2025-02-25 09:28

9歳で天職に出会う‼️ 僕の人生決めた女性教師の一言‼️

今日は僕が研修講師になろうと思ったきっかけについてお話しします。それが9歳の時(小学校3年生)に出会った担任女性教師の一言がきっかけでした

劣等感バッチリだった僕は、いつも職員室に呼ばれて居残り学習をさせられました

いつものごとく、特訓を受けていました

そして、特訓が終わった後、黒板に書かれた1つの言葉が僕の運命を決めました‼️

”教育”は”共育”

その一言で、僕の人生は決まりました

人生の出会いは、一生で平均2000回あると言われています

人生は良い”出会い”で決まる。

それでは、本編をお楽しみください🌸

#教育 #女性教師 #職員室 #出会い #研修講師 #担任


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サマリー

このエピソードで、浜田幸一さんは9歳の時に女性教師の藤井先生と出会ったことが彼の人生の進路を決定づけた瞬間について語ります。教育と学びの素晴らしさ、そして出会いが人生に与える影響についての深い洞察が提供されています。

出会いの重要性
皆さんこんにちは。ようこそ浜ちゃんの明快ビジネス宅配便へ、お越しくださいました。パーソナリティの浜田幸一です。
この番組ではですね、スピーチプレゼン、あるいはコミュニケーション、人間関係、夢の実現、出会いの素晴らしさですね。
そういうことについて、ざっくばらんにお話していく番組です。肩の力を抜いて気楽に聞いてくださいね。
多分ね、いろんな人間関係とコミュニケーションを悩んでいる方には、きっとヒントがあると思いますので、ぜひ最後まで聞いてください。
できればですね、いいねやコメント、フォローなんかいただくとですね、とても嬉しいです。
それでは、さっそく行ってみましょう。
今日のテーマはですね、出会いの素晴らしさということについてお話しします。
今僕は研修講師、講演家として今38年間やってるんですけども、よくですね、セミナーで聞かれる質問があるんです。
それはですね、濱田さんはなんでこういう風な研修講師になったんですかと、よくどこの会場でも聞かれるんですね。
実はですね、皆さんびっくりされると思いますけども、僕は9歳の時にこの仕事をやろうと決めたんですね。
9歳ですか。ありえないですね。
実はね、僕は小さい頃体が弱くて勉強全然ダメでした。
体育だけはちょっと良かったんだけども、あとはね通常で言うと小学校あたりは1日3、1日3ですね。そんな感じですね。
3つ目に姉がいます。8歳に弟がいるんですけども。
姉はね、田舎の秀才というかな。僕の出身地は熊本県の美濱田市というところです。
有名ですよね。皆さんご存知だと思うんですけども。
まあ、比べられるわけですね。
3つ上、3つ下。
僕が行った小学校はですね、当時は1460名いました。
熊本県でもですね、マンモス湖県内で2番目か3番目だったと思うんですけども、すごくたくさんいるわけですね。
信じられない話ですけどね、当時小学校に電気なかったんですよ。
あるのは職員室、保健室、宿直室、それから先生方のトイレあたりはあったんですけどもね、ないんですよ。
なので梅雨時になるとね、真っ暗で何も見えないというすごい環境だったんですね。今では考えられませんけども。
当時はですね、居残り学習というのがあったんですけども、出来の悪い僕はですね、小学校3年生の時にすごくおっかない他人の先生からですね、職員室へ行ってました。
その先生の名前は藤井先生という女性の先生なんですよ。
博多から来られて当時53歳ぐらいだったと思うんですけども、昔は定年が55歳でしたので定年間近の先生ですね、おっかないんですよ。
簡単に言ってね、俳優の武田哲也さんと言うじゃないですか。
武田哲也さんね、お母さんの武田育さんそっくり、なんばしておるかコラ!みたいな感じでですね、すんごいんです。竹を持って当時バシバシバシバシ叩くんですよね。
僕はね、算数とかが理科が大嫌いだったんで、2時ぐらいになるとね、その先生から居残り学習ということで職員室へしょっぴかれるわけですよ。
職員室も大きいですよ。だって1460名いるんだから、その十分にしても教職員の先生はですね、100人以上いるわけです。
