期待に応え続けることの影響
はい、おはようございます。四柱推命ライフコーチの最強のパートナーはなです。
四柱推命を元にしたコーチングやマネジメントを行っております。
今日も頭に浮かんできたことをお伝えする、降臨ラジオを始めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
今日はですね、朝から先週受ける方のコーチングがありまして、
いつもコーチング受けた後に、自分で文字起こしを見ながら振り返りをするんですよね。
この三連休にしたかったんですけど、三連休で一人の時間というのがなかなか取れずでして、やっとこさ朝から手をつけてたんですが、
その中で期待に応えなきゃいけないと思っている自分。
でも人には、それって期待に応え続けてるから、そのループから抜け出すことができないんだよって言い続けてきた自分について、
ちょっと踏み落ちたので話してみようかななんて思います。
家の家事、仕事、子どもの教育、会社のスタッフの教育、会社の仕事、上司の機嫌をとること、旦那の機嫌をとること、他に何があるかな。
愛犬の世話?
期待に応えてあげたいって思う気持ちと、キャッパーを超えてるのに期待に応えているっていう状況と、期待に応えられない自分は価値がないんだっていう状況って、すごく似てるというか比例するというか、そういう感じがあると思うんですよね。
人の期待に応えるのって悪くはないんですけど、人の期待に応え続けた結果どうなるかというと、それが当たり前になるんですよね。
家の中のお母さんがいい例ですよね。
お母さんがご飯作るの当たり前、洗濯するのが当たり前、家の中が回っている家庭っていうのはご飯作ってくれないと、なんでお母さんご飯作ってくれないのって思ったり、洗濯ができてなかったら、あれなんで洗濯されてないのって思ったり、嫌な家庭の場合ですけど、それが当たり前になってくる。
結局お母さんは何を思うかというと、私がしないと家が回らないと思ってやり続ける。それで家が回っちゃうから、家族はお母さんがいなくなることに対する恐怖心というか困ることというか、自分でやらなきゃいけないんだっていうことに気づけないみたいな。
本で読んだんですよね、細川炎天さんと水嶋裕子先生のそれでいいっていうシリーズがあるんですけど、その中でパートナー関係もそれでいいの種類だったかな。
その中でですね、結局自分が期待に応え続けてるから回り続けてると。期待に応え続けてる人の思考として、私がやらなかったら回らなくなっちゃうみたいな不安があると思うんですけど、案外回るんですよね。
自己の期待を優先する重要性
選択だって他の人やろうと思ったらできるし、今や調べたら何もでもできるし。
なんですが、その本人自体が私がやらなきゃ、私がやらなきゃと思ってやっているうちに、なんで私がやらなきゃいけないのよみたいになってきて。
やっぱり越えてくるとね、っていうような感じになるので。
期待に応えるのは悪くはないと思うんですけど、自分に余裕がない状態で期待に応えようとして、自分の理想の状況、選択ができているとかご飯ができているとか、そういう状況になってないときに、
なんで私ばっかりしなきゃいけないのよみたいな風になるのって、自分にも言えるんですけど、傲慢もいいところだなと思って。
ちょっとどの本か忘れちゃった。それでいいシリーズ、3冊読んだらどれかに書いていると思います。
細川てんてんさんと水嶋ひろこ先生のそれでいいか、夫婦パートナー関係もそれでいいか、やっぱりそれでいいか、その3冊のどれかに書いてたんですけど。
私が自分自身に言えることって、期待に応えなきゃいけないって思い続けているからだなと思ったんですよね。
でも無理なのであれば、無理に受け継いでないんだろうな。
なんか疲れてるのであれば、疲れたって言っていいんじゃないかなと思って。
あーやりたくないなーとか、何もしたくねーとか、言っちゃっていいんじゃないかなって思ったんですよね。
それで何もしたくないと思って何もしなかった結果、何かしら嫌なことが起きるかもしれないんですけど。
でも未来の不安要素を補うために今我慢してやるのって、結局幸せかどうかって言われるとそうじゃないと思うんですよね。
他人の期待に応えるのではなく、自分の期待に応えるのを優先するというか、
これこんなことしたらこうなりそうで面白そうだよねっていうのと、将来こうなっちゃうかもしれないからこれやってた方がいいよねっていうのとでは、
モチベーションも違うし、やりきれるかどうかっていう部分にも関わってくるなと思うんですよね。
なので他の人がこうしてるから自分もこうしてた方がいいよねってやるのって、全然モチベーション上がらないし、
