お金の本質について考える(その2)です。


【今回の内容】

お金儲けと罪悪感/アメリカ人のオカネ観/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神/日本は本当に資本主義国家なのか?/中国人の不動産信仰/資産の価値とは何か?/キャピタルゲインはモヤモヤする/住む場所によって人の価値が変わる/労働者と資本家のマインド/未知を自覚する/経済学を学びたい


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #お金 #不動産 #資本主義

日本人とアメリカ人のお金儲けに対する考え方の違い
ちょっと一旦、別の方向から話を進めていこうと思うんだけど、お金儲けっていうことに対して、結構罪悪感を感じるっていうものがあるのではないかと思ってて、特に日本人ってそういう傾向が強いような感じがするんだけど、逆にそっちアメリカとかにいて、
そういうのって感じたりするのかなとか、そういう話をちょっと聞いてみたいな。
面白いね。日本の方がそういうお金儲けが良くないみたいなのってあるよね。それ多分教育のせいなのか。
これって、何だろうね、儒教とか戦後の教育で、何かの教育方針の刷り込みみたいなのがあるんだよね。どれってちょっと特定できないんだけど、何かあるよね、日本人の考え方に。
あるね、この前渋谷で会って話したときも、値上げができなくて店を閉じた食堂の話とかしたもんね。
だからお客さんからお金をたくさんもらうっていうことに対して、何かこう、何だろう、後ろめたさというか、何か罪悪感的なのを感じているのかなっていうのもあるね、そこに。
で、アメリカは全くないね、それが。むしろ、より多く稼げる人がいいっていうすごいシンプルな基本主義を体現したような考えをみんな共有してるんじゃないかなと。
やっぱりそうなんだ。それは何が違うだろう?
なんかやっぱ、前回に話したんだけど、その基本主義っていうルールがアメリカにあります。でそれをいいと思う。
そのルールを合意してる人が集まってきてるから、そういうシステムが回ってるのかな。サッカーをやるって言ったときにさ、みんなサッカーのルールを知っててサッカープレーするじゃん。
だからゴールにボールを入れた人が勝ちですって合意してて、よいどんでスタートするじゃん。それと似たような感じで、アメリカの国内ではこれがルールです。そのルールっていうのがお金より儲けられる人が良いです。
でそれをいいと思う人、集まってきてくださいって言って外からいろいろ人を集って。で中にはアメリカに生まれてその考えを持ってない人もいるかもしれないけど、企業で働く限りというか、もしくはそうやって海外から僕みたいに集まってきてる人たちの間ではそういう概念が共有されてる感じはするよね。
なんかさお金をたくさん儲けてると、なんか悪いことして儲けてるんじゃないかみたいなのを日本人で結構感じる部分があるのかなと思うんだけど、アメリカ人はそういうのはないのか。
ないね。
たくさんお金を稼いでるってことは世の中にいいことをしてるからたくさんお金を稼いでるんだっていう感じなのかな。悪いことして大金を稼いでるっていうよりは、いいことをしてるからお金が儲けられるんでしょっていう。
どうだろうねその解釈が本当に統一的なものが何かあるかとちょっとそんなような、それがないような気もするんだけど、なんかたくさん儲ける方法を見つけたってすごいねみたいな、なんかいいねみたいな。
そういう感じか。
もちろん聞かれたら、でもそれって社会にこんだけの価値を提供したってことだよねって二言目にはそういうふうに解釈するかもしれないけど、なんか出るから出るぜっていう風にみんな最初から思ってるかというと、なんもない気がするね。
アメリカ人の資本主義に対するシンプルな基本主義
なんかさっきも言ったように数値化してて、数値化した瞬間奴隷になるじゃなくてそれを増やすことに執着してるっていうか。
で、それを良いとするっていう前提のとみんな動くみたいな感じ。あんまりそこに深いことを考えないで、いかにゲームというかサッカーを楽しむかみたいな感じに感じる。
で、サッカーのゲームが終わったとか休憩時間はもちろんいろんな考え方をしてる人がいたり、いろんな考え方を許容するような国でもあるから、もちろん24時間それだけを考えなきゃいけないってわけじゃないと思うけど、
基本的にはでもそういう資本主義のルールが根底に流れて、それに合意してる感じなのかなと思う。
