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母の手毬歌・柳田国王・親捨山③、老人の知恵
第2呪の話し方は、これよりも今少しこみ入っていて興味がある。
昔々、ある国の王が、年寄りはいらぬものだからみな捨ててしまえという命令を出して、それにそむいた者は原発を受けることになっていた際に、一人の高校者がどうしても捨てることができず、
親を床の下とか土手のおかげとかに隠しておいて、そっと毎日の食物を運んで養っていた。
そのうちに敵の国から、こちらの人の知恵を試そうと思って難しい問題を出してきた。
これに答えぬと恥でもあり、また賢い人がいないと知ってせめて来られるに違いないので、誰かこの難問を解く者があったら、望み次第の褒美を下さるということになった。
親を隠していた高校なせがれがその話を親にすると、「そんなことは何でもない。こうすればよいのだ。」と簡単に教えてくれた。
それを王様のところへ申し出て、少女の代わりには、親を捨てなかった罪を許してくださいというと、
王も初めて老人は賢いものだということに心づき、かつは息子の優しい心がけに感心して約束の褒美を与えるとともに、早速そんな間違った命令を取り消したという話で。
これも我が国へは品から入ってきたらしいが、元の起こりはインドであり、造法造教という仏法の教門の中に出ているということまで今日ではもうわかっている。
しかし、この話の日本に来たのも古いことで、人によってはこれをこの国であったことのように思っている者もあるくらいに、今なお方々の農村において語り伝えられている。
年をとった人たちには深い知恵があって、それに教えてもらえば敵の国の穴取りを防ぎ、またはたくさんの徴用を受けることもできる。
だから大事にしなければならぬ、捨てたりなんかするのは損だというのは、考えてみると誠に嫌な話で、とても日本人などの最もだとは思えない理屈であるが、
それとは関係なしに、この昔話の面白かったのは、話の中に出てくるいくつかの試験問題というのが、いずれもちょっと聞けば不可能のようで、
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よく聞いてみれば、なるほどそうだなと思うような知恵の練習になるものばかりだったからで、
親を捨てるなんていうことがあるのかと思う子供たちでも、この方には耳を傾けずにはいられなかったのである。
村で昔話の上手と言われる老人などが、おどけまじりにこの話をして、
だから年寄りは大事にせねばならぬということだ、などと気軽に笑っていた様子が目に見えるような気がする。