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2023-07-03 04:30

#97【青空文庫】餅

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岡本かの子「餅」

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Okamoto Kanoko titile:rice with mochi

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餅、岡本かの子。 餅を焼きながら、夫はククッと笑った。
何を笑っていらっしゃるの? 台所で雑煮の汁を作っていた妻は尋ねた。
知っているところへは、旅行をするから、年末年始の礼を書く、 という葉書を出してあるので、客は一人も来ない。
女中も七草前に親元へ正月をしに返してやった。 で、静かなこの家は夫婦二人きり。
温室育ちの卵が肥毛栓の上で煮よっている。 三日間の雑煮も二人で手分けして作っている。
夫は餅の位置を、焼けたのと焼けてないのと入れ替えてからこう言った。 あの秋に婚約ができて、次の年の正月に初めてお前の家へ年始に行った時な。
どうもおかしい。 俺は生焼けの餅を食わされたんだ。
あら、そんなお話初めてよ。 今まで一度もおっしゃらなかったじゃないの。
妻はしきりの障子を開けて、白い顔を茶の間に出した。 夫は柔らいだ顔を振り向けた。
大した重大事件でもないから忘れてしまっていたさ。 だが餅を焼くので思い出したのさ。
お前のあの時の雑煮はすっかりお前が作ったというんじゃないのか。 でも俺が食っているそばで、お前のママがそう説明したんだよ。
そうなの。ママの説明の通りなの。 あの日ママがね、
今日は親一さんが来られるから、おもてなしに出すものは皆お前がするがいい。 それが本当のご馳走だと言ってね。
無理にこしらえさせられたんですわ。 他のご馳走はとにかく、餅だけはよく焼けてなかったな。
ミッションスクールの寄宿舎に入っていた娘ですもの。 プディングの出来加減は知っていても、お餅の焼き方なんか点で興味を持っていなかったんですもの。
それであんた、あの時、焼け損ないのお餅を食べながら私を軽蔑なさったの? その反対だ。
こういう焼け損ないの餅なんか出す娘は、なかなか純なところがある娘なんだろうと思った。 あら、嘘ばっかり。
いや本当だ。 妻は一旦障子の内側へ顔を引っ込めたが、
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今度は出来上がった雑煮の汁を鍋ごと盆の上に乗せて、 夫のいる座敷へ入ってきて座った。
生焼けのお餅を食べさせる娘がどうして純なのあなた。 まあ聞け。
僕はその時結婚していた友人の妻君を知っていたんだがね。 料理はうまいし火事万端、火の打ちどころもないほど切って回す。
それでいて気持ちは打算的で冷たい女なんだ。 友人は始終こぼしていたよ。
うちの家内はすべてを料理しすぎるって。 それをしょっちゅう聞かされていたもんだから、
ふいと出たお前の生焼けの餅に妙に愛感を持たされてしまったんだ。 妻は夫の前から餅編みのかかっている火鉢を抱えとっていった。
もう、お餅なんか焼かないでちょうだい。 たまにこんなことをしてもらうと、
あなた何を言い出すかわかりはしない。 妻は照れたんだな。
と考えて、 夫は微笑しながら妻の言うなりにしていた。
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