メタ認知の功罪について考える(その1)です。メメタァ


【今回の内容】

対話は心の清涼剤/LISTENの文字起こし革命/メタ認知の功罪/こころ此処に在らず/そもそもメタ認知って何?/孤独が好きな人の理由/相対化しないとメタ認知できない/メタ認知主義者のバイブル「コテンラジオ」/趣味はメタ認知です/スト2で得た世界認識の崩壊/こころが楽になるメタ認知


■LISTEN(AI文字起こし)

https://listen.style/p/hack-myself-fm


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

https://forms.gle/zGGArQTnfGuKY6Pj9


※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #メタ認知 #LISTEN #コテンラジオ

サマリー

最近、忙しい状況になってきたので、このラジオが心のリフレッシュになっていることをパートナーと話し合っています。また、メタ認知のメリットとデメリットについても触れています。メタ認知の知識を身につけるために、古典ラジオを聴いたことがきっかけで、自分の長年の趣味や興味にもメタ認知的な要素があることに気付きました。さらに、読書や旅行の経験もメタ認知の良さを感じるきっかけとなっています。

ラジオが心の清涼剤に
始めますか。 じゃあ。 ああそうだそうだ。
なんかあの、そっちに任せるって言ったけどさ、あの、なんだっけ、最近さ、ちょっと俺、忙しくなってきて仕事が。
おお、そうか。 で、それで、なんかね、このラジオが
結構ね、心の清涼剤みたいな感じになってるんだよね。 おお、なるほど。
だから、これは、なんだろうなぁ、
辞めたくないというか、ずらしたくないなっていうふうに。 OK、ずらしたくないっていうのはどういうこと?
あーなんかね、今会社で論文大会みたいなのがあって、その論文大会に応募しなきゃいけなくなって。
で、それでいろいろその準備とかしていて、ちょっと余裕が
失われきってきていて、なんか次の週とかにずらしてもらった方がいいかなーとかって考えたんだけど、
なんかそうすると俺の心がなんか持たないような気がして。 だからこの場でちょっとこういうふうに喋ることが自分のなんだろう、魂をこう浄化しているというか、
そういう効果があるなっていうふうに。 息抜きって言うのかね、なんか。 いいね、僕もなんか似たような感じでさ、
そこまで忙しくなってきた気はするんだけど、やっぱりこう、ここで話すことを何しようかなーって考えること自体は結構楽しみになってきてて、
いいリズムというか、生活の一部になってきたなーっていうのは感じるし、ありがたいなーって思ってる。
そうだね。
あとは本読んだりとかさ、こうやって動画この前シェアしてくれたりするじゃん。
これをまたじゃあこの場でとか、いつか話すにはどうしたらいいかって、こうやっぱアウトプット考えるからさ、なんかね、いいんだよね。日々アンテナの張り方が変わるから。
いやーこれみんなやったほうがいいよ。
みんなやったほうがいいよこれ。
なんかあのリッスンだっけ?文字起こしのやつ?
LISTEN。
なんかいろんなポッドキャストを検索しやすくなったかわかんないけど、なんかそれで似たようなことをさ、話している人が見つけやすくなったのも、なんかあれはあれでも面白かったね。
あ、そうなんだよね。ちょうどそのつい先週ぐらいかな、LISTENっていう新しいサービスを見つけて、で、そこに自分のポッドキャストを登録すると、文字起こししてくれるんだよね、AIが。
で、その文字起こししてくれたやつを検索とかできるようになっていて、で、自分がね興味あるワードとかで検索すると、それを話している別のポッドキャストのチャンネルとかが出てくると。
で、それで新しいポッドキャストとか、自分の興味関心の近いポッドキャストみたいのが探しやすくなったと。
これはね革命的ですね。
やっぱなんかあえて探せるっていうことをやっぱ経験してなかったから、で、ポッドキャストってやっぱ探しにくかったよね、基本的に内容、話している内容でさ、で、エピソードをまたいで探すとか、あの、この内容を探したいっていう目的があってもさ、なかなかさ、たどり着けなかった気がするんだよね。
