事っていうことにはなるっていうことが大輝っぽくも感じるし、そうですよね。
真耳はどうですか?
真耳はなんだろう、個人的にはすごく一番厄介な人かもしれないなって感じで思ってたんですけど、個人的にはね。
こっちは逆にちょっとすいててくれてるっぽい感じがあるというか、春子がナオタに向けるそのちょっとしたこの愛情ともちょっと違うような感じ。
子供っぽくは見てるけどなんか本当になんかちょっとこのままなんかコロッとなんか関係が流れ込んでいきそうな感じみたいなのは真耳からめっちゃするんですよね。
なんかちょっと大人っぽさというかなんというかその影のある感がそうさせるのかはわからないですけど、独特なおっとりとした感じが含めて。
なんかそれはちょっとそれだけになんか厄介なところがあるなみたいな。
求められてる分なんかちょっとそれが裏切られた時なんかすごくうわーうわーって感じに心がざわめいてしまうみたいな感じが見ながらはすごく思ってて。
ちょっと何話目か忘れましたけどちょっとなんかナオタに対してちょっと違うんだよなーみたいな感じの雰囲気になるじゃないですか。
あのあたりのこう絶妙な感じが本当にうわーこの野郎って感じでめっちゃしましたけど。
でもなんかあの感じはなんかまあ春子も真耳もある意味ファムファタール的な感じには見えるんですけど、個人的に厄介なのは真耳かなって思いながら見てました。
ナオ君はそういうことしちゃダメなんすーって言いますからね。
てめーって。
なんだよって思っちゃいましたね本当に。
真耳こそこの番組でも以前ちょっと取り上げたいわゆるメンヘラだと思うんですよ。
いわゆるね。
そうですね。
ちょっと重い依存をしてくるっていう感じ。
その依存もかなり都合のいい感じというかなんかその感じはあるなとは思って。
でまたナオタに好意は持ってくれてるけど兄貴の代行品でもあるじゃないですか。
まあまあそうですけどね。
だからまあ兄貴そのものだったら多分許してってであることもナオタはやっちゃダメっていう。
あくまでその一部の役割しか持ってないからっていうところで、
むちゃくちゃ残酷なことも言ってる感じですけど、
なんかああいうキャラちょっと懐かしい感じしません?
なんかすっごい懐かしい感じするんですよね。
めっちゃなんか僕のこと好いてくれるちょっとだけ大人の女性みたいな感じって、
いやいいなっていう。
確かに結構年上女性に憧れがちみたいなのはあるじゃないですかっていうのが、
これ僕だけか知らないですけど。
ありますよ。
それに憧れてない人ふりくり好きにならなくないですか。
33:01
まあそうですね。
そうですね。
まあ確かにね。
そうそう。でもやっぱ本当にちょっと何やろう。
真耳は本当になんか妙に生っぽいというか、誇張されてはいると思うんだけど、
やっぱはるっこよりかはちょっと血に足のついた感じの存在感なので、
余計にちょっと厄介というか、
求めてくる感じもなんかちょっと真耳の方が結構強い感じは見ながら思ったんですけど、
その分だから裏切られた時の反動がちょっとやばいなっていう。
求めてきてたのによーみたいな感じになるよなっていうのは。
はるっこはもう最初から無理やんって感じがめっちゃしちゃうんですよ。
圧倒的な独立した人として憧れの対象的な感じでちょっと僕は見ちゃうので、
そこに何か思い寄せるのはもう叶わない前提だって感じはするんですけど、
真耳はなんか結構距離感が近いので厄介やなってめっちゃ思いました。
はるっこはね、自分なんかいなくてもあの人は一人で生きていけるだろうさって思えるけど、
真耳は俺がいないとダメだみたいになっちゃう感じがあるから。
そうなんですよね。そうそうそうなんですよね。
その対比でもあるけど、完全に自立しきってるけど都合よく付き合えそうなはるっこ。
実際には都合よくは付き合えないんですけど、