できない、継続できない自分に対して他の人ができるのに努力してない自分が悪いんだとか責めちゃったりするし、精神衛生上良くないなと思いまして。
なのでちゃんと期待に応えられない自分を認めてあげる必要があるというか、
誰かの期待に応えられない自分でもちゃんと生存していけるっていう環境なはずなんですよ。
きっとこのラジオを聞いてくれてる皆様も。
昔は誰かの期待に応えないと生きていけない環境だったかもしれないけれど、
そこから自分で環境を変えたいと思ったりとか、それこそ会社員を辞めて自分で事業をしたいんだと思ってたりとか、
パートナーシップの関係を今よりももっと良くしていきたいんだって思い始めてる方にとっては、
もう期待に応えるのがしんどいなって思ってると思うんですよね。
でもしんどいなと思いながらも、でも期待に応えないと生きていけないよねと思って、
なんだかんだで自分を騙し騙し、期待に応えるように自分の精神を無理やり整えてきているというか。
でもね、その結果もないんですよね。
期待してくる人っていうのは、期待に応えてくれる人を見ると次の期待を持ってくるので、喜びを見ているし嬉しいとは思うんですよね。
子供に期待する親がいい例というか、こんなことできたってなったら、わーい嬉しいってなって、
じゃあこんなこともできるんじゃないみたいになりがちというか、それが本人が望んでいることであればいいと思うんですけど、
本人が望んでいるように見えていて、実はその受け手というか、さっきの例で言うと子供側が親が喜ぶのを見て、喜んでいるふりをしている可能性もあると思っていて、
親子に限らずですよね、これは。期待する側もいれば、期待されることで喜ぶ側もいて、
結果的にプラスになることもあると思うんですけど、ある程度上の方まで行ってくると、そのキャパを超えてしまう。
そうなった時に、なんか違うなと思いながらも、期待に応えようとして頑張りすぎてしまうというか。
そのループを止めるのは自分なんですよね。無理ですって。もう無理ですって。
私のしたいのはこれですっていうのをちゃんと言っていかないと環境は変わらないなって、そういうことをちょっと思いましたね。
期待に応えすぎると、自分がやりたいことが見えなくなってくるんですよね。本当に自分がやりたいことっていうのが。
何かしたいなと思ったとしても、それってちゃんと誰かの期待に応えられてるだろうかとか考えちゃって、
それってちゃんと売り上げになるかなとか、それってちゃんと誰々さん喜んでくれるかなとか、
自分の喜びとか自分の楽しみとかじゃなく、誰かの期待に応えられるものになっているかどうか基準とかになっちゃうんですよね。
それが楽しいうちは全然いいと思うんですけど、なんか違うなとか、もっと自分のこと大事にしたいなとか、
もっと自分の気持ち優先してあげたくなったなっていう、そういう段階に来た方にとっては、
もっと自分の気持ちを大事にしてあげる時期なんじゃないかなと思います。
というわけで、そうですね。私の今のやりたいことやりたくないことは、ちゃんとやりたくないです。
ちゃんとやりたくないんだろうな。
個人事業としてやっていくためには、やらなきゃいけないことはたくさんあると思うし、仕事もたくさんあるけど、
全部、ここ最近、ちゃんとやらなきゃ、ちゃんとやらなきゃって思いすぎてた気がしていて、
その反動で何もかも投げ出したくなっているんですよね。もっちゃ無駄に返しみたいな感じになってきていて、
真っさら地にしてみたいみたいな感じにまだ思っちゃっているので、
その背景って、ちゃんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃ、積み重ねだったなと思うんですよね。
なので、仕事は嫌いじゃないですし、すごい楽しい。楽しい仕事は楽しい。
だし、クライアントさんとのセッションとかは、もう全然、ちゃんとしなきゃなんて一ミリも思ったことないですし、
手を抜いているという意味ではなくてですね。
私がすごい楽しいと思ったり、私がこう思うなと思うことをそのままお伝えするだけで、
それがクライアントさんの新しい気づきになったりとか、そういう状況になっているんですよね。
だから、私の中での課題は、他人の期待に応えてちゃんとしようとするのではなく、
他人の期待に応えることもなく、ちゃんとすることもせず、
それでいて生活を成り立たせることかなっていう気がしています。
期待からの解放
なんかね、ちょっと賢くなったんだと思います。
良くも悪くも。そんな気がする。
前までこんなこと考えたことなかったのに、ほんとそれこそワーイワーイで、
ワーイこれ楽しいとか、ワーイこれ面白そうで、
