こんばんは。 はんなりポッドキャスト改め、バリューアル雑談というタイトルにリブランディングしての第30回になります。
今日のゲストは、かつてUCSDに勤務されていたソフトウェア開発者のKeiichiro Onoさんです。
よろしくお願いします。
まず、ホストの自分と小川さんの紹介から始めます。
自分は西田というもので、神戸の離県で技術をしています。
大野さんが関わられているSitescapeというソフトウェアを使ったことをずっとさせてもらっています。
データ分析コミュニティの日本のオーガナイザーみたいなのもやりつつ、
生成AIを今、フル活用したいなと思っている人間です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
小川と申します。
京都でいろいろやっております。
最近、生成AIをいろいろやっていて、会社に教えに行ったり、
自分でアプリを作ったり、いろいろやっています。
もともと証券会社でトレーディングをやっていて、
プログラミングを使っていたみたいな感じで、
今は独立してそういうことをやっております。
Sitescape、実は以前書いたDashとPlot Treeというのがあるんですけど、
それでちょっと暑かったんで、今更知ってすいませんって感じなんですけど、びっくりしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大野さんの自己紹介をお願いします。
大野圭一郎と申します。
先月まで20年ぐらいずっとカリフォルニア大学のサンデー語校の医学部にある研究室で、
専属のソフトウェア開発者として働いていました。
大学での専門はちょっと違うんですけど、
仕事としてずっと専門でやってきたことは、
生物学分野におけるネットワークデータの可視化とか、
バイオインフォマティクスって呼ばれるような分野の仕事で、
直接大学の研究室に雇用されて、そこで専属でソフトウェアをずっと作っているというような形の仕事をしていました。
つい先月に、言い方はいろいろあるんでしょうけど、
基本的にはセミリタイアというか仕事の量を減らして、
今後はおそらく自営業スラッシュ、ボランティアみたいな感じで、
今までやってきたことに類する分野でいろいろやっていこうかなって思っている最中です。
早速質問があるんですが、
セミリタイアされる方っていうのはアメリカでも珍しかったりするんでしょうか?
そうですね。珍しいというか珍しい。
要するに、投資銀行とかああいうところでガッと掲げるキャリアの人は、
めちゃくちゃ30代、40代働いて、途中で資産を作って切り上げるっていう人はいないこともないんですけど、
やっぱり、これも話すと長くなるんですけど、
保険制度とかが全く違うんで、やっぱり仕事を辞めちゃうと、
いろいろ保険の関係でいろいろややこしいことがあるっていうか、
要するに身も蓋もないことを言ってしまえば、ものすごい保険にお金がかかるんで、
それでなかなか自営業に踏み切れないとか、
仕事量を減らすっていうのが難しいっていうようなケースもあるんですけど、
私の場合は幸い公務員っていう立場もあって、
50歳以降だと保険をある程度値段を抑えた状態で継続できるっていうような、
そういう細かい話もあって、そこだけなんとかなれば生活性ぐらいはなんとかなるだろうっていうので、
セミリタイアというか自営業に移行したっていう感じですね。
そこらへん多分、もっともっと聞きたいことが生まれてくるかと思うんで、
じゃあまず、この回がだいたいどんな感じになるかって、
自分が勝手に思い込んでるのが、過去にHugging Faceの立花ユイテロさんという方がいらっしゃったんですけど、
その際、そのゲストの方の時は、だいたいその方の過去とか今どんな感じですとか、
この後こんな感じでやっていこうと思ってますっていうのを伺ったので、大野さんもそんな感じで伺っていけたらなと思ってまして、
なので、まず大野さんのキャリアバスの過去から伺いたいんですけど、教えてもらっていいでしょうか。
はい、私はもともともちろん日本で生まれ育って、高校までは日本にいて卒業したんですけど、
要するに端的に言えばただ卒業失敗して、どうしようかなと思ってた時に、
最初はどういう、なぜ自分がそこに飛躍したのかっていうのはあまり詳しく覚えてないんですけど、
90年代の半ばから終わりぐらいの頃、要するに縁がまだ強くて若干バブルの残りがというか、
そういうのがあるような時代で、今からは全然想像もつかないんですけど、
だいたいアメリカの州立大学とかに留学するんだったら、かかっても東京の大学へ行くぐらいのお金で何とかなるっていうようなぐらいの、
そのぐらいのお金だったんですよね。それで、このまま普通に受験していっても面白くないかなと思って、
突然思い立って親に頼んで、値段は同じぐらいだから行かせてくれって言って、
で、その次の年の受験をせずにアメリカの方へ行って、もちろん高校出たばっかりで資格も何もない状態だったんでもうゼロからやり直す感じで、
普通に公立のいわゆるコミュニティカレッジというところに入って、そこからカリフォルニア大学の方にトランスファーって移籍をして、そこから留学生としてしばらく過ごすっていう感じになったんですね。
で、もともとはその時は生物学をやるつもりだったんですけど、もう初っ端のちょっとした実験とかそういうようなことをやるのも、なんかピペットを握ったりとかちょこちょこ物質の量を測ったりとか、そういう作業がこれは向いてないなってすぐ思っちゃって。