表面上は和気あいあいと楽しく関係は作れそうなはるっこと、
徹底的に俺がいないとダメみたいな感じになってしまう真耳っていう2人っていうのが、
その2人のハム・ハタールの話でもあるじゃないですか。
それはやっぱりナオタの思春期ゆえの性欲と恋愛感情が混じっためちゃくちゃ複雑な感情ゆえのものでもあるんですけど、
同時に多くの男性が持っている幻想も受け止める2人にはなってると思うんですよね。
僕、もう1個本作の好きなところ、
その男性側の幻想を2人とも蹴っ飛ばす感じがあるのが僕すごく好きで、
結局はるっこはそもそも男なんてどうでもいいんですよね。
アトモスクのことしか頭にないから、
他の男なんかどうでもいいし、表面上ちょっと誘惑的なこともするけど、
本当に生きようが死のうがどうでもいいんですよね。
あんたたち私の踏み台ですよっていうのをやってくるっていうところ。
理解できてるつもりになってたら理解なんてできないですよっていうしっぺ返しを食らうっていうところが、
はるっこには強い1個人としての強さがあるなと思うし、
まみみも他人に依存する気質があって、
俺がいないとってなるとこもあるけど、
最終的に自分でカメラを始めるじゃないですか。
写真を撮り始めるっていうので、
36:00
なおたがまみみが俺がいないとみたいなのにすがって、
そこで足踏みしてたら、
まみみは置いていけちゃうんですよね。
なおたのことを。
すでに置いていっちゃってるんですよ。
まみみ舐めんなよっていう話にもなってて。
かつてあんな大人になりたくねえなとか思いながら周りを見回してたなおたが、
はるっこと出会ってとんでもない経験をしたけど、
でも一旦は普通の中学生になりました。
ここで物語が終わりますけど、
ここでなおたが足踏みなんてしようものなら、
はるこもまみみもなおたなんてまるでいなかったようにどんどん前に進んじゃうんですよね。
どこかに行って何者かになるんですよ。
だからものすごい怖いエンドだなと思って。
もしここからなおたがまたよしやるぞみたいな感じで何かをやり遂げようとするんだったら、
なおくんやるじゃんみたいな感じではるこは興味持ってくれるだろうし、
まみみが写真で何か成果を残している横で、
じゃあ自分もって何かを成し遂げることができるかもしれないけど、
もしそこでこんな大人に俺もなるよねみたいなのに甘んじたら、
はるこは本当の意味でなおたのことどうでもよくなるし、
まみみはそんな人いましたっけみたいになると思うんですよね、彼女は。
そうですね、そうなるでしょうね、あれはね。
自分の物語の内側にいたと思ってた女の人たちが実は全然自分の物語の中にいなくて、
何だったら自分の側を抹消してしまうかもしれないなみたいな、
何かすごい怖いというか、この話が終わってからが本番じゃねえみたいな気もして。
そうですね、確かにそうなんですよね、確かにな。
二人の女性はちゃんと出ていくんですよね、閉塞した町から出ていくっていうのがすごく、
そのラストもすごくいいなと思ってたんですけど、
まだなおたは中学だからっていうのもありますけど、
でも何かやっぱ殺走と出ていった二人のことを刻まれていてほしいなとはすごく思ったんですけど、
それでもなおこのウダウダとした感じをまだ描こうものなら、
お前いつまでそれやってんねんって言われてもしょうがないよねっていう感じは見てて思いましたね。
なおたの中には感知が取り出されたりとか、フライングVが取り出されたりとか、
宇宙海賊の力が眠ってたりするわけじゃないですか。
それは可能性として眠ってて、一時期それを引き出してくれた人たちはいたっていうこと。
それはハルコでありマミミであり、あるいはメニカルメカニカっていう、
なんかよくわからない大人がなおたの力を利用しようとしてましたみたいな側面もあるかなと思うんですけど、