だからあれはなんか検索したいっていう人にとってはありがたいよね、やっぱり。
そうだね。
うん。
今回のテーマそろそろ入ってもいいかな、そしたら。
はいはい、どうぞ。
で、あの今回のテーマは、あの前回ちょっと雑談っぽく今後何話そうかって言ったときにさ、我々こうメタ認知いいねってなって、いろいろ始めて、このポッドキャスト始めたけどさ、みたいな。
で、メタ認知がいいっていうスタンスで基本的に動いてるんだけど。
はい。
なんかちょっと最近メタ認知の、まあ功罪の罪じゃないけど、もしかしたら何かこうネガティブな部分もあるのかなっていうのを感じたりとか、まあちらっとこう頭をよぎるような瞬間みたいなのが出てきて。
マジで。
だからいや、やっぱり物事ってさ、裏表じゃん。だからそれがメタ認知でもさ、常にこう見ることじゃん、歴史とか偉人とか。
うんうん。
いいって見えるけど裏もあるよみたいな。で、やっぱりそれってメタ認知にも当てはまるんじゃないかなっていうのがあって、
まあだからタイトルとしてはメタ認知の功罪っていうことで、まあメタ認知めっちゃいいと思ってるけど、
まあその良い面もね、改めて言語化してみたりとか、まあどんなところが良かったのかっていうのも見るのもいいなと思うし、
一方で、いやこれってでもどういうところでは役に立たないとか、むしろもしかしたら邪魔になるとか、
負の面があるのかなみたいなのがちょっと話せたらいいなと思ったので。
なるほど。
今回のそれがテーマですと。
了解です。
これまでね、メタ認知が大事だみたいなことを散々言ってて、
でもいいよね、その裏側もちゃんと見てみようみたいな意識。
やっぱりあの超相対性理論とかコテンとかではあんまりその面って強調はしてないような気がする。
そうだね確かに。
メタ認知を押してるから。
聞いたことない。
あんまり、まあちらっと会話の中で言ってるかなぐらいで、やっぱりメッセージとしてはメタ認知をしましょうっていうことがメッセージだから、
そういうところは押してないなっていう気はして。
ちなみにそのメタ認知でマイナス的な、ネガティブ的なのってどういうのを感じてるの?
そこからもう言っちゃう?
もう言っちゃう?
なんかいいとこから話したから。
メタ認知のメリット
まあ、そうね、えっと、そのじゃあ、先に罪の方からちょっと話しちゃうか。
で、まあなんか感じるのはさ、そのメタ認知をするって、まあ俯瞰してみるとかこう一歩下がってみるっていう作業だと思うんだけど、
なんかそういうふうにその態度を取ろうとしてるとさ、なんか現場にいれなくなるみたいな感じ?
で、こう観察者の立場を取ろうとすると、なんか自分の手が止まったりとか、
結構目の前のことに対してはおろそかなるみたいな側面ってどうしてもあったりしないかなっていうのが一つ。
なんかその、本当に自分は当事者なのに当事者じゃない感じになって、
で、それが例えばチームワークをするとか、まあその人間関係、友人とか家族との関係もなんかそこに、
なんかこう一歩距離を置いてる感じになるのかなとか、なんかそういう側面でないかなと思ったんだよね。
はいはいはいはい。
で、しかもそれはまあ自分のモチベーションというかエネルギーの問題なのかもしれないけど、
それがちょっとこう、メタ認知してなかったらどっちかというと没頭してたりとか、
一側面しか見てないから迷いがないとか、
エネルギーをこうとんがらしてる感じがするんだけど、
それがまあ一人称としては、なんかそれがちょっと減る可能性があるのかなっていうのが一つ。
で、もう一個はそれを見た第二人者が、なんかこいつちょっと斜に構えてるんじゃないみたいな、
もしくは距離を置いてるんじゃないかっていうこと自体をどう捉えるかがちょっと微妙というか、
例えばそれが家族とかだったら、なんかこう、なんていうのかな、
その態度が気に入らないみたいなこととかありえんのかなとか、
当事者じゃない感じ。
で、えっと、例えばそのウクライナの戦争の回をさ、
コテンで扱ってたり、あのまあ超相対性理論でも喋ってたかもしれないけど、
あの時もさ、こうやって第三者が戦争について話せるのは特権だとか、
こういうことは当事者には言えないみたいなこと言ってたと思うんだけど、
やっぱり当事者である時には、メタ認知は発揮しない方がいいんじゃないかなとか思ったりしたんだよね。
っていうのが一つ。
それが一つ?もう一個あんの?
メタ認知のデメリット