じゃあ、もともとプログラミング自体はそんなにうまくはないにしろ、最初にやったのは小学生ぐらいのとき、だから当時はまだあれですよね、8ビットマシンでベーシックとかがスイッチ入れると動くような機械が子供用っていうか若い人向けに出てたような時代なんで、それでベーシックちょこちょこいじって、その後はC言語ほんのちょっとだけやってっていうぐらいでプログラミング自体は中断はしてたんですけど、
コンピュータ自体はそこそこ興味があったんで、じゃあコンピュータサイエンスやりましょうっていうので、一応学士はそれでコンピュータサイエンスでサブタイトルがスペシャライゼーションAIって、一応人工知能ついてるんですけど、ご想像の通り当時が多分人工知能の冬の中の冬みたいな時代だったと思うんで、
当時それこそ、例えば今だったら恐らくちょっと実際どんな感じになってるかわかんないんですけど、ニューラルネットワークとかあのあたりは選択授業とかであったんですけど、なんかその授業に選択で行っても学生が3人とか4人とかそんなような時代だったんで、だからもうやってたことは本当にいわゆるクラシックな絵ですね。
そういうこと、ゲーム勉強して、あとはロジックプログラミング系やって、あとはもうそれこそAIの授業っていうので最初にAスターのアルゴリズムとか、なんかそういう非常に地味で地道なことを学部自体はやって、だからもう本当に基礎の基礎しかやってないんですけど。
で、そこで一応普通のCSとしてやったんですけど、ただその、学校を卒業する前ぐらいの時に研究助手みたいなものを、学生の研究助手みたいなのを募集してたんで、そこで行ったのが最初の人はあれかな、プロテインクリスタルグロファーだから、日本語なんだっけ。
要するに、タンポカシスの3次元の構造とか研究してるところで、そこの人が、その教授が考えたアルゴリズムをCで実装するような人を探してるとかC++かだったかな。
で、そういうののバイトみたいな感じで最初やって、で、そこから直接生物学をやるのは一旦断念はしたんですけど、まあ題材としてデータとして扱うんだったら、そっちへ行くか、あとは金融工学とかあっちのほうの応用に行くかっていうので、ちょっと迷った時期もあったんですけど。
結局、そこの人の、この方の研究室でバイトしたことがきっかけになって、大学院の方にも一応願書を出したんですけど、それがいわゆるバイオンインフォマティクスとかコンピューションのモレキュラーバイオロジーとかそっちの方面の大学院で送って、なかなか返事がなくてひょっとしたら落ちたかなと思って。
就職活動も並行してやってたんですけど、その時は知り合いに、なんていうか、知り合いに誘われて、今も多分あると思うんですけど、ボロンキャリアフォーラムとかああいうところへ行って、そこで日本の会社に一応内定はもらったんですけど、でも結局その後に大学院に向かったってわかったんで、じゃあもう少し残ろうかなっていうので、その後は大学院に行ったというか。
で、そこで大学院では同じカリフォルニアで、学位としてはマスターオブサイエンスのコンピューションのモレキュラーバイオロジーなんですけど、学部で言うと、一応だから理学部になるのかな。
理学部の、多分統計学科と生物学の両方の学部で共同で運営してるプログラムで、これはどっちかというと技術者を育てようってしてたみたいで、当時は割と珍しかったなと思うんですけど、生物学系のデータを扱う専門のプロフェッショナルのマスターっていうのを実験的に作ってみてて、
そのプログラムの最初の頃の卒業生っていう感じですね。だからやってたことは、統計半分ぐらいで、あとはプログラミングと生物学っていう感じで。
で、そこで卒業は、一応その学費を取って卒業して。実はもう卒業するまで何も就職活動とかしてなかったんで。で、出た後に、とりあえずアメリカに残れるんだったら残ろうっていうことで。
大学とか大学院を卒業すると、1年半ぐらい労働許可が下りるんですよね。で、それをその間にばーっとひたすら履歴書を送って、で、たまたま拾ってもらったのが、そのUCSDの結局研究室になるんで。
一番最初は、日本での就職活動をした時も、やっぱりその日本でちょっとピンポイントで自分のやってたようなことをそのまま仕事にしたいというのがあると、やっぱりものすごいポジションが限られると。
それは西田さんもよくご存知だと思うんですけど、なかなかそのポジションが限られるということと、やっぱりあの待遇の面でも結構やっぱり差があったりとか、だからもちろんアメリカではクビになるリスクがあるし、日本になるとそのなかなかポジションが少なかったり、
なかなか待遇が大変だったり、期限を切って雇用されたりとかっていうのもあるんで、だからどっちも一長一短あるなと思って、それでとりあえずアメリカに残れるんだったらやってみようと思って、仕事始めたんですけど。
ただ、アメリカで働いた場合も、私のようなポジション、大学での専属だと、雇用形態としては一応パーマネントポジションなんで、日本語で言うとこの正社員みたいな感じにはなると思うんですけど、ただそうは言っても、予算が出る間っていうのはもちろんそれがすべて、
すべてのポジションで言えることで、要するに予算が継続する間はもちろんパーマネントポジションだけど、それがなくなると仕事がなくなるっていうことで、だから私の場合はその予算が続いて、なおかつビザが継続されて、その2つの綱渡りがあったんで、そこは結構危ない橋を渡ったんですけど、だからそこを越えて今も永住権なんで、ビザの心配一応はなくなったっていうことで、
ですけど、そこまで持っていくまでがまあまあリスクは高かったし、まあまあストレスは高かったなと思うんで、だからどっちがいいとは一言ではなかなか言うのは難しいんですけど、多分学生時代からいたから、アメリカにある程度はこんなもんかっていうので提供はできたと思うんで、その辺はもう本当人それぞれだと思いますね。
