まず、世界観には大きく3つあるなと思ってます。
世界観ですね。どう世界を認知するかっていう話ですけど、
これは深井隆之さんがどっかの配信でおっしゃってたんですけど、
今実際にどうであるかということと、
それを人が観測してどのように解釈するかということと、
その上で世界はどうあるべきかというふうに考えること、
この3つはそれぞれ別物であるという話があります。
今実際にどうであるかっていうのは、
事実と解釈っていった時に、事実を今実際にどうであるかというふうに
捉えるかっていう話ですね。
これはまた話を混ぜちゃいますけど、いわゆる観世界に近い話。
観世界から事実を捉えるっていうところでのものが、
今実際にどうであるかということ。
どう解釈するかというのは、スキーマ寄りの話で、
目にしたもの、耳にしたものをどう解釈するかですね。
世界はどうあるべきかという話が、
どういう世界観であるべきかという話ですね。
そうですそうです。
ファクトと解釈を分けましょうという話はあります。
リョウタラさんがよくおっしゃられてくれるやつですね。
それプラス、ファクトと解釈、
事実と解釈、片方だけ英語なんだ。
事実と解釈は別だよねという話が1つ目と2つ目の話なんだけど、
3つ目の話で、じゃあそれは去っておき、
それを踏まえて世界はどうあって欲しいのかっていう話があると。
古典ラジオで言ってた、
意味価値を導入したポスト資本主義っていうのは、
世界はどうあるべきかということに対する提示だと思っています。
例えば、Xで例えると分かりやすいんですけど、
今実際にどうであるかっていうのは、
X上で多くの人が自分の考えや意見を投稿しているという状態が、
実際にどうであるかという状態。
それに対して、これはこの投稿、自分に対してクソリプがたくさん来ますとか、
ここの正当の話がたくさん飛び込んでくるので、
世界って何とか党の支持者がめっちゃ多いよねみたいな風に解釈するとかは2つ目の話。
ファクトは、いろんな人がいろんなことを言ってるね、以上終わりなんですけど、
それに対してどう解釈するかっていうのは人によって違う。
そのどう解釈するかの中に、例えばクソリプが多いよね、この世の中にはみたいな話とか、
Xに投稿したら、それってすっげー攻撃されるもんだよねっていう前提でいるべきとか、
そういうのって解釈であると。今どうだという解釈ですね。
解釈は人によりいろいろです。
その上で、今の自分の解釈をそのまま受容するのか、
そりゃそうだねって思ってそのまま生きるのか、
いや、もっとこうあった方が世界は平和になるだろうとか、いい世界になるだろうとか、
そういう風に思って、こう変わった方がいいって俺は思うっていう強いその意思みたいなもの。
それってあると思うんですよ。
今深井さんとか、昨日確かフローレンスっていうNPO法人を立てられた小政樹さんもフローレンスから手を離してますけど、
小政樹さんがSNSをやめてポッドキャストに専念するみたいな話をされてたんですけど、
これって、Xの今の世界観みたいな解釈に対しては脳を突きつけているってことだと思うんですよ。
世界はどうあるべきかっていうところに対して、ポッドキャストっていう領域で発信していく。
あるいはポッドキャストで発信します。
で、叩かれる可能性があるものは、1週間で消すから聞きたい人は聞いてね、みたいな。
その時の文脈に沿ってでしか聞けないし、みたいなことをしながら、
だからこそ発信者は言いたいことを言えるっていう状況の方が大事ですよね、みたいな。
Xに自分の意見を書いたら罵倒されて攻撃されまくるみたいなのが普通だという今の解釈。
攻撃が起きているのは実際事実なので一定事実だと思うんですけど、
それをそのまま受け入れるか、いや、こんなんじゃ世界良くならないよねって言って自分で行動を変えつつ、
こういう新しい世界観があるからそれに同意する人はこっちに来てくれ、
俺らの仲間になってくれ、みたいな感じでどうあるべきかっていう状況を自ら語り実践し、
仲間を増やし、その世界観を広めていく、みたいなことをしている人がいると。
そうです。強い意志でXを辞めたんですよね。それは意志があって辞めたんですよね。
それは今の3つの世界観があるといった中で、1、今実際にどうであるか。
2、それをどう解釈するか。3、その上で世界はどうあるべきかとなった時に、
