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こんにちは、はじめ先生です。
このチャンネルでは、思考を変えることによって、英語と人生を劇的に好転させる方法をお伝えしています。
今日のテーマは、日本語にしないとわかんないけど、日本語にするとややこしくなる、というお話をしたいと思います。
今、いろんな生徒さんを教えているんですけれども、中学生の生徒さんにこんな質問を受けました。
学校で今、不定詞というのを習っているらしいんですよね。不定詞ってありますよね。to plus 動詞の原形ですよね。
学校では、名詞的用法、副詞的用法、形容詞的用法という感じで、〇〇すること、〇〇するために、〇〇するための、みたいな感じで習いますよね。
特に、〇〇するためにと、〇〇するための、だと一文字しか違わないんですけれども、その生徒さんの疑問は、
なんで同じtoなのに日本語にすると意味が変わっちゃうの?ということだったんですよね。
これ、なかなか奥が深い問題で、あまり考えないで、3パターン覚えて当てはめるという風になっちゃうと思うんですけども、
素朴に考えれば、確かになんでだろうと思いますよね。
そもそも、この不定詞のtoというのは、前置詞のtoと違うのかという問題もあるわけです。
同じtoなわけじゃないですか。
本来、toというのは、I go to schoolのtoのように矢印みたいな、ある種のベクトルを表す方向感覚みたいなものを表すんだと思うんですけれども、
toの後に来るものが動詞になると、いまいちよくわからないという風になるんだと思うんですよね。
だから、いろんな日本語に分けてしまうしかないわけなんですけれども、
もともとのそのtoのニュアンスで考えれば、例えば、
みたいな文になると、一つの文の中にtoが3つ入るわけですよ。
book、to readって3つあるじゃないですか。
これ、日本語にしていくと、I went toのtoは方向を表していて、その次のto buyは買うためにという文法的に分類すると、
副詞的用法というのになりますよね。
その後に、to read、つながりでいうと、a book to readになるんですけど、
そうすると、読むための本、文法的に分類すると、形容詞的用法というのになるんですよね。
昔の文法の問題だと、これが何用法か書きなさいみたいなのも出たんですけれども、
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それもね、どうなんだろうという感じはするんですが。
これをもっと単純に考えて、要するにその同じ全部toだから、
ある方向性に向かうベクトルという話をしますけど、
それで捉えると、I went、その先にあるのはto a bookstore、
そしてその先にあるのはto buy a book、
そしてその本がどっちに向かうかというとto readというふうに考えていくと、
全て方向性で一応型はつくんですよね。
日本語にしないでtoの持っている、いわゆるこういうのってcore meaning、格になる意味っていうんですけど、
そこを捉えていけばシンプルなんだけれども、
やっぱり日本語にしないと落ち着かないというのもあって、
いまいち理解できないというのもあるんですよね。
英語で話している人の中にはひょっとしたらそんな区別がないのかもしれないんですけれども、
ただ日本語にするときにそうやって訳し分けないとうまく日本語にならないから、
そういうふうに分類しないとしょうがないというところがあって、
これはなかなかめんどくさい話になりますよね。
以前別の中学生に、
The cup was brokenだと、そのカップは壊れていた。
なのに、
The cup was broken by my brotherだと、
そのカップは弟によって壊されたってなるっていうことを言われて、
なんで片方は壊れていたなのに、もう片方は壊されたってなるんだって聞かれたこともあります。
加工分子って一体何なのかっていうところが問題なんですけれども、
本来は加工分子というのは、ある動作が済んでしまっている状態なんですよね。
だから単純に、
The cup was brokenって言ったら、そのカップは壊す動作が終わった状態でしたという意味になり、
The cup was broken by himだったら、そのカップは壊す動作が終わった状態で、
それは彼によるものだった、みたいな感じになるんだと思うんですよ。
つまり英語の中には、するとされるっていうふうに厳密に言葉が分かれてないんですよね。
日本語では明らかに分かれてしまっているので、それを分けないとうまく日本語にならないんですが、
英語にはそこに差がないっていうか、一つのもので言うこと足りてしまっているんですよね。
だからその言語のあり方として、そもそも分かれてないんだからしょうがないよねっていうところがあるんじゃないかと思うんです。
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これ、他のことで言うと、自動詞と他動詞ってありますよね。
例えば、I walkだったら、私は歩く、だけど、
I walk my dogだったら、私は犬を散歩させる、みたいな感じになるわけですよ。
歩かせる、みたいなね。
これも英語ではwalkでしかないわけです。
I walkって言ったら、私がwalkする状態。
I walk a dogだったら、私はwalkする犬を、みたいな感じになると、
歩かせるっていうのが日本語だと出てきてしまうだけのことなんですよね。
ここら辺を少し柔らかく考えて、そういうことなんだねって思えればいいんですけれども、
やっぱね、ここってなんでっていうふうに思ってしまうんですよね。
やっぱり人間って自分と違う考え方とか、
違う価値観を持った人に遭遇したりすると、
なんでってなってしまいがちですよね。
これはやっぱり自分が常に基準にあるからなんですけれども、
相手は違った論理で動いていたりするわけです。
ここにね、コミュニケーションの難しさっていうのがあるんだと思うんですよね。
だから、英語学習で重要なことっていうのは、
やはりですね、相手のあるがままを受け入れるっていう、
そういう訓練にもなるんじゃないかなと思います。
場合によっては、その相手を受け入れるときに、
自分の論理に当てはめなければ理解できないっていうこともあるので、
日本語にするとなると、いろんな役に分かれてしまうっていうことはあったりすると思うんですけれども、
だんだんにですね、相手の考え方みたいなのが分かってくると、
ああまあそういうふうになるよね、みたいに分かるようになると思うんですよ。
日本語にしなければよく分からない。
だけど、日本語にするとややこしくなってしまう。
英語学習している人だったら、今まで感じたことがあると思うんですが、
英語学習を楽しくやっていくためにはですね、
その違いを楽しむっていうのが一番いいんじゃないかなと思います。
これは人間関係もそうなんじゃないかなと思うんですよね。
自分の論理に当てはめて、何でこうじゃないんだ、みたいに言ったらね、
これは喧嘩になってしまうわけですよ。
いろんな考え方があるんだな、相手はこんなふうに考えるだなっていうことを知って楽しんで、
そしてお互い理解し合えるたらいいんじゃないかなというふうに思います。
今日も聞いていただいてありがとうございました。
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