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昨年2023年1月某日、 白米FMを始める前日譚として
なぜ超相対性理論が面白いのかについて2人で話した内容をお送りします。 1年経って
今の2人は成長しているのでしょうか。それとも何も変わっていないのか。 それではどうぞ。
はい。 じゃあちょっとやってみましょうか。
はい。
今日は何でしたっけ?今日のテーマは何でしたっけ?
今日のテーマは3つほどあって、1つはメタ的にまずそもそもこの超相対性理論って面白いけど何でだっけっていうのが、ちょっと1回話してみたいなと思っていて、
あとの2つは、この超相対性理論から数字の奴隷からの脱却と、
疑心暗鬼からの脱却と、あ、3つあったねこれも。
あと国語力って何だろうっていうのも選んでみて、
ここら辺を一つの取っ掛かりに面白いこと話せないかなっていう感じで。
了解です。
超相対性理論が面白いっていうのは、我々はすごい面白がってるじゃないですか。
そこは確かに俺もよくわかんなくて、何が面白いんだろうなっていうのを言語化してみると、
2人の興味の共通項とか、
あと世の中的にもこういうのが最近面白がられてる、
そういうのが受け入れられやすくなってるのではないかっていうのがちょっとあるので、
そこを言語化してみると、我々もどういう話をすると人が面白く聞いてもらえるのかっていうのもちょっと見えてくるかなっていうのをちょっと期待しておりますね。
自分もなんかうまく言語ができてないなと思ってて、
本当に身近な妻とかに、めっちゃ面白くてって言うんだけど、その後に出てくる言葉がさ、
なんか大したことない言葉。
本当に自分が面白いと思っていることがあまり伝わらないような気がして。
それで何、奥さんにも聞かせたの?
いや、結局1回だけ車の中でたまたま、僕が最近面白いって言ってたやつ聞くって言ってくれたから、ちょっと聞いたっていう会話あったけど、
まあなんか、それ以外、その20分くらい以外は別に聞いてもらったって感じじゃないし、
あんまりこう、押し付けたくないというか、本人が興味持ってないのに多分聞いてもどうせつまらないっていう思われるだけだから、
なんか本人が気になるって言うまでは自分はあんまりお勧めしない派なんだけど、
まあそういう意味ではちゃんとは聞いてもらってないなっていう感じ。
なんかその車の時も、あのちょっと疲れてる、ちょっと遠出した時の帰りの高速を走って、雨の中高速を走ってるからちょっと音も聞き取りにくくて。
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自分ですら普段はイヤホンで聞いてるから、すごいあの3人の声が直に聞こえるんだけど、
なんかちょっと聞き取りにくい感じがして、ちょっとなんかその体験も違うなと思って、環境によって。
だから結構、環境とかも大事なのかなと思った、聞いてる時も。
ちょっと集中力がいるというか、普通のポッドキャスト、普通ってのも変だけど、
僕の妻が聞いてるようなポッドキャストで、もうちょっと女の子2人がカフェで雑談してるものを盗み引き。
カフェで隣で聞いてるようなポッドキャストとかがあって、そういうのって本当にもう何にもたわいもない話をしてるわけよ。
それとかと比べるとやっぱちょっと期待値が高いというかさ、リスナーも頭を使うっていうことを前提としてるなーっていうのは感じてる。
そうだよね。だからこれ面白いと思う人と面白いと思わない人は結構はっきりするような気がしていて。
なんで我々はこれ面白いと思うんでしょうね。
これは自分なりにこう感じてるとか、なんかあったりするの?
