世界観の重要性
フェスナレンテ、この放送は、スロースウィーズクリエイターズコミュニティメンバーのワーパパCTO🦥がお送りいたします。
今日は、AT2020というちゃんとしたマイクにつないでみました。
実は、2日前、月曜日に…
こんにちは、しとらさん。ありがとうございます。声聞こえますか?
聞こえるかしら?
声聞こえますか?
ああ、よかった。ありがとうございます。助かります。
今週月曜日…きれいだよ。ありがとうございます。
今日は、いいマイクにつないでみました。
いつも、ワイヤレスのイヤホンにつないで見てるんですけど、ちょっと今日は優先で…
AT2020っていう、バッチリ。ありがとうございます。
いいマイクにつないでみました。
今週月曜日に、朝5時くらいに洗濯物を干しながら配信したんですけど、
音声がガビガビすぎて、何言ってるかわかんないみたいなことがあったので、
カオルさんが来てくださったんですけど、配信の最後の方に、
声が聞こえないみたいな、BGMしか聞こえないみたいになってて、
ガビガビだった。そうなんですよ。ガビガビでした。
なので、撮り直しというか、その時の喋ってる内容も朝だったんで、
全然まとまってなかったので、ちょっとまとめて話そうかなというふうに思って、
撮り直しをしております。
今日は世界観…今、いい声ですね。ありがとうございます。
寝起きだと声出ないっていうのもあって、
ちょっと朝早すぎるのも考えものだなって思いましたね。
配信のタイミングとしては。
今日は世界観…そうなんですよ。世界観と…
世界観テストベッドっていうタイトルにしたんですけど、
世界観についてのお話をしたいなと思ってます。
というのも、先日の意味価値のお話で両太郎さんと対談した時に、
これって結局世界観の話ですねっていう…
あ、環世界つながり。そうですね。
環世界は個々人の世界とのインターフェース、接点みたいな感じですけど、
生物学的なやつですけど、もうちょっと認知によった世界観ですね。
認知側、人の認知側なので、
環世界スキーマメンタルモデルってなった時のスキーマ側の話をしたいなと思ってます。
が、言葉としては、環世界と世界観があるからごっちゃになっちゃいますけど、
世界観、世界をどう認知するかっていうお話に関連して、
今日ちょっとお話をしたいなと思ってます。
3つの視点
まず、世界観には大きく3つあるなと思ってます。
世界観ですね。どう世界を認知するかっていう話ですけど、
これは深井隆之さんがどっかの配信でおっしゃってたんですけど、
今実際にどうであるかということと、
それを人が観測してどのように解釈するかということと、
その上で世界はどうあるべきかというふうに考えること、
この3つはそれぞれ別物であるという話があります。
今実際にどうであるかっていうのは、
事実と解釈っていった時に、事実を今実際にどうであるかというふうに
捉えるかっていう話ですね。
これはまた話を混ぜちゃいますけど、いわゆる観世界に近い話。
観世界から事実を捉えるっていうところでのものが、
今実際にどうであるかということ。
どう解釈するかというのは、スキーマ寄りの話で、
目にしたもの、耳にしたものをどう解釈するかですね。
世界はどうあるべきかという話が、
どういう世界観であるべきかという話ですね。
そうですそうです。
ファクトと解釈を分けましょうという話はあります。
リョウタラさんがよくおっしゃられてくれるやつですね。
それプラス、ファクトと解釈、
事実と解釈、片方だけ英語なんだ。
事実と解釈は別だよねという話が1つ目と2つ目の話なんだけど、
3つ目の話で、じゃあそれは去っておき、
それを踏まえて世界はどうあって欲しいのかっていう話があると。
古典ラジオで言ってた、
意味価値を導入したポスト資本主義っていうのは、
世界はどうあるべきかということに対する提示だと思っています。
例えば、Xで例えると分かりやすいんですけど、
今実際にどうであるかっていうのは、
X上で多くの人が自分の考えや意見を投稿しているという状態が、
実際にどうであるかという状態。
それに対して、これはこの投稿、自分に対してクソリプがたくさん来ますとか、
ここの正当の話がたくさん飛び込んでくるので、
世界って何とか党の支持者がめっちゃ多いよねみたいな風に解釈するとかは2つ目の話。
ファクトは、いろんな人がいろんなことを言ってるね、以上終わりなんですけど、
それに対してどう解釈するかっていうのは人によって違う。
そのどう解釈するかの中に、例えばクソリプが多いよね、この世の中にはみたいな話とか、
Xに投稿したら、それってすっげー攻撃されるもんだよねっていう前提でいるべきとか、
そういうのって解釈であると。今どうだという解釈ですね。
解釈は人によりいろいろです。
その上で、今の自分の解釈をそのまま受容するのか、
そりゃそうだねって思ってそのまま生きるのか、
いや、もっとこうあった方が世界は平和になるだろうとか、いい世界になるだろうとか、
そういう風に思って、こう変わった方がいいって俺は思うっていう強いその意思みたいなもの。
それってあると思うんですよ。
今深井さんとか、昨日確かフローレンスっていうNPO法人を立てられた小政樹さんもフローレンスから手を離してますけど、
小政樹さんがSNSをやめてポッドキャストに専念するみたいな話をされてたんですけど、
これって、Xの今の世界観みたいな解釈に対しては脳を突きつけているってことだと思うんですよ。
世界はどうあるべきかっていうところに対して、ポッドキャストっていう領域で発信していく。
あるいはポッドキャストで発信します。
で、叩かれる可能性があるものは、1週間で消すから聞きたい人は聞いてね、みたいな。
その時の文脈に沿ってでしか聞けないし、みたいなことをしながら、
だからこそ発信者は言いたいことを言えるっていう状況の方が大事ですよね、みたいな。
Xに自分の意見を書いたら罵倒されて攻撃されまくるみたいなのが普通だという今の解釈。
攻撃が起きているのは実際事実なので一定事実だと思うんですけど、
それをそのまま受け入れるか、いや、こんなんじゃ世界良くならないよねって言って自分で行動を変えつつ、
こういう新しい世界観があるからそれに同意する人はこっちに来てくれ、