どう解釈するかで今その攻撃的なものが溢れているよね。
だから自分の意見を発信したら攻撃されるのが当然だよねという世界に対して脳を突きつけている。
その世界観じゃ何も良いこと起きないだろって言って脳を突きつけて新しい行動をしている人たちがいると。
すごいですよね。本当にすごいなと思うんですけど。
この世界観といった時に、事実と解釈があり、事実も世界観なのかな。
解釈が世界観じゃ解釈が世界観なんですけど、競技の意味では狭い意味では。
でも事実と解釈があった時に、さらにその先に意思なり未来なり、こうあれという理想像みたいなのを語ってそっちに動かすっていうのがあると。
言ってしまえばその意味価値っていうのはこの3つ目の世界観なんですよ。
新しい世界観の提示の一つが意味価値っていうものの導入ってことだと理解してます。
飲み物飲みますっていう整理を1回した上で、クリエイティブ活動ってあるじゃないですか。
スロースの衣装作ったりとか、スロースの小説書いたりとか、そういう漫画書いたりとかでもいいですし、動画にしたりとか、プリン紙が出てきたりとか、バナナ紙が出てきたりとかでもいいですし、プアリンがいたりとか。
僕ゼロの世界観があったりとか、あの辺ってクリエイティブなわけですけど、クリエイティブって実はその世界観を表現しているものだというふうに解釈してるんですね、私の中で。
実際結構そうかなと思ってます。ここで2日前の配信で何言ったかに戻るんですけど、2日前の配信で語ったことをもう1回トレースしますね。
毎週月曜日にジャンププラスっていう漫画アプリがあると、毎週何曜日に何の作品みたいなのが更新されていくんですけど、月曜日に更新されるものの中にはスパイファミリーもあるんですけど、ルリドラゴンという作品があるんですね。
これは、ざっくりどういう話かというと、高校1年生にあった主人公のルリっていう女性女の子が、女子高生が朝起きて鏡を見たら、自分の頭から角が2本生えていったと。歯磨きをしてたら角が生えていることに気づいたと。一晩で生えてきたんですよ。
何これってなったら、お母さんに聞いたら、あんたドラゴンと人間のハーフだからって言われるんですよね。とりあえず学校行っておきって言って、学校行って、そしたら友達が何それみたいな感じで関わりつつもいつも通り暮らしたりとか。
でも、やっぱりちょっと興味があるから、何これちょっと触っていいとかって言って、触ったりして。ドラゴンというか、急に角が生えたことに過剰な反応をするわけでもなく、みんなある程度受け入れちゃうんですね。
っていう話から出てきて、そこから先いろんな、とりあえず学校行けるのはおもろいですよね。そこの、行っちゃうんだみたいな、大騒ぎしないんだみたいなのも普通に読んでて面白いんですけど、学園モノなんですよ。
主人公のルリはドラゴンと人間のハーフであり、他の一般的な人間とは異なるということがわかってくるわけですよ。火を吹く能力があったりとか、天候を操る能力とかっていうドラゴンが持ってる固有の能力みたいなのがどんどん顕現していくんですね。
それに対してどう向き合っていくのか、みたいなストーリー展開がされていて、主人公のルリ自身がどう向き合うかという話もそうだし、周りのクラスメイトがそれにどう向き合うというか付き合ってくれるのかっていう話でもあるんですよ。
今、多様性の社会って言われたりしますけど、他の人をどう許容するという言い方が正しいか分かるんですけど、受け入れていくか、受容していくかっていう話だなーっていうふうに思ってるんですよね。
ちょっと前には、LGBTQがテーマな作品とかが多かったんですけど、それって結構直接的じゃないですか。今の社会と地続きすぎて、多分みんな拒否反応が出ちゃう人もきっといるんだけれども、ドラゴンという
一個大きいというか、かなり思考を飛ばした先のものを普段の生活の中に取り込むとなると、メタで見れるんですよね。ドラゴンなんているわけねえじゃんなんですけど、仮にドラゴンが出てきたらどうなるのか。
ドラゴンと人間のハーフがいたらどうなるのかということを語っている作品で、そうすることによって、例えばLGBTQみたいな、今の喫緊の社会のみんなが向き合っている課題みたいなものと、距離を置いた状態でアンコンシャスバイアスみたいなものに向き合える。
