発信中毒。この番組は、ポッドキャスト配信を毎日何本も発信しまくっている僕、かねりんが、発信を楽しく続けるコツを共有していく番組でございます。
今日のテーマは、100年後のコンテンツ作り。
最近よく思うんですけども、まあつまらんコンテンツを作っている人いっぱいおりますが、
何をしたくてコンテンツ作ってるのかなっていうのは、よく考えるわけでございますわ。
人それぞれ、ちゃんとしたものを出さないと、そんなものはコンテンツじゃないっていう人もいればね。
アートのような考え方で、いろんなデタラメなこと、中身のないこと。
ここでいう中身がないってのは別に悪い意味で言ってるわけじゃなくて、例えば無言で10分過ごすみたいなね。
そんな作曲家もいましたけれども、そういうものをコンテンツとして出してみたりとか、正解のない世界ってのは僕好きなんでね。
そのコンテンツなんていうのもね、正解ないんでね、いろんなアプローチができる世界が僕好きなんですけど。
AIがこれだけそれっぽいものを大量生産できるようになったから、余計にね、そのわけわかんないものっていうか、
その発想があったか、みたいなものに僕なんかこう飢えてるんで、とっぴなこととか、
大多数の人がやらないようなことを突然やるみたいな、そういう人をねやっぱり気になりますよね。
で、気になって、その心は?ってこう知りたいんですよね。
どういう意味でそれやったんですかって、結局アートと一緒で、そこにストーリーとか説明がないと、ただデタラメやってるだけですって言うと、ただのデタラメ野郎なんで意味ないんですわな。
なのでね、やっぱり説明が必要なんですよね。このアートというかコンテンツってね、説明ないとただのデタラメ。
逆に何も語らないっていう方が賢いかもしれないですね。口は災いの元なんで、喋るとバカがバレるんで、何も言わなければ何か深淵な意味があるんじゃないか、意図があるんじゃないかってね。
人は勝手にいろんなことをかんぐって妄想してくれるんでね、よくわかんないことをやってそのままだんまり決め込むっていうのがね、実は一番アート的なアプローチとしては賢いかなと思ったりしますね。
そのまま死んじゃえばね、こっちのもんですよね。死後にね、アジャコージャってもう死人に口なしで、いろんなことを後付けでいろんな人が考えてくれるんでね、何も考えずに適当にあの点をピッて打っただけなんだけど、この点はどうのこうのっていっていろいろ言われるかもしれませんな。
なのでまあ大抵の人バカなんで、黙ってた方がそうやって実はアートみたいになってく可能性はあるよね。死後にね。
それが本当の天才はアジャコージャいろいろ考えたことをしゃべりゃいいと思います。僕はそんなね、やっぱり言葉を紡いでこそだと思っているのでアジャコージャいろいろと考えた上で僕はやるんで、考えた上でやりつつやってからも考えてみたいな感じでいろんなアホなことをひねり出して、
自分の生み出すもの、生み出すコンテンツをなんとかしてアートにしていこうみたいなことを画作している。ボケでございますけどね。
で、よく最近僕言うんですけども、あのね、わかりやすいものはすぐに人不可するんですよね。すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなるし、
わかりやすいものって僕あんま好きじゃなくてね、今のこの同じ時間軸に生きている人間たちに理解されるようなものって浅いんですよ、所詮。そう思いません?浅いですよ。
そうそうね、人はそんなね、わかりませんからね。そんな浅いペラペラなすぐにわかってしまうようなものっていうのは、まあ10年後とか数十年後にはもうゴミになってるでしょ。誰も覚えてないよね。そういうことを考えるとですね、今のこの自分が生きている間に誰にも理解されないようなものを自分だけはわかっていればいいやっていう感覚でこう作っていくっていうのは大事なことだと僕思いますわ。
で、100年後の人とかがあじゃこじゃってひも解いて、なんか100年前のこのよくわからんやつの作品出てきたけど、これなんかすっげーなーって。当時の100年前の人たち、当時誰もやんなかったことをなんでこの人こんなことやってたんだろうって。おそらく誰からも見向きもされずに不幸の人生を送ったんだろうなーとかってこう思われたりしてさ。