俺らの仲間になってくれ、みたいな感じでどうあるべきかっていう状況を自ら語り実践し、
仲間を増やし、その世界観を広めていく、みたいなことをしている人がいると。
そうです。強い意志でXを辞めたんですよね。それは意志があって辞めたんですよね。
それは今の3つの世界観があるといった中で、1、今実際にどうであるか。
2、それをどう解釈するか。3、その上で世界はどうあるべきかとなった時に、
どう解釈するかで今その攻撃的なものが溢れているよね。
だから自分の意見を発信したら攻撃されるのが当然だよねという世界に対して脳を突きつけている。
その世界観じゃ何も良いこと起きないだろって言って脳を突きつけて新しい行動をしている人たちがいると。
すごいですよね。本当にすごいなと思うんですけど。
この世界観といった時に、事実と解釈があり、事実も世界観なのかな。
解釈が世界観じゃ解釈が世界観なんですけど、競技の意味では狭い意味では。
でも事実と解釈があった時に、さらにその先に意思なり未来なり、こうあれという理想像みたいなのを語ってそっちに動かすっていうのがあると。
言ってしまえばその意味価値っていうのはこの3つ目の世界観なんですよ。
新しい世界観の提示の一つが意味価値っていうものの導入ってことだと理解してます。
ルリドラゴンのテーマ
飲み物飲みますっていう整理を1回した上で、クリエイティブ活動ってあるじゃないですか。
スロースの衣装作ったりとか、スロースの小説書いたりとか、そういう漫画書いたりとかでもいいですし、動画にしたりとか、プリン紙が出てきたりとか、バナナ紙が出てきたりとかでもいいですし、プアリンがいたりとか。
僕ゼロの世界観があったりとか、あの辺ってクリエイティブなわけですけど、クリエイティブって実はその世界観を表現しているものだというふうに解釈してるんですね、私の中で。
実際結構そうかなと思ってます。ここで2日前の配信で何言ったかに戻るんですけど、2日前の配信で語ったことをもう1回トレースしますね。
毎週月曜日にジャンププラスっていう漫画アプリがあると、毎週何曜日に何の作品みたいなのが更新されていくんですけど、月曜日に更新されるものの中にはスパイファミリーもあるんですけど、ルリドラゴンという作品があるんですね。
これは、ざっくりどういう話かというと、高校1年生にあった主人公のルリっていう女性女の子が、女子高生が朝起きて鏡を見たら、自分の頭から角が2本生えていったと。歯磨きをしてたら角が生えていることに気づいたと。一晩で生えてきたんですよ。
何これってなったら、お母さんに聞いたら、あんたドラゴンと人間のハーフだからって言われるんですよね。とりあえず学校行っておきって言って、学校行って、そしたら友達が何それみたいな感じで関わりつつもいつも通り暮らしたりとか。
でも、やっぱりちょっと興味があるから、何これちょっと触っていいとかって言って、触ったりして。ドラゴンというか、急に角が生えたことに過剰な反応をするわけでもなく、みんなある程度受け入れちゃうんですね。
っていう話から出てきて、そこから先いろんな、とりあえず学校行けるのはおもろいですよね。そこの、行っちゃうんだみたいな、大騒ぎしないんだみたいなのも普通に読んでて面白いんですけど、学園モノなんですよ。
主人公のルリはドラゴンと人間のハーフであり、他の一般的な人間とは異なるということがわかってくるわけですよ。火を吹く能力があったりとか、天候を操る能力とかっていうドラゴンが持ってる固有の能力みたいなのがどんどん顕現していくんですね。
それに対してどう向き合っていくのか、みたいなストーリー展開がされていて、主人公のルリ自身がどう向き合うかという話もそうだし、周りのクラスメイトがそれにどう向き合うというか付き合ってくれるのかっていう話でもあるんですよ。
今、多様性の社会って言われたりしますけど、他の人をどう許容するという言い方が正しいか分かるんですけど、受け入れていくか、受容していくかっていう話だなーっていうふうに思ってるんですよね。
ちょっと前には、LGBTQがテーマな作品とかが多かったんですけど、それって結構直接的じゃないですか。今の社会と地続きすぎて、多分みんな拒否反応が出ちゃう人もきっといるんだけれども、ドラゴンという
一個大きいというか、かなり思考を飛ばした先のものを普段の生活の中に取り込むとなると、メタで見れるんですよね。ドラゴンなんているわけねえじゃんなんですけど、仮にドラゴンが出てきたらどうなるのか。
ドラゴンと人間のハーフがいたらどうなるのかということを語っている作品で、そうすることによって、例えばLGBTQみたいな、今の喫緊の社会のみんなが向き合っている課題みたいなものと、距離を置いた状態でアンコンシャスバイアスみたいなものに向き合える。
こんにちは。みどりさん来てください。久しぶりな感じがします。アンコンシャスバイアスみたいなものに気づきやすくするという作品だと思っているんですね。
そういうテーマのも作品だなあって思いながら見てたんですけど、今週月曜日のルリドラゴンの更新の時に読者がコメントかけるんですよね。
1は読み終わった後に他の人のコメントを見たり、自分でコメント投稿したりできるんですけど、そのコメント欄見た時に、今回の月曜日の話、今週の更新の話は、ルリという主人公が今後クラスで引き続きやっていくのか、やっていくならどういうふうに向き合っていくのか。
クラスメイトたちが、そもそも自分に対してとか、この状況についてどう思っているのかっていうのを。
クラスメイトのリアクションをどんどん効いていくっていう回だったんですね。
2、3話にわたってクラスメイトの話を聞いているタイミングなんですけど、今週の更新ではとある男子生徒の話を聞くと、その男子生徒は第1話でルリがくしゃみをしたタイミングで火を吹いちゃってですね、その時に頭が焼けちゃった子なんですよね。
それに対して別に恨みとかも起こったりもしてないっていう話なんですけど、その男子生徒はルリがこの後どうすべきかって思った時に、最初は教室から離れて別の世界で生きた方がいいんじゃないかって思った。
なぜかというと、それは男子生徒がどうこうというよりは、ルリが自分の頭を焼いたりしたことで、その時はちょっと焦げたくらいだったんですよ。