39:00
それをしてくれたのはなおたがわかってた可能性があったからそうなってましたけど、
そっから先なおたがどうなるかっていうのは本当にわからないなって思うんです。
そうしたら、あの街でメニカルメカニカの巨大なアイロンのことも別になんとも思わないようになって、
ただ蒸気に飲まれて、あの街でただ生きていくっていう可能性もあるとは思うんですよ。
なんかそこがね、なおたどうするっていうところでね、終わるのがなんか、
いやもうそうですね、それがすごいなあっていうか。
でもあの日お前はハルコに好きって言ったじゃないかっていうね。
そうですね、いやなんかすごいんだよなあ。
なんか世界系的な感じで言うとやっぱなんか、
それこそエヴァンゲリオンとかに関わってる人がやってるわけじゃないですか、鶴巻監督って、
なんか全く黄色が違うじゃないですか、庵野監督とまた全然。
もうここまでカラッとしてるかみたいなぐらいの感じの子があって、
なんかそこはなんか興味深いなというか、全然違うんだなこの2人はみたいな。
全然違っててよくなんか一緒にやってるなあみたいな感じがすごくするというか。
そうですね、全然個人でなんか出力できる方じゃないですか、鶴巻監督。
僕の性質的には庵野監督の作風より鶴巻監督の作風の方が刺さってるんですよね。
多分僕は庵野監督っぽいところが刺さっちゃう方だから、
たぶん振りくりも面白かったし好きだけどめっちゃ刺さってないのは多分そういうことかなとかはちょっと思ったんですけど。
あとやっぱり自分の思春期にロックがあんまり関係なかったっていうのもでかいなっていうのはあって、
あんましロックなあっていう感じ。
青春といえばロックでしょみたいなのから距離を置いていた感じがあったので、僕の思春期って。
そうですね、そこは結構記号を使ってるところはあると思うんですよね。
青春の象徴としてのロックとか、あとベスパとかね、ちょっと小ネタ的に入ってくるものが、
ちょっと自分とは距離のあるものに感じられるところはあるっちゃあるかなと思うんですよね、やっぱ本作は。
そうなんですよね、確かに思春期もモンモンとしていたんですけど、
そこにめっちゃ自分だけの何か独立したものみたいなのが求めてたわけでもなかったかなみたいな感じというか、
なんなら本当に僕は普通でありたかったよみたいな感じだったんですよね、個人的な思春期的な感じの感覚で言うと。
いわゆる世間の流行とかみんなが話題にしていることになんとなく乗れない感じが嫌だなみたいなのに、
そこに結構モヤモヤを感じてたりする側だったので、完全に庵野さんっぽいところにそもそも思春期があったなっていう感じになるんですよね、どうしても。
42:01
なるほどな。
そうですね、そこはフリプリは引用そのものがむちゃくちゃ意味を持っている話になっているのかな?
そこは例えばエヴァとか自体は引用自体が本当に単なる記号でしかないというか、話の軸の部分はあんまりそことは関わっていないような気もするかな。
ちょっと曖昧な感覚ですけど。
難しいんですけど、その感じを言葉にするというか。
フリプリは多分サブカル憧れみたいなのがいると思うんですよね。
サブカル憧れ、まぁ憧れあるけどなっていう思春期ど真ん中にはなかった気がするんですよね。
ロックに触れてこなかったけど、ロック的なものには憧れはあるみたいなのってあり得る感覚だと思うんですよ。
だから僕とかその感覚あるんですよ。
全然ロックとか詳しくないけど、ロックに詳しいってなんかいいよねっていう感覚はあって。
アニメの小ネタめっちゃ言えますみたいなのいいなとか感覚あるし、ベスパってなんか普通の原付のルールより絶対いいよねって感覚僕はあって。
あとちょっとこれ僕あんま的確じゃない言い方しちゃうかもしれないですけど、
フリクリってなんかロッキーオンジャパンっぽくないですか?