ね、なんかの画家もそうでしょ。ピカスかなんか知んないけど、ゴホだっけ?知らねーけど、死んでから評価されましたみたいなのあるじゃない。だからそれぐらいの時間軸で考えたほうが楽しいものを作れると思いますわ。で、僕はね、あの、みんな前提の知識とか前提のものが同じことをインプットしていると人間そんな大して違いがないので似たようなもんアウトプットせざるを得なくなっちゃうんですよね。
で、まあ空気みたいなもんで、どうしても僕たちって自分の人生の中で何を成し遂げるかみたいなことを考えるじゃないですか。それって要は時間軸がせいぜい100年ぐらいの間に収まってしまうんで、100年を超えるスケール、例えば1000年とかっていうスケールでものを考えることって結構むずいよね。その時間軸にとらわれていると。
それって自分のアウトプットとか人生の生き方だとか価値観とかそういったものに全部影響してくるでしょ。だからね、もうせめてね、100年後とかって考えたほうがいいっすよ。せめて。1000年後とかいいんだけどね。ちょっとイメージつきにくいっすよね、1000年後って。1000年前ってなんすか。平安時代とかそれぐらいですか。わけわかんないよね。意味わかんない。でも100年後でいいんじゃないですか、十分。
とりあえず入門編としてはまずは100年後、その次1000年後ですけどね。それぐらいの1000年先の人がひょっこり自分のこの生み出しているコンテンツ、僕であればこのポッドキャストの音声とかさ、ブログ書いている人はそのあなたのテキストなんだけど、絵描いている人はあなたの絵だけどさ、ものづくりしている人だったらあなたの工作物、なんでもいいんだけどさ、ひょっこり見つけたときにさ、へー面白いって思ってくれる人がいる。
ようなものを作りたいから、って思いますね。どうですか。
僕がなんでそういうふうに思うかっていうとね、やっぱり似たり寄ったりになってきてつまんないんすわ。
あのまあ有益なものはどうだとかマネタイズがどうだこうだとか資本主義にマネタイズから超越しているようにてやっぱりこう資本主義に囚われているし、だからビジネス文脈ではなくてアート文脈であればパトロンがついていればお金のことを心配せずに好き勝手いろんなことをやれるんでしょうが、パトロンついてなかったら
日銭を稼がなきゃいけないしとかさ、日銭を稼ぐ、自分のそのアートで稼ぐんだって言ったらさ、まあどうしても稼ぐ方向に持っていくよね。ってことはそれはもう必ず時間軸でここで今悔いを打たれるわけですよ。今の人たちにお金を払ってもらえるような方向性のものを作らなきゃいけないんで、今生きてる人たちの顔色を伺ったものしか作れなくなるんですよね。
わかります?なんでねつまらないんですよ。だいたい似通ってくるじゃないですかそんな、だってそんなみんな似たような前提で物事考えたら大差ないんだよ。だからその見た目とかどうでもよくって、その人がどういう生き方をしているのか、どういう思想心情というかね、時間軸で生きてるのか。一つはそうだよね、一つは時間軸だし。
一つはどういうことに縛られて生きているのか どういうことに縛られていないで生きているのか
まあそういうことを考えますよね だから人を見るときにね
あの その人の生き様自体が面白いと思えるかっていうことを僕まず持って最初に見るんですね
でそこで面白いなって思わない人は本当に親族僕興味わかないんで その人の作っているものとか見るまでもないというか見たくもないって感じですかね
そのそうそうだからその 中心コアにあるもの
中心に近いものであればあるほど重要なんですよね だからその表面上のものとかってねこう見ても意味ないっすよね
全く意味ねえんだよなーって思っておりますね そういうことでねあのネット越しだとねなかなかその子がの部分って見えないんでね
やっぱり人は人と会った時に心を動かされるものだなっていうふうに思うんで リアルで人とお会いしてねピンとくるものがあるかどうか
まあそういう軸で 出会いを楽しむっていうのがいいんでしょうなって思ってますが最近僕はあのいろいろと
まあめんどくさくなって外に出ないし人とも合わないっていう生活を続けて1000人の ような1000人生活を続けておりますがね
皆さんどうですかね僕のそんな僕の発信するコンテンツ楽しいですか お楽しみいただけているでしょうか
僕流に言うとですねあの所詮今生きているような人間に面白いと思われているような ものを作っている自分はつまらないなとそんな風に思ってしまいますね
そうやってね今いる人たちをね大事にしないと ダメなんかもしれませんが
今いる人たちにね受けてるようじゃダメかなって思うんでまあ葛藤しておりますよ はいということで今日の話は何か参考になったでしょうか