焦げたくらいだったので、特に問題ないねってなったんだけど、もっと思いっきり焼かれてたりしたら、思いっきり怪我するレベルになってたりしたら、ルリの方が苦しいだろうと。
ルリドラゴンの世界観提示
そうなるのであれば最初から距離を置いてた方がいいんじゃないかなんて思ったりもしてたんだけど、そもそも主人公のルリはどうしたいんだっていう、あなたの意見が聞きたいっていう風に言って、ルリはそれに対して頑張りたいって言ったんですよね。
男子生徒は頑張りたいって何を頑張りたいんだっていう風に言ってきて、ルリはみんなのことをもっと知りたい。自分のことも知りたいんだけど、自分がいろいろなものを調整していくことでそれができるのであれば、そういった方向にチャレンジしてみたいっていう風に言ってて、であれば俺も協力するよっていう風なやり取りがされてたんですね。
めっちゃいい子だなって思って見てたんですけど、それでコメントを読みました。読者が書いてるコメントを読んだ時に、みんなクラスメイトいい子たちだねとかっていう話も書いてあるんだけど、その中のコメントで、こんな頭がいい男子生徒がいるわけないとか、
他のクラスメイトがみんないい子すぎて人形みたいだとか、こんなに悟い賢いっていう、何歳なんだよこの子たちはみたいなそういうコメントがあったんですね。
これを見た時に、さっきの3つの世界観の話を思い出したんですよ。ちょっとみどりさん途中からなんで、もう一回説明すると、世界に対してどういう認知をするかって、大きく分けると3つあるという話をしました。
1、今実際にどうであるかという事実。2、それをどういうふうに自分が解釈するかという解釈。3、それを踏まえた上で、世界はどうあってほしいかという未来に対する希望があると。
この3つに対して考えた時に、さっきのルリドラゴンで書いてあったコメントの、こんなに賢い男子生徒なんているわけねえだろうっていうのは、2番目のどう解釈するかなんですよね。
そりゃそうだとは思うんですけど、作者がここで、作者って分かってるわけですよ。男子生徒はアホであるみたいな、そこは結構否定できないところだったりするんだけども、自分もそうだったんでね。
あ、もっちゃんさん。もっ、こんにちは。ありがとうございます。男子生徒は結構アホで、高校生の時に他者に対する配慮なんてそんなにできてないよみたいな意見もあるし、結構そのパターンが多いのはそうであろうと思うんだが、しかしルリドラゴンを書いた作者の人は、これは世界がどうあるべきかとか、こういうことだってあり得るだろうということを提示しているんだと思ってるんですよね。
なので、3の世界観の提示。未来はこうであってほしいという希望を書いているのだと思う。ってなった時に、ルリドラゴンは、仮に世界の中にドラゴンと人間のハーフがいて、その子が学生生活を送るならこうなるのではという環境設定をした上で、
こういう考え方ができる若い高校1年生、15歳くらいの高校生だっていていいだろうという世界観なんだと思うんですよ。仮に今いないんだとしても、どっかにいるはずだろうとか、ちょっとその経験を積めばこういう風な考えに至るだろうという
社会に対する希望を持っているからこそ、そういう書き方ができると思ったんですよね。なので、今、世界がどうであるという解釈と実際どうかを踏まえて、当然踏まえてますよきっと。
当然踏まえた上で、その上で世界の人たちのリアクションは、ドラゴンと人間のハーフが出てきた時にはこうなってくれっていう風な希望と思いをルリドラゴンという作品に詰めてるんだと思ったんですよね。
クリエイティブの役割
はい、ちょっと飲みますね。それを月曜日の朝5時にすごく実感したので、これはもう今すぐ撮らねばって言って配信したら音声がガビガビだったということでございました。
はい。ちょっと話を戻すと、クリエイティブは世界観をこの世の中に見える形で顕現したものだと、顕在化させたものだというふうになんとなく思っていたんだけれども、やっぱそうだなっていうふうに思いました。
ルリドラゴンの作品を見た時に人々がそれをどう解釈するのか。でも、作者はこういう世界の方がいいだろうというふうな世界観提示をしてクリエイティブしているんだというふうに思いました。はい。実感したらその時に言いたいよね。そうそう、まさにそうなんですよ。
声はガビガビだったからちょっとあれでしたけど。はい。で、クリエイティブは世界観の権限だって話をしましたけど、これ他のいろんなクリエイティブも同様だと思うんです。お笑いとかもきっとそうだと思っていて。
私、小島芳生さんすごい好きなんですけど、オッパッピーそんなの関係ねえじゃないですか。あれすごいいいなと思っていて。体一つで、ちょっとネタの全容を忘れましたけど、でもそんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。はい、オッパッピーでしょ。チントンシャンテントンでしょ。
オッパッピーはオーシャンパシフィックピースなんですよね。すごいですよね。あれは誰かを傷つけるわけでもないし、でも本人が当初どこまで考えていたかわからないですけど、何かのカウンターではあると思うんですよ。
そんなの関係ねえ。それに対してオッパッピーで閉めちゃうみたいな。めちゃくちゃすごいんですけど、普通って言ったらあれですけど、カウンターって結構何かを傷つけるものだったり、破壊衝動的なものだったりするんだけど、そんなの関係ねえって。認知の問題じゃないですか。
そんなの関係ねえって言って、オッパッピーで閉めちゃうのはめちゃくちゃパンクだなって思うけど、誰も傷つけないパンクだなって思って、すげえなって思ってるんですけど、あれも世界観の提示だなって思ったりしてます。
恥ずかしさより希望が勝ってる。そうですよね。葉っぱ大とかもすごいですよね。恥ずかしさより希望が勝るっていうのは、葉っぱ大はそうでしたよね。葉っぱ1枚あればいいですからね。すごいんですよ。
っていうお笑いもあり、あれも世界観提示なんだろうなって思います。葉っぱ大は完全に世界観ですからね。すごいですよね。逆に、いろんな世界観提示もあるし、めちゃめちゃイケてるとかも結構気豪消費的に、
批判されがちですけど、今は。めちゃめちゃイケてる人たちってこういう人たちだよね、と。なので、そうじゃないやつはめちゃくちゃダサいよね、みたいなやつを捉える方法もあるので、そういうふうに捉えて批判することもできたりしますが、