なんかキリスト教のプロテスタントは、お金儲けは神の意思に従うことだっていうふうに考えてるっていうふうにマックスウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神で説かれてるらしいのよ。
だからアメリカとかイギリスとかドイツとかプロテスタント系が優勢な国が資本主義とうまく合致して発展したみたいなことを言ってるらしくて。
一生懸命働くっていうことが自分が神に選ばれてるっていう確信を得るための行為と繋がってるらしいんだよね。マックスウェーバー曰くね。
だからそういうところが根底にあるのかなと思ってさっきの話を聞いたんだけど、根底にはもしかしたらあるのかもしれないけど表面的にはそんなに宗教的な感じってわけでもないってことね。表面的に見ると。
彼がどの宗教原理に基づいて動いてるかって普段意識しないけど、キリスト教の人プロテスタントの人ユダヤ教の人とかいるとさ、実は違った原理で動いてるかもしれないね。
あとはイスラムの教の人とか。あんまりそこはでも普段仕事してる限りね、深く話さないから。どうだろう。やっぱり表面的に、特に僕は外国人だからかもしれないけど、表面的にはその資本主義のルールに合意して動いているように見える感じかな。
一応でも日本も資本主義のルールに合意してるってことになってるはずなんだけどね。
なってるかな。どうだろう。でもやっぱりその前回の食堂の例じゃないけど、合意してないようにも見えるんだよね。
建前上はでもなんか資本主義の民主主義の国ですっていう看板は掲げてるじゃない。だからそれは中国が一応建前上共産主義ですみたいなのを言ってるのと同じようなことなのかな。
なんかさ、一個思ったのがさ、日本はあんまり外から人が入ってこないで、みんな村社会、一つの大きな村だとしたらさ、資本主義ってお互いを蹴落とすみたいな側面があるけど、それをあまりしたくないっていう側面があるのかなと思ったので、みんなで仲良くやっていこうじゃないけど、相対的にそういう側面が強くて。
もちろん日本にもすごい企業いっぱいあって競争してて、世界と戦ってるからそんなこと思ってないと思うんだけど、一部に感情面ではそう思ってる人たちもいる。お金を例えば取るってことは相手を貶めるというか、そういう見方をしてる可能性があるのかなと。
一方でアメリカはさ、どんどん外から人を入れてくるから、自分以外みんな全力で走ってる。なんか陸上競技場の中で、マラソンでもいいや、周りからどんどん人が入ってきて、ダーって走ってる人がいると。
自分も遅れないように走んなきゃみたいな感じで、自然と資本主義のルールに従うルールみたいな流れができてるのかなと思って、かなりハイレベルでイメージで話す。
確かに競争とかあんまり好きじゃなさそう。一応建前上競争してるけど、してるようでしてないと思うんだよね。もう決まってるっていうかさ、ここは俺のテリトリーねみたいな。
日本とアメリカの資本主義の違い
あなたのテリトリーはこっちだから、そこはあんまりガチンコでやらないで、いい感じにしときましょうよみたいな。そういうのが結構あるような気がしていて。
中小企業とかわかんないんだけど、特に日本を動かしてる大企業みたいなのってさ、もう何十年もずっと同じような会社が同じような業界を牛耳ってるわけじゃない。
それって下剋上があって相手を蹴落としてどんどん企業が入れ替わるみたいな。いうのとは全然違うロジックで動いてる感じがするね。
それが資本主義っていって、全世界でアメリカとやりとりしたりすると、日本の企業が普段とは違う側面にさらされて大変な感じになるのかな。
なんかでもヨーロッパも似たような感じするんだけど、あんまり資本主義資本主義してない感じ。雇用をすごい守っててさ。
うん、そうだね。
なんかレイオフとかあるときに、やっぱ各国で色が違うと。で、アメリカはもう本当に企業がレイオフしますって言ったらバッサリ行けちゃうんだけど、
日本とかヨーロッパっていやいやいや、ローカルの法整備があって、やっぱり簡単に人を解雇できないと。
なんかそれって単純な資本主義のルールじゃない部分が入ってきて、法整備とかレギュレーションによってもうちょっとこうコミュニティを守る動きが入るじゃん。
それやっぱり民生とか文化、コミュニティの中で何か守ろうとしてるものの違い、マインドセットの違いみたいなのが現れてる気がするけどね。
僕も今その感覚としてアメリカみたいなすごい競争とかの社会では生きていけない気がしているし、
なんかあんまりそういう社会で暮らしたくはないなって思ってるから、やっぱりすごい日本人なんだろうなと思ってる、自分のことが。
