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2025-11-24 08:15

「何かを評価した時にこっそり仕込まれてしまって、もしかするといつかはるか未来に芽を出してしまうかもしれない暴力の種?センサー」

意図せず録音を停止してしまいました。まだ話途中です。帰納法の話までたどり着けず。後半へつづくー

サマリー

NVC(ノンバイオレンスコミュニケーション)の観点から、人を評価することの隠れた暴力的な側面について考察されています。特に「料理がうまい」という表現に、どのような暴力的な種を生む可能性があるかに焦点が当てられています。

NVCと評価
こんばんは、しゃべる練習をやります。今回のテーマは、人気能法のセンス注意すること、ちょっとうまく言えなかったですけども、というような話をします。
ちょっと難しい話をする感じになるので、うまくしゃべれない可能性が高いですが、よろしければお付き合いください。
発端としては、あき子さんのポッドキャストでしゃべられていた、「〇〇人は料理がうまい」ということを、ご自身のポッドキャストで、そういう言い方、表現をすることが、ありかなしかみたいな、そんな話題だったと思うんですけれども、
まず、結論、答えとしては、多くはありだと思います、ということにはなるんですけれども、その回答を言いつつも、いろいろとこのテーマについての話をしたいなと思います。
あき子さんも、どこかの会で言っていたと思うんですけれども、NVCというメソッドというか、スタイルというか、生き様というか、そういうのがあるんですね、その本を読んで、その方は非暴力コミュニケーション、ノンバイオレンスコミュニケーションでNVCなんですけれども、
それをすごい実践したりとか、世に広めるという感じで活動されていてですね、様々な暴力的コミュニケーションを減らすための尽力をされた方みたいなんですけれども、それはなんと素晴らしいことだと、暴力が減るなら、それをやったらええんちゃうかというふうに思いまして、
完璧を目指す感じでもないですけれども、やれそうな時はというか、やれる範囲のことはやったらいいかなと、なんとなくぼんやり思ってその後は生活しているわけですけれども、
そのNVCの方に書かれている中でですね、比較的そうだよねっていう、普段から私そんなにやっていることとか違和感がないものもあったんですけれども、ただですね、結構大きくインパクトが私にとってあったことがあります。
それは人を批判しない、評価しない、みたいなそういうことが書かれている場所がありまして、あなたはダメですとか、そういう感じはダメだというのはわからなくもないんですけれども、
例えばちょっとパッと例がうまく浮かぶかわからないですけれども、丸丸さんは泣き虫だみたいな、そういう感じですかね、そういうのはよくないよと、今のは泣き虫ということでネガティブワードではあるので、それはよくないよというのはわからなくもないですけれども、
別にネガティブワードじゃなくても、丸丸さんは働き者だとかでもいいのかもしれない、そういうのも含めてですね、そういうふうに人が何かを評価するみたいな発言みたいなものは、
NVCという考え方からすると、そういうことはしないのがNVCですよみたいな、それをまた良いか悪いかという判断をすると話がややこしくなるんですけれども、そういうふうにはしないというのがNVCですよということが書かれていてですね、
いえいえ、そんなことを言っていたら何も言われへんがなってしまうかなと、私はそれを読んだ時は積水反射的には思ったんですね。
その後、それをなんとなく日頃から意識して暮らしていく中でですね、センスが磨かれる。センスが磨かれると言っても一概に良いとか悪いとか、かっこいいとかかっこ悪いとか、イケてるとかイケてないとか、
そういうことの意味でのセンスが良い悪いという表現ではなくてですね、そのセンサーですね、センサーがだんだん細かく見れるみたいな。
例えば体重計だったとしたら、10キロ単位でしか測れない体重計と1キロ単位で測れる体重計と0.1キロ単位で測れる体重計があったら、
よりちっちゃい微妙な体重の差を数値として出してもらえる、そういうのがセンスがあるというか、センスがより細かくなった、センサーがより細かくなったということですね。
そういう意味でセンスをセンサーの、よりセンシティブな感じのセンサーが、センスを持つそういう機能が高まる、細かくなるということで言うと、
人に対して評価するということ自体に対する、そこに暴力的なコミュニケーションとまで言葉にすると、そこまででもないと思いつつも、
そういうことをNVCが避けるという考え方自体が、そういうことなのかと思うときもある、そんな感じですね。
評価の影響
例えば、先ほどの例題にあった、秋子さんの例題にあった、シリア人は料理がうまいという話をしたときに、それをどう感じるのかということで言うと、
全然悪気はないということで、あった1人の人が料理がうまい、あった2人目の人も料理がうまい、3人目も料理がうまい、4人目も5人目も6人目も料理がうまい、
あったらまとめて、なんとか人、なんとかの人は料理がうまいんだなという印象を持ったということで、なんとかの人は料理がうまいということで、
別に褒めてるし、何の問題もないし、平和だし、悪意もないしということで、何の問題もないなという感じがしつつも、
例えば、なんとか人の人の中で料理があんまり苦手な人がいたら、何々人なのに料理が下手みたいな感じの、
ダメージがそこでなぜか追加されてしまうことが起こっちゃうかもなっていう、そういうふわっとした部分を感じたりはしますかね。
最初の結論で言うと、この場で、このポッドキャストで、この状況で言うことがそれにつながるっていうことは、非常にそんなことないようなことはいかないと思うんですけどね。
08:15

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