その気は一定あるかなと、個人的に思ったりしますけど、それはさておき。
今、メディアで出している、例えばドラマーとかお笑いとかの世界観も、作っている本人たちがどれくらい認識しているかはさておき、実際その世界を変えうるというか、見ている人たちの認知を変えうるので、力を持っているから、
希望に満ちた世界観提示というのをされるのか、それとも終末論的にとか、ミソジニ的、あるいはメルトクラシー的とか、結構今批判的なワードを出しましたけど、という形で世界観提示をしていくのかということができちゃうのがメディアだったりするので、
そこはクリエイティブをしている以上、世界観提示であるということを認識する必要もあるんだろうな、なんて思ったりします。
責任が付きまとうというか、でも責任と言っても責任を取れないので、何をどうしようが、取れない責任というものがある前提で、物事を作る必要があるんだろうな、特に力を持ったメディアみたいな方々は、とは思ったりします。
大変ですよね。
というふうに思いました、という話ですね。
世界観を何かを作って、それを世の中に出すというのは、世界観提示なんだなというふうに思ったんですよね。
クリエイティブは世界観提示って言った時に、すごく壮大な話っぽく感じるかもしれないなと思ったんですよ。
個人と社会の相対化
自分が世界観って提示できないなと思ってたりしたんですけど、ちょっとした個人の希望みたいなものをクリエイティブに詰めて送り出すみたいなことって結構みんなやってるんだろうなと思って、自然に。
なので、実はそうなのであるというふうに認識すると、クリエイティブの内容が変わったりとか量が変わったりとかする可能性があるんだろうなと思って、この話をしてみました。
世界観をなんていうか、今日のこの話をしようと思った理由は、実は2つあって、1つは最初のルリドラゴンの話。
ルリドラゴンを見て、これって世界観提示なんだなって思ったので、この話をしたくなったっていうのと、もう1つはマスコットさんの配信で、
両太郎さんとの対談の感想配信をしてくださってましたけど、あれを受けてっていうのはあるんですよね。
というのも、私結構、物事に対してもやもやしづらいタイプのようで、問いが立たないんですよ。世界がどういう、周囲の人がどういう問いを持っているかっていうのに、なかなか気づきづらい。
なんていうか、結構どうでもいいと思っちゃったりとか、そもそもあんまり悩まないみたいなハードウェア特性を持っているようで、脳的に持っているっぽくて、問いが立たないと。
なんですけど、この間の両太郎さんとの対談でユミカチの話を説明した後に、もう発信することなくなっちゃったなってなっちゃったんですよ。やることなくなっちゃったってなっちゃって。
マスコットさんが感想配信みたいなのをして、問いを新しいの持ってきてくれないかなって実は思ってて。それでマスコットさんが配信してくださったので、良かった良かったって思ったんですよね。
その時に、両太郎さんとの話の中で出てきた個人と社会とのつながりみたいな話と、マスコットさんの中では接続っていう話をされてましたけど、そこのテーマすごく面白いなって思ったので、それを語りたいなと思ったのもあり、これって世界観と結構リンクするんだよな、実はなんて思ったりしてたんですよね。
それを合わせて、この後の話をしますが、SWCってスロースウィズクリエイターズでクリエイター集団という名前がついているんだと思ってます。
クリエイティブが世界観の権限であるってことを思った時に、じゃあその世界観をどう認識するのかとか、世界観をどう作っていくのかとか、その作った世界観をどうクリエイティブに落としていくのかみたいな話を深掘りできるとSWC自体にとって情報が溜まっていっていいんじゃないかななんて思ったりしたんですよね。
で、世界観ってどう作るのかみたいな話を、これまた深井龍之介さんが、郷美由良さんがやってるクリエイティブアカデミーっていう、ザクリエイティブアカデミーっていう勉強会みたいなのがあるんですけど、そこの中で話されてたアーカイブが一部見れるんですね。
それを見た時に言ってたのが、クリエイティブは、クリエイティブじゃない、世界観提示っていう、これも言ってたかな。クリエイティブって世界観提示ですよねっていう話をまさにしてて、SWC文化はいつもありがたい、やりたくなっちゃうんですよ。
こういうサガのようでどうやら。クリエイティブは世界観提示であると深井さんも言ってました。じゃあ世界観ってどういうふうに作られていくのか、どういうふうに作っていくのか、どういうふうに提示していくのかってなった時に、自分が今まで生まれてきたりとか生活してきた文脈みたいなものを無視して作るなんてことはありえないと。
その文脈っていうのは、いろんなレイヤーがあるんだと。一番大きいレイヤーだと言うと、例えばホモサピエンスっていうレイヤーがあるけど、その次に日本人ですよね、みたいな。日本人ってあえて言っちゃいますけど、日本語話者ですよね、みたいな。
日本語話者ですよね、みたいな、自分の文脈があり、そこの持っている特徴みたいなのがあると。もうちょっと狭くなってくると、今度、例えば大阪生まれですとか、関西育ちですとか、東北で育ちましたとか、雪国育ちですとか、あるいは沖縄で生まれ育ちましたみたいな人たちがそれぞれいて、それぞれのそこでの文脈みたいなのがまたさらにあると。
さらにもうちょっと狭いところだと、今どういう会社で働いている、どういう学校に行っていたのか、そこはどういう文化が繰り広げられていたのかっていうものがあると。
こういう多重になっている文脈のレイヤー、まさにレイヤーが折り重なって自分の個人に集約されているんですよね。それらをガッチャンコして出てきているもの、出てくる時にはそれらを肯定するものだったり否定するものだったりが出てくるわけですけど、
今までの自分が生まれ育ってきた文脈の圧縮したものが出てくるってことですと。それが世界観提示につながるし、それがなければ世界観なんて提示できませんということを言ってて、めっちゃそうだなと思ったんですけど、
もうちょっと細かく見ると、自分が生まれ育った社会、日本社会とか関東圏とかIT系の仕事をしているとか建築の仕事をしているとか、そういった社会とか文脈とかを相対化したり、