こんにちは。みどりさん来てください。久しぶりな感じがします。アンコンシャスバイアスみたいなものに気づきやすくするという作品だと思っているんですね。
そういうテーマのも作品だなあって思いながら見てたんですけど、今週月曜日のルリドラゴンの更新の時に読者がコメントかけるんですよね。
1は読み終わった後に他の人のコメントを見たり、自分でコメント投稿したりできるんですけど、そのコメント欄見た時に、今回の月曜日の話、今週の更新の話は、ルリという主人公が今後クラスで引き続きやっていくのか、やっていくならどういうふうに向き合っていくのか。
クラスメイトたちが、そもそも自分に対してとか、この状況についてどう思っているのかっていうのを。
クラスメイトのリアクションをどんどん効いていくっていう回だったんですね。
2、3話にわたってクラスメイトの話を聞いているタイミングなんですけど、今週の更新ではとある男子生徒の話を聞くと、その男子生徒は第1話でルリがくしゃみをしたタイミングで火を吹いちゃってですね、その時に頭が焼けちゃった子なんですよね。
それに対して別に恨みとかも起こったりもしてないっていう話なんですけど、その男子生徒はルリがこの後どうすべきかって思った時に、最初は教室から離れて別の世界で生きた方がいいんじゃないかって思った。
なぜかというと、それは男子生徒がどうこうというよりは、ルリが自分の頭を焼いたりしたことで、その時はちょっと焦げたくらいだったんですよ。
焦げたくらいだったので、特に問題ないねってなったんだけど、もっと思いっきり焼かれてたりしたら、思いっきり怪我するレベルになってたりしたら、ルリの方が苦しいだろうと。
はい、ちょっと飲みますね。それを月曜日の朝5時にすごく実感したので、これはもう今すぐ撮らねばって言って配信したら音声がガビガビだったということでございました。
はい。ちょっと話を戻すと、クリエイティブは世界観をこの世の中に見える形で顕現したものだと、顕在化させたものだというふうになんとなく思っていたんだけれども、やっぱそうだなっていうふうに思いました。
ルリドラゴンの作品を見た時に人々がそれをどう解釈するのか。でも、作者はこういう世界の方がいいだろうというふうな世界観提示をしてクリエイティブしているんだというふうに思いました。はい。実感したらその時に言いたいよね。そうそう、まさにそうなんですよ。
声はガビガビだったからちょっとあれでしたけど。はい。で、クリエイティブは世界観の権限だって話をしましたけど、これ他のいろんなクリエイティブも同様だと思うんです。お笑いとかもきっとそうだと思っていて。
私、小島芳生さんすごい好きなんですけど、オッパッピーそんなの関係ねえじゃないですか。あれすごいいいなと思っていて。体一つで、ちょっとネタの全容を忘れましたけど、でもそんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。はい、オッパッピーでしょ。チントンシャンテントンでしょ。
オッパッピーはオーシャンパシフィックピースなんですよね。すごいですよね。あれは誰かを傷つけるわけでもないし、でも本人が当初どこまで考えていたかわからないですけど、何かのカウンターではあると思うんですよ。
そんなの関係ねえ。それに対してオッパッピーで閉めちゃうみたいな。めちゃくちゃすごいんですけど、普通って言ったらあれですけど、カウンターって結構何かを傷つけるものだったり、破壊衝動的なものだったりするんだけど、そんなの関係ねえって。認知の問題じゃないですか。
そんなの関係ねえって言って、オッパッピーで閉めちゃうのはめちゃくちゃパンクだなって思うけど、誰も傷つけないパンクだなって思って、すげえなって思ってるんですけど、あれも世界観の提示だなって思ったりしてます。
恥ずかしさより希望が勝ってる。そうですよね。葉っぱ大とかもすごいですよね。恥ずかしさより希望が勝るっていうのは、葉っぱ大はそうでしたよね。葉っぱ1枚あればいいですからね。すごいんですよ。
っていうお笑いもあり、あれも世界観提示なんだろうなって思います。葉っぱ大は完全に世界観ですからね。すごいですよね。逆に、いろんな世界観提示もあるし、めちゃめちゃイケてるとかも結構気豪消費的に、