一つっていうか、まあそういう点が最近ちょっと思ってたところ。
なるほどね。
それさ、俺が今聞いてさ、思ったのがさ、
前々回の価値の回で話した内容の何回目かで、
万国の労働者をメタ認知せよ!っていうタイトルつけたのね。
で、その時ね、俺思ったのが、あれこれメタ認知の使い方合ってるかなってちょっと悩んだんだよね。
で、我々が話してたのってさ、歴史を学ぶことで時間軸的な相対化をするとか、
例えば海外のいろんな国に行ってみることで空間的な相対化をしようっていうような話をしてたと思うんだよね、その回で。
してたね。
で、相対化の話してるんだけど、メタ認知っていう言葉を使ってて、相対化とメタ認知は違うのかなとか、
だから我々が言ってるのってメタ認知、メタ認知って何なんだろうっていうところがね、わかんなくなっちゃったんだよね。
そうだよね、面白いね。
メタ認知って何なんだろうね。
そうね、あとはメタ認知っていつ起こってるのかとか、あとはその使い方って言ったじゃん。
なんか使い方間違ってるのかなって言ったけど、やっぱり使いどころってあるのかなとかね、発揮するタイミングとか、
そこをメタ認知してないと、何にも対しても尺子定規のように当てはめてメタ認知だって言ってると多分痛いめあうんじゃないかなっていうのが、なんとなく薄々感じてきたこと?
はいはいはい。
なんか結局、例えば資本主義一辺倒の人と同じ、
メタ認知主義みたいな。
そうそうそう、そういうことになるなーっていう気がしていて。
で、なんか使いどころとか、バランスじゃないけどをちゃんと分けまえて、
それができないと結局メタ認知できてないことにもなるし、
そうね。
だからメタ認知って何って話だけど、僕の中では第一人者じゃなくて、自分を第三者の視点から見るとか、
自分を含めた周りの世界を第三者視点で見直すっていうことだと思うんだよね。
はいはいはい。
で、それって自分もデータポイントの一つで相対化するとか、自分が見ているものを相対化、他のデータと比べてみるっていう作業かなと思うんだけど、
なんかイメージとして幽体離脱みたいなのをしてるんだよね。
うん、俺もそういうイメージある。
なんかゲームでもさ、よく幽体離脱とかしてる間みたいな時ってさ、時止まってたりしない?
その瞬間だけちょっと周りを見渡せるんだけど、敵が動きが止まってるみたいな。
でも世の中、実際にそれをやると、時は止まってなくて周りは動いてると。
で、幽体離脱してる自分だけフリーズしてるけど、おい戻ってこいみたいな、周りからは。
そういうことになるんじゃないかなと。
だから周りに人がいたり、自分は一生懸命走んなきゃいけない時は、メタ認知は発揮しない方がいいんじゃないかなと。逆に。
なんか俺だから一人が好きなのかもしれないなって思った。
なるほどね。
メタ認知っていうか、頭の中で何かが動いてるんだけど、外の世界はそれと連動してないから。
そうだよね。
外に合わせなきゃいけなくなると、自分の頭の中でさ、動かせなくなるから。
なんかそれが嫌だから俺一人が好きなのかなって思った。
邪魔されたくないってことね、その時間は。
そうだね。
人はそれを外に対応しなきゃみたいな圧力がかかるからってことかな。
なんかさ、さっきwikipediaでね、そのメタ認知っていうのを調べてみたんだけど、
メタ認知、ちょっと読むと、メタ認知とは、メタ(高次)のという言葉が指すように、自己の認知のあり方に対してそれをさらに認知することであるって書いてあるのね。
だから自分が今どういうふうに認知をしているのかっていうことを認知することがメタ認知だと思うんだよね。
だから、幽体離脱みたいな感じで自分を見てるっていうのはそうなんだが、それは相対化とイコールなのかっていうと、なんかちょっと違う?
まあ違うかもしれないね。例えば、自分の状態を認知するとか自分の解釈を認知するっていうことだけだったら相対化しなくても一応できるのかな。
自分はこんな気持ちだとか、それを客観的に見直して言語化できたら、一応メタ認知だよね。
自分が例えば怒っていたら、俺は今怒っているなって認知することがメタ認知っていう。
そうだね、と思う。
で、相対化は、相対化っていうのもさ、相対化しないとメタ認知できないんじゃないかなと思ったね。
やっぱり常に怒っている人は怒っているっていうことが当たり前だから、自分が怒っているっていうことを認知できない気がするんだよね。