することで、自分たちの特徴みたいなのを理解できないと語りづらいと思うんですよね。言語化するみたいな形で、言語化もできなくてもいいんですけど、絵で描くとかでもいいんですけど、言語化を通さないのであれば、
そういった自分自身が何かっていうのを相対化して見つけていく必要があると。そうじゃないと世界観は語れないと思ったんですね。なので、社会と自分を相対化する。
その社会っていうのは、学校社会もそうだし、会社の社会もそうだし、日本社会もそうだし、グローバルの中での自分みたいな感じで相対化するのもあると思うんだけど、そういった形で相対化していく必要があるというふうに感じました。
世界観の提示とその文脈
そうしないと世界観は語れない。ちょっと話を戻すと、SWCはクリエイター集団であると。クリエイターは世界観を提示するのであると。世界観はどのように提示するのかという話を考えたときに、世界観を語るにはそもそも文脈から離れては語れないと。
今までの自分の文脈を踏まえた上でしか世界観は出てこない。語るってなったときに、絵でもいいし言語でもいいんだけれども、自分自身が何者かということを社会と相対化して際立たせないとそれは語れないであろうと。社会を語るのもそうだし、自己を語るのもそうだし、何かしらと相対化してそれらの何者かっていうものを際立たせて語る必要があると。
なので、クリエイターは自己理解だったり社会理解をすることで、世界観提示をよりしやすくなるのではないかというふうに考えました。
今日一番言いたかったところ。これに関する配信をしたいなというふうに思ったんですよね。語るネタがなくなっちゃったので。なくなっちゃったのでって言うと言い過ぎですけど。
ヨタラさんとの対談の中で、意味価値とは世界観提示であり、世界観が一つであると。意味価値というものを一本その企業経営の中にポスト資本主義というところにポンと放り投げることによって、いろんなものがプラスに働きますよねという世界観提示なんですよね。
これは今実際にどうであるか、それを人々がどう解釈しているか、今の資本主義社会をどう解釈しているのかというふうに踏まえた上で、次に世界はこうあるべきというふうな世界観提示だと思っています。
それと似たようなことをSWCでするでもいいし、しなければいいんだけど、クリエイティブは結局世界観の権限をする生き物だというふうに考えたときに、世界観をどう作っていくのか、どう認識していくのかということが
クリエイターの資質にとって大事なんじゃなかろうかという仮説を持ち、それに対する配信をしていけると面白そうというふうに思った次第でございます。
特に今、個人が大事みたいな話と社会性みたいなものがコンフリクトしている時代だと思っていまして
自分が大事みたいなものと社会性みたいなものを混ぜた時に、みんながみんな機能風前を起こしている感覚がすごくあるんですよ。
これに対してみんなが幸せでないというふうに実感しているんじゃなかろうかというふうな体感があって
意味価値っていう世界観提示は、これに対して資本主義社会に対する一つのアプローチだなというふうに思っているわけですが
特に現代日本の社会は、事故みたいなものと社会を混ぜて語った時に機能風前を起こしているようにすごく見える
SWCというかケンスーさんが言っている言葉の中の一つに、アテンションエコノミーから距離を置くみたいな話があると思うんですけど
それってすごくSWC的、当然そうなんですけど、だと思うんですよね。
SWCのクリエイターが世界観提示をしていくみたいになった時に、別にこれに沿わなくてもいいんですけど、別に沿って欲しいと思ってもいいんですけど
事故と社会みたいなもの、あるいはインディビデュアルみたいなものの解像度を上げることは個人としてもすごくいいし
今の時代のクリエイターにとってもすごくプラスになるんじゃなかろうかなと思いまして
そういう話も勉強していきたいなと思ったんですよね。
なので、今後の私の発信の軸としては、普通にずれる可能性もあるんですけど、世界観をどう作っていくのかという
クリエイターが世界観をどう作って権限させていくのかという前提のもと、個人と社会みたいなものの解像度を上げていけるような配信ができると良かろうもんかなと思ったりしています。
これが両太郎さんとの対談の中で出てきた、もうちょっと個人の話を、個人の話って言い方してないか
そういうワードが一瞬出てきたやつと、松本さんがそれに対してリアクションされて、接続っていうキーワードを新たに出してきましたけど
事故と社会の解像度を高めていくみたいなのは、今SWCにいる方のある程度共通の関心事っぽくも見えたので
直近2つの配信でその言葉を聞いたってことは、良いんじゃなかろうかなって思ったりしています。
ちょっとだけ踏み込むと、具体的なところに踏み込むと、機能不全ってどういうことかというと
インディビジュアルっていう概念がありますと、個人みたいなものがある、みたいな語られ方しますけど、もうちょっと多義的っぽいんですけどね、本当は
事故みたいなものは結構一心協的な考え方っぽいんですね、どうやら。
西洋から出てきた概念であり、もともと日本の人たちはあまり個人主義っぽくなかったんですよね
地理的な話と絡めて、結構世間的で社会的なものを求められるみたいな話をしましたけど、稲作国家なんで
そういう特徴があるよねっていう話をしましたけど、西洋から個人みたいな概念が
近代化するタイミングで導入されてきたと、明治時代とかに。
あれ、誰だったっけな、夏目漱石じゃない?
私の個人主義っていう、ちょっと有名な書籍があって、私の個人主義、個人主義、これ誰だっけ
夏目漱石だ、夏目漱石ですね。
なので、夏目漱石さんも明治の時代に個人主義っていう言葉を出してテーマにされてたくらいなので
その時代の新しく出てきた概念っぽいんですけど、当時の日本にとって。
つまり、誰かというと、今この配信を聞いてくださっている方は結構日本語話者が多いと
出自はさておき日本語話者の人が多いとなった時に、おそらく今まで自分が生まれ進んできた環境の中で
生まれてきてない個人主義というものを対外的にインストールした人たちの孫世代みたいな
孫の孫世代。読んでみました?