メモにもちょっと書き出してるところがいくつかヒントになるかなと思って。
ここに書いてないことでまず一番最初に思ったのは、
頭を使って何かこう自分の頭で考えるみたいなこと自体を面白いと思えるみたいなのが一つあるのかなと思ってて。
ありますね。
それ自体が負担だと思うかどうかっていうのはまずはっきり分かれるような気がする。
それね、俺も一応メモったんだよね。自分なりにこのテーマに関して。
自分の頭で考えたい人には受ける。他人の答えを集めたい人には受けないって書いてあるね。
まさに。
なんか筋トレと似てて、なんか筋トレ自体さ、ただ辛い苦役だとか、何のためにこうわざわざ辛い重りを上げるのみたいなのがあるけど、
なんかこう自分がこう、例えば筋肉がついたり他のスポーツやってたらそれに上手くなっていること自体が楽しいと思える人とかっていうのにちょっと似たようなものがあるのかなと思ってて。
頭もさ、筋肉みたいなとこがあって、使えばそれが上手くできるようになってきたりとか、次はちょっと楽にできるようになるみたいな側面ってあると思うんだよね。勉強でもそうだし。
だからそれを、で、これも遊びのリテラシーじゃないけど、ある一定やったことがあって、なんかこうちょっとは楽にできるけどまだちょっと難しいって思っている、いい具合の難しさだと感じれる人がこれ面白いと思えるのかなっていう。
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そうだね。
そこにあまりこう差がありすぎるとちょっと手が届かないというか。
そう、なんか無理ゲーに感じるか、簡単すぎるかっていうどっちかの人は面白くないと思うかもしれない。
そうですね。
その筋トレのアナロジーっていうのかな。
よくわかるな。僕は筋トレ、自分の体を動かすこと自体はそんなに得意じゃないから、筋トレを楽しくやってる人の気持ちは理解できないから、
逆にこれを楽しく聞いてる人の気持ちが理解できない人の気持ちもなんとなくわかるんだよね。逆の立場で。
いや、やってない人にとっては、多分1回やるとさ、すごい痛い筋肉痛があって、いやなんでやるのって言って多分挫折すると思うんだけど、
あの、まあある程度やってると、とかそういうリズムが普通だと思えたり、なんか馴染みがあると多分楽しめる人は楽しめるんじゃないかなとかね。
そうだね。自分にとって頭を動かすのが楽しいんだろうね。
やっぱ、なんだろう、頭を動かした結果何かしらの答えっていうかを導き出すのが、まあ割と多くの人。
だから頭を使うのはあくまで手段であって、その先になんかこう目的があって、その目的のために頭を動かすみたいなのが一般的なのかもしれないけど、
自分はどっちかというと、頭を動かすこと自体が目的というか、そっちに楽しみを感じてるようなところがあるから、だから筋トレも多分そういうところがあるんだろうなっていう気がした。
そうだね、面白いね。まさに筋トレ、本来あるスポーツ、バスケ、サッカーとか上手くなるための手段で筋トレ、筋肉を鍛えるんだけど、
中には筋肉を愛でるみたいな。筋肉をつけること自体が目的化したり、そのときの感覚が気持ちいいとか、見た目が良くなるっていう、マッチョになるのがいいとか、それ自体に目的を見出してるっていうのはあると思うね。
なるほどね、面白いね、このアナロジー。
だからやっぱり自分的にはそういうのが好きだし、そういうことを一緒に楽しめる人と会話するとか関係性を持ったほうが自分的には楽しいと思うから、
そういう人が聞いて楽しいような話を自分もしたいなって思うよね。
もう一つ、このポッドキャストにユニークかなって思ったのは、彼らがネガティブケイパピリティとか言って、結論を出さないとか、目的のために向かってない時間を楽しむみたいなのが一つすごくユニークだなと思ってて、
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あんまり普段、特に会社とかで働いてると、そういう時間ってあんまりない。もしくは本当は雑談とかだったのかもしれないんだけど、多分コロナのせいとかで一気にそういう時間ってなくなってて、それがみんな求めてるものだったりしたのかな、自分も含めて。
そうだよ、確かにね、そういうのなくなったね、普段。
で、ネガティブケイパピリティ、答えを出さないことに耐えるみたいな意味だったと思うんだよ、確か。
要は人間の頭って空白だったら埋めたくなっちゃったりとか、ちょっと難しい問題があると、ある程度ショートカットをして答えを出そうとしちゃう。でもあえてそれをこらえて不快な状態に耐えるみたいな意味だったと思うんだけど、
そういうのって、一人だとなかなか難しいかもしれない。それを3人がやってるっていうのを見ると、ちょっと普段接しないトピックに触れられて、それと関連して彼らのピンポンボールなのか、
あとは原子力の臨界点に達して、1+1が3じゃなくて、6にも9にもなっていくようなのを見てると、こっちもそれに巻き込まれて、自分の頭の中でも化学反応が起こってる感じっていうのがもう一つ面白いのかなーとか思ったりした。
そうだねー。あれは、なんだろうね。3人だからなのかね。2人とかだと結構難しかったりするのかな。そんなことないかな。
やっぱ2人でも面白い可能性はあるような気がするけど、やっぱテンポが良くなったり。ここからはちょっと1レイヤー、もうちょっと具体的な感じになるけど、テンポとか反応するスピードとかはすごいなって純粋に思うよね。
人の話聞いて、それはそれに関連してだけどって言って、パッて間髪入れずに何かの引用が出てきて、一気に違う世界に行く。例えば、時代をもう600年遡ったり、数千年遡った話が出てきたり、例えば哲学者が出てきて、これはギリシャではみたいな感じで、