批判されがちですけど、今は。めちゃめちゃイケてる人たちってこういう人たちだよね、と。なので、そうじゃないやつはめちゃくちゃダサいよね、みたいなやつを捉える方法もあるので、そういうふうに捉えて批判することもできたりしますが、
その気は一定あるかなと、個人的に思ったりしますけど、それはさておき。
今、メディアで出している、例えばドラマーとかお笑いとかの世界観も、作っている本人たちがどれくらい認識しているかはさておき、実際その世界を変えうるというか、見ている人たちの認知を変えうるので、力を持っているから、
希望に満ちた世界観提示というのをされるのか、それとも終末論的にとか、ミソジニ的、あるいはメルトクラシー的とか、結構今批判的なワードを出しましたけど、という形で世界観提示をしていくのかということができちゃうのがメディアだったりするので、
そこはクリエイティブをしている以上、世界観提示であるということを認識する必要もあるんだろうな、なんて思ったりします。
責任が付きまとうというか、でも責任と言っても責任を取れないので、何をどうしようが、取れない責任というものがある前提で、物事を作る必要があるんだろうな、特に力を持ったメディアみたいな方々は、とは思ったりします。
大変ですよね。
というふうに思いました、という話ですね。
世界観を何かを作って、それを世の中に出すというのは、世界観提示なんだなというふうに思ったんですよね。
クリエイティブは世界観提示って言った時に、すごく壮大な話っぽく感じるかもしれないなと思ったんですよ。
自分が世界観って提示できないなと思ってたりしたんですけど、ちょっとした個人の希望みたいなものをクリエイティブに詰めて送り出すみたいなことって結構みんなやってるんだろうなと思って、自然に。
なので、実はそうなのであるというふうに認識すると、クリエイティブの内容が変わったりとか量が変わったりとかする可能性があるんだろうなと思って、この話をしてみました。
世界観をなんていうか、今日のこの話をしようと思った理由は、実は2つあって、1つは最初のルリドラゴンの話。
ルリドラゴンを見て、これって世界観提示なんだなって思ったので、この話をしたくなったっていうのと、もう1つはマスコットさんの配信で、
両太郎さんとの対談の感想配信をしてくださってましたけど、あれを受けてっていうのはあるんですよね。
というのも、私結構、物事に対してもやもやしづらいタイプのようで、問いが立たないんですよ。世界がどういう、周囲の人がどういう問いを持っているかっていうのに、なかなか気づきづらい。
なんていうか、結構どうでもいいと思っちゃったりとか、そもそもあんまり悩まないみたいなハードウェア特性を持っているようで、脳的に持っているっぽくて、問いが立たないと。
なんですけど、この間の両太郎さんとの対談でユミカチの話を説明した後に、もう発信することなくなっちゃったなってなっちゃったんですよ。やることなくなっちゃったってなっちゃって。
マスコットさんが感想配信みたいなのをして、問いを新しいの持ってきてくれないかなって実は思ってて。それでマスコットさんが配信してくださったので、良かった良かったって思ったんですよね。
その時に、両太郎さんとの話の中で出てきた個人と社会とのつながりみたいな話と、マスコットさんの中では接続っていう話をされてましたけど、そこのテーマすごく面白いなって思ったので、それを語りたいなと思ったのもあり、これって世界観と結構リンクするんだよな、実はなんて思ったりしてたんですよね。
それを合わせて、この後の話をしますが、SWCってスロースウィズクリエイターズでクリエイター集団という名前がついているんだと思ってます。
クリエイティブが世界観の権限であるってことを思った時に、じゃあその世界観をどう認識するのかとか、世界観をどう作っていくのかとか、その作った世界観をどうクリエイティブに落としていくのかみたいな話を深掘りできるとSWC自体にとって情報が溜まっていっていいんじゃないかななんて思ったりしたんですよね。
で、世界観ってどう作るのかみたいな話を、これまた深井龍之介さんが、郷美由良さんがやってるクリエイティブアカデミーっていう、ザクリエイティブアカデミーっていう勉強会みたいなのがあるんですけど、そこの中で話されてたアーカイブが一部見れるんですね。