売上げに繋がったワーイみたいな感じでやれてきてたのが、
ちょっとね、いろんなビジネスのスタイルを見たりとか、
いろんな方々、個人事業主の方々を見るようになってきて、
みんなちゃんとしてるって思うようになって、
私もちゃんとしなきゃと思っちゃった気がしますね。
私の身の回りに、モデルケースがいないというか、
私と同じような感覚でやって、それで仕事をやり続けているような人が
まだいないんですよね。
そう見せていないだけなのかもなんですけど、
ほんとに感覚だけでやって、何も考えてなくて、
今やりたいから今やるとか、これ面白そうだからやるとか、
それでいて成形が成り立っている人って、
そういう方がいらっしゃればお手本になるななんて思ってたんですけど、
いらっしゃらなくて、
みなさんちゃんとしてるからやっぱりちゃんとしなきゃなって思ったりしてたんですけど、
そうじゃないなと思って。
今までワーイワーイでやれてたわけなので、
これからも私がワーイワーイでやり続けることによって、
私がモデルケースになれたら誰かの希望になれるかなと思ったり、
それこそちゃんとしなきゃって思えば思うほど体調を崩すような方にとっては、
そんなことしなくてもポイントさえ抑えておけば
うまくやれるよっていうことをお伝えできるなと思ったりすると、
私が自分の呪縛を外してやらなきゃ、
私にも希望がないし、
私の発信を見てくれて何かしら希望だったりとか、
そういう生き方楽しそうだなって思う方にとっても、
私がちゃんとしだすことによって、やっぱりちゃんとしなきゃいけないんだってなったら、
なんかちゃうなって思ったんですよね。
なので、期待に応えません。
新たな視点の模索
私は人の期待に応えることをやめようと思います。
やっちゃうんですけど、ついついやっちゃうんですけど。
私そういう欲しい持っちゃってるので、2つも持ってるので、
基本ベースで期待に応えませんって言いながら期待に応える行動をしちゃうので、
何も考えずに行動することが、誰かの期待に応えてる行動になっちゃうんですよね。
そういう欲しい持ってるので、せめて気持ちだけは期待に応えないんだって思うことで
ちょうじり合うかなっていう感じがありますね。
誰かの期待に応えることで、それが自分の価値だと思ってしまう方がいたとしたら、
それってステージの中間ぐらいなんですよね。
そこである程度、誰かの期待に応え続けてみるのはいいと思っていて、
誰かの期待に応え続けた結果、その先に見える世界があるんですよね。
その先に見えた世界って、私の場合は、へー、みたいな、
あー、なるほど、みたいな感じの世界だと思うんですけど、
誰かの期待に応え続けることって、嫌じゃなかったので楽しめてたんですけど、
ある程度してきたら満たされてくるのか、
私の場合はもう満足しちゃったなっていうところまで来たので、
なので今度は期待に応え続けてみようかなと思っています。
ステージが変わるんだろうなと思うんですけど、
まー、しんどいですね。
そうですね。
そうですね。
ああ、しんどいですね、そうですね、今までと違うやり方をしていく感じになるんですけど、ついついちゃんとしなきゃって思っちゃうんですけど、その方が多分、ちゃんとしてるっていうことへの安心感があるから、ちゃんとしたいみたいな気持ちがあるのかもですけど、
そうじゃないところをちょっと目指してみようかななんて思います。
はい、というわけで、ただただセッションを振り返りしながら期待に応えなきゃいけないって思ってるのって、期待に応え続ける自分が存在しているからだよなぁと思って、
それ自分で止めなきゃダメだよなぁと思って、同じような方がいらっしゃれば何かしらの気づきに繋がるかなぁと思って喋ってみました。
本当、本当喋ってみただけな感じになりましたが、いつも最後まで聞いてくださって本当ありがたいなぁとは思っています。
ちょっとね今、波で言うと停滞期というか、何だろうな、ぶち上がるようなエネルギーが全然ないような感じで、自分でも自分がどうしたいのかとか決める必要はないんですけど、
今これが痛いっていうのが猛烈にないんですよね。だからしんどいというか、動きたいし何かしてたいし、何かに夢中になってたいのにそれが見つからなくって心と体が分離しているような感じで、
何か違うなぁとか、何かしっくりこないなぁみたいな感じで生きている状態なので、もうちょっとかかるかなぁ。もうちょっとかかるかもですけど、また喋りたくなったら喋りたいなぁなんて思います。
最後まで聞いてくださった方、いいねボタンがあると、聞いてくれてる人がいるんだ、嬉しいなぁっていつも思うので、押していただけると嬉しいです。ではではまた、また収録します。