スポーツの才能と競争
皆さんおはようございます。声で未来を創る音声ブランディングコーチの浜田幸一ちゃんです。
今日は9月26日金曜日ですね。いかがお過ごしですか?
高架建の柳川はね、今日はとても良い天気です。
さて、今日のテーマですけども、
スポーツは才能の世界、勝てる土俵で勝負しよう僕の決断という体験をね、ちょっとお話したいと思うんです。
本題に入る前にお知らせです。
このチャンネルは、38年間で4,000回以上のセミナー、10万人以上にスピーチ・プレゼンの指導をしてきた
セミナー講師・講演家の浜田幸一、浜ちゃんが
話からで人生を変えたいあなたに向けて
伝える技術、プレゼンの極意、信頼を得るコミュニケーション術を発信している情報番組です。
スピーチやプレゼンが上手くなりたい方、自分の言葉で未来を変えたい方、成功のきっかけは
スピーチ・プレゼンから始めます。
いろんなエピソード、体験談、マインド、心がめについてもお話しますので、ぜひぜひ、今日も最後までお付き合いください。
あと、いいね、コメント、フォロー、感想、質問、何でも結構ですからどんどんくださいね。
いろんなコメント、メッセージがあるとね、やる気になるんですね。
ですから、インプットしたものはですね、必ずアウトプットしてください。
あと、スピーチ・プレゼンが上手くなりたい人、興味がある方はですね、無料の個別相談をやっていますので、LINEの更新からお入りください。
さて、今日のテーマはですね、スポーツは才能の世界、勝てる土俵で勝負しよう、僕の決断というテーマです。
まあ、体験なんですね。
こんなことありませんか、人生は不公平だなとはことない、すごい才能がある人っているじゃないですか、ある分野で。
なんか羨ましいよね。僕はスポーツの世界で感じたことがあるので、それをお話しします。
ずっと中学校、高校と陸上競技をやっていました。
そしてですね、主に短距離、400、800、400メートルハードなんかやったんですね。
たまたま運が良くてですね、他のメンバーが強かったんで、1600メートルリレーでですね、クルメのインター入りに異なりました。
そこにはね、化け物が2人いましたよ。
1人はね、柔道の山下康裕君、それからもう1人はですね、陸上のマラソンの瀬戸俊彦選手、2人いたんですね。
まず、瀬戸選手はね、もう憧れでした。800、1500メートルですね、無敵のチャンピオンです。
で、そのインター入りはですね、800メートル、1500メートル、それから5000メートルのね、3冠を目指しました。
で、800、1500はですね、優勝できたんですけども、5000メートルはですね、残念ながら中村孝夫選手っていうのが2位だったんですけども、立派な成績ですよね。
予選準決勝ってね、たくさん走んなきゃならないからね、もうあの夏の炎天下、すごい記録ですよ。
強かったですね。800メートルを見てたんですけども、ラスト100メートルの切れはね、もうびっくりしました。
これは短距離だろ、絶対というふうに思ったんです。
そして他にもですね、月刊陸上競技マガジンという雑誌があるんですけどね、写真の。
そこで見た選手がね、本物の生の選手が目の前にいましたけども、はっきり言ってもう天才ですね、天才。
全然才能が違う。同じ人間なのになんであんなに速いんだろうということをね、目の当たりにすることができました。
その後ですね、セコ選手は早稲田大学に進学されて、それからSB職員に行ってオリンピックを目指されましたね。
24歳の時はピークでした。もう絶対に勝てる、勤める候補だと言われたんですね。
モスクワオリンピックでした。ところがね、残念ながらですね、ロシアがアフガニスタンに進行したという理由でですね、
結局自由主義諸国、アメリカ、日本、イギリスなんかっていうのはですね、イギリスは出たのかな?
