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こんにちは、はじめ先生です。このチャンネルでは、思考を変えることによって英語力と人生を劇的に好転させることについてお話をしています。
今日のテーマは、帰国子女は文法を勉強した方が良いのか、というお話です。
うちの英科学教室には帰国子女の方がちょいちょいいらっしゃいます。ご両親の仕事の関係で数年海外に住んでいて、日本に戻ってきたというような感じですよね。
大抵、みなさん英語を非常に流暢に話せるんですけれども、結構それでよくあるお悩みが、意外と学校のテストで点が取れないっておっしゃるんですよね。
特に文法の問題がよくわからないというふうに言うわけですよ。つい先日もそういったお客さんの相談を受けまして、その方は今高校3年生なんですが、小学校ぐらいまでアメリカの方に住んでいて、普通に英語はめちゃめちゃ喋れるんですけれども、
大学入試用の問題集をやっているときに、いろいろ文法でわからないことがあって、いよいよ入試も近づいているんだけど、私、文法基礎からやったほうがいいでしょうかっていうお話だったんですよね。
その方はやっぱり文法に関する悩みもあって、学校では大学入試用のいわゆる文法語法問題集であるとか、文法書みたいなものをもらっているんですけど、
そもそも文法が一からわかんないみたいなところもあって、基礎からの文法みたいなものもご自身で買ったりしているわけですよ。
何が難しいんですかって言ったら、文法の言葉がわかんないって言うんですよね。
主語とかどうしてもわかっても、保護とか監視とか全知事とかそういう名前がわかんないんでしょうね。
英語を喋っている人は当然日本語の文法から入っているわけではないので、監視って言われてもピンとこないですよね。
いやって言われればわかるんだろうけど、それがよくわかんないと。
不定監視なんて言われようもんなら何のことだろうって思うみたいで、そこでちょっとついていけてない感を感じるらしいんですよね。
皆さんこれどう思いますかね。
もし皆さんが先生で帰国子女の子が英語文法がわかんないって言ったら、どのようにお話しするかちょっと考えてみてください。
この方も本当に英語のコミュニケーションではほぼほぼ何にも苦労しないぐらいの英語力があるんですけれども、
いよいよ高校3年生で日本の大学に行くとなった時に、日本の学校で勉強しているとですね、いろいろとちょっと困っていて、
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学校のテストでもいまいち英語の点が取れないみたいなね。
英語の点が取れないっていうのももちろん全然できないわけではないんだろうけど、自分が思っているようにできていないと。
たぶんクラスの中では誰よりも英語が話せるんだけれども、クラスで一生懸命勉強している子たちの方が英語の点がいいっていうようなところに微妙な感じを思っているらしいんですよ。
そもそもルールが違うところにいるっていうかね、競技が違うっていうのかな。
そういう全然求められているものが違うからしょうがないっていうところもあると思うんですけれども、
やっぱり物理的に点が取れないっていうのはね、日本の入試において不利益なんだろうなということなんですよね。
前回、指導者にとって必要なスキルということで言語化能力っていう話をしたと思うんですけれども、
やっぱり人間が無意識でやっていることを伝えようとしたときに、それは言語化してあげないと伝えにくいっていうこともあるし伝わりにくいっていうところもあるので、
その言語化をしていった結果で来てきたものが文法なんじゃないかなと思うんですよね。
言語化するっていうのは、抽象的なものを結構具体的にしていくプロセスだと思うんですけれども、
具体的に物事をすればするほど長くなりますよね、説明としては。
なんだけど、文法のことを説明するときに、それをまた一から全部具体的な表現で話すと、
そこにコミュニケーションに時間がかかるので、その具体化されたことに名前をつけて、
そこで共通認識で時間を短縮するっていうことを言語ではするわけじゃないですか。
例えば、今の抽象度が高いね。
現在完了形って何?って言われたら、形としては、
have plus 動詞の過去分詞形で、日本語にすると、
何々したことがあるとか、今まで何々していたとか、何々したところだとか、
経験完了継続みたいなね、3つがありますよみたいな。
これを説明するとこれぐらいの長さになるんだけど、それを現在完了形っていう名前をつけることによって、
そのことねっていうふうに理解し合えるっていうところで、便宜上そういう名前がついているということだと思うんですけど。
最初の帰国至上の生徒さんの悩みにもう一回戻ってみたときに、
結局これって何が焦点になっているのかなっていうと、
目的と手段の話だと思うんですよね。
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文法っていうのはあくまで英語を理解するための手段であって、
それは目的ではないんだけれども、いつのまにか手段が目的にすり替わってしまうっていうことってね、
日常よくあると思うんですよ。
我々は例えばお金を設けるというのは、お金というのは生活の手段であったりして、
それが本来は目的ではないんだけども、それが目的化してしまうであるとか、
僕も色々ビジネスやっているのでSNSの投稿なんかもするんですけど、
これもSNSの投稿はビジネスの手段であって、それが目的ではないですよね。
なんだけど、それをやらなきゃ、それをやらなきゃって自分が時々思ってしまっていることもよくあるんですけど、
これは手段であって目的ではないねっていう、そこの意識が、
人間っていつのまにか手段を目的化してしまうっていうところがあって、
それで対局を見失ってしまうというところがあると思うので、
これは英語学習だけでなく、皆さんちょっとふと我に返ってみていただくと、
色んなことに言えるんじゃないかなと思います。
手段が目的化してしまっている時の特徴って、
多分なんですけど、なんとなく魂があんまり喜んでいない感じ、
なんだかの義務感であるとか、
周りの要求水準に何か合わせなきゃいけないであろうとか、
そんな風になっている時が多いんじゃないかなと思いますので、
皆さんもですね、もし自分の心が何かこう、
うまいち乗らないんだけどやらなきゃいけないと思っている人があった時って、
気がつかないうちに手段が目的化してしまっている、
あるいは本来の自分の目的であるとか、
本来の自分のゴールをちょっと見失っているという時が多いんじゃないかなと思いますので、
ぜひ皆さんも少し振り返ってみるといいのではないかなと思います。
ちょっとややこしい話になりましたので、最後に少しまとめてみると、
文法というのはあくまで手段ですね。
英語を学ぶ上においては、英語を使えるようになることがゴールなので、
文法が目的化してしまってはいけないけれども、
それが理解の助けになるのであれば、それは有効というお話です。
我々の日常生活においても、手段と目的、これを履き違えてしまって、
いつの間にか手段が目的化してしまうということがあるので気をつけましょう。
こんな感じでまとめさせていただきます。
はい、どうも今日聞いていただきましてありがとうございました。
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またこのチャンネルでは、英語学習の悩みや人生のお悩みについて質問を受け付けていますので、
何かある方ですね、ぜひメッセージを送ってください。
OK, thank you for listening and have a great day.