読んでみよう。私の個人主義青空文庫で。
オーディブルもあるっぽいので、ちょっと聞いてみようかなと思うんですけど
アバタローさんかな?ユーチューバー。古典の書籍の解説をされているアバタローさんが
確か私の個人主義の解説もされてたので、ちょっと聞いてみようかなと思うんですけど
自分たちの腹の中から出てきてない個人主義みたいなものを
西洋から近代化という形で持ってきたと。それがまだ混ざりきってないんだと思ってるんですよ
日本はもともと世間みたいなのが強い文脈の社会であり
それに個人主義みたいなのが入り込んできたときに
悪い言い方しちゃいましたけど
個人主義っていうものをインストールせざるを得ずインストールしたときに
世間っていうものとコンフリクトする部分がいくつかあると
なぜなら外から無理やり入れたから
アバタローさんの解説わかりやすいですよね。めっちゃ好きなんですよね私も
確か香里さんも聞いてるっておっしゃられた気がするな
そうなったときに
前の悩みの構造の話をしたんですけど
アウフ平弁する必要があると思うんですよね
一つのテーマ、テーゼがあり
それに対する逆の意見みたいなアンチテーゼがあり
それらを統合した両方とも同時に満たせるような
人体制に消化させていく
個人主義と個人と社会を
アウフ平弁する必要があるなという
実感がすごくあるんですよ
西洋から来ている
個人主義みたいなものが何かっていうのを
知る必要があるし
もともと日本語話者の人たちが
持っていた感覚みたいなものを
知る必要があると。これは深井さんが言ってた
文脈から離れて世界観発信はできないよねってところにつながるんですけど
東洋思想と西洋思想の相対化
自分自身とか自分が住んでる社会を相対化して
知る必要があるってなったときに
西洋個人主義で日本とかアニミズム的なものだったり
そういったものをそれぞれ知ることが世界観定義に
すごくつながるんだろうなって思ったりしていますし
その上でもう一個だけ踏み込むと
どうやら
個人とか自己みたいなものと
関連して常に出てくるキーワードがあって
それが自由っていう言葉なんですね
自由はおそらくフリーダムとかじゃなくてリバティの方の自由なんですけど
リバティみたいなものが
何を指しているのかリバティの特徴は何なのか
みたいなものを突き詰めていくと
自己とか個人とかってそもそも何なんだっけ
みたいなものが分かりそうすると社会っていうものも
分かってきてこの辺りが丸っと
理解できるようになるんじゃなかろうかななんて思ったりしています
事故と社会と自由みたいな
この3つのキーワードを
個人 個人ですかね 事故というか個人
個人 社会 自由みたいなこの辺りのキーワードでちょっと勉強していきたいな
なんて思ったりしています
より具体的なやつだと
リフロムという
第二次大戦の前後の哲学者の方なんですけど
自由からの闘争っていう名著があって
Kindleでなくて物理本で買ったんですけど
2年くらい前に買って読んでないんですが
それをちょっと読んでみようかなって思ったりしています
これすごくざっくりどういうことかというと
歴史的になんやかんやあって個人みたいなものが
個人の自由みたいなものが
実現されてきた時に
その自由から逃げようとする
何ていうか振る舞いが見られると
自由ってなった時に
それに対してこんな言い方してないんですけど責任みたいなのが
自分で何かを決めなきゃいけない
決めることには責任がつきます
自由って結構苦しいんですよね
これに対してはサルトルという人が
自由の刑みたいな言葉で表現してたりしますけど
自由から逃げ込む先に
集団主義みたいな全体主義みたいなものがあって
ナチンみたいなところに
警告する傾向があったりとか
そういうものにつながってたりすると
なんていうか
自由がただあるっていう状態だけだと
それだけだとうまくワークしないのであると
そうなった時にこういう風にしたらいいよみたいなことが書かれたりするので
ちょっとそれを読んでみたいなと思ってたりします
解説動画が大きく2本あって
それを聞いてるんですけど
まだ人に語れるほど腹落ちしてなかったりするんですが
そういうのを勉強したいなと思ってたりします
ということで
まとめの前に
個人主義みたいな話は西洋的な自由みたいなキーワードからアプローチしつつ
東洋思想だと
自分ってないよねっていう考え方が結構強いんですよね
仏教だと
なんだっけ忘れちゃったキーワード
仏教とか道教とかって自分ってないっすからみたいなスタンスなんですけど
結構私はそれはすごくしっくりくるんですよね
平野圭一郎さんが
言ってた文人主義とかもそうなんですけど
かっことある自分が1個あるみたいなのは
感覚的によくわかんなくて
コロコロ変わるのはそりゃそうでしょみたいな感じだとか
社会的な意義ものなので
その文脈に沿って自分自身の振る舞いを変えるとかはそりゃそうでしょって思ったりしますし
感情なんて揺るぎないものではないので
コロコロ変わるのも当たり前なのでってなると
かっことある個人なんてないじゃんっていう気持ちにすごくなるんですけど
そういう東洋思想的なものを
自分自身はやっぱりベースになってるなっていう感覚がすごくあるんですが
今の資本主義社会の中で何かをやっていこうとなった時に
特に日本は西洋から
インストールした民主主義をインストールした国ではあるので
民主主義の上で何かをしていくってなった時にも
個人みたいなものと切っては切り離せない状況になっちゃったので
東洋思想を学んで
西洋思想と相対化しながら
どういうふうに解釈したらいいんだみたいなことをやりたいなと思ってたりします
これでまとめ
一旦まとめます
今日の配信の最初に
世界の認知の仕方には3つあるという話をしました
今実際にどうであるかという事実
それに対してどのように思うのかという解釈
それを踏まえた上で世界はどうあってほしいという希望
みたいなものがありという話を最初にしました
クリエイティブは3つ目の世界はどうあるべきかという
世界観を提示するもの
世の中に権限させたものがクリエイティブであるという話をしました
クリエイターは
世界観を作って
発信する人だよねという風になるわけですが
その世界観ってどういう風に作られていくのかってなった時に
文脈が圧縮されて出てきたものが
世界観であるという話をしました