自分の中でさ、何か視点がどっかにあると、地球儀上グルグルグルグル、いろんなところを忙しなく旅してる感じ。時代、時間軸と、ジオグラフィーを行ったり来たりしてて、その何かダイナミックさって、まあ2人でもできるけど、3人だからこそある濃い30分だったりするのかなと。
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確かに、あの能力っていうのかな。なんであんなにポンポンポンポンなんか出てくるのかはやっぱ不思議だよな。
いや、すごいよね。
でもやっぱそういうラジオとかを日常的にやってるから、何かストックがあるのかなっていう気は。
それは思うね。最近、荒木さんと渡邉さん、深井さんはコテンっていうの知ってたから、他の2人についてもちょっと調べたり、荒木さんの本、「自分の頭で考える読書」っていうようなんだけど、3人ともアウトプットをしていて、それぞれポッドキャストを持ってるし、それを何か読み方、自分の頭で考える読書の座談会みたいな回があったと思うんだけど。
聞いた聞いた。ちょっと前にまた聞き直したよ、それ。
それで3人とも本どう読んでるっていうトピックがあったと思ってて、そのときにそれぞれちょっと簡単に読んで、なんとなく本の中身把握して、で、読んでるときは線を張るとか何かしらメモを取る、で、最後にまとめの振り返りみたいなのがあって、それをしかもアウトプットしてるとポッドキャストなり、人に話すとか。
で、しかもたぶん荒木さんはポッドキャストをいくつか持ってて似たような話を外でしたり、講義したり、それを本に出してるから、もう何かいろんなレイヤーから違う角度から自分のインプットした本を整理してるっていう意味では、まあやっぱり彼らにとっては自然なことを続けてるだけなんだけど、
やっぱりなんか結構桁違いなアウトプット力みたいなのができてる感じする。
そうなんすよね、やっぱね、アウトプット大事だよなぁ。
うん、アウトプット大事。
作る、作るを考えるだったかな。でもなんかエグジットがあるかどうかって結構重要だみたいな話があって。
あったね。
やっぱりアウトプットを確保しているっていうのは非常に重要で、自分にやっぱそこが足りないし、やっぱどんどんアウトプットしていきたいなっていう今気持ちにはなってるかな。
何かインプットするっていうよりは。
うん、そうだよね。なんか最初みんなアウトプット自体さ、躊躇しちゃうと思うんだよね、評価されるとか。彼らと比べて自分は大したことない。
でもなんか逆で、アウトプットしてるから彼らに近づくとか、自分が彼らにはどれぐらいに達さなくても、今の自分と、あ、違うな、それをアウトプットしてない自分とアウトプットしてる自分を比べたらアウトプットしてる時間の方が多分はるかに自分のなりたいゾーンに近づいてるっていう意味でアウトプットはもう絶対的にした方がいいんじゃないかなと思うんだよね。
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他には何で面白いかって感じたことある?彼らの。
僕が一応メモにまとめているのはね、いろんな観測点みたいのが、冒頭も説明で言ってるけど、増えてく感じがするんだよね、自分の中で。
あ、そういうものの見方あるんだとか、そういうふうに考えるんだみたいなのが、今まで同じものを見ていても全然自分が気づかない視点みたいなのに気づくと、そこに単純な喜びというか。
ああ、なるほどね。なんかアハ体験みたいな。
今まで丸だと思って見ていたものが、横から見ると実は丸じゃなくてちょっと違う形だったみたいなのとか。
比較が円柱だった。立体してできるってことかな。
そうそうそうそう。
知識とか答えを伝えるのが目的じゃなくて、さっき言った観点。こういう観点とかこういう問いっていうのをもらってる感じが、やっぱりそこが個人的にはいいかなっていう。
いいね。今思ったのはさ、自分の頭で考える読書でもさ、本を3つにカテゴライズするっていう。
たぶん超相対性理論でも荒木さん言ってた気がするんだけど、本を3つのタイプに分けて、新しい問いが見つかるっていう本と、問いは知ってるけど新しい答えが見つかるっていう本と、
あとはもうどっちも知ってる問いも答えもきちなんだけどリマインド。
で、新しい問いを見つけるっていう回はヘビーで結構頭も使わないといけないけどみたいなこと言ってたんだけど、
その新しい問いをこのpodcastは常に提供してくれてるっていうことか。
そうだね。なんか自分の中で気になってはいたけど、それをちゃんと言語化して問いという形で表出させたことがなかったから。
そこを言語化してもらえると、確かにそこ自分も気になってたなとか、気になってることに対していろんな見方みたいなのを提供してもらえるので、
やっぱり自分の世界に対する見方が豊かになってる感じがするんだよね。
うんうんうん。それは本当に思うよね。
あと今ちょうど言語化してくれてるってあったけど、これ自体もなんか人間結構気持ちいいと思うんじゃないかなと思って、
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なんかモヤモヤしてて、言葉にできないっていうことをバシッと、わあ、それって言葉にしてくれる。
これ自体だけでも結構価値があるというか、人間快感があるんじゃないかなと思った。
わかるわかるわかる。そうだね。
自分にはボキャブラリーが足りないからなのか、観点が足りないからなのかわかんないけども、
これをうまく説明できない、なんかモヤモヤイライラしたとか、なんか考えたことあるけど、
何もそこから進まないみたいなときに、言語化されるだけで前に進めた感じがするっていうか。