でもそれだと今まではある程度国の中で閉じてそれで完結できたかもしれないけど、やっぱそういうグローバル市場みたいなところで戦っていくってなると厳しい方があるのかなっていうのがあってちょっと。
なんかさ20年前かな、わかんないけど10年前かな、グローバル化が云々っていうのをよく叫ばれた時にさ、日本はこのままじゃダメだっていう感じでよく言われてた気がするんだけど、なんだかんだこのね10年20年、まだ生きてるというかそんなにすごい勢いで変化をしてないような気がして、
でもどうなんだろうしてるのか。
ちょっとこの話し始めるとちょっと違うところに行っちゃいそうだね。やめとこうか。
もともとの価値の方に戻ります。
で、もう一個アメリカと日本の違いというかお金を儲けることに関する感覚の違いっていうのがあったと思うんだけど、
なんかあとアメリカにいて、例えばその中国人の友達とかと話したりするとやっぱなんかこう違った感覚を持ってるなーっていうのも感じるんだよね。
例えば、これもかなりサンプル数は限られてるからバイアスはかかってるかもしれないけど、中国人の友人夫婦は、例えばこっちに来て、まず子供持ってないんだけど家を買います。
で、家を買って、家は資産だっていう考え方があって、いい投資になると。
だからまず家を買いましょう。
で、それが子供を産むための準備です。
で、子供を産んで、で今度は家もさ、割とでかい家で親をアメリカに呼べるような家を買います。
で、その家で子供を産んで家族を増やしてみたいなのが、なんかこう中国人コミュニティで共有されてる典型的な価値観みたいなものかなと思って。
で、中には僕の友達でそれをさ反発というかしてる人もいるんだよね。
そういうのは一切従わないと。
でもなんかそういう大半はそういう考え方を持って動いてそうな感じです。
中国人と日本人の家に対する価値観の違い
そうだね。僕の妻が中国人なので、その親戚の話とかよく聞くんだけど、やっぱり男は家がないとダメらしいんだよね。
なるほどね。
全然こうまず男として認められないみたいなところがあるらしくて、若い自分の息子に親がマンションをプレゼントするみたいなのが結構普通らしくて、
息子が嫁さんを迎える時のために、でも若いからそんなにお金ないじゃない。だから親が息子にマンションを買ってやって、そのマンションを持ってるってことが結婚するための最低条件というか、そもそもそこがないと先に進めないみたいな。
そういう感覚があるっぽいね。
で、うちの妻のいとこがまだ今20代なんだけど、彼はやっぱりそういうのがあんまり好きじゃないというか、結構自由にしたいっていう感じらしいんだよね。
年齢によって結構考え方が違うのかな。年が上の方はやっぱりそういう家が大事だとか。
その男がとか女はっていうのが強いと。なんか日本と似てるね。やっぱりそういうのは世代毎にあるんだね。
やっぱりその家に対して結構執着があるなと思ってて、日本により比べて。で、アメリカと多分中国もだと思うんだけどさ、やっぱり家の価値って上がるんだよね。
でも日本ってさ、買った瞬間に価値が落ちて、そっちの価値は残るけどさ、上の建物の価値はもう30年経ったらゼロになるみたいな、そういう感覚なんだよね確か。
それが税制の違いとか国の方針の違い、あとは環境の違いかな。地震が多くて簡単にクラップビルドじゃないけど壊してはより建築基準の高いというか体制のあるものを常に持ってたいみたいなメンタリティが多分あるから。
そのせいで家って価値があるんだ、これ今後増えるものだって思うのかどうかで全然振る舞いが変わってきてる感じがする。
なんか前中国の奥さんの女の子の友達とご飯食べた時に言ってたのが、もう本当に土地とか不動産が下がるなんてことを全く考えてないみたいなんだよね。
そういう話を聞いている感じだと。俺はその日本のバブルの時のあれとかをなんとなく知ってるから、いやそんなことないでしょっていう風に思って聞いてるんだけど、本当にもうそこにもう一つの信仰みたいなのを感じたかな。
そうだよね、みんながみんなそれを信じてる限りやっぱ上がりそうだよね。確かにそれバブルっぽい感じもするよね。
不動産市場に対する信仰の違い
日本人はバブルが崩壊するまでは信じてたんじゃない?でもアメリカ人とかリーマンショックとかでサブプライムローンがどうのこうのみたいな話になってるにもかかわらず、やっぱり不動産とかそういうものは上がるみたいな感じはなくならないんだ。
そうだね、特に都市部はなかなか強い感じするね、それが。まずその建物自体の本当に耐久年数が長い。マンションとかアパートとか見てても1960年とか70年建てられた建物とか普通に住むからね。日本だとさ10年とか20年経っただけでももう古いみたいな感じないっけ?
