私が住んでるとこってカナダの田舎だから、そんなニューヨークとかロサンゼルスみたいな、
みんなが集まる場所じゃないんだけど、たまに日本の人が来て、
やっぱり珍しいものとか、ちょっと日本じゃ信じられないようなものとか、
そういうのをネタを探すに来る人が結構一時期いて、
私はもうそういう仕事はしないって決めたんだけど、
東日本大震災の時も、2011年の5月に日本に行ったんですよ。
それがたまたま、とあるブランドアンバサダーみたいな仕事で行って、
2012年かな、ちょっと時間がいつだったか忘れちゃったけど、
震災の後で、直後とかじゃないんですよね。何ヶ月か経った後で行って、
結構ね、当時はまだ欧米からすると、日本に行ったら放射能で体が緑に光るんじゃないかっていう、
すごい笑えないジョークとか言ってる人もいましたけどね。
そうで行って、私アメリカ人2人と一緒に行って、
彼らはブロガーなんだけど、ジャーナリストっちゃジャーナリストですよね。
たまたま東北に前から住んでいる、彼女はイギリス人か、震災の前から東北に住んでた人がいて、
震災で大変だって彼女は帰ってきて、すごいボランティアとか一生懸命やってくれてる人で、
その人に連絡取って、私はカナダから来て、アメリカ人のブロガーの友達も来るからって言って連絡したら、
ジャーナリストはもう来ないでほしいってその人に言われて、
ブロガーの2人もそういうお涙ちょうだい話を探してたわけじゃないんだけど、
やっぱりYouTuberとかやってる人たちだから、なんかストーリーが欲しいわけですよね。
ちょっと申し訳ないけど、ジャーナリストには会いたくないってその人に言われて、
私は結局その人と個人的にちょこっと会って話して帰ったんだけど、
どこでもあると思うんですよね、パラシュート、ジャーナリズムっていうのは。
とうとう嫌なことがあったんでしょうね。
多分、攻められないし、私も嫌な思いしたこととかあるし、難しいですけどね。
そういう方もね、別に悪い人ってわけじゃないんですよ。
中には悪い人もいるかもしれないけど、私が少なくとも一緒に仕事をした人たちは、
すごい自分の仕事にプライドを持ってて、いい話を聞きたい、この人の本当の感情を知りたいっていう。
信仰とかは何かっていうことを常に常にやっぱり頭の片隅で考えなきゃいけないので、
本当の、完全に素のままのニキだったらこういうことは言わないけれど、
今はラジオだったらリスナーさんに求められているものを出さなきゃいけない、
私もそれで喜んでもらったり笑ってもらえたら、
ちゃんとうまくできたんだって、
自己評価を、他社から受けた評価をもとに自己評価をできるっていうところを、
いかにそれを健全に続けるかっていうところを結構最近はね、
考えすぎてはいないけれど、ちょっとそういうことだよなって、
日に暮れたメタ認知はしているかなって感じてた最近。
面白い。なんかでも、これが私に求められていることなんだろうなと思いつつ、
ちょっとやりたくないとか、私はちょっとこれは違うって思うときって、どういうときですか?
本当に、
なんだろう、よく英語で言うのが、
Choose your hill to die onとか、
この丘の上で私は死んでもいいっていうぐらいね、
戦じゃー!みたいなぐらい強く思うものがあったら、そこは絶対に譲らないってものもあるっちゃあるけど、
やっぱりね、大人として、しかもチームの一員として、
いろいろ物事を進めるっていうところを理解しているなら、
えー、なんかそれっていやらしいじゃないですか?って、
なんか、私こういうの普通は言わないんですけど、とか、
それもね、じゃあ別にニキさんの好きに生きるよっていう時もあれば、
いや、ニキさんここはちょっと大事な文章だから、ここは絶対にこのまま読んでくださいって、
まあまあまあ、やっぱり大きな放送局のお仕事ですから、そういう時もあるんですけど、
でもまあ、自分としてはたぶんすごく、なんでしょう、
たぶんそのTBSラジオっていうところは、結構いろいろ好きにやらせてくれるところだと、
多くの放送局の中でも、結構私は好き勝手やらせてもらってるんだろうなっていうところは、
いろんな人の話を聞いてると思うので、
ただやっぱり自分がどうしても、この丘の上で私は戦うぞって思うときは、
やっぱりその、自分が日頃ね、これはもう本当にラジオに行ってるか出ないか関係なく、