いや、言いたいことめっちゃわかりますけど、ロキノン系ってやつですか?感じはわかりますね。
2000年のOVAなんで雑誌が力を持ってた時代なんですよね。
インターネット以前なんで、インターネットまだ普及してない。
インターネット0名機も0名機なんで、2chもまだそんなに知られてないぐらいのタイミングだから。
本当に雑誌が力を持ってた時代です。
雑誌のサブカル的なものじゃないですか。
雑誌がカルチャーの中心にあった時代であって、なんかその簡単に入ってこれなさみたいなところ。
で、知ってる人たちが醸成してる空気みたいなものがあって、それに対する憧れ。
いやなんかロックっていいよねって。
あ、ロックっていいんだって。
ベスパいいよねって。
ベスパっていいんだみたいな。
やっぱルパンって緑ジャケットだよ。
ルパンって緑ジャケットがいいんだみたいな。
あの頃の僕のなんか変な感覚を捉えてるなって感覚があるんですね。
確かになんか自分だけのなんかこだわりが持ちたくなるみたいな頃合いじゃないですか。やっぱりそこって。
なんかやっぱそれがやっぱりサブカル的なものの根源にやっぱあるなぁと思うんですよね。
で、なんかそれがまあ自分どうやったのかなって。
まあ確かにこだわりはあったはずなんだけど、なんかそれがそんなに強くはなかったのかなみたいな感じはやっぱあるんですよね。
なんかそこが。
そういうこの映画についてあつく語るとかっていうのとかって別に大学入ってからだしなぁみたいな感じなんですね。
45:00
大学になってようやくそれが花開く感じなんですよなぁ。
個人的な感じで言うとですけど。
中学とか高校あたりとかはなんかあんまり。
まあでもとにかく写真構えてたこだわりはないくせに写真は構えてたので。
なんか本当に嫌なやつ。
振り返ると本当に嫌なやつだなって思うんですよね。
直ったじゃないですかそれ。
嫌だな。
思ったら嫌だな。
意外と共有できる感覚狭いのかもしれないですね。振り振り。
僕がさっき言ってたようなことに憧れを抱いてた人じゃないと支えにくくなっているのかもしれないです。
そうですね。好きなんだけどな。
それはようやく自分の好きなものというか感覚みたいなのが大人になって言語化できるようになったからこそこの感じわかるとかって思えるようになってきたのかなとかいうのはあると思うんですけどね。
難しいな。
いやでもすごい重要な作品だなと思ってて。
それはそうですね。
割と言いたいことを僕これで完結できちゃうんですよね。振り振りで。自分が思っていることとか言いたいこと。
結構内包できてて。
なるほど。
普通に映画的に面白いところないですか。なんか使徒みたいなやつ出てきてそれと戦うみたいな。それが妙に作画いいっていう。
そうなんですよね。だからこの振りくりっぽいものというか振りくり的なアニメ的な快感というか描写が多分いろんな作品に波及していってると思うんですよね。
というかその時のスタッフが作ってる作品とかを僕は触れてるわけですよね。
トリガー作品とかキルラキルとかそういうのってこういうのの快感みたいなのがいっぱい詰まってるアニメ作品だなって思うんですけどそういうのとか見るのめっちゃ好きでしたし。
またこういう世界形的なるものの感じとか思春期のモヤモヤを上手に作品にしたものってもちろん大好きですし。
そういう振りくりからの影響というか振りくりこそが全部が原点とは言いませんけど、そういったものを今まで僕がすごくいいなと思っていたものとか作品とかの源流にようやくたどり着いた感じっていうのは今回見てすごく思ったんですよね。
こんなにデフォルメされてわけのわからない動きしてて心地いいみたいなのって本当に好きなんですよね。
それは一種の日本的でもあるしちょっとカートゥーン的な感じもあるしみたいなのの説中みたいな感じっていうんですかね。
その感覚はめっちゃ僕好きで。
ナオタがベスパーに惹かれるというか、惹かれるシーンたくさんありますけど車に惹かれるとかそういうのを見るだけでめっちゃ嬉しいんですよね。
こんなわけわからん動きしてくれてありがとうみたいな感じになって。
そういうのは本当にたくさん見れて本当に楽しかったですし。
1話目とか漫画のコマみたいなのに進むシーンあるじゃないですか。
やべえなって思って。
48:00
こんなことよくやるんだって思って。
初めて見たわって思って。
で、6話でめっちゃめんどくさいわってメタ的にぼやいてましたけど。
もう一回やってましたからね。
そこも含めておもろかった。
なんてこったいって思いましたよね。
そのアイディアとかを本当にちゃんと映像化できるみたいなのがやっぱすごいなと思って。
本当になんか化け物みたいなスタッフしかいないなこの辺はっていうふうに思いましたね。
確かにガイナックス作品の中でも直接トリガーにつながってる感じありますねフリクリは。
そうなんですよね。なんかトリガーっぽい感じというか。
だから今石さんみたいな感じって言ったんでいいですかね。
その感じって結構めっちゃ好きだなっていう。
めっちゃ動くけどなんかデフォルメされてて。
ちょっと可愛らしい感じも含めてそれがヌルヌル動くのが気持ちいいみたいな感じっていうのがすごくいや最高だなって思いました。
そうですね。
あとそうだ見てて思い出したんですけど。
なんかあのバットガイズってあったじゃないですか。
ドリームワークスの。
あれの公開時か何かに誰かがなんかツイッターかなんかにあげたのかな。
なんかフリクリからめっちゃオマージュ受けてるみたいな感じのところのシーンとかあげてて。
このシーンそうなんだって思ったんですけど。
確かにそうやなって思ったんですけど。
どこですか?