そうなのね。そこで、ちょっと一つ自分として今動いてるプロジェクトというか、やってることがあって、
今会社の中でさ、会社の組織の風土みたいのを変革していこうみたいな取り組みがあるのね、全社的に。
そこで社長室のほうで予算を確保して、
この会社のいろんなことを変えていくために活動したい人はそこに手を挙げて、
OKもらえればそこからお金をもらって活動していいよみたいなのがあって、
そこでコミュニティを作って運営しようと思って今動いてて。
これもかなり超相対性理論に影響を受けてるんだけど、
その問いっていうものを大切にして、それをみんなが表明できる場所みたいなのが必要だなって思ったんだよね、会社の中で。
会社の中で疑問を差し挟むとかってあんまり歓迎されない感じがするんだよね。
上司のやり方に疑問を持つとか、会社の方針に疑問を持つとか、いろいろ歓迎されないじゃないですか。
でもこれからの時代にするのって結構、
それぞれ個人が疑問、問いを持っていろいろ考えるってのが大事だなと思って、
そういうのを心理的にハードルを感じずに、みんながしゃべれる場を作りたいなと思って、
それを会社にここにやりたいんですけどっていうのを言って、一応いいよっていう話は。
おお、すごい。自分でイニシアチブを立ち上げたってことね。
そうそうそうそう。
コミュニティのページみたいのを先週作って、
それを来週ぐらいに公開というか、これを作ったんで、興味ある人集まってくださいみたいなのをやろうとしてる。
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すばらしい。めちゃめちゃいいじゃん。
これもやっぱりアウトプットのひとつだと思っていて、自分の中ではね。
こういう活動、インプットするだけじゃなくて、こういう活動をすることによって新しい世界みたいなのが見えてくるのではないかっていうので、ちょっとやってみようと。
アウトプットって単純に自分から出る言葉とかだけじゃないと思っていて、行動、人と会うとかもアウトプットだと思うし、
そうやって組織を作るとか活動を作るっていうのもアウトプットだと思うから、
しかもそれってかなり頭にがっちり結びつくじゃん。
この活動を通して何かやったことって、何か喋るよりもはるかに次元の高いアウトプットだと思うから、すごいいいと思う。
そこでコメディのコンセプトとか考えるときに、結構文章でつらつら書いたのが、
個人的にはみんながなんとなくモヤモヤ感じてるのではないかっていうのを言語化してコンセプトにしてぶつけてる感覚があるんだよね。
いいね。そうするとやっぱり共感、それそれって思う人が集まるんじゃないかってことで。
それをちょっと今期待している感じかな。
だからちょっとそれリリースしてるんで、どういう反応になるかはまた共有しますね。
いいねいいね。
アメリカのテック企業とかは、わりとそういうとこは日本の伝統的な企業に比べたら、わりと敏感に気にしてるかなと思うんだよね。
社長とかが、例えば全体集会でやるときも、匿名だろうが、自分の名前ありだろうが、質問を投げかけて、それに対して投票して、どんどん厳しい質問を投げ続けろっていうことを言うわけ。
そうなんだ。
で、まさに、それ自体いいと思ってるわけよ。
その心理的安全性を確保して、誰もが自分の思ったことをちょっと疑問を投げかけるのが健全な場所だと思うって言ってて、
いろんな目で、会社が優秀な人を雇ってるっていう自負があるから、その人たちの目で経営とかをちゃんと一緒にレビューというか、オーディットする。
そういう相互の綱引きの引き合いで、より良いとこに行けるはずだって思ってるから。
いや、そうでしょ?僕もそう思ってるんだけどさ。
そうじゃないとさ、トップの人の頭でキャップがかかるよね。その会社の実力が。
そうなんだよ、そうなんだよ。
それを集まっている意味を最大化するためには、相互に言いたいことを言ったり、そこから喧嘩みたいになってもさらにそれを超えて消化させるっていうのを日々通すと。
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それは一番下のレイヤーの僕と僕の上司でも起こるし、その上の1個上でも起こるし、それがトップのCEOまで対して起こると。
わー、すごいなー。そうあるべきだと思ってるんだけど、やっぱり日本の会社はそうなってないんだよね。
やっぱり上の人とかにすごい気を使うというか忖度するというか、疑問なんか差し挟んではいけないみたいな、そういう空気感があって。
それがやっぱり日本の教育だよね。教師に対して疑問投げかけちゃいけないみたいなのがあったと思うんですよ。
そこはね、やっぱり変えていきたいなっていうふうに。
すごく核心がついてていいと思う。それが正しいことだと思うけど、実際にそうできるかどうかは、ちょっとまた現実の壁みたいなのがあるかもしれないけど、間違いなく方向性としてはいい方向だと思うけどね。
もう1個、この人たちが素晴らしいなと思うのは、楽しんでる感じ。会話自体が楽しいっていうのもあって、
あ、そうそうそうそうとかさ、なんていうのかな、会話がライトすぎない、ライトなんだけど内容はしっかりしてるっていう感じ。
なんかそれぞれ誰が何言っても、なんかこういい反応があって、いいねいいねそれって言ったりとか、
あーこっちは刺激を受けて、なんか3個くらいいろいろ楽しいアイデアが浮かんだっていう感じで、ネガティブじゃないし、重くないし、
そこがなんか、普段、なんだろうね、ここら辺の人と話してもこうならないよなーっていう、楽しむ力、反応する力みたいなのもやっぱり3人にはあるなーと思ってる。
あ、3人って誰の話?