で、職員室の入り口から校長先生のところまで30名というのもっとあるのかな、あるんですよ。そこを入っていくわけですね。
運が悪い方に、その藤井先生は教務主任でした。しかも年配ですからね、席が一番奥なんですよ。
奥まったところで、目の前は校長先生と教頭先生がいるわけですね。
ごめんなさい。入っていくわけですよ。そうするとですね、入り口から入っていくと他の先生を見てるわけです。そこへ入っていくわけです。
で、掛け算の区区なんかね、あまりできなかったから、特訓が始まるわけですよ。
はい、高一くん、井野太子、二一が二、二人が八、二人がいくつね、六、四でしょうが、バシバシバシみたいな感じですね。
ギャラリーはいっぱいいますから、校長先生始め、教頭先生、他の先生ね。もう嫌なわけですよ。
しかもね、職員室に帰っていくでしょ。先生たちのね、人質の話が聞こえるわけ。
ねえ、先生、姉ちゃんのあが頭が良かったのに、弟はなんでここにあるかね、とかですね。先生、あんこは他人に持っちゃいかね、とかね。
なんかね、そういうことが聞こえてくるわけ。もう。その中をね、下向きながら行くわけです。
ところがですね、回を重ねると、だんだんだんだん慣れてくるんですね。なぜか、職員室ってのは他の児童は入れません。正規じゃないですか。
なので、慣れてくるわけですよ。お、こいつ今日また来たね、って言ったら、ぶりさえしてですね、はーい、とか言っていくわけです。
そうすると、先生たちも喜ぶわけですよね。で、ある時ですね、多分12月だったと思うんですけども、運命の日がやってきました。
ストーブがあったから、多分12月か1月か2月ですよね。その藤井先生ね、藤井熊子って言ったんですけども、熊みたいな先生でした。
特訓が終わった後ですね、僕はため口を叩いたんですね。先生も大変ね、って言ったんですよ。
だから、こら、またあんた、余計な言葉言いよる。あのね、先生はね、あんたを教えてるけども、先生はね、あんたからたくさん学んでるからね、いいんだよっていうことを言われたんですね。
そして、黒板に抱えた時、これはもう一生忘れない言葉となりました。あのね、こいつ君、教育、普通の教育ですよね。教える育むは本当は教育って言うんだよってことを言われたんです。
どういう時期だったかというと、教堂の教に行くですね。教育。その瞬間、僕は9歳でしたけどもね、ときめきましたね。ひらめきましたね。
これはね、素晴らしいと。人を教えるっていうことは自分が学べる。人生が2倍楽しめる。まあ、マセダガキですよね。そういうことを思ったんですね。
よし、僕はこれ、人を教える仕事を転職にしようと思って、なんとですね、9歳小学校3年生で僕は行く方向を決めたんですよ。
人生の選択
ただね、実家が建設業だったんで、なかなかそこに行くにはですね、長い道のりでした。
なぜかというと長男なんですね。姉が3つ、弟がいますけども、田舎っていうのはだいたい長男が家をすぐっていうのが当たり前の時代でしたからね。
これは伸ばれられないんですね。なんとかですね、脱出しようと思うんですけども、その縛りはなかなか解けなかったですね。
でも僕はそこで決断したことがですね、正解でした。それからですね、もう何十年も経ってますけども、選択は間違ってないと思うんですね。
今でもですね、毎日いろんなところで講演研修をやらせてもらってるんですけども、楽しい毎日です。一回も飽きることはありません。
ですから皆さん、出会いっていうのは本当に素晴らしいですね。
だいたい一説によるとね、人間の出会いっていうのは一生の間で何回ぐらいあると思います?
2000回あるらしいですよ。名前と顔が一緒なんですね。
そういう出会いがたくさん皆さんありますから、その出会いを大切にしてくださいね。
ということで今日は僕がこの仕事を始めたきっかけについてお話ししました。
それではまたお会いしましょう。
それからね、最後になりましたけども、いいね、コメント、それからフォローなんかもお願いしますね。
あと公式LINEですね、入っていただいた方には漏れなくですね、恐怖感と上がりをコントロールする方法を差し上げます。
それではまたお会いしましょう。
09:28

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