オリンピックのエピソード
参加しませんでした。ボーイコットしたわけですね。そして彼はオリンピックに出ることができませんでした。
その後ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピックで出たんですけども、結局ね、オリンピックに縁がなかったですよね。
それでもですね、素晴らしい足音を残して、今ではですね、DNAかな、なんかの総監督とか総校長もやってですね、
陸連では幅を利かせて、箱根駅伝なんかでもガンガン開設をされて成功されています。
もう一人はですね、柔道の山下康二郎先生ですね。ロサンゼルスオリンピックで、
重量無差別級で金メダルを取りました。
モスカーの時もね、ボーイコットしたんだけど、それから彼4年間頑張って金メダルを取ったんですね。
実は彼とはですね、熊本の高校で同じクラスでした。ずっと。
高校2年生の夏までですね、必死だったんですね。それから東海大相模高校に行って、
英才教育を受けて東海大学に進学して、そしてメダルを取ったわけですね。涙の金メダルですね。
もうね、一緒にいたんだけども、嫌な卓球って、頭はいい、性格はいい、それからスポーツ万能ですね。
ソフトボールなんかやるとね、ピンポン玉のように球が飛んだからね。
それからあの巨体でね、水泳もすっごく速いんですよ。50m走もね、めっちゃ速い。スポーツ満足でしたね。
ステージの変更と成功
本当に素晴らしい山下康二郎君とですね、高校2年生の夏まで一緒にいたってことは財産でしたよね。
まあいつもね、オリンピック、オリンピックってもう16歳くらいから言ってるわけですから、
僕たちのレベルもね、上がりましたよ、彼のおかげでですね。
彼がオリンピックだったら、俺たちも全国大会で頑張ろうな、みたいなね、そういう感じがありました。感謝してます。
それから彼がですね、ロサンゼルスオリンピックで優勝して帰ってきてから、僕は彼の結婚式も行ったんですね。
熊本のニュース界ホテルって言うんですけども、神奈川、関東京都、熊本と2カ所でやったんですけども、
その時のスピーチさんがですね、元首相の細川盛洋さんでした。
今でもね、いい思い出として残ってます。ありがたいですね。
この2人を見てですね、あまりにも違うようにショックを受けた僕はですね、
自分で勝てる土俵で勝負しようと思ったんですね。
たまたまスピーチプレゼン、これは僕向いてないと思ったんですね。
ところが、箱田忠明先生というですね、年間300回講演研修をやっているカリスマ講師にですね、
何か指導してもらってですね、話せるようになったんですね、人前で。
まさかこういうふうに人前で話せるというふうに思いませんでした。
それからプレゼンではですね、10万人以上の指導をさせていただきました。
それからまあ、講演研修は4,000回以上やってきたんですけども、向いてないのかもしれませんね。
何を言いたいかというとですね、あなたの今のステージで、
あの方はね、思い切ってステージを変えるというところも一つの手なんだよね。
例えばね、もう亡くなりになりましたけども、小澤成二さんって世界的な識者がいらっしゃいましたよね。
あの方はそもそもピアニストになりたかったんですよ。
ところがね、指が短かったということと、それと大学を卒業する時にですね、
ラブリーの試合で指を骨折しちゃったんですね。
それで、上野先生が、小澤くん、音楽は楽器だけじゃないよ、識者の道もあるよって言って、識者になったんですよ。
大成功しましたよね。
僕の友達で、木戸和泰さんっていうのがいるんですけども、
もともと彼はですね、渡辺プロダクションの歌手だったんですね。
ところがですね、歌手の道は諦めてマネージャーに転向したんです。
渡辺プロですから、すごいよね。
いろんな有名な人をプロデュースしたりとか、マネージャーとして頑張ったわけですね。
そして今ではですね、日本一の芸能関係のキャスティングの会社の社長をやっています。
マネージャー向いてたんでね。
本当は歌い手でいけたんだけども、マネージャーに転向して、彼は成功したわけです。
ですから何回も言うけども、あなたのステージは今合ってますか?
合わないと思ったらね、ステージをチェンジすること、変えることも一つの手だということを覚えておいてください。
中国のことわざに、傾向となるも牛語となる流れっていうね、ことわざがあるんだよね。
これ傾向っていうのはね、鶏の頭だよね。
牛語っていうのは、大きな牛のお尻。
意味は、大きな組織の末端になるよりも、小さな組織にトップになった方がいいっていうことだよね。
もっと言うと、強い勢力の勢いのある者に従うよりも、小さくても自分でそこの顔になった方がいいっていう話なんですよね。
例えば僕はですね、あんまり人と集まってイベントをやるっていうことは好きじゃないんですね。
自分一人でなんかこうやるっていうのは好きなんですけども、
ですからいろんなところで成功者が集ってフェスとかやってますけども、なかなか僕あれ苦手なんだよね。
だから自分でできる範囲でですね、一人とか二人でですね、コツコツやっています。
ですからあなたに合ったステージをですね、ぜひ見つけてください。
そして自分ファーストの道で突っ走ってくださいね。
必ずその先にあなたの成功があるはずです。
ということで今日はおしまいですけども、いかがでしたかね。
いいね、コメント、フォロー、感想、質問、何でも結構ですからくださいね。
それからインプットしたものは必ずアウトプテックスしてください。
3人に言うといいらしいよ。
ということで今日も最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございました。
今日はちょっと暖かくなりそうですからね。
水分補給をしっかりして明るく楽しく元気よくお過ごしくださいね。
それではまた明日8時、8時にお会いしましょう。いってらっしゃい。