嫌な人はもう本当に嫌でしょうし、全然違う環境なんで。
【佐藤】なんかめぐり合わせとかそういうラッキー要素みたいなのもかなりあるのかなって。
【佐藤】そうですね。
【佐藤】そうですね。
【佐藤】はい。
【佐藤】ありがとうございます。
【佐藤】ありがとうございます。
その辺は非常に運に恵まれたというかラッキーだったという点が大きいと思います。
なるほど。何か大賀さん、お質問ありますか。
いや、なんかアメリカで働くなんてめちゃくちゃ大変そうなのと。
そうですよね。そこに行きやすかったっていうのも面白いなと思って、
今はもう結構タフな感じですけど。
そうですね。
逆にでも今やったら、また海外で行きやすいところもあるかもしれないんで、
そういうのを探して、ちょっと冒険するっていうのもありなんでしょうかね。
そうですね。どの国に行ってもたぶん一番最初のハードルはビザだと思うんですけど、
ただ国によっては、もちろんアメリカもかなり閉ざしちゃってるんですけど、
まだ比較的学位があって専門性があればなんとかなるような、
あとは若ければっていうの。年齢でポイントがついたりしますんでね。
そういうのもあるんで。だから一応探せば海外にあるって。
ただもちろん何を求めるかは最初にはっきりしておかないと、
なかなか何のために苦労してるんだっていうことにはなりかねないんで。
もちろん私とはまたちょっと違う分野なんですけど、
それこそビッグテックとか行ってる方々も、やっぱりガーンとか稼げるんだけれど、
もちろんレイオフもあるし、家族のいる方は家族のストレスとかもやっぱり、
動くなんか楽しめる人とものすごい嫌で打つんだったりすると、
結構割とはっきり分かれるようなことを言って。だからそういう問題もあるんで。
まあ行くんだったらやっぱ若いうちですよね。
私もだから若かったからむちゃくちゃできたっていうのはあって、
そうじゃなければなかなか難しかったでしょうね。
確かに。このポッドキャストでも、
カナダにワーキックビザみたいなんで30まで行けるみたいなのがあって、
それの最後で行ったっていう話を聞いたことがあったんですけど。
確かにそうですね。若いうちに早くやっておくっていうのは重要。
そこでやってみて、合うか合わないかは早めに見たほうが多分計画は立てやすいでしょうね。
それでいいと思ったら挑戦してもいいでしょうし。
まあそうですね。あとは何だろう。
アメリカはまあ今後がちょっとまた後でお話になるかもしれない。
ちょっとどういう世界になるか私もよくわからないんですけど、
とりあえず今まではやっぱりソフトウェア開発者って、
特に大手の企業に行かれる方はそれなりに稼げる仕事だったんで、
とりあえず稼げる間は稼ごうって、その後はまた考えようっていう考えの人もいますし、
それぞれですよね。
ありがとうございます。
なるほど。じゃあ次行きますか。
じゃあUCSD時代について伺う感じで。
そこでの生活とか業務内容みたいなのを掘り下げさせてもらっていいでしょうか。
はい、6月いっぱいまでですね。
それまで一応立場としてはカリフォルニア州政府職員ですよね。
カリフォルニア大学サンリオ高校なんで、
州立大学なのでそこに勤めてフルタイムで勤める人は、
カリフォルニア州の政府職員と異なって、
そこで大学のある研究室の専属の開発者ということでいるんですけど、
大学っていう組織は非常に多く、UCSDもかなり巨大な大学なんで、
職員自体大量にいるんですけど、
ほとんどの人はそれぞれの研究室とかそれぞれの部門に、
グループに属するんで、私の場合はトレイアイデッカっていう名前の研究者の研究室のソフトウェアチームにいたんで、
だから大学っていう巨大組織の中にちっちゃい企業がいっぱい入ってるみたいなイメージですよね。
だから教授が資金面とかそういうの全部仕切って、
もちろんそこで雇用とか人を雇うとかいうプロセスももちろん全部それであるんで、
だからもう本当に基本的には属してる組織は大きいけれど、
働く感覚としては中小企業に勤めるような感じですよね。
で、そこで最初は一番最初にはサイドスケップっていう名前のソフトウェアの開発っていうか、
バージョン1が出て2が出た頃に雇われて、ここからこれをちゃんと大きくしてスタンダードな使えるソフトにしたいから
専属のチームを作りたいっていうことを言われて、そこでやってみないかっていう。
だから最初はやってたことは要するにあれですよね。
そのソフトの拡張とか開発とかなんで、仕事の内容としてはほとんど毎日Javaでコードを書いてたような感じですよね。
ただ最初の頃は研究室自体も結構小さかったんで、
あの頃は専属のアドミニストレーターとかもいなかったんで、研究室にあるサーバーとかのお盛りまでやってた感じなんで、
その頃は割と何でもやってたんですけど、だんだんグループが大きくなることによって、
そういうことは専属のまた別のアドミニストチームがやってくれて、
私たちはもう純粋に研究で使うソフトを開発して、あとは開発と、あとは外部に対するコミュニケーションというか宣伝というか、
そういうことも一緒にやって、要するにチュートリアルをやったり、論文を書いたり、あるいは学会とかで開催されるイベントとかで使い方を教えたりとか、
ソフトウェアの内容をポスターとして発表したりであるとか、そういった大概の活動もやってということで、
基本的に私たちがいたところはほぼ私的な財団とか私的な企業からっていうよりも、
ほとんどが公的な資金、NIHとかNSFとか、最近ちょっと大変なことになってるんですけど、