あるある。
でこっちはそのリノベーションして、ペンキを外側塗り替えて綺麗にしたら、あ、見た目綺麗だね、いいねみたいな。でも箱は箱って感じで、土地とかもともとの骨組みみたいなのは残り続けてそこに価値が残ってるっていう感覚なのかな。
災害とかが多いからなのかな。
そうだと思うし、あと今回やっぱ日本で帰って思ったのが、それはでもベイエリアと比べるとかもしれないけど、そのね、湿気が多いとか、雨風がいろいろあって、やっぱり物が痛みやすいのかなとも思ったけどね。
まあしょうがないな。不動産の話になったな。
そうだね。あと何をそういう資産と思うか。資産って価値があるものっていう意味だと思うんだけど、さっき話したさ、ある人が困ってるからそれを解決して価値を提供するのとはまたなんか違う意味の価値があるような気がするんだよね。
どうなんだろう。ある不動産とかものに資産価値があるって言った時って、さっき言った価値の延長なんだろうか。
そうじゃない?誰かがそれを欲しがるから価値というか値段がつくわけで、その不動産だったら不動産を欲しがるってことは、欲しがってる人はその不動産を手に入れると何らかの困りごとが解決できるとか、何かができなかったことができるようになるとか、そういうのがあるから価値があるんだよね。
だからここは一緒なんじゃないかな。不動産みたいので価値を所有して誰かに価値を提供するのか、自分で手を動かすとか頭を動かすとかして価値を提供するのかっていうのは同じなのかなっていう気がしてるけど。
例えば誰かに何かをしてあげることでその人がハッピーになるとか問題解決しました、それに対して1万円払いますみたいな仕事があるとするじゃん。
一方で、さっき言った土地ってもともと住むためのものとか、そこでオフィスとかお店開いてどんだけのビジネスができるかっていうところを考えて値段がついたりすると思うんだけど、
例えばある土地が1億円だとして、さっきやってくれた1万円の仕事の1万倍の価値が本当にあるのかって言われると、その公式が本当になり立つのかちょっとわかんないというか、あんまり正確じゃない感じするんだよね。
インカムゲインとキャピタルゲイン
違う論理が働いちゃってて、僕らはもうお金を使うってことに合意してて、さっき言った測れないものいっぱいあるんだけど諦めてお金を売ってるから、違う分野を比べたときって本当は法定式が成り立ってないんじゃないかなとか思うんだよね、正確には。
なんだろう、さっきの手を動かして何らかの価値を生んで、その対価として何かをもらうっていうのはインカムゲインっぽい感じで、不動産が値上がりするとかっていうのはキャピタルゲイン。
だから、キャピタルゲインはどうなんだろう、確かにそこは違うロジックで動いてるから、キャピタルゲインにちょっと違和感というか、僕もあんまり好きじゃないんだよね。
ビットコインとかもそうじゃない? 安く買って誰かが欲しがるだろう、値上がりするだろうなっていうことを見越して買うわけじゃないですか。
だから、需給のバランスで値段が決まるって側面があると。で、前者の何回仕事して、例えば庭仕事したらいくらいくらもらえますみたいなのは、需給バランスっていう意味ではそんなに逼迫してない。
需給側も逼迫してないから、そういう影響を受けずに決まっちゃってる。なんかその土地と似ててさ、もう一個面白いというか変だなって感じるのがさ、人の値段っていうのはリクルートするときにある土地で人を採用すると値段が高かったり低かったりするわけよ。
同じ能力で同じ人なんだけど、例えばベイエリアである人を採用すると年収いくらっていうのが最低限ですみたいな。だけど日本で同じようなポジションというか同じような仕事内容なんだけど採用するといくらいくらですって言って。
でもなんかこう人の価値が移動するだけでさ、別に何十パーセント上がったりとか下がったりとかしないんだけど、すごい変わるんだよね。
とか、そのやってる仕事が違うから給料がさ、何百万とか違ったりとか何千万って差が開いたりして、需給でそれが決まったりしてると。なんか取りにくい人材だと値段が跳ね上がる。
その時の値段ってさっきのビットコインとかと似てるところがあって、みんなが取りたいけど取れないから値段が上がる。でもそれが資本主義なんだけどね。なんだろう、なんか自分の理解を超える何かがそこにある気がする。
なんかキャピタルゲイン狙い、さっきの話で言うと、なんかやっぱキャピタルゲイン狙いのところはなんかちょっとモヤモヤするんだよな。
特にインカムゲイン、何かをしてもらった対価でお金をもらうっていう考え方からすると、特に何もしてないのになんかお金が増えるっていうことがあるからか。
でもそれってさ、労働者のマインドセットで抜け出さなきゃいけないことかなと思ってて。実は。お金にお金を稼がせるみたいな。資産家の側にいかに早くなるかみたいなのがやっぱりアメリカにいるとさ、あるわけよね。
キャピタルゲインの話はちょっと扱い切れない感じがしてきた。
なんかこういうのって誰か、資産家の立場の話とか言ったりできたことあるよね。なんかゲストじゃないけど誰か。
前さ、俺に紹介してくれたよね、しおくんの友達でさ、証券会社かなんか働いてる。
彼はすごいお金っていうものに対して相当知見を持ってそうな感じがして、なんかそういう人の話を聞いてみたりