冬の嵐の日の思い出
こんにちは。言葉とアートで人の心を導く英語指導メンタリスト、そしてライブワーカーアーティストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって、英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、冬の嵐の日に先祖に思いを馳せてみた、というお話です。
今日はものすごい台風みたいな風が吹いていてですね。
うちの目の前にちょっと竹林があるんですけれども、竹がわっさわっさ左右に揺れて、
家も地震みたいに揺れるぐらい強くてですね、なかなかない突風でしたが、皆さんの地域ではどうでしたか?
気温もかなり低くてね、かなり寒い感じだったんですけれども、
今ね、こうしていてもまだ風がビュービュービュービュー吹いています。
もうすぐ大寒ですよね。たしか1月の20日あたりが大寒じゃないかな。
大寒の日に大寒の卵っていうのをね、昔よく買ってたんですよね。
家の近所に大寒の開雲卵みたいなのがあって、
その日に大寒の日に生まれた卵を食べると、1年中無病息災でいられるみたいな意味があったり、
貝雲になるとかね。そんな風に言ってね、卵を買ったりしていた時期もあったんですけど、
最近はあんまりやらなくなっちゃいましたけれども。
そんなことを思ってたら、すごく今日はね、昔のことをいろいろ思い出したんですよね。
寒いときって、寒いときの温度感とかからかな、
ちっちゃいときのことを、なぜか今日は思い出してしまったんです。
この風がガタガタ言ってるっていうことが、あんまり最近なかったからかな。
昔住んでた家ってね、今ほどたてつけが良くなかったんでよくガタガタ言ってて、
ヒューヒュー、隙間風が入ってきてたような。
そんなことがあってか知らないですけど、今日はね、昔のことを思い出しました。
皆さんもね、そんなことないですかね。
風とかね、風の音とか、あと温度感で昔のことを思い出すみたいな。
今日思い出したのは、もう本当にずいぶん昔になくなった祖母のことですね。
祖母の家というのは、僕が住んでいた、父と母と一緒に住んでいた家から、
そんなに遠くないところにね、祖母の家がありました。
祖父は僕が生まれて1年ぐらいで死んでしまったので、祖母はもうその家で一人で住んでいたんですけれども、
祖父の代からですね、うちは父もですけど、建築業をやっていて、
その祖母の家というのが、地方によくありがちな大きな家だったりするわけです。
その大きな家の中でも、農家のような大きな家とはまたちょっと違ってですね、
もうちょっとうちの祖母、祖父の代から商売をやっていましたよね。
商売をやっていたうちみたいな感じなんですが、
土間があって、その土間を上がってきたところにお客さんを迎え入れるような場所があって、
そこは板の間とかになっているんですけれども、
その板の間の奥の方に座敷がね、何部屋が続いているみたいな感じで、
2階建てになっていて、2階にも和室が全部で3部屋ぐらいあったのかな。
しかもその家にはですね、半地下の部屋があったんですよね。
その半地下の部屋は防空壕だったというね。
防空壕として使っていたところを戦後何度のようにして使っていたというところがあって、
だから家の広さでいうと、7LDKみたいな、田舎の家ってそのぐらいの感じとかはありますよね。
祖母との思い出
何とも言えない匂いがあるんだよね、昔の家独特の。
昔の田舎の家独特のっていうのかな。
何の匂いなんだろうな、ドマの土の匂いだったりとか、
あと当時のことで言うとね、当時ポットン便所だったりしたので、その匂いもあったのかもしれないし、
あとおばあちゃんの匂いかな。
おばあちゃんのお年寄りの匂いというのもね、そんな感じのものがあるよって言ったような気もするし、
ひょっとしたらナフタレンみたいな、ナフタレンって言ってわかるのかな、そんな匂いだったかもしれないですけど。
独特の匂いがあってね。
テレビもそんなにガンガンつけていないので、わりと常にシーンとしていて静かな場所でしたね。
祖母はよく和装の着物を作っていました。
和装ができた方で、たぶんその着物を作って、小銭を稼いでいたんですよ。
その和装をやっている側でですね、ラジオで株価の情報を聞いていてですね、
その株価もずっとね、お経みたいに何円なり何円だかとか言っているんだけど、
そういうのを覚えていて、不思議なものを聞いているなというふうに思っていましたけれども。
やっぱり祖母の代とかって、戦争も経験しているから結構いろいろ苦労しているんですよね。
想像以上に、僕らが全然想像もつけないような経験をしている。
うちの祖父は戦争に行っていないんですよね。
戦争があった頃に、あまり体が丈夫じゃなくて、徴兵試験に落っこったみたいな感じで。
それはね、たぶん当時の日本男児としては、
結構プライドに傷がつくような感じだったんだと思うんですけれども。
そのおかげでね、うちの祖父は戦争で死ななくて済んだというところはありますけれども。
でもやっぱりね、戦時中祖母のお話を聞くと、本当にいろいろ大変なことがあって。
食料がね、配給が足りないから、農家の家にお米を分けてもらうために着物を持って行ったというね、
本当にドラマにあるような話をリアルにしてくれましたけれども。
当時はやっぱり子供をたくさんいて、うちの父の代なんか、
父入れて6人兄弟とかですからね、母も6人兄弟でしたからね。
そんなたくさんの子供をよく育てていたなぁと思いませんか?