それを見た時に言ってたのが、クリエイティブは、クリエイティブじゃない、世界観提示っていう、これも言ってたかな。クリエイティブって世界観提示ですよねっていう話をまさにしてて、SWC文化はいつもありがたい、やりたくなっちゃうんですよ。
こういうサガのようでどうやら。クリエイティブは世界観提示であると深井さんも言ってました。じゃあ世界観ってどういうふうに作られていくのか、どういうふうに作っていくのか、どういうふうに提示していくのかってなった時に、自分が今まで生まれてきたりとか生活してきた文脈みたいなものを無視して作るなんてことはありえないと。
その文脈っていうのは、いろんなレイヤーがあるんだと。一番大きいレイヤーだと言うと、例えばホモサピエンスっていうレイヤーがあるけど、その次に日本人ですよね、みたいな。日本人ってあえて言っちゃいますけど、日本語話者ですよね、みたいな。
日本語話者ですよね、みたいな、自分の文脈があり、そこの持っている特徴みたいなのがあると。もうちょっと狭くなってくると、今度、例えば大阪生まれですとか、関西育ちですとか、東北で育ちましたとか、雪国育ちですとか、あるいは沖縄で生まれ育ちましたみたいな人たちがそれぞれいて、それぞれのそこでの文脈みたいなのがまたさらにあると。
さらにもうちょっと狭いところだと、今どういう会社で働いている、どういう学校に行っていたのか、そこはどういう文化が繰り広げられていたのかっていうものがあると。
こういう多重になっている文脈のレイヤー、まさにレイヤーが折り重なって自分の個人に集約されているんですよね。それらをガッチャンコして出てきているもの、出てくる時にはそれらを肯定するものだったり否定するものだったりが出てくるわけですけど、
今までの自分が生まれ育ってきた文脈の圧縮したものが出てくるってことですと。それが世界観提示につながるし、それがなければ世界観なんて提示できませんということを言ってて、めっちゃそうだなと思ったんですけど、
もうちょっと細かく見ると、自分が生まれ育った社会、日本社会とか関東圏とかIT系の仕事をしているとか建築の仕事をしているとか、そういった社会とか文脈とかを相対化したり、
することで、自分たちの特徴みたいなのを理解できないと語りづらいと思うんですよね。言語化するみたいな形で、言語化もできなくてもいいんですけど、絵で描くとかでもいいんですけど、言語化を通さないのであれば、
そういった自分自身が何かっていうのを相対化して見つけていく必要があると。そうじゃないと世界観は語れないと思ったんですね。なので、社会と自分を相対化する。
その社会っていうのは、学校社会もそうだし、会社の社会もそうだし、日本社会もそうだし、グローバルの中での自分みたいな感じで相対化するのもあると思うんだけど、そういった形で相対化していく必要があるというふうに感じました。
特に今、個人が大事みたいな話と社会性みたいなものがコンフリクトしている時代だと思っていまして
自分が大事みたいなものと社会性みたいなものを混ぜた時に、みんながみんな機能風前を起こしている感覚がすごくあるんですよ。
これに対してみんなが幸せでないというふうに実感しているんじゃなかろうかというふうな体感があって
意味価値っていう世界観提示は、これに対して資本主義社会に対する一つのアプローチだなというふうに思っているわけですが
特に現代日本の社会は、事故みたいなものと社会を混ぜて語った時に機能風前を起こしているようにすごく見える
SWCというかケンスーさんが言っている言葉の中の一つに、アテンションエコノミーから距離を置くみたいな話があると思うんですけど
それってすごくSWC的、当然そうなんですけど、だと思うんですよね。
SWCのクリエイターが世界観提示をしていくみたいになった時に、別にこれに沿わなくてもいいんですけど、別に沿って欲しいと思ってもいいんですけど
事故と社会みたいなもの、あるいはインディビデュアルみたいなものの解像度を上げることは個人としてもすごくいいし
今の時代のクリエイターにとってもすごくプラスになるんじゃなかろうかなと思いまして
そういう話も勉強していきたいなと思ったんですよね。
なので、今後の私の発信の軸としては、普通にずれる可能性もあるんですけど、世界観をどう作っていくのかという
