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こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、思考を変えることによって、英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えをしています。
今日のテーマは、全国学力テストの結果を公表することの是非、というお話です。
今日のニュースに出ていたのですが、全国学力テストは毎年行われていますが、その結果の公表方法を変更するという話が出てきていました。
全国学力調査というのは、古くは1950年代から60年代までに行われていて、各学校間の競争を助長するということで一旦やめたのですが、また最近になって復活したという経緯があるもので、
各問題の正当率とかが全て公表されて、それによってその学習成果が数値的に分かるというメリットがある半分、その点数が低いということに対しては、低かった地域についてはプレッシャーがかかるし、教育の成果が低いというような判断もされる。
それによって何とか点を上げていかなきゃというプレッシャーがあるために、事前に散々練習をさせてスコアを伸ばすみたいな本末戦闘なことが行われるようになってしまったり、そんないろんな問題があって果たしてどうなんという話になって、
公表結果が少数点以下まで表されていたのが、その少数点、0点、いくつの差でああだこうだということがあるから、その少数点以下を切り捨てて整数で表すようにしたとか、いろんな経緯があるんですけれども、それについて果たして本当にそれって公表ってどういうふうにしていったらいいのっていうことで見直されるみたいな話になっているらしいんですけど、
皆さんこれどう思いますかね。非常に難しい問題だと思います。全国学力調査、これをやればですね、例えば極端に言えば学校の平均みたいなものもあるし、自治体ごとの平均みたいなものもあるわけですよね。
実際、私の住んでいるエリアでもですね、数年前に全国学力調査の結果が感ましくなかったということで、県知事がですね、その人は実は教育畑から出た人なんだけど、結構憤慨してですね、何やってるんだ、頼んでるんだ、お前たちもっと頑張れみたいな感じで教員に、教育委員会の葉っぱかけてですね、ガリガリガリガリやらせてみたいな経緯もあってですね、それってどうなんという話もあるんですよね。
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で、今日そのニュースに関するね、いろんな人のコメントを見たんですけれども、全般として多いのは、いや競争ってやっぱりないとダメでしょうっていう声がわりかし多い。
その反面ですね、今その教育改革が行われていて、単に点数では測れない学習意欲とかそういったものを育てるようなことをやってるんだから、それを点数だけで測るのもおかしいんじゃないのという意見もあるわけです。
両方ともごもっともって感じでしょうね。点数が出てしまうというのは、これはね、実際に世の中に出ればね、いろんなことで数値っていうのは出てくるわけですよ。
営業性質が良い人もいれば営業性質が悪い人もいるし、ということで、現実問題、人は何らかの形の序列みたいなのがついてしまうというのはあるわけなんですけれども、
そういう社会の現実に照らせやすいといけば、子どもの学習の成果というものをやっぱりきちんと公表して、低い実際については努力を促すというのも当然じゃないかという論調もありながらも、
その点数を何とかさせることが目的化してしまうと、また教育の本来の目的って何だったのという話になるよねというような論調も多くてですね、まあ意見真っ二つみたいな感じなんですよね。
これを見ながら僕もいろいろ考えたんですけれども、結局この全国学力調査をどういう目的でやっているのかというところが、はっきりとした指針がないというか、そもそも教育の成果というものをどういうふうに評価するかということの難しさもあると思うんですよね。
普通にスコアを出しましたというと、どっちが上でどっちが下だみたいになると思うんですけれど、全国学力調査というのを何でやるのか、何のためにやるのかというのをもっともっとよく考えてみると、今の教育制度というものが全般的にどんな効果を表していて、
それは国策として目指す方向に行っているのかどうかというのも検証する場だと思うんですよね。だからそれが自治体のですね、もちろん優劣は出てくると思うんですけど、そこに目を向かせてしまうような公表方法というのは正直どうなのかなという感じがするわけです。
だからこの全国学力調査がそういった教育政策の妥当性であるとかそういったものを評価するという目的で行うのであれば、それって健康診断みたいなもんじゃないかなと思ったんですよ。
健康診断に行ったときって、だいたいこう、例えばね、中性死亡値がこっから心の中に入っていればまあ大丈夫でしょうみたいなのがあるわけじゃないですか。そこから大きく逸脱してしまっている場合は、やっぱりそれは健康によろしくない習慣があるわけだから、何らかの形で改めなければいけませんねとか、深刻な病気の恐れがあるからどうこうしなければいけませんねという判断ができるわけです。
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なので何が目的なのかというと、だいたいこのラインから上に入っていたらオタクの自治体の教育政策はおおむね間違っていませんよみたいな合格ラインを示してあげるというのかな、それぐらいでいいんじゃないかなって思うんですよね。
それがないから高ければいい、あっちの人が何点だったからじゃあうちは何点取らなきゃいけないとかね、あっちの人の方が点がいいからうちたちがダメなんだとかそういうふうになりがちだと思うんですけど、そうなってしまうのはこれはどうなのかなという感じがするわけです。
個人の学力で、それが個人の人生の目標によって、場合によっては自分はこういう世界を目指していきたいからこのくらいに行きたいとかっていう、そのためにテストというものがあって、それで自分の位置を知るというのはこれは必要だとは思うんですよ。
別にあっても悪くはないと思うんですけど、全国学力調査でそれをやる必要があるのかと。だからテストとしての目的が多分全然違うんじゃないのかなっていうふうに思うんですよね。
そもそもが日本の教育、日本だけではないんですけれども、より高い点を目指していったほうがいいよねっていうこの前提があるんだけど、果たしてその前提が正しいのだろうかというところもあるとは思います。
やっぱり教育の目的って何かっていったときに、子どもたちが世の中に出ていって、今の世の中であればこういうスキルが必要だよね、こういうスキルが最低限あれば生きていくのにそんなに困らないでしょうと。
それを担保するのが公教育の役割ではないかなとは思うんですよね。そこから先その人の個々人の目標に合わせて、より高いものを目指す人は目指せばいいし、そうでない人はそこに留まってもいいと思うんですよ。
っていうね、その個々人の選択によって学力を選ぶ自由っていうのもあると思うんですよね。それがなくて、何か高くなければいけない、より高いことがいいことだっていう無言の前提の中に動いていることが僕は問題なんじゃないのかなとちょっと思ったんですよね。
まあとはいえね、健康診断みたいには、ここからここの間なら健康ですみたいな、その評価基準も結構健康診断としようって変わってたりしませんね。あれ、この間までこれオッケーだったら厳しくなってないかみたいなのもあるので、これはね実はめちゃめちゃ難しい話ではありますけれども。
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でもあってもいい考え方として、その国家プロジェクトとして最低限ここまでは担保したいよねっていうラインをしっかり目指させて、それをクリアできているかどうかっていう評価基準にした方が全国学力テストとしてはいいんじゃないかなというふうに思ったりしました。
難しい問題なんだよね。よく考えるとまだまだわかんなくなっちゃうこともあるんですけれども、皆さんどう思いましたでしょうか。皆さんの意見もぜひ聞かせていただければと思います。
というわけで、今日も聞いていただいてありがとうございました。今日のお話が良かったという方は、いいねやコメントなどよろしくお願いいたします。
OK, thank you for listening and have a great day.