焼きそばでも食べながら聞いてください
サマリー
このエピソードでは、精神科医の刺身さんがライブ配信を通じて自己分析や日本文化における甘えと不債の概念を探求されています。また、オンラインとオフラインでのコミュニケーションの違いについても深く掘り下げられています。
自己分析と文化の考察
今回、私たちが注目するのはですね、ある精神科医の方、刺身ちゃんっていう方のライブ配信の記録なんです。
これが一見、日常の雑談かなって思うんですけど、実はすごく深い自己分析とか、文化についての考察が含まれてて、
あなたにとってのなるほどを一緒に探っていけたらなと。
面白そうですね。
まずはですね、彼がドライブ先で体現したちょっとしたエピソードから入っていきたいんですけど、
海鮮丼が食べたくて、なんと100キロメートルも運転して行ったそうなんですよ。
それはすごい。
なのに、結局、お店のおばちゃんに強く勧められちゃって、つい煮魚定食を頼んじゃったっていう話で。
なるほど。海鮮丼じゃなくて煮魚。
そうなんです。
この一見、些細な出来事が、実はすごくポイントなんですよね。
ポイントですか?
美味しかったんだけど、目的の海鮮丼は食べられなかったっていう、そのもやもやした感じ。
ありますね、そういうの。
それが、彼が言うところの人生でよく繰り返されるパターンにつながっていくんです。
パターンですか?
つまり、NOって言えなくて、相手の意向に合わせちゃう。
で、後になって、なんか不満とか、ちょっとした怒りみたいなのが湧いてくるっていう。
なるほど。またやっちゃった感というか。
そうそう。
なんか聞き覚えがあるなっていう方も、もしかしたらいるかもしれないですね。
結構あると思うんですよ。
日常のほんと小さな選択が、実は自分の根深いパターンを映し出してるっていうのは、ちょっとハッとさせられますね。
そうなんです。で、彼はこれを、過去の、例えば研修医次第の経験とか。
なんかちょっと押しつけがましい上司との関係とかにも、重ね合わせてるんですね。
あー、なるほど。
相手に強く来られると、一回は抵抗ひようかなって思うんだけど、結局流されちゃう。
で、後で恨みじゃないですけど、そういう感情が残るんだって。
うわー、それはしんどいですね。
でから、ここでの確信っていうのは、日々の小さなイライラとか、もやもやっていうのが、
実は、もっと根深い対人関係のパターンを照らし出してるんじゃないかっていう、そういう視点ですよね。
なるほどなー。
そしてここから話がぐっと深まって、甘えの構造っていう話に入っていくんですね。
甘えですか?
ええ。彼は自分のことを甘え下手だって言うんですよ。
特に助けてっていうのが苦手だと。
あー、助けてって言えない。
そうなんです。
この甘えっていうのは、人間関係の中で相手にちょっと頼ったりとか、受け入れてもらいたいなって期待する、そういう感覚のことですよね。
さしみちゃんはこれがどうも苦手だと。
で、彼の言う完璧主義っていうのも、これも面白くて。
完璧主義?
ええ。それって、実は助けを求められない弱さなんだと。
あるいは、人に頼れない主義なんだっていうふうに自分で分析してるんですよ。
へー、完璧であろうとすることが、逆に言うと人に頼れない、甘えられない、その弱さの現れかもしれないと。
そういう見方ですね。
で、その背景にはもしかしたら、小さい頃にいい子でいることをすごく期待されて、素直に甘えれっていう経験がちょっと少なかったんじゃないかななんていうふうに彼は推察してるんですね。
なるほど。
で、さらに人に頼ること自体が、なんていうか精神的な借金みたいに感じちゃう。
借金ですか。
不細を増やすような感覚っていうふうに言ってて、これはもしかしたらちょっと日本人特有の感覚かもしれないと思う。
不細ですか。それは単に恩があるっていうだけじゃなくて、頼るっていう行為そのものがもう重荷に感じられるみたいな?
あ、まさにそういう感覚ですね。
彼はルース・ベネディクトのキクト刀の話もちょっと出してて。
日本の文化の中には、生まれた時から親とか世間に対してある種の恩、つまり不細を負ってるんだみたいな考え方があるんじゃないかと。
だからさらに人に頼ることで、その不細を増やしたくないっていうふうに無意識に感じちゃうのかもしれないって考察してるんですね。
なるほど。だから人と対面で接するのが、その不細感もあってすごく疲れるんだと。
そうなんですよ。
相手の時間を奪ってるっていう感覚自体がもうプレッシャーなんですね、彼にとっては。
まさにそうみたいですね。
でもここからがまた面白い対比が見えてくるんですけど、そんな彼がライブ配信はすごく楽だって言うんですよ。
へー、対面は疲れるのに配信は楽。
そう。自宅から時には服を着ずに配信することもあるなんて言ってて。
甘えと不債の心理
え、服を着ずに。
それくらい開放感があるっていうことなんでしょうけど。
それはすごい開放感ですね。でもなんでそんなに楽に感じるんですかね。
彼が言うには、配信っていうのは嫌だったらリスナーが勝手に出ていけるからだそうなんですね。
あー、なるほど。
対面みたいに相手を縛りつけてるっていう感覚がない。
だからそのさっき言ってた不細を感じにくいんじゃないかと。
あー、なるほど。相手に選択の自由があるっていう感覚が彼のリラックスにつながってるのかもしれないですね。
そう考えると、彼にとってライブ配信っていうのは、その対面コミュニケーションが持ってるプレッシャーからある種開放される、すごく特殊な安全地帯みたいな場所になってるのかもしれないですね。
面白いですね、その対比は。
というわけで今回はですね、精神科医ささみちゃんのライブ配信から、ニサカナマエピソードをきっかけにした自己分析。
それから甘えとか不細感っていうちょっと深い心理の話。
さらにはコミュニケーションにおけるオンラインとオフラインの違いまで、結構深く掘り下げてみました。
彼のすごく正直で、時にユーモラスで、時に不変わりにも聞こえるかもしれない語りの中にですね、
でも多くの人がわかるなって共感できるような心理とか、日本的な人間関係のきびみたいなものが結構詰まってたように思いますね。
そうですね、完璧主義の裏にある弱さとか、人に頼ることへのためらいとか、あなたにももしかしたら思い当たる部分があるかもしれません。
うーん、きっとありますよ。
さて、あなたにとってはどうでしょうか。
リアルな対面でのつながりと、こういう画面越しのつながり、それぞれで感じる心地よさとか、逆に息苦しさみたいなものがあるとすれば、その違いって一体どこからくるんだと思いますか。
うーん、ちょっとそんなことを考えてみるのも面白いかもしれませんね。
06:43
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