そのあたりのスポンサーからお金をいただいて開発するという形だったんで、
そこはもう最初から資金を出す条件として全て公開しなさいっていうのが条件になってることがほとんどなので、
だから一番最初に言ったように全てがオープンなんで、特に秘密はほぼないような感じの職場でずっと仕事をやってましたね。
ですからその中の一環として発表プラス、あと西田さんと知り合ったのも、
学会で最初知り合って、それからあとはGoogle Summer of Codeっていうので、
Googleがスポンサーで学生さん向けに夏の間資金を一部払うから、それを使ってオープンソフトウェアに貢献しなさいみたいなプログラムがあって、
それに参加してここでさらに西田さんともいろいろ一緒に何か作ったりとかっていうこともありましたね。
だからやってたことはオープンソースのソフトウェア開発と論文を書いて、
あとは海外的な教育とか、たまに授業とかで教授から頼まれてソフトウェアの使い方を学生さんに教えたりとか、そういうことも含めていろいろやってました。
なるほど。ここでもやっぱりめぐり合わせというか、いい人と会えてそういうコミュニティがあったからよかったんだなっていうのがすごく感じるというか。
そうですね。私がメインでやってたさっきのSitescapeっていうソフトウェアも、
一番多いときで5個か6個ぐらいの大学とか団体が一緒になって開発してたんで、今でももちろんそれは続いてるんですけど、
それもわりと長期でずっと安定してコントリビュートしてくれる人たちもいたし、
あとはこれもたぶん後でちょっと話すかと思うんですけど、もともとはデスクトップのソフトウェアだったんで、
もう今古くなっちゃったのかもしれないですけど、
エクリプスとかID開発環境とか、ああいうのと同じようにプラグインの仕組みを使って、
外部の人が自分の研究に使う特定の機能を開発したりできるっていうようなプラットフォームとして作ったりしたんで、
そのあたりでうまいこといろんな人が参加してくれたおかげでうまくトータルでもう20年ぐらい多分メンテナンスされてると思うんですけど、
そこもいろんな運もあり、いろんな外部の人にも支えられて続いてるっていう感じですね。
そうですね、自分も大野さんと巡り会えてなかったら今の生活ないんで、
本当にたまたまサイトスケープっていうコミュニティを知ったから今があるっていうラッキーだったっていう、
本当ラッキーだけで生きてますっていう感じです。
このあたりに関して小川さん何かご質問とかありますか?
そこはもうパパッと特にもめ事なくやめさせられるときはやめさせるっていうのは最初から合意の上でみんな働くんで、
それができない、例えばソフトウェア開発者を雇ったところでどこでその人を解雇するかっていうのがなかなか決めづらいというか、
多分そういうのは日本にあるんだと思います。西田さんこれでだいたい合ってますかね。
西田 いや、その通りだと思います。
西島 なるほど。ありがとうございます。違いが分かりました。
西田 じゃあ、そうですね。サイドスケープっていうソフトウェアはもうそれがずっとついてたからずっとこの30年間それに関わり続けることができてた。
西島 そうですね。私自身は最初はほぼ専業でサイドスケープっていうソフトウェアをやってたんですけど、
最初のバージョンはいつぐらいかな。2001年とか多分2002年とかそのぐらいだったと思うんですけど、
もう20年以上メンテされてるんですけど、やっぱり時代時代で求められるものは少しずつやっぱり変わってくるんで、
それこそもう今デスクトップのインストールして買うソフトウェアっていうのは徐々にというかもうかなり得てきて、
もう全てがブラウザーの中で完結するような世界になっちゃってるんで、もちろんその科学の分野でもどういうブラウザー開けば使えるというような体験を当然求める人が多いんで、
だから最初はデスクトップでやったことを徐々にウェブ上でできるようにするとか、
あとは逆にやってたことがデータの可視化とかそういう部分なんで、もちろんデータの配信する元の人たちとも協力して、
そのAPIとかを標準化したりとかそういうことを途中いろいろやったりとかっていう時期もあって、
徐々にやってる内容は変わってきてますね、だからネットワーク可視化っていう部分に関してはずっと続いてるんですけど、
それを実装するプラットフォームは変わってきてますし、
あとは手法とかそういうのも、いわゆる一般化されたネットワーク可視化のソフトウェアっていうのプラス、
それこそ特定の問題に対してこういうソフトウェアを作ってほしいって言われるようになると、
もうその辺はもう完全に全部ウェブアプリになっちゃうんで、
その時は徐々に書く言語もJavaからJavascriptになって、
もう今最後のほうはほぼ全部TypeScriptで書いたりとかしてたんで、
その辺の技術的な変化はあっても、やってきたこととしては一応一貫してネットワーク可視化とか分析とかそっちのほうですよね。
ただこれも今ちょうど私が離れる前ぐらいの時からいろいろ話し合ってたんですけど、
今後はどういうふうにしたらいいんですかねっていうのをいろいろ話してて、
それこそ多分お使いになったことある、何らかのネットワークを可視化したことがある人だったら分かると思うんですけど、
結局見たいのはその結果であって、その過程は割と研究者にしてみたらどうでもいいわけですよね。
要するにこのデータあるからこれを見やすいネットワークで見たいっていう、
その要望がある時にデータ最初クリーニングして、自力でPythonでも何でもいいんですけど、