何話目だったかな。
何話目かはちょっと忘れちゃいましたけど。
あの彼を一緒に夕方買いに行くわみたいな感じでなんか集合するかなんかであのベスパーで突っ込んでくるじゃないですか。
はるこが。
それでドーンってめっちゃ変な勢いで突っ込んでくるときにその周りの車がめっちゃガチャガチャしだすっていうシーンは。
確かバットガイズも似たようなシーンがあって。
そこのシーンをあげてた方がいて。
あーほんとだなんかすげーってかこれフリクリなんだって確か思ったんですけど。
まずそれがどういう感じなのかっていうのも全然わかってない状態でそうなんだって思ってたぐらいだったんですけど。
なんか今回フリクリを通しで見てあここかーって思ってなんかそのシーンが出てきたときちょっとおーってやっぱなりましたし。
てかもうこういうシーンしかないなこのアニメ。
それだけでしかできてないのでとんでもねーなこのアニメやっていう風に思いましたけど。
影響与えてるでしょうね本当に。
だからもちろんだからテーマ的にももちろんめっちゃ好きですけど、
そのアニメ表現にめっちゃ惚れてるのかなって自分は。
感じがすごくめちゃくちゃ強烈すぎるわと思ってたので。
いやー確かにそこは受け取る方は僕と違うかもしれないですね。
僕そういう表現をしてるっていうことがテーマに内包されてるっていう感じがあって。
自意識ゆえの表現の発露というか。
僕がよく言及してた感じは受け取ってもらえたんじゃないかなとは思うんですけど。
それはめちゃくちゃわかりましたし。
ただ本当になんかわかりやすいようだけどなんかでもやっぱりちょっと言葉に言語化しにくいような感覚というか。
コミュニティのフリクリという作品なんだなっていうのを思って。
そのなんかこう掴めたようで掴めない謎めいた感じっていうのが、
51:01
そのフリクリという作品に熱中してしまうある種の根源みたいなものなんだろうなっていうのは思って。
だからなんか2000年代ぐらい2001年とかぐらいの作品でいまだにこんなに人気があって、
誰もがフリクリとは何だったのだろうかって考えてしまいたくなるっていう魅力があるんだろうなと思って。
だからなんかようやく僕はやっぱりフリクリという作品を出会ったので、
何回か多分これからも見返しそうな感じがするんですよね、すごく。
もう本当になんか結構なインパクトだったんですよ、本当に。
もうなんじゃこりゃって感じだったので、
なんか多分これからも何回も見続けるような気がしますね、本当に。
で、何回も見続けてようやくなんかもうちょっと言語ができたりとか、
もっと内容面でグサッと刺さってきたりとかもするかもしれないし、
ピローズの曲とかもようやく理解して、
あそこでこういう英曲が流れてたんだ、めっちゃエモいやんみたいになるとかになってくるのかなっていうのはちょっと思って、
ちょっとね、あまりにもすごくちょっとまだ本当に許容できてないんだろうなっていうのが本当に。
作機ですもんね。
本当にちょっと。
作機っていうのもありますけど、
1話目見た段階でこれ大丈夫かなと思ってたんですけど、
これ喋れるのかなっていう。
好きな感じわかるけど喋れるかはわからなかったので、
まあまあまあ、いやでもこれちょっと、
自分でもこうもっとフリクリのこと考えたいし、
フリクリについて喋ってる人の話がもっと聞いてみたいなみたいな感じがすごく思いましたね。
いやでも僕今回喋ってみて思いましたけど、
むちゃくちゃ喋るの難しい作品ですわ。
抱えてる思いはものすごい多いんですけど、
言語化しようとすると、
意外とチープになっちゃうというか、
なんかやっぱ言葉にできないように作ってたんだなって気もしました。
そうかな。
本当普通というか、
言葉にしたら本当にチープになっちゃうんだろうな、この感じっていうのは。
描いてるテーマとか感情とか感覚が多分、
それをいろいろなマジックがかかることで、
フリクリという作品になるみたいな風になるんだろうなっていう。
それはもうなんか進化化されるよなっていうのは本当に思いましたね、今回見て。
そんなホイホイと真似できるようなもんじゃないなっていう。
とりあえず見ていただけてよかったですわ。
いや、本当に見てよかったです。
本当にすげー。
すげーわこれ。
これはなんだこれはって思いながら見てたので、本当に。
いや、でも好きだけどな、本当な。