えっと、その超相対性理論の。
あ、そっちか。あ、やっぱりその、会社の中の話かと思って。
あ、違う違う違う。なんで面白いかってところに戻ってて、
あーそっかそっかそっか。
で、楽しむ力がいいなと。
まあ、もしくは別の言い方をすれば、お互いリスペクトをすごいしてるから、なんかこう、お互い言ったことに対して、なんかこう、いい返しできないかなーって思っている、この姿勢が滲み出てる。
3人について、結構みんなその、ロジカルにものを考えるっていうのは共通なんだけど、結構みんな個性が際立っていて、それも良さに磨きをかけてるなっていう感じがしていて、
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結構ね、深井さんは、マクロに物事を見て、結構ドライにざっくり大枠を捉えて、物事を見てるなっていう、多いなーって気がしていて、渡邉さんはどっちかっていうと、
ミクロなのかな。結構細かい。すごいウエットな感じで、すごい繊細な感性みたいなのを大事にしてるような感じがして、結構なんか固有名詞とかさ、人の名前とかさ、すごい細かく出してくる。
確かに。そうだね。
深井さん、逆にそういうの全然気にしないんだよね。誰が言ったかとか。細かい話とか。
ソースは知らんけどっていう。
そこの対比がまず面白いのと、荒木さんはどっちかっていうとバランス?
その2人の特徴をうまく捉えて、そこでうまくバランスをとって全体を整えていこうとしてるような、お兄さん的な立場。
そこがなんかすごい良い感じに混じり合って。
バランスとか、それぞれ違うものを持ってる。
その、科学反応より面白く、ちょっとなんか要因かなっていう感じ。
深井さんのその、たまに言葉遣いが結構荒くなったりというかざっくり、ドライな感じっていうのはさ、確かによく感じるんだけど、他の2人はそれに比べると言葉遣いもすごい丁寧な感じがする。
気をつけて発言してる感じが。
もしくは普段からしてるから勝手にそうなっちゃってるだけなのかなと。
自分を見てて、自分が深井さんにすげー似てるなっていうふうに思うんだよね。
考え方とか。
結構細かいことを切り捨てるところとか。
似てるなーって思うんだよね。
気をつけなきゃなーって思うんだけど。
なんか昔さ、なんだっけな。
Facebookかなんかで、俺が日常的な何気ないのを投稿しても、そんなの意味ないじゃんみたいな発言をしたんだよね。
そこに何の学びもないじゃんみたいな意味合いで俺は言ったんだけど、それに対してしおくんがね、疑義を唱えてきたんだよね、そのときね。
あ、そうなの?全然覚えてない。
そんなことないだろうみたいな。
俺すごいそれ覚えてんだよね。
高校生?大学生?