それでやって、それをグラフィカルユーザーインターフェースのソフトウェアに流し込んで、
いちいち可視化していくのがいいのか、それとか、あるいは何らかの自分でコードを書ける人は自動化して、
それこそPythonで最後まで出力まで出るようなスクリプトを書いて、
それでいろんなデータを同じプロセスで可視化していくのがいいのかっていうようなのが、
まだ数年前まではその2つだけだったんですけど、今度はもう1つ、自然言語で命令して、
最終的に見たいものが出てくる、それでいいっていう人もやっぱり多いんで、
そうなった時にどういうふうなインターフェースがね、
それこそ今みたいにノートブック型でいいのか、それとも全然違うものがいいのかっていうのは、
まだみんないろいろアイデアの段階で実際どうなるのかっていうのは、
まだ多分完全な答えを持ってる人はいないと思うんですけど、やっぱりそうですね、
LLMは多分こういうツールを作る人にとっても、
かなりいろいろ考えなきゃいけない時期には来てるんだと思いますね。
そういう激変してる技術スタックがあってですね、
さっきのちょっと日本とアメリカの違いっていうのに戻るんですけど、
アメリカの場合というか大野さんが所属されてた研究室の場合は、
日本だと例えば僕とPIしかいないみたいな、
その間に技術的に詳しい人がいないみたいな感じなんですけど、
アメリカというか大野さんと大野さんのUCSDの場合はそうじゃなかったんですよね。
技術的にすごく詳しい人が、
サイエンティフックなPIとの間に一人どころじゃないか、数人いらっしゃって、
もうちょっと技術的なところがすごく強いというか、日本より。
技術っていうのはどの部分のレイヤーを指してますか?
例えばリアクトとかそういう最新の。
技術スタックの選択とか、
もうそういう詳細に関してはもうある程度もう本当にそのPIがいて、
あとソフトウェアチームがいるからそこにも割と直接こういうものが欲しいからこれでできるっていうような割と
ざっくりした要求が来るんで、そこで使うものは何でも。
例えばめちゃくちゃマイナーな言語を使うとか、
そういうのはもちろんある程度は今後来る人を雇うにしても
使える人が多いようなものでやってくる程度の指示はありますけど、
基本的には割と自由に自分たちで選べるんで、
だからその部分に関してもソフトウェアのチームはみんなそれぞれで勉強してやっていくっていう感じで、
変化に合わせて徐々に雇う人を変えたりとかですね。
だからある意味自由度は高かったですね。
なるほど。変化に合わせて雇う人を変えるとかっていうのは、
まさにさっき日本では難しいっていうのに緊急してくるのかなっていう感じですね。
そうですね。私とかちょっと同僚の一部は例外的に長く勤めてるんですけど、
結構人はそれなりのサイクルで、数年に一人ぐらいずつはやっぱり変わってるんで、
人自体は一定程度常に入れ替わってるような感じで、
ただ、そうですね。
だからどうしてもこの技術者がいないとこれの実装は厳しいだろうっていうことになれば、
もちろんそれにピンポイントで求人出してやっぱり雇うってことができるんで、
その辺はちょっと違うかもしれませんね。
このグラントが出てこの給料が出せるからこのレベルの人を雇えるっていうところまで決めて、
じゃあこのジョブディスクリプションで求人出しましょうっていうのをやって、
それで僕たちが面接して雇うっていう感じになるんで。
雇うというわけではないので、
そのときの、今のアカデミアの地域におけるオーバードラブとか、
その辺の人の自由度はその無料で雇うということになるので、
その辺の自由度は首を切られるっていう事との代償の代わりに
その自由度があるっていうのはやっぱりありますね。
じゃあちょっとないかなと思いますただ あの今来てる ai っていうのだけはちょっと特別扱いな感じですけど
あれは凄まじすぎてさすがに日本の アカデミアでももう ai ai って言っちゃってるような気はしてますが
言ってるだけでついていけてるかどうか不明ですけど でも実際そのついてくるついていけないっていうのはともかくその
どうですか周りを見て その結構使う普通に使い始め使ってる人はいません例えばその
なんていうのかな昔だと昔きっとまだ5年も前じゃないかもしれないけど それでたあの例えばこういう提携の下げたデータをこういうふうに整えて
でそれをこのソフトに変えるような形に してでこうこんな感じで可視化してくれみたいな作業があるとすると
それってもある意味 あのプロンプトさえ正しければ機械が大体やってくれるっていうレベルまで来てると思うん
ですけどそういう感じで使っている研究者の人はどうですか 増えてますか昔学生に頼んでたようなこと
いやーまだ まだできてないかなぁと思います
ですか だからまだ多分みんな試行錯誤はしている最中だと思うんですけど
今 その研究者が研究としてやっている使い方はもう
そのそういう もちろんその提携の作業を自動化してくれるみたいなことを
研究としてやってる人もいるんですけど 私の職場だと
科学のサイエンスのプロセスそのものもある程度自動化できるようになったらいいねみたいなことで だから
こう 問題があった時にその仮説をある程度まで構築してくれた後にそれを実証するその実験の手法を
出してくれとかそういうことまでできるんじゃないかっていうのをやってる人もいますけど その辺は純粋に研究なんで今後どうなるかわかんないんですけど
そこに行く前の段階として作業としてやってたことを自動化するっていうのは 直々 みんなやっぱり普通に使ってますね
やっぱり今までと全然違う 私たちのところに回ってきたような作業が