ナオタが結構イキってきた時の感じとか好きだったけどな。
ナオタがね、やっぱりとつまんない子供なのがいいと思うんですよね。
そんなには魅力的じゃないというか、
普通なんですよ。
本人が思ってる以上に遥かに普通なんですよね。
そこがいいなっていう。
ただ可能性だけは内側に眠ってますっていう。
それは自分では取り出せないんですけどね。
勝手に出てきたり人が取り出したりするものなんですけど。
なんかそのバランスがいいのかなって気はしましたね。
54:00
はい、じゃあまあそんな感じで
フリクリの話は終わっていこうかなと思います。
はい、次回はエスターファーストキルですね。
はい、そうでしたね。エスターだった。
前の3復活です。
そうですね、復活予定ですのでね。
満を持して復活でホラー作品ということで。
僕エスター1作で見ないと。
そっからですね。
いやでも2人でアニメのことをたくさん話したのもすごく楽しかったですね。
でもなんか3作ともちょっと似てるとこもありましたね。
まあそうですね。
もう勝負ですよこれは。
そうですね。
こういうとこが刺さってしょうがない人たちの話っていうね。
それは本当に思いますね。
なんかアニメ劇館と言いつつバリエーションがそんなにないっていうね。
そうですね、そうですよね。
なんか海外作品とかね、やればいいじゃんってなるのに。
全部箱庭の話じゃねえかみたいなとこあるし。
そうそうそう。
ずっとなんかディスコミュニケーションの話しかしてねえな。
そうそう。
基本フリクリもリズとアウトルも僕ディスコミュニケーションの話だから好きっていうのもありますからね。
まあそうそう、その辺もねやっぱりありましたね。
やっぱ愛入れない絶対的な他者っていう感じ。
やっぱ別れて終わるところも含めて。
そこめっちゃ好きですね。
ちょっと引き出しを広げるっていう課題を与えられた気がしました。
そうですね。
引き出しなあ。
いやでもなあ。
好きなんだよなあこういうのが。
そうなんですよね。
ここだけ掘ってきたんだよなあみたいなとこあるんですよね。
そうそう。
同じ穴掘ってきた感じあるし。
まあ僕とマリオンさんの共通点が一番そこっていうのはありますけどね。
ベンズが一番重なっているところがその領域っていうのがあるから。
そうですね。
やっぱこの番組としてはそこが大きくなるというか。
そうですね。
なんか僕としてはガンダムとかの話してみたいけど、
多分この番組のメンバー的にはガンダムの話ってあんまりいい感じには転がらないだっていうのがあるし。
やっぱりある程度このメンバーでやるゆえの方向性っていうのがあって、
だからこそ広がるっていうのもありますしね。
いやでもむしろ3回かけて煮詰めに煮詰めたっていう感じも。
そうですね。
3回かけて同じとこずっと掘ってきましたねっていうのがいいのかなっていう風に思いますけど。
まあ久しぶりにね、ちょっとカジュアルにホラー映画の話でも。
はい、そうですね。
毎度3部活するし、楽しみにしたいところですけど。
はい。
ではお知らせになります。
4月の映画の反射スリルバーを開催する予定です。
場所は大阪の南森町にある日替わりイベント型カフェバー週間回り。
日時は4月の29日土曜日オープンが19時クローズが23時となっております。
あと5月に映画の反射スリルバーの公共開催が決定しました。
57:01
日にちは5月27日土曜日場所オープン時刻は翌日お知らせいたします。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ作品の感想などご自由にお送りいただけると幸いです。
また次回バー開催情報、ポッドキャスト、次回テーマ作品の告知も行っておりますので
Twitterのフォローもよろしくお願いいたします。
あとこの番組のイメージキャラクター、映画の話ししたすぎる猫かっこ狩りを知らった部分も販売していますので
よろしければご購入くださいませ。
お便り受付先、Twitterアカウント、ブランバイサイト、事前の番組説明文に記載しております。
それでは映画の話ししたすぎるラジオ第110回ですね。
オープニングの回間違ってたかもです。
第110回フリクリの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。