大学…フェイスブックっていつからあったんだろうね。
大学の後半だね。大学1,2,3はたぶんミクシーとかがあったから、その大学卒業とかじゃないかな。社会人になったぐらいかな。
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そうそう、そのときやっぱりこじらせてたんだと思うんだけどね、俺も。
みんな結構何気ない日常みたいなのを普通流すわけじゃないですか。
そんなの何の意味もないじゃんみたいなことをなんか言ったんだよね、俺が。
それに対して、いやそんなことないと思うよみたいなのを言ってきたんだよね。
すごいね、覚えてる。
全然覚えてないわ。
自分のドライな部分があらわにされたエピソードとして覚えてます。
しおくんは、どっちかっていうとバランス型な気がするね。
なんかどっか一つだけ突き抜けるみたいのはあんまり好きじゃなさそうな感じがする。
全体を見てちゃんと調和を整えていくのが好きなタイプな気がする。
まさに自分も今考えててどのタイプなのかなとか思ったけど、そうだろうなと思って。
自分は別に渡邉さんみたいに細かいところまで追い求めてたり覚えてたりとかあんまりしないし、
かといって深井さんのようなのを聞いたときにちょっと荒いっていうのは、
言葉が荒いかもしれないけどちょっと言葉が乱暴だなって感じるときとかあったりはするし、
荒木さんが一番近いというか、共感する部分が多いような気はした。
3人の中でなんとしたら。
逆に自分は渡邉さんの要素が自分の中に全然ほとんどないなっていう感じがしていて、
深井さんと荒木さんの要素は自分の中に見出せるんだよね。
渡邉さんがすごい自分と違う感じがして気になるというか。
いつも自分と全然違う方向から話を飛ばしてくるから気になるね。
なんなんだこれはみたいな。
じゃあ仮に3人で何かポッドキャストやるとしたら、この渡邉さん役が必要ってこと?
そういう人がいるともしかしたらもうちょっと深みというか幅というかが出るような気もする。
そろそろ今30分以上経ってるんだけど、これってどうする?なんか切ってみる?一回。
ポッドキャストみたいな。
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いや、いいんじゃないかな。
そのままやって。そろそろ次の話題とかできますか。
次のトピック。
でもその前のトピックで言い忘れたこととかはない?
大丈夫よ。
じゃあ次は一番最初に語られた数字の奴隷というのと疑心暗鬼。
ここら辺がちょっと最初に話してみたいなと思ったと。
たぶん最初の数字の奴隷って企業で働いてると必ず数字を追ってたりするし、
ゲームとかやってても結構こういうのは身近に感じるところがあるのかなって。
これどうしようかね。この中で気になった問いをあるかみたいなところから始める。
しおくんがこの数字と疑心暗鬼と国語力っていうのを選んだところに何かしらのあれがあるのかなと思ってるから、
そこをちょっと聞かせていただけると、なんか引っかかったポイントみたいな。
一つ目の数字の奴隷は、前回雑談したときもそうだったけど、
経営者の本あったじゃん、宮台さんの本とか。
やっぱり自分自身が数字の奴隷どっぷりだなっていうのを感じていて、
資本主義のこの考え方。それに囚われていて、
それは宮台さんの言葉で言うシステム社会の歯車に見事にハマっている。
そこから脱却できるのかなみたいなのは、あの本を読んでるときもちょっと考えてたから、
このタイトル自体がやっぱり自分の中でも結構バシッと問いを投げかけてるなっていうのがあって。
その宮台さんの本との関連で言えば、
なんかこの3人も似たようなことを話してるなと思った。
この回だけじゃなくて、やっぱりこう、
Hookedっていう本が出てきたときに、世の中のアプリとかを使っていると、
裏でソフトエンジニアとか、データサイエンティストも実はそこには絡んでるんだけど、
いかにユーザーに長く滞在してもらえるかっていうのを考えて最適化して、
熱中させるかみたいな。
自分もそれをやってる側にどっちかというと入るのかなと思ってて、
それをいいと思ってたから、やっぱりこれじゃない方でどういうことができるのかなっていうのが、
自分の中で常に考えてることだし、
あとは仮に自分が起業するとしたら、
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こういうデータ分析とか最適化みたいなのを、
人のウェルビーイング、その人が得られてるものがあって、
それを助けるソフトウェアなり、サービスなりっていうのが作れたらいいなって思ってて、
それってどうやるんだろうなっていうのがかなり大きな希望が自分に常にあるから、
ちょっとこれを選んだ感じです。
なんだろうそれ。最初結構数字のどれにどっぷりだって言ってたじゃないですか。
それをアメリカにいるっていうのが結構大きい影響を与えてたりするのかな。
それともアメリカとか日本とかあんま関係なくどっぷりになってそうな感じなのかな。
もちろん複数の要因があるような気がするんだけど、
自分の中で効率がいいとか時間は限られているから早く何かをこなして、