そういうのはもうなくなっちゃったっていう感じで ここはやらなくてもいいっていう 人間がやる必要はないっていう感じにはなってきますよね
実はそういうところに今所属してるんですけどっていう感じですけど そういうこと
なるほど なにか小川さん
お考えありますかね 無茶振りかもしれないですけど
いや 今お話を聞いてて やっぱデスクトップ版からウェブ版に変わるっていうのを僕はあまりわかってなかった
そこの違いっていうのも大きかったなと
そうだね そういえばそこをちょっと説明するのをちょっと忘れたんですけど 一番最初このSidescapeっていうソフトウェアはJavaのデスクトップアプリケーションで
なるほど
で 今回の 今回っていうか
CSAが出て そのUIが変わるみたいなところのお話は すごい面白いなと思っていて
そこのサイズスケープの可視化の部分は残しつつ
そこのUI UXみたいなところを変えないといけない
で それを変えないと使われなくなるかもみたいなところが
あって面白いなと
そこはすごくあると思ってて
もちろん 最後の 例えば論文に使うための図を最終的に作りたいときは
人間の手作業でちょこちょこといじったりとかっていうのは もちろんやりたい人も多いと思うんで
その部分は残しつつ 最初のデータの取り込みであるとか
ベーシックな可視化とかは 多分 自分でやらなくて済むならやらない
やらないほうが楽だって思う人の方が絶対多いと思うんで
だからそこをどういうふうに 1から言葉で打ち込むのもちょっと違うと思うんで
そのUIをどういうふうにしたらいいんですかねっていうのは
やっぱりどうしても考えざるを得ないというか
多分 そこをちゃんと正当化して 次のグラントをリニューアルとか出すときは
多分 そことの関わりが全然ないと 恐らく通らないだろうっていうような話はしてますよね
だから それが今のままのインターフェースで ずっとメンテだけしていくっていうのが必ずしも
特に今まで 逆にバックエンドのほうのサービスというか
データ分析のほうのサービスを公開してるようなところは
それはある意味 そのままでいいっていうのも変ですけど
このデータの塊を投げたら こういう結果が返ってくるっていう部分に関しては
そんな変わんないと思うんですけど
ユーザーが直接触る部分に関しては 多分 変えざるを得ないというか
要するに 今までツールとして インターフェースを作ってたんだったら
インターフェースの部分の世界が下限してるのに 今までのままっていうのは
それは新規性ないんじゃないっていうふうに 多分 絶対 スポーサーに突っ込まれると思うんで
多分 そこはもうみんな 一生懸命考えてる最中だと思いますね
なるほど 逆にそこに新規のところは 参入チャンスがめちゃくちゃあるみたいな
多分 だから 今までデファクトで使われたソフトウェアも 多分 場合によっては消えちゃうし
逆に使われる まだどんどん使われるのになるかもしれないっていうので
結構 そうですね 分岐点にいるのかもしれないですね
なるほど そこ全然考えてなかったんで なんかここで面白いなと思いました
多分 私も別に全然 自然言語処理とかさっぱり分からないんで
だから そういう分野の人たちが 最終的に人間とのインタラクションの分を
どういうふうにするのが最適なのかって そういう研究も全然私は置いてないんで
ちょっと せっかく仕事やったんで しばらくそういうのを いろいろ勉強しようかなと思ってるんですけど
とにかく 言葉でいろいろ説明できるのは 確かに便利なんですけど
便利じゃない場面ももちろんあるんで
この定型作業を一からやるっていうのは だから どのぐらいの流度の命令というか
プロンプトというか そういうのを
例えば 定型なものはやっぱりボタン1個を クリックすればできればいいなっていうのはあるんだけど
そのボタン1個に込める中小度というか 作業の流度というか
そういうのをどうしたらいいのかとか あるいは
途中でカスタマイゲしたい時に 言葉で入れたい場合は
どういうふうに どういうような それこそ本当にただ単にテキトーボックスを出して
そこに打ち込んでくれっていうのは それで大丈夫なのかっていうのもあるし
実際 それで打ち込んでもらって ちゃんと正しく結果が出るのかっていうのは
まだ全然実験できない段階で 本当にそれでいいのかっていうのはみんな分かってないんで
だから どれぐらい機械に任せて どれぐらい人間がやるのかっていう
その辺から多分まだ話し合わないといけないかね っていうことはちょっと言ってましたね
私も今後 こっちのほうにオープンソースで コントロールゲートするなら
その辺なんかちょっといじれたら 面白いかなっていうのは思ってますけど
なるほど めちゃくちゃ興味深いところですね
同感です あっという間に1時間ぐらい過ぎちゃったんですけど
なので 1時間ぐらい過ぎちゃったんで 今後の大野さんの計画みたいな
キャリア感みたいなとこ 伺ってもいいでしょうか
そうですね キャリア感というか もう既に今の段階 一段階一首つけちゃったんですけど
公務員という立場では 一応先月で一首つけて
とりあえず1ヶ月休んで その後また考えようかなと思ったんですけど
ただ 今ちょっと人手が足りないから もう少し手伝ってほしいって言われて
多分 外部のコンサルタントみたいな感じで
同じ職場に少しまた何らかの係りを 持ってるかもしれないんですけど
その後は そうですね 仕事5割ぐらい
自分の興味のあるところで やっていければいいっていうような感じで
だから 今 立場的には 端的に言えば
まだ私 今 年齢50ちょい過ぎたぐらいなんですけど
