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2025-10-16 10:19

#64 断捨離する私を演じていた

『 家族の絆をより濃く、より強く 』
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#片付け #断捨離 #掃除 #手放す #思い出 #すたえふ初心者
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サマリー

このエピソードでは、物を手放すことの重要性について考察し、思い出の品との向き合い方を共有しています。特に、断捨離の経験を通じて得た教訓や、物が持つ思い出が心の負担になる可能性について語っています。

物との向き合い方
こんにちは、hattoです。私たちは、家族の絆をより濃く、より強くをコンセプトに、家族の繋がりを大切にするアイテムを作っています。
この番組では、ものづくりの裏側や子育ての日々で気づいたことを、私なりに言葉にして残しています。
最近ですね、片付けに関することを耳にする機会が多いなって感じていて、
そんな話をおっとにしてみたら、おっとも全く別のところから同じような話を聞いていたりしてですね、
これはもう片付けなさい、片付けについて考えなさいっていうことかなってちょっと思ったんですけど、
それでちょっと考えてみたことがありまして、
私基本的に物をあんまり捨てられない人間で、特に思い出の品ってもうなかなか捨てられないんですね。
以前、この断捨離がちょっとブームになった時とかに、いろんなものを思い切って捨てて、すっごいスッキリしたっていう経験はあるんですけど、
後から捨てなければよかった、あれ置いとけばよかったって後悔したこともあるんです。
で、今日はそのなんで後悔してしまったかっていう後悔の正体みたいなものと、
この捨てる、手放すっていうことの意味についてちょっと考えてみたいと思います。
最近聞いた言葉ですごく印象に残っているものがあるんですね。
それが何かっていうと、物は思い出をまとっていて、放置すると無意識のうちに心の負担になってくるっていうような内容だったんですね。
これなんか私すごい感覚的にわかる気がするって思ったんです。
何か思い出の品だから捨てれないって言って、もう今使ってないもので、おそらくこれからも使うことはないであろうものを身の回りに置いておくと、
さっき言ってたその物がまとっている思い出みたいなものが、今現在の自分を圧迫してくる感じがするなって思ったんですね。
それが例え良い思い出であったとしても、何かその物を通じて過去に縛られているというか、何かこう過去の思い出とずっと手をつないでいるような状態で前に進みにくいみたいな、
何かそんな感じがするなってその話を聞いてちょっと思ったんですね。
そういう思い出をまとったものっていうのが増えると、何かその分今の自分、今現在の自分の居場所が狭くなっているような感覚があるんです。
だからこの片付けっていうのは物を減らすっていう物理的に物を減らすっていうことだけじゃなくて、今の自分がもっと生きやすくなるための作業なのかなっていうふうに思いました。
思い出の品をなかなか捨てられないっていうのはよくあると思うんですけど、それって何でなのかなって考えたときに、何かやっぱりこの思い出の品を捨てるっていうことがイコール思い出を大切にしていないっていうことになるんじゃないかなっていう、
この無意識にそういう考えが自分の中にあるのかなって思ったんですけど、
何かよくよく考えてみると、そのさっきのね、自分のこう足枷というか、自分の今の居場所がちょっと居心地悪くなるような感覚とかを考えてみるとよくよく、
この思い出の物を残しておくっていうのは、別にこの思い出をすごく大切にしているっていうわけじゃなくて、この物自体にその思い出を縛り付けておかないと保てないのかな。
手放すことの意味
何かその物を残すことで、その思い出をその物に縛り付けて、同じこと言いましたね。
居ないと信じられないというか、何かそういうことのような気がちょっとしました。
だとしたら、やっぱりこの捨てられないから置いておくっていう、その消極的な選択というか、そういうのってあまり良くないんじゃないかなっていうふうには思いますね。
何かやっぱり手放していくべきなんだろうと思うんですけど、
その手放すっていうのが思い出を切り捨てる、過去を切り捨てるっていうことではないんだとしたらどういうことかなって考えてみると、
過去を通ってきた自分っていうのの上に、先にか、っていうのの先に今の自分っていうのを主役に置き直すみたいなものかなって思いました。
切り離すとか切り捨てるっていうよりも区切りをつけるみたいな、完了させるみたいな感じかなっていうふうに思いました。
で、以前その断捨離した時に、ああやっぱり捨てなければよかった、あれ置いとけばよかったって後悔したことがあるっていう話を冒頭にしたんですけど、
それがなぜか、何で捨てたことに後悔してしまったのかっていうのを思い出してみると、それはそのプロセスを経てなかったからだと思うんですね。
完了させたわけじゃなく、ちゃんと考えもせずに切り捨ててしまった。
だから、その向き合わなかったことへの後悔が残ってるのかなっていうふうに思います。
最近はやっぱりなんかこのミニマルな暮らしっていうのが、やっぱりなんかおしゃれだしすごくいいもののような気がしていて、無意識にね。
で、自分もなんかそうありたいっていうふうに多分思っていて、断捨離する自分っていうのを、このちゃんとものを捨てられる自分っていうのを演じてたんだろうなって。
だからそう、ちゃんとしたプロセスも経ずに、こう切り捨てていってしまったんだろうなっていうふうに今は思っています。
でも本当の自分っていうのは、このものを通して、この誰かとの思い出とか、これまでの時間とかっていうのを大切にしてきたんだと思うんですね。
で、そういう気持ちをないがしろに置き去りにした時に、このものじゃなくて、捨ててしまった、それを大事に扱えなかった自分に対して後悔したんだろうなっていうふうに思います。
だからそのものを処分する、手放すっていうことは完了させることだなっていうふうに思って、この未完のまま抱えてる記憶をちゃんと終わらせて次に進む。捨てる、切り捨てるじゃなくて区切りをつけるっていうのが本当の意味でというか。
私の中で納得のいく片付けなんじゃないかなっていうふうに思いました。
だんだんと年末が近づいてきていますが、皆さんはお家の片付けとか、掃除とか、年末の掃除の準備とかされてますでしょうか。
私は最近、自宅では1日1箇所だけちょっときれいにするっていうのをやってみています。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
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ではまた、ハットでした。
10:19

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