より効率よく短い時間で何かうまくなって次に行こうとか、
より良く、より早くとかを自分の思考の癖じゃないけど常にやってきちゃってて、
さらにそれがアメリカ来て、周りもそういう人が集まってきているところだからより強化されてたとか、
それに何も疑問を持たない自分がいたことに気づいたみたいな感じ。
個人的には自分自身、僕ね、僕自身はあんまり数字のどれになってる感はあんま感じてなくて、
そこの差異が何なんだろうなっていうのがちょっと疑問だったんだよね。
だからアメリカのそういう環境にいるからそういう感じてるのか、
あのかなと思ったんだけども、もともとそういうタイプってことよね。
効率というか。
そうね、そういうところが多分あったんだろうなっていう気がする。
なんかあの、なんだっけな、
有事と平時みたいな話があったじゃないですか。
単一の尺度で勝ち負けとかさ、
強い弱いとかを測る世界ではやっぱその効率とかさ、
そういうのをやっぱり重視した方が強いんだろうね。
でもやっぱそれだけだとちょっとなんか見落としてしまうものがあるというか。
だから平時の時はちょっと一旦そのモードを切り替えて、
強さじゃないっていうのかな。
効率とかそういうところじゃないところに目を向けるっていうのが大事なんだろうなと思ってて。
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なんだろうな。
でも俺からすると、そういう効率とかを突き詰められるのがすごいと思うわけよね。
なんていうんだろうな。
たとえば受験勉強とかで言うと、
しおくんはもうかなり王道を通ってきたみたいなところがあるじゃないですか。
受験勉強っていうか、小さい頃から勉強していい学校に入ってとかさ。
そういうの俺できないんだよね。できなかったのよ。
だからそういうのもできるっていうか、そういうのがもちろんできたらいいと思うんだけど、
それはできたほうがいいんだけど、それだけだとちょっと寂しいよねっていう感じだよね。
あとはそのさ、数字の奴隷になっていると絶対上っていって、
結構ね、その奴隷になっている限り、どこに行っても多分絶望感があるんだよね。
つまり今王道というか、なんかうまくやっているように見えるみたいな、外から見ると。
でもその軸で測られた瞬間に、上には、たとえばアメリカに来てみると、
というよりはるかにそれを、中国とかインドから来たすごい奴らがいて、
いや、自分全然ダメだなみたいなことがある。
だから一瞬そうやって測られた瞬間に、誰しも、これは別に多分どこまで行ってもそうなんだけど、
もう絶対絶望を味わうっていう軸があって、これは結構辛いものがある。
辛いね、それは。
逆に俺はね、そういうのをなんとなく多分ね、感じ取って、
一つの価値尺度で戦ったら勝てないっていうのを察知して、
別の軸で勝負しようっていうふうに無意識にやっている感じがするんだよね。
それは俺もそうなんじゃないかなと。
なんかそういう感性がやっぱりある程度、敏感というか、
自分の心のざわつきみたいなのをうまくキャッチしてるんじゃないかなと。
そういうのをなんか無視しちゃう。
いや、それは気のせいだって言って、臭いものの蓋じゃないけど、
一瞬する自分がいるのを、今振り返ってみればしてるんじゃないかなって。
ないものねだりっていうかさ、
俺からするとそういうのができるのが羨ましいというか、
っていう見方あるけど、やっぱりお互いあるんだろうね。
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あるある。ないものねだりだし、
全部手に入れるっていうのは多分現実的に無理。
そこがどこに自分が向かいたいかとか、バランスなのか、
どっかそれが行き過ぎると体を壊すとか、
何かを著しく失っていくとなるか。
じゃあ、やっぱりその多様な価値軸みたいのを自分の中で、
新たな価値軸みたいのを見つけるっていうのが、
今の自分のやることなのかね、しおくんにとって。
そうだね、それはまず一つ。
だから結構この超相対性理論だったり、
経営の本とかも自分にとってはハッとさせられるというか、
他の軸を持つべきだという強烈なメッセージを受けて、
だしそうなった時にやっぱり心が落ち着くというか、
その一つの軸だけで図られていると、
その競争に置いていかれちゃいけないという恐怖心が常にあるから、
そうじゃなくていいということに自信を持って、根拠を持っていられるというか、
単純に競争についていけないから止まっているというよりは、
他の軸から見るとそれだけじゃないよねって言えるというか。
なるほどね。
そこはね、深いというか、
そういう世界で戦っているからこそ説得力のある発言ですね。
そうかな。
気がするな。
俺はそういうのから逃げ続けてきたような気がするんだよね、自分の中で。
そういうふうには思ってはいるんだけど、そう言ってもあんまり説得力がないというか、
逃げてただけじゃんみたいな。
そこも解釈っていくらでも付けようがあるっていうか、
同じ事象をいく通りにも解釈できるじゃん。
自分のやってきたこともどう意味付けするかみたいな。
それを逃げたって捉えるのか、