なんかね、昔の人ってすごいなぁと思いますよね。
子供6人とか育てるってすごいよね。
よくそんな、お米がいったい1日にどれだけあればいいの?っていうのもあるし。
それぐらい生活にコストがかからなかったんですかね、昔はね。
全然よく分からないですけれども。
優しいおばあちゃんなんですけど、怒ると怖かったですよね。
何の時だったかちょっと忘れちゃいましたけど、
ものすごい賢悪で怒っている時もあって怖かったですけど、
明治の女というのはね、そういう強い人が多かったのかもしれないですよね。
僕の親ぐらいになるとまだね、ギリギリ戦中派生まれだったりするんですね。
うちの父は真珠湾攻撃の翌年に生まれたので、1946年生まれ。
しかも12月8日に生まれてるんでね。
前にも話したかもしれませんが、戦争に勝ちますようにということで名前がカツオだったりしたくない。
サザエさんがみたいな感じですけど。
サザエさんに出てるあのカツオっていうのも、たぶん戦後すぐによくあった名前だからカツオなんですよ。
サザエさんって始まった時にね、終戦直後から始まるじゃないですか。
だからカツオっていう名前はそういう、魚のカツオもあるけど、当時よくあった名前なんだと思うんですよね。
そう考えるとやっぱ祖父の代じゃなくても、父の代とかもまだ戦争を知っているという世代になりますけれども。
やっぱりその頃もいろいろ大変だったんだろうなと思うんですよね。
先祖供養の重要性
何で今日こんな話してんのっていう感じもして、そこに何の意味もないんですけれども。
まあちょっとね、そういうことをふと思い出したわけです。
つまり我々が今平穏無事にこうやって暮らしているのも、
父の代、そして祖父の代、そしてさらにその前の代のいろいろな苦労があったと思うんですよね。
本当に幕末ぐらいの先祖だって当然いたんだろうし、
もっといけば鎌倉時代の先祖もいたんだろうし、
もっともっと前にいけば平安時代の頃の自分の先祖もいたんだろうとかって思うと、
なんかちょっと不思議な感じがしませんかね。
なんかこう脈々と私たちの命というのは受け継がれて、
いろんなものが私たちの血の中に残っているんだと思うんですよね。
民族の記憶みたいなものもやっぱりあったりすると思いますし。
こうやってたまたまおばあちゃんのことを思い出したりしたというのは、
お墓参りに来いというようなことかもしれないのでね。
時間があるときにまたお墓参りに行くなり、
仏壇にもう一回祖父に挨拶をするなりしようかなとちょっと今は思いましたね。
皆さんもたまにはこういうふうに自分の先祖に思いを馳せてみるのもいいんじゃないでしょうかね。
やっぱりそういう気持ちになったときに感謝が浮かぶと思うんですよ。
この感謝の気持ちが感謝するような出来事を運んでくるってよく言うじゃないですか。
だから先祖供養が大事だって言うんじゃないかなと最近思います。
先祖に対してありがとうございますという感謝の気持ちを毎日毎日仏壇の前で持つということによって、
その自分が感謝という波動を出すことによって感謝をするような出来事が結局起こってくるという、
そういう引き寄せの法則みたいなものもあるのだと思いますので。
まあまあ、そういう欲でやるんじゃないけれども、
たまにはそういうことを考えてみてもいいのではないかなと思いました。
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