自分が持っている世界観
こうあってほしいという世界観が出てきた時に
それをどう世の中に発信していくのかとなった時に
自分自身とか社会とかをよく知らないといけないので
社会の相対化だったり
自分自身あるいは
自己と社会のバランス
今自分が見ている社会みたいなものを
言語化したり物理化したり
できるようなことが必要だろうと思いました
なった時に少なくとも今の社会は
自己を大事にしましょうみたいなものと
社会性みたいなものを両立させないといけない社会のように見える
となった時に自己社会
自由みたいなものを学ぶことに
一定の意味はどうやらありそうだなという風に仮説を持っています
それに関連する発信をしたいなという風に
思ったという話でございました
最後これが今までの話で
最後おまけなんですけど
私自身SWCをどういう風に見ているのかな
この話を整理した時に
自分でやっと言語化できるようになったんですね
これがタイトルになっている世界観テストベッドというやつなんですけど
私もともと
コンピュータネットワークの研究者だったと
大学院ですけどね
カネコイサオさんという方が
2000年代に
Winnieというアプリケーションを作りました
これはファイル共有ができるアプリケーションなんですけど
これでいわゆるMP3とかで
CDをリッピングしたやつが
無料で配布されちゃって困るよねみたいな
悪い意味で話題になったアプリケーションですけど
技術的にはめちゃくちゃ尖ったことをしていて
言ってしまえば
ブロックチェーン技術のベースになっているものだと思っているんですよ
分散したデータベースと言われたりするんですけど
いろんな人が
それぞれのパソコンを
それぞれのパソコンの中で
同じデータのコピーを持っているとなると
誰かのパソコンが壊れても他の人が持っているデータ同士を
集めると
正しい本来あったデータが復元できるよねみたいな
考え方をしているアプリケーションなんですね
これって
コンピュータネットワークの用語で言うと
オーバーレイネットワークって言われるんですよ
専門用語を使って申し訳ないんですけど
ネットワークって
人と人との繋がり
ネットワークは何かの物同士の繋がりなんですね
コンピュータネットワークって言うとコンピュータ同士の繋がり
ネットワーク。ネットって網っていう意味なので
線と線が
繋がりあっているのが密度が濃くなると
網みたいになってそれで一つのバーみたいなものが
構成されますよねっていう話なんですよね
これがネットワークなんですけどオーバーレイネットワークって言うと
何かというと元々あるネットワークの上に
さらに絞られた
物たちだけで繋がりを作る
みたいなことがオーバーレイネットワークって言うんですね
例えばXがあります
Xの上ではいろんなアカウントが
たくさんあるのでそれぞれで繋がって
ネットワークを構築してるわけですよねフォローフォロワーみたいな関係で
究極全てのアカウントを
フォローすると全ての情報が
自分に入ってくるんだけれども
これがベースのネットワークとしてありますが
その1個上にオーバーレイって上かぶせるって意味なんですけど
上かぶせたネットワークを作るんですよ
例えば今SWCでやってることってこれなんですけど
SWCスロースっていう
アイコンを身につけている
人たちだけで
SWCですねって言ってる人たちだけを
フォローフォロワーすると完全に他の
人の発言を見ずに
SWCだけの
情報が流れてくるSNSが爆誕するじゃないですか
確かみどりさんがグループ作ってたと思うんですけど
SWCメンバーだけをアカウントを集めた
グループを作ってたと思うんですけど あれはまさにオーバーレイネットワークで
そこにいるってなると
元々あったベースのX全体のネットワークから閉じた
その人たちだけの
ネットワークが新たに作れると これがオーバーレイネットワークと言います
これをすると何ができるかというと
実験がしやすいですね
なんていうか
X全体でこういうことをしましょうなんて言っても
効かないわけですけど オーバーレイネットワークという
閉じたネットワーク 知り合いだけで閉じてるネットワークの中で
こういうことをしたいんだけどとか
こういうふうなものがあってねってすると そのオーバーレイネットワークの中だけで
情報が流通すると
みんなを追いやすいようにリストを作りました
あれすごくありがたくて
その中で
SWCの関連者だけのグループ
みたいなものの中だけでタイムラインを見ていると
それ以外に関連しない情報は排除されると
SWCの中でのメインの話題ってこれだよね
みたいなのがなんとなく分かるようになるんですよね
ってなると何か実験したときにすごくリアクションが返ってきやすい
ゾコさんが
動画を上げたときにタイムライン
そのままタイムラインを眺めていると
Xの全体のやつが流れてくるので気づきづらい
SWCに絞られていると誰かが投稿したものが
すごく目に入ってきやすいと
めっちゃ実験しやすいんですよ
社会実験も
科学の実験も環境を閉じるじゃないですか
実験室の中で何かの前提条件を揃えて
他のノイズになるような変数は排除して
その中で実験するということを
自然科学も社会科学も
そういった実験をしているわけですよね
人を集めて統計数値を取るみたいなのも
社会実験でそのときは一定
狭い領域でやると
オーバーレイネットワークを作ると
社会実験がしやすいんですよね
実験環境としてのSWC
社会実験に限らず実験のための環境として
使っていいよねってなってるのを
テストベッドって呼ぶ文化があるんです
エンジニアの中に
そうなんですよ
SWCに対してどういうふうに見てたかというと
これってオーバーレイネットワークの中での
テストベッドだなって思いながら見てました
なので実験場だなってずっと思ってたんですよね
うっすり
普通の実験場と違うのは
神の視点で囲われたところの上から
ピペットでピュッピュッピュッってやるような神の視点で実験者は
実験するんじゃなくてプレイヤーの人として中に入って実際に行動して
実験しちゃってるんだと思ってるので
一般的なテスト環境と違うんですけど
実験者と観測する人はプレイヤーの一人なのである
っていうふうな意味では
とはいえ
SWCって実験場だなってずっと思ってたんですよね
私がやってる配信で