それは面白い。レビィ・ストロースの回の境界を作るみたいなやつと同じかもしれない。
人ってそのデータポイントしかないとさ、境界を作る意味ないから、そこに違いがあってグラデーションがあるから、
こっち側は怒っている、こっち側は怒っていないって人間は認知し始めるみたいな感じかな。
あ、老いの回かな。
だから怒っているっていう感情と、例えば喜んでいるとか、悲しんでいるとか、退屈しているとか、
なんかそういうのが相対的に配置してあって、初めて自分は怒っているんだなっていうのが認知できるので、
だからメタ認知をするための準備を整えることが相対化なのかな。
相対化して初めてメタ認知ができるみたいな感じ。
結構じゃあやっぱり本質的には近い作業ではあるってこと?
近い。でも厳密に言うと違うのかなっていうのはあるね。
でもそこはあんまり分ける意味もそんなないかもしれないけどね。
とりあえずメタ認知イコール相対化ということでちょっと話を進めましょうか。
そもそも今回考えていたのは、メタ認知のいい点とか、
メタ認知の発見と統合
そもそもどうやってメタ認知を知ったりとか、いいなと思うようになったのかみたいなところも一回振り返って聞いてみたいなと思ってて。
ある回では超相対性とか宮台さんの本って話があったんだけど、
もう一回功の部分、どんなところをいいと思ってこの方向を進み始めたんだっけみたいなところも一回、
メタ認知というか功罪を知るという意味の功をちゃんと認識してみたいなと思ったんだよね。
我々はなんでメタ認知が良いと思ったのかってこと?
どういう時に発揮できるのかとか発揮したらいいのかっていうのを知るためには、
両面見たほうがいいかなと思ってて。
いいよ、なるほど。
なんでメタ認知がいいと思ったか。
僕に宮台さんの本を紹介する前からも多分とよだくんは活動というか、
いろいろ見たり読んだりしてたじゃん、多分。
だからそこの話ってあんまり聞いてないかなと思って、
僕がメタ認知がいいなと思い始める前の状態。
メタ認知っていう言葉を明確に意識し始めたのはコテンラジオを聞いてからなんだよね。
なるほどね。
それまでにメタ認知っていう言葉はどこかで聞いたかもしれないけど、
あんまりそんなに意識してなかったというか、
頭の片隅のどこか奥のほうにしまわれている言葉みたいな感じだったんだよ。
コテンラジオを聞いてやたらとメタ認知メタ認知言ってるから、
メタ認知って結構重要な概念なんだなっていうことをそこで初めて認識したと。
でも自分が結構歴史が好きだったりとか海外旅行が好きだったっていうのは、
多分メタ認知っていうことは意識してなかったんだけど、
多分メタ認知するのが好きだったんだと思うんだよね。
なるほどね。
メタ認知する、無意識に多分メタ認知的なことを体なのか心なのかが欲していて、
それを自然とやっていたのかなと思ってるな。
なるほどね。今まで自分のやってたことをうまく説明してくれた感じ?
そうだね。
メタ認知という言葉が。
今まで自分が興味があっていろいろやってたことが、
メタ認知っていう言葉で一つ統合された感じがするね。
なるほどね。
それで自分も結構、中学とか高校とか大学もかな結構こじらせてたと思うけど、
だんだん生きるのが楽になってきてる感じがあるんだよね。
歴史を勉強したり海外を行くようになったりとかして。
だから体感としてメタ認知はいいぞってコテンラジオが言っていて、
なるほど、これをメタ認知というのねっていうふうに分かって、
確かにいいよねみたいな。
僕もそう思ってたわみたいな。そんな感じだな。
その原体験がコテンラジオによって具現化というか、改めて意識化されたってことか。
趣味や興味のメタ認知の要素
問いの立て方っていう本もさ、紹介してくれたじゃん。
あの中に、やっぱり問いを立てたときに、なぜその問いを立てたのかとか、
さらにその後ろのその人の背景というか観念とか、歴史を探ってみるみたいな話があって、
今まさにそういうことやってるなと思ったんだよね。
その人がメタ認知は何がいいのかって言ったときに、
さらにとよだくんがなぜそういうことに興味を持ち始めたのかとか、
その裏にあるマインドセットみたいな、もしくは歴史というか活動、
なんかそういうのをちょっと見れた気がする。
そう。
でもなんでじゃあ俺歴史が好きだったのかなとか海外旅行が好きだったのかなっていうのは、
なんかよくわかんないんだけどね。
そのときの周りの雰囲気とか、
当時友人とか先生、家族が影響を与えた可能性っていうのはあるのかな。
えー。
もしくはメディアなのか。
歴史で言えば前言ったけど、学びと教育の会で言ったけど、
浪人時代の予備校で歴史の授業が面白かったっていうのが明確なきっかけだよね。
そこで自分の、なんだ、世界の狭さみたいのに気づかされて、
自分の知らない視野の外に、
自分の知らない世界がこれだけたくさん広がってるんだっていうことを認識して、
そこでじゃあそこを埋めたくなったっていう。
だから学びたくなるみたいな感じだよね。
海外旅行はこれも明確で、
しおくんと一緒に上海に行ったのがきっかけだよね。
あ、そうなんだっけ。
それが最初なんだっけ。
あれで、そうそうそう。
それまで自分の意思で海外に行くっていうことはしてなかったので、
一緒に中国に行ったときも、なんだろうな、
あんま期待してなかったんだよね。
あ、そうなんだ。
そのとき行くまでの中国のイメージって、
俺の中でストリートファイター2ってわかる?
うん、わかるよ。
やったことある?
あるよ。
ストリートファイター2の春麗のステージ、わかる?
ああいうイメージ。
春麗はわかるけど、春麗のステージはわかんない。
春麗のステージわかんない?
後ろでさ、チャリンコ乗ってるおじちゃんがチャリンチャリーンって通ったり、
店の軒先にニワトリの死骸がぶら下がってたりとかさ、
そういうイメージ。
あ、これね。
そうそうそう。
そういう感じだと思っていたんだよ。
そのイメージで、上海の高層ビル群とかに行ったので、
なんかそのギャップ?ギャップがあまりにもデカすぎて、
なんかその自分の世界認識が現実とこんなにずれてるんだっていうところにまたそこも衝撃を受けて、
それでいろんな国行って、直接自分の目で見たいなっていうのがあって、それでいろいろ行くようになったね。
そのギャップが面白かったわけね。
だから自分、今ある自分っていうデータポイントの外にデータポイントがあるんだっていうことを認知したからかな。
そこからそれが趣味になっちゃったっていう感じ。
ちなみにそっち側は明確なメタ認知とかがいいなって思い始めたエピソードとか。
やっぱりとよだくんに勧められて宮台さんの本を読んだのと、超相対性理論が明確なきっかけかな。
あれはどの回だっけ?学びの回だっけ?この話し始めたのって。
あ、価値の回かな。
やっぱり宮台さんの本読んだときに、自分は資本主義とか効率化が正しいとかいいことだって思ってたけど、
それだけじゃやっぱりうまくいかないかもしれないっていうのを、
自分の生活とか人間関係とかを通して、なんとなくうすうす感じたときに、
パッとその本読んで、確かにそうかもしれないなと。
自分が一つ思ってたことの外にデータポイントがあるってことを認識して、
っていうのを多分その本を通して、まず体験したりして。
それが結構その時自分は精神的につらかったんだけど、うまく解消できたんだよね。
そういうふうにすることによって。
自分は意外と間違ってたかもしれないとかっていうのを割と素直に受け入れさせてくれた。
やっぱ自分が正しくないかもしれないって結構大変な作業だと思うんだよね。
そうだよね。
それをなんかうまく外してくれたんだよね。
やっぱり自分間違ってるかもしれないと。
それが一つだから楽になったっていうか楽になったんだよねきっと。
凝り固まってた視点がちょっと複数視点になったことによって、
じゃあもうちょっと柔軟に考えれるかもなと。
それが一つ原体験でもあり、
あとは超相対性理論が純粋に楽しかったというかめっちゃ面白いなと思ったり、
こんなふうにいろんなことを、いろんな本を読んだりいろんな概念とかを理解して、
人と話して楽しめるっていうこと自体がめっちゃいいな、自分もやりたいなみたいなことは思った。
ああやって柔軟に考えれてるほうが、
人生も豊かになるというか楽しそうだなーっていうのは思った。
なんかちょっと憧れ的な感じで。
そうだよね。だから、このラジオのコンセプトである軸を増やすとかさ、観点を増やすとかさ、
それ自体やっぱりいいんだろうなーって思うよね。
それのことをメタ認知って言ってんのかな。
次回へ続く。
27:49

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