クリエイターが世界観をどう作って権限させていくのかという前提のもと、個人と社会みたいなものの解像度を上げていけるような配信ができると良かろうもんかなと思ったりしています。
これが両太郎さんとの対談の中で出てきた、もうちょっと個人の話を、個人の話って言い方してないか
そういうワードが一瞬出てきたやつと、松本さんがそれに対してリアクションされて、接続っていうキーワードを新たに出してきましたけど
事故と社会の解像度を高めていくみたいなのは、今SWCにいる方のある程度共通の関心事っぽくも見えたので
直近2つの配信でその言葉を聞いたってことは、良いんじゃなかろうかなって思ったりしています。
ちょっとだけ踏み込むと、具体的なところに踏み込むと、機能不全ってどういうことかというと
インディビジュアルっていう概念がありますと、個人みたいなものがある、みたいな語られ方しますけど、もうちょっと多義的っぽいんですけどね、本当は
事故みたいなものは結構一心協的な考え方っぽいんですね、どうやら。
西洋から出てきた概念であり、もともと日本の人たちはあまり個人主義っぽくなかったんですよね
地理的な話と絡めて、結構世間的で社会的なものを求められるみたいな話をしましたけど、稲作国家なんで
そういう特徴があるよねっていう話をしましたけど、西洋から個人みたいな概念が
近代化するタイミングで導入されてきたと、明治時代とかに。
あれ、誰だったっけな、夏目漱石じゃない?
私の個人主義っていう、ちょっと有名な書籍があって、私の個人主義、個人主義、これ誰だっけ
夏目漱石だ、夏目漱石ですね。
なので、夏目漱石さんも明治の時代に個人主義っていう言葉を出してテーマにされてたくらいなので
その時代の新しく出てきた概念っぽいんですけど、当時の日本にとって。
つまり、誰かというと、今この配信を聞いてくださっている方は結構日本語話者が多いと
出自はさておき日本語話者の人が多いとなった時に、おそらく今まで自分が生まれ進んできた環境の中で
生まれてきてない個人主義というものを対外的にインストールした人たちの孫世代みたいな
孫の孫世代。読んでみました?
読んでみよう。私の個人主義青空文庫で。
オーディブルもあるっぽいので、ちょっと聞いてみようかなと思うんですけど
アバタローさんかな?ユーチューバー。古典の書籍の解説をされているアバタローさんが
確か私の個人主義の解説もされてたので、ちょっと聞いてみようかなと思うんですけど
自分たちの腹の中から出てきてない個人主義みたいなものを
西洋から近代化という形で持ってきたと。それがまだ混ざりきってないんだと思ってるんですよ
日本はもともと世間みたいなのが強い文脈の社会であり
それに個人主義みたいなのが入り込んできたときに
悪い言い方しちゃいましたけど
個人主義っていうものをインストールせざるを得ずインストールしたときに
世間っていうものとコンフリクトする部分がいくつかあると
なぜなら外から無理やり入れたから
アバタローさんの解説わかりやすいですよね。めっちゃ好きなんですよね私も
確か香里さんも聞いてるっておっしゃられた気がするな
そうなったときに
前の悩みの構造の話をしたんですけど
アウフ平弁する必要があると思うんですよね
一つのテーマ、テーゼがあり
それに対する逆の意見みたいなアンチテーゼがあり
それらを統合した両方とも同時に満たせるような
人体制に消化させていく
個人主義と個人と社会を
アウフ平弁する必要があるなという
実感がすごくあるんですよ
西洋から来ている
個人主義みたいなものが何かっていうのを
知る必要があるし
もともと日本語話者の人たちが
持っていた感覚みたいなものを
知る必要があると。これは深井さんが言ってた
文脈から離れて世界観発信はできないよねってところにつながるんですけど
自分自身とか自分が住んでる社会を相対化して
知る必要があるってなったときに
西洋個人主義で日本とかアニミズム的なものだったり
そういったものをそれぞれ知ることが世界観定義に
すごくつながるんだろうなって思ったりしていますし
その上でもう一個だけ踏み込むと
どうやら
個人とか自己みたいなものと
関連して常に出てくるキーワードがあって
それが自由っていう言葉なんですね
自由はおそらくフリーダムとかじゃなくてリバティの方の自由なんですけど
リバティみたいなものが
何を指しているのかリバティの特徴は何なのか
みたいなものを突き詰めていくと
自己とか個人とかってそもそも何なんだっけ
みたいなものが分かりそうすると社会っていうものも
分かってきてこの辺りが丸っと
理解できるようになるんじゃなかろうかななんて思ったりしています
事故と社会と自由みたいな
この3つのキーワードを
個人 個人ですかね 事故というか個人
個人 社会 自由みたいなこの辺りのキーワードでちょっと勉強していきたいな
なんて思ったりしています
より具体的なやつだと
リフロムという
第二次大戦の前後の哲学者の方なんですけど
自由からの闘争っていう名著があって
Kindleでなくて物理本で買ったんですけど
2年くらい前に買って読んでないんですが
それをちょっと読んでみようかなって思ったりしています
これすごくざっくりどういうことかというと
歴史的になんやかんやあって個人みたいなものが
個人の自由みたいなものが
実現されてきた時に
その自由から逃げようとする
何ていうか振る舞いが見られると
自由ってなった時に
それに対してこんな言い方してないんですけど責任みたいなのが
自分で何かを決めなきゃいけない
決めることには責任がつきます
自由って結構苦しいんですよね
これに対してはサルトルという人が
自由の刑みたいな言葉で表現してたりしますけど
自由から逃げ込む先に
集団主義みたいな全体主義みたいなものがあって
ナチンみたいなところに
警告する傾向があったりとか
そういうものにつながってたりすると
なんていうか
自由がただあるっていう状態だけだと
それだけだとうまくワークしないのであると
そうなった時にこういう風にしたらいいよみたいなことが書かれたりするので
ちょっとそれを読んでみたいなと思ってたりします
解説動画が大きく2本あって
それを聞いてるんですけど
まだ人に語れるほど腹落ちしてなかったりするんですが
そういうのを勉強したいなと思ってたりします
ということで
まとめの前に
個人主義みたいな話は西洋的な自由みたいなキーワードからアプローチしつつ
東洋思想だと
自分ってないよねっていう考え方が結構強いんですよね
仏教だと
なんだっけ忘れちゃったキーワード
仏教とか道教とかって自分ってないっすからみたいなスタンスなんですけど
結構私はそれはすごくしっくりくるんですよね
平野圭一郎さんが
言ってた文人主義とかもそうなんですけど
かっことある自分が1個あるみたいなのは
感覚的によくわかんなくて
コロコロ変わるのはそりゃそうでしょみたいな感じだとか
社会的な意義ものなので
その文脈に沿って自分自身の振る舞いを変えるとかはそりゃそうでしょって思ったりしますし
感情なんて揺るぎないものではないので
コロコロ変わるのも当たり前なのでってなると
かっことある個人なんてないじゃんっていう気持ちにすごくなるんですけど
そういう東洋思想的なものを
自分自身はやっぱりベースになってるなっていう感覚がすごくあるんですが
今の資本主義社会の中で何かをやっていこうとなった時に
特に日本は西洋から
インストールした民主主義をインストールした国ではあるので
民主主義の上で何かをしていくってなった時にも
個人みたいなものと切っては切り離せない状況になっちゃったので
東洋思想を学んで
西洋思想と相対化しながら
どういうふうに解釈したらいいんだみたいなことをやりたいなと思ってたりします
これでまとめ
一旦まとめます
今日の配信の最初に
世界の認知の仕方には3つあるという話をしました
今実際にどうであるかという事実
それに対してどのように思うのかという解釈
それを踏まえた上で世界はどうあってほしいという希望
みたいなものがありという話を最初にしました
クリエイティブは3つ目の世界はどうあるべきかという
世界観を提示するもの
世の中に権限させたものがクリエイティブであるという話をしました
クリエイターは
世界観を作って
発信する人だよねという風になるわけですが
その世界観ってどういう風に作られていくのかってなった時に
文脈が圧縮されて出てきたものが
世界観であるという話をしました
自分が持っている世界観
こうあってほしいという世界観が出てきた時に
それをどう世の中に発信していくのかとなった時に
自分自身とか社会とかをよく知らないといけないので
社会の相対化だったり
自分自身あるいは