認知が変わる系のもの
分かんないけど
メンタルモデルを語ってそれを提示してみるっていうのは
実は実験でして
食梅を実験環境に入れたら何が起こるかなみたいな
ふんふんふんって入れてる感覚なんですよ
なので今日の発信も食梅を突っ込んでみよう
という実験をしているんですね
なので実験する人って
観測したがるんで
何か動きがある方が面白く思っちゃうんですよね
これ入れたら動きがあったなって思うので
振る舞いが激しいほど観測者にとって都合がいいんですね
なので私が
DoとBで言うとDo側ですねって言ったのは
ここに起因してる感じがすごくします
実験場にピペットで食梅を
入れた後に観測したいんだけど
観測するまでの期間が短い方が
都合がいいって思っちゃうので
動け動けってなっちゃうんですよ
Doに向かせようとしているのは
強く自己認識しました
両太郎さんは
自由にしていいからっていう
パパさんに食梅入れられてました
食梅入れてた感覚は前からあったんですけど
自分で自己認識してなかったですね
両太郎さんはやっぱりBの人なので
みんなのウェルビーングが上がるみたいな方がいいよねって
そもそも思ってる人なので
私が実験場からのように
かき混ぜてワラワラってやると
かき混ぜていいんかみたいな気持ちになってたんじゃないかなって
悪ながら思ってたりしますが
そういうところもありますけど
ちょっとね、サイコパスだなって
認識してたんですけど
サイコパス味あったなって改めて思いましたね
とはいえ、そうですよね
良くも悪くもというか
破壊衝動とかはなくて
SWCを破壊したい感覚とかは全くなくて
というのもこのオーバーレイネットワークのテストベッド
つまり世界観を提示したり
実験したりできる貴重なテストベッド
やってる感は感じてない
テストベッドってすごい貴重なんですよ
避難所の企画でもね
実験はしてましたね
実験してる感覚はありました
が、明確に
実験場だなーなんて
強く思ってなかったんですけどね
実験場だなって思ってたんだなって認知して面白くなりました
壊すつもりはなくて
なぜなら貴重だから
SWCと同様のテストベッドって言い方しますけど
世界観を試すテスト環境っていうのは少ないんですよね
めちゃくちゃ貴重で作るのはそもそも難しい
いい人たちで
ノイズが少ない環境ってめちゃくちゃ貴重なんで
これを壊すと
この環境を壊すと
再構築するのに何年かかるんだってなりますし
それよりは破壊的な実験をするとか
よりはこの環境から何か
世界観提示が出てくることの方がめちゃくちゃ大事だな
っていう実感があるので
実験をしつつも基本的には破壊的ではなく
プラスの方向になるような実験
こういうことをしたら
クリエイティブに対する何かが
プラスの方向に働くのではみたいな感覚での実験を
やりたいだけですからね
皆さんのことを別に考えてやってるわけではないので
本当に
自分の自己満のためにやってるだけなんですよ
バフをかけたらどういう世界観が出てくるのかな
みたいなのを観測したいという欲求だけなんですよね
もちろん誰かがこれによってエイタースしたりとか
世の中に知られるみたいなことがあったら普通に嬉しいんですけど
別にそれを目的としてないというか
結果的になることはあるでしょうし
そうなったら嬉しいけど別にそのためにやってるわけじゃないみたいな感覚があるので
勝手にやってるだけなんですよね
そうなんですよね
ということで私はSRCをオーバーレイネットワーク
つまり閉じたネットワークのテスト環境
テストベッドである
そこは世界観を試せる場所であり
新たな世界観が発信される場所でもあるというふうに捉えましたので
SRCを世界観テストベッドであるというふうに
考えてみました
これが今回の配信で仮説として提示してみた
メンタルモデルですね
ということでございました
1時間10分も喋ってまた
ということでお付き合いいただきましてありがとうございました
ためになる情報発信もたくさんありました
ありがとうございます
情報発信をすると
SRCという
知性の空間みたいなのがあるときに
その空間の中に
概念がインストールされるんですよね
前回はスキーマとか観世界とか
メンタルモデルっていうものがあるよねっていうのを
インストールしようとしてインストールしたんですよ
それを1回入れとくと次にその前提で
何かを話せるのでもうちょっと深いところに
突っ込めるみたいなメリットが生じると思って
あえてやってるバフとしてもありますが
これは実験上の環境設定ですねどっちかっていうと
これ両太郎さんも分かってくれると思う
この認知の
言葉を入れとくとみんなのウェルビーングが
よくなるということが分かっており
その情報を
さらに5歩くらい奥に
入り込ませたいんだけど
入り込ませたいんだけどその手前に
情報をポンポンポンって置いとかないとその奥の情報を
急に話すことができないのでちょっとずつ
前提条件を揃えていってるんだと思ってるんですよね
それは私はそのテスト環境実験環境を
設定するというメンタルセットで
メンタルでやってますけど両太郎さんはウェルビーング
になるために必要な情報提供のための
前提条件を渡してるっていう
自己認識の探求
関係なのでどっちかというと私の方がやべえやつなんだと思います
両太郎さんの方が
人間性がいい
私は何者なんでしょうね
マッドじゃない
サイエンティストなんだと思います
クレイジーかもしれないですけど破壊的ではないので
マッドではないと思いますが
やりたいことを壊さない範囲でやらせていただきます
こんなこと言っていいのかな
やべえこと言ってるなって思ってきた
人を人として見てない感じがしますよ
やべえ人ですよ
両太郎さんの方が人間味ありますし
両太郎さんはそのスタンスすげえ
緑さんが人を関数として見てますって言った時に
リアクションしてくださったのは覚えてて
その話もどっかでしたいなと思いつつ
結構人を人として見てないところがあります
よくないけどタイミングが合う時に伝えたいです
弱者雑誌じゃない
男性のつらみみたいな話も
もう1、2冊読みたいんですよね
ぜひタイミング合う時に対談お願いします
ということで
また伸ばしちゃって1時間15分しちゃった
お付き合いいただきましてありがとうございました
男性の傷など私もインプットしておきます
以上です
バイバイブー