それでも立場的には 一応 年金生活者になるんですかね
だから カリフォルニア州 私たちも 最後の多分世代だと思うんですけど
50歳から年金をもらえる職業っていくつかあって
それで どっちかっていうと もちろん年金で生活できるような金額はもらえないんで
さっき言ったように 保険の問題とかもろもろ
福祉がほぼアメリカのほうが 全然できてないっていうような面もあるんで
要するに 保険を継続することが ある程度の年齢だったらできるような立場にいたんで
それで それを使えば普通にぼちぼち働いて 興味のあることをやりつつ
保険とかはその辺でまかないながら 年金も少しもらえるんで
食っていくことはできるかなと思って
そんな感じで一旦 ひとこぶりつけました
仕事をちょっと控えて 今後はしばらくやっていこうかなと思ってるんですけど
あとは もともとだから最初 このぐらいの年齢で仕事を減らすっていうのは
ある程度分かんない もうちょっと後かなって思ってたんですけど
まあ そうだね 今までオープンソース関係でいろいろコラボレーター
結構いろんな 結構な数の人と一緒にやってきたんですけど
ぼちぼち50って人 死に始めるんですよね 変な話ですけど
だから それをやって もう だから私たち 私のやってたグループでも
そんなに 100人もいるようなグループでは全然ない
せいぜい何十人っていうグループなんですけど それでももう
私の1 2 3 3人亡くなってたりとか まあ そうね そういえばそういう年齢だなって思って
それなら もうちょっといろいろ 興味ベースでできるんだったら
そっちにちょっとシフトしようかなと思って
話し手1としてください
話し手2
話し手3
話し手4
話し手5
話し手6
話し手7
話し手8
話し手9
話し手10
話し手11
話し手12
話し手13
話し手14
話し手15
話し手16
話し手17
話し手18
話し手19
話し手20
話し手21
話し手22
話し手23
話し手24
話し手25
話し手26
話し手27
バックグラウンドがないと無理だな 特にアメリカは保険がないっていうのが非常に厳しい条件があったんで
そこだけクリアできれば あとはどうにかなるかなっていうので踏み切った感じですね
だから今後は昔ながらというか 古き良き時代のオープンソースみたいに
自分の興味のある部分にちょこちょこコントリビュートしつつ 勉強してっていう感じでできればいいかなって思ってますね
いやぁ 羨ましいなと思っちゃいますね なんか
これこそ本当に運が良かっただけってことですよね
あんまり生々しい話はしないほうがいいかもしれないですけど
私も全くそういう アメリカって結局だからみんな アメリカだけじゃないのかもしれないですけど
普通にインフレがずっと続く世界で もちろん私も飛び出した当時は
もう直近以外は何も知らないような状態だったんですけど
たまたまこの周りに周りの大人が そういうことをやってる人がいて
もうやらなきゃいけないんだと思って 最初は何だろう
最初はだから本屋で アメリカの本屋なんですけど
それで株式投資入門みたいなやつを見て こういうことをみんなやってるんだっていうのを見て
それでオンラインのアカウントを開いて っていう感じで始めたんですけど
だからあの時 偶然そういうことをやってなかったら 多分今も死ぬまで働かなきゃいけなかったかなっていうことはあるんで
それも含めて運ですよね だからちゃんとその国ごとの仕組みに従って
あんまり興味なくてもやらなきゃいけないことはやって
ただそれも投資とかそういうことそのもの自体には やっぱりどうしても私は
それを職業にするとかっていうのは どっちでもできない
そこまでは興味持てなかったんで それはほどほどにしておいて
それを集団として何か自分の興味のできるほどに 集中できればいいかなっていう感じで
その辺りのことともは付き合ってきましたけど
運良くそれが何とか実現できたんで とりあえず福祉にならないように頑張ろうと思ってますね
おだしょー うらやましいです 憧れです
いやいや だから結構あれですね
公務員はなかなか給料的には それほど恵まれてるわけじゃないんですけど
だから保険とかのメリットを ある程度の期間勤めた人は
それをある意味区切りとして その後はそれを使って自営業になったりっていうのは
それなりにありますよね
なるほど 今後はそのLLMの部分とかっていうのを すごく時間を作って
極めていきたいというか やられていきたいと思われてるんですか
全然 だからもう人工知能に関しては 全然自分としてついていけないと思うんで
だからその辺り まずキャッチアップが第一かなと思って
だからもう いわゆるセンターモデルの方の詳しい中の研究とか
そういうのはもうさっぱりついていけない
実際今後 いわゆるスケーリング速度が どのぐらい続くのかとか
そういうのも全然分かってないし
実際どこまで今のパスが便利になるかっていうのを
全然個人的には分かってないような状態で
ただ 今あるようなモデルでも十分 そこはもうある意味ブラックボックスでも
そこに何かを接続して 今までやってきたことは
なんか違うやり方でできるのは
それこそものすごいナイーブな例だと
本当にもうこのデータがあるから いい感じに可視化して
それこそそのレベルのことで どこまでまともな出力が出る世界になるのかとか
そういうのも実際なかなか
私自身ももうちょっと手をよこさないと 分かってない部分が多いんで
その辺がもうちょっと せっかく時間ができたんで
少しやってみたいので
それを今までやってきたことに どうやって接続できるのかなとか
そういうことはちょっと考えてますね