自分はそうやって他のものを感じていたからここはここで戦かなかったんだっていうのもあって、
それってどの解釈を選ぶかとかどの解釈を思いつくかって、
自分の自己肯定感っていうのかな。
自分に対して自信があるというか、
自分が信頼できるかどうかによってもどっちを選ぶかが変わってくるねって。
自己肯定感がある程度高いからそっちを、
自分はそこで戦っていけないと思ったからって選べたんじゃないかなって思って、
それすごく僕はいいなと思ってるんでね。
自己肯定感が高い状態。
そうだね、自己肯定感は割と高い方かもしれないね。
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なぜか知らないけど。
勝負してないから自分が勝てそうなところでし勝負してないからじゃないかな。
でもね、それ大事だよ。
やっぱり勝てるゲームを選ぶって世の中、
それがやっぱり、何だろう、
分かりやすいとこ、誰もが勝負してるところで勝負するのはもちろんいいけど、
自分しか勝てないゲームとか、自分が勝てるようなルールを作るっていうのが、
勝てるための一つの王道なんじゃないかなって思った。
なんかこれ弱さを探索するって話で、
弱いからこそそういう別解みたいなのが見えるみたいなのも、
そんな話してたかな。
なんかそういうの、超相対性理論じゃないかもしれないけど、
なんかどっかで聞いた気がしていて。
哺乳類とかもそうだよね。
人間が生まれて、弱いものが生まれてくるけど、
恐竜とか強いのじゃなくて、弱いからこそ生き残るみたいな。
確かに。
適応能力とかないものを作ることで、
自分の位置を作る、自分の居場所を作るっていうことができれば、
一種としてというか、
自分の生きる道を探せてるってことだもんね。
なるほどね。
あとちょっと雑談じゃないけど、
さっきのさ、なんで彼らっていうのは超相対性理論の人たちがいいなって言って、
いいなと思ったかっていうのに付け加えると、
彼らのスタートポイントがさ、
結論が出なくてもいいよねっていうところで始まってるじゃん。
だからそれを他の人と共有してこういうふうに雑談するって、
自分自身もあんまりやったことないっていう。
会社の人と話すと、で結論は?みたいになるだろうし。
だからそういう場合はやっぱり自分がやりたいなっていうのはちょっと思って。
そうなのよね。なんか答え出したがりだよね、みんなね。
そんなにきれいに答えが出ない、
それが何のせいで答えが出ないのかって、
自分の場合は単純に頭の回転がちょっとゆっくりであったり、
言語化の能力がなくて言葉に詰まってるだけなのかなと思うときもあるんだけど、
それを良しとしてくれるって結構自分の中ではありがたいなと思ってるんだよね。
ゆっくり考えられるっていう。
それを積み重ねて徐々に良くしていく感じ。
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それはすごく自分としてありがたいなと思う。
答えが明確なものとかすぐにわかるものって、
Googleとかで調べれば答えがわかりますみたいなやつって、
もう大事ではないと思うんだよね。
価値が下がってる。
答えがもうわかりきってるとか明確な答えがあるのって、
たぶんもうこの今の世界では大事じゃないんだと思うんだよね。
確かに確かに。
昔はもしかしたら大事だったのかもしれないけどね。
ある課題に対して適切な回答というか答えをぶつけるっていうのが大事だったと思うんだけど、
もうそこはそんなに大事じゃなくて、むしろ大事な問題って答えがない方が、
やっぱりよっぽどこの無限に広がる世界をどう切り取ってさ、どう解釈して、
どうそれに対して向き合っていくのかっていう、
ここのフェーズに入ってると思うんだよね。
そこにまだたぶん人間があんまり追いついてないんじゃないかなっていう、
人間の認知っていうのかな。
人間ってね、4次元以上測れない。
数式、3次元だったら可視化できるんだけど、
それ以上の話って、もはやわかんなくなるし、
あとはそれがそもそも数字というか測れるものじゃないものもいっぱいあって、
それをどうやって感じるかってかなり難しいよね。
その中でバランスを取ろうとか言っても、
どっちがバランス取れてるんだっけってなるでしょ。
だからもう答えが、答えなんかもわかんないし、
モヤモヤしつつ、行くしかないっていうスタンスを持てないと、
たぶん大事なことってもう何も答えられないんじゃないかな。
だからネガティブ・ケイパビリティがいるんじゃないですかね
本当、そこで自信を持ってそういうふうに言えるっていうのは素晴らしいなと思う。
でも、しおくんもそう思うでしょ?
そういうふうに言われたらそう思うんだけど、
自分が結論を出せない。
例えば職場の人と話してるときに自分が結論を出せない、
素早く結論を出せない、もしくは出したくないなと思っているのが、
理由としてそれがパッと浮かぶかっていうと、
どうだろう、浮かんだかなみたいな感じ。
言語化してくれたからそうだかねって思うんだけど。
51:02
なるほど。
それも普段から言語化してないと出てこないんだろうなって思った。
なるほどね。
次回へ続きません。