発信中毒、発信楽しんでますか? この番組は、1600回以上毎日ポッドキャスト配信を続ける発信中毒者のかねりんが、
普段は言わない発信者の本音と孤独をさらけ出しながら、僕たちが発信する理由を一緒に探していく番組です。
今日のお題はこちら。 ノートを始めた方がいい理由。
ということで、ポッドキャストも流行ってきておりますが、同じようにノートってのも流行ってきてるんですよね。
まあ、散々ノートノートっていう単語は僕も口にしておりますので、知ってる人は多いと思います。 ただ、意外とやってる人はそんなに多くないんじゃないかなと思っているんですが、どうでしょうかね。
テキストなんでね、ああいうテキストで文字を書くことが苦手だよって思ってる人結構多いと思うので、あれはポッドキャストよりも
参入収益高いのかな、どうなんだろう。 まあでもやんない人はみんな何かしら言い訳してやんないだけか、ポッドキャストもそうですよね。
ポッドキャストもなんかそんなに一人で喋るの慣れてないんで、そんなに喋るネタもないんで、喋れないですって100億回聞いたわっていうね、
そういうことばっかり言う人いるけど、意外と喋ってみたら喋れるもんよ。 そしてそうやってね一人ごとで喋り続けているとね、
ああなんか意外に自分ってこういうとこあるんだとか、無理やりでも言語化するでしょ。 無理やりで言語にしていくっていうこの体験がね、多分自分たちの内省に繋がると思うんですよね。
言語化が苦手な人っているじゃないですか。なんか言語化ハラスメントみたいな言葉が最近あるみたいだっていうのを知ったんですけど、
言語化することが偉くて、言語化できない奴はバカだみたいな、そういう世界線になっていくのは僕はちょっと嫌だと思ってます。
言語化する時点で情報は劣化するんで、頭の中で思い描いているものを言語化する、まあ僕は割と得意な方だと言われます。
僕自身は得意だと思ってないんですが、よく言われます。言語化すごいですねとか得意ですよねって言われますけど、
それでもね、自分の中で思い描いているものとか伝えたいものを言葉にした時点で20%ぐらいじゃないですかね。
情報が劣化してますね。当たり前に。なので正確に伝えられないとかね、正確に伝わらない、誤解を生んでしまう。
なかなか難しいんですよね。この言葉って情報伝達手段としてはものすごい人類にとって発明ではあったんですけど、
そもそも最初にそれを言語化する人の脳みそからその言葉になっている時点で20%ぐらい。
だから80%を劣化していると思いますし、それを受け取る側、受け取る時に発信者の意図していたようなものとは違う情報がその人の脳みその中に浮かびますよね。
例えばね、サンドイッチを食べましたみたいな、サンドイッチが好きですっていうようなのを僕は言語化した時にさ、
日本人であれば白いパンに挟んだコンビニとかでよく売っているああいうサンドイッチを思い浮かべるじゃないですか。
でもさ、これ例えばフランス人がサンドイッチ僕は好きですっていう情報を受け取った時にイメージするサンドイッチってそういうサンドイッチじゃないんだよね。
なんかフランスパンをお前の中にピーって入れてそこになんかハムとかレタスとか挟んでバーンってなっている。あれがサンドイッチじゃないですか。フランス人にとってはね。
っていうことがあるじゃないですか。そういうことだらけじゃないですか。国をまたげばわかりやすいけれども。
僕ら日本人ってね、単一民族なんで多様性のない人種だからさ、私の思っているものは相手の思っているものと一緒でしょってこう思っちゃうんだけど、
アメリカとか外国でいろんな人種が入り混じっているところはさ、伝わらないのがデフォルトだって言うじゃないですか。
伝わらない前提で、だから一生懸命伝えようとするし、耳振り手振りジェスチャーで一生懸命一生懸命伝えようとする。
だからああいうコミュニケーションになるのかなって英語圏の人って手振りとかでさ、顔とかでさ、ウェイウェイみたいな感じでやってんじゃん。
あれ別にイキってるわけじゃないんだなって最近思い始めましたね。これ海外住んでる方どうでしょうか。
全く思って想像で話してますけども。
まあでもね、今お話ししたようなのは本当に些細な例で、言語化した時点で劣化しているし、それが相手に伝わる時点で全然違うものになって伝わっているっていうのが往々にしてあるだろうなと。
それはだから今言ったような国境というかその距離的なものですよね。
距離的なものでいろんな文化とか生活環境変わるんで、前提としているものがいろいろ変わるから正しく同じようなものは伝えられない、伝えられにくいっていうのがあるよね。
あとは時間ですよね。1000年前の人のサンドイッチと、サンドイッチ1000年前にあったのかな。
いろいろなんだろう、卵かけご飯じゃねえ、おにぎりとかね。
1000年前のおにぎりと今のおにぎりなんかいろいろ違ってそうだよね。
今の味噌汁と1000年後の味噌汁って全然違いそうだよね。
だからその文字は時を簡単に越えていくんだけれども、情報そのものって越えてないというか全然違うものに変質していくんだよねっていうのがあるんですよね。
なんで今ちょっといろいろと脱線をしておりますが、言語化するっていうのはなかなか大変なことですよねと。
そして言語化した時点で本来自分の伝えたいものって伝わんないよねっていうのがあるんですよ。
なのでそういう面では文字よりも音声、音声よりも動画っていうこの順番でより発信している人と受信する側の情報の相互が縮小されるだろうなというふうに思いますね。
そんなところはちょっと暴論なんですけれども、今日の主論はですね、ノートをやった方がいいよっていう理由なんですけど。