だからその辺りは恐らく お金のやり取りがない部分でも
やっぱりいろいろ作ること自体が
そこそこ面白かったりする部分も まだあると思うんで
その辺りをやってきたかなと思ってますね
まだもう本当にぼんやりとした アイデアのレベルなんですけど
なるほど まだぼんやりという感じで
もうGitHubとかHugging Faceで このプロジェクトとして
こうやっていくみたいな状態ではないけど
そんな感じのことをやっていきたいな と思ってるみたいな
そうですね だから今まで
自分が手作業でかつかちいろいろ UIからやったり
スクリプト書いたりしてやってたようなことが
どのぐらいやり方が変わっていくのかというのは
ちょっと興味はやっぱりありますよね
だからそれをもうちょっとどのぐらいできるのか
いろいろいろんなことを
だからやっぱり結局 自分の知ってる分野じゃないと
どのぐらい使い物になるかならないのかというのは
評価ができないんで
まず自分の知ってる分野で
どのぐらいのところまでいくのかというのは
実際に手を汚してもうちょっと
いろいろ試してみたいというのがありますね
なるほど そのご存知の分野っていうのは
ちょっとデータ…
そうですね ネットワーク確かとか
ネットワーク なるほど なるほどです
これともよろしくお願いします
僕もそれが好きなので
一緒にできればと
で 今はそのご旅行中というか世界を
今は本当にただ単にちょっと長い
日本一時帰国みたいな感じで
国内を少し旅行して
今東京に戻ってまた
来週かな 来週の終わりか
週明けぐらいにまた向こう戻るんですけど
その先はちょっといろいろ
私自身アメリカで個人事業主なんてやったことないんで
いろんな事務的な手続きとかそういうのも
まだしっかりやらないといけないので
その辺りをやって
最初は
前の職場の人たちのこともちょっと手伝って
それをぼちぼちゆっくりスタートするっていう感じで
そういう7割ぐらいは米国で過ごして
その後30%ぐらいはいろいろなところを
うろうろできたらいいなとか思ってるんですけど
話し手1はいいですね 羨ましい
話し手2いやいや もうさすがにもう
この年齢になると 親の世代を見てると
意外と時間ないなっていうのは
やっぱり感じてくる年齢なんで
だから こういういつまでも歩き回れると思うなっていうのは
だからできる間に早すぎるっていうことは
考えないようにしようっていうのは思ってますね
人によってはまあまあ割と極端な選択だと思うんで
平均やっぱり 私の職場は
平均の退職年齢 早いって言っても60前後なんで
それマイナス7年8年とかそのぐらいなんで
早いんですけど せっかくその7年8年の時間を
ある意味買ったんで ちゃんとそれは有益に使えればな
と思うんですけどね
脳もどんどんこれから退化していく感じ
変えるうちに使っておきます
話し手1自分は大野さんみたいなアクションは取れてないんですけど
同じように体力の衰えとか
いろいろ限界とか時間もそんなにないんだなっていうのは
感じておりました
話し手2いやいや まだ若いでしょ
話し手1いや 長くないので
大野さんを参考に
生き方を考えたいなと思っております
話し手2そうですね
なんか老人みたいなことを言って申し訳ないですけど
本当にね意外と
後でやろうっていうのがほぼ実現しないっていうのは
周りにいっぱい例がいるんで
その辺はちょっと気を付けたいと自分で思ってます
話し手1ありがとうございます
一通り大野さんに僕伺いたいことは伺えたって感じなんですけど
小川さん 他にお聞きされたいことっていうのがあるんですよね
話し手2はい
ちょっとさっきの質問とも被るんですが
OSSとビジネス戦略みたいなところで
最近ちょっとDHHさんっていう
Ruby on Railsを開発した人っていうのが
ポッドキャストに出たって
なんかちょっと僕それまで知らなかったんで
調べてみたらどうも
Railsを開発しつつ
なんか普通のソフトウェアも作っていて
なんかそれが並列で動いていて
どっちもうまくいったみたいな話だったりして
非常に興味深い例だなとかって思って
大野さんもそういうOSSをやられて
今後もやっていかれるみたいな感じなんで
なんかそういううまく使う
なんか言ったらさっきお話を聞いてても
やっぱりサイトスケープを使ってもらうために
UIとかを工夫されたり
使ってもらうために教えに行ったりしたというような話もされてたんですけど
なんかそういう工夫っていうのがめちゃくちゃあるんやなと思ったんですけど
なんかそのあたり
そうですね
私じゃなくて私の同僚で
私より先にちょっとセミリタイヤみたいなことをした人がいるんですけど
彼も結局だから辞めた後に
今まで自分が作ってきたとかやってきたことを
本業というかコンサルティングみたいなことで
作ったりとか使ったりとか
仕事の中に組み入れたりとかってこともしてるんで
だから
レイルズを作るみたいな超有名なプロジェクトの
わりとスーパープログラマーに
カテゴライズされるような人たちっていうのは
まあまあ例外なんでしょうけど
そこまで行かなくても
自分がだから本業としてお金もらってやってた
企業の一員とか団体の一員として作ってたものを
退職後にそれを使ったコンサルティングみたいなことで
それこそデータ分析の文脈で言うと
例えば具体例で言えば
サイスケープみたいなものを例えば作ってた人だったら
それを使って例えばカスタムの可視化アプリケーション
それこそちょっと特殊なDashボードを作ってくれる
みたいなことを言われたら
やっぱり自分の関わってたものだったら
やっぱり内部まで知ってるんで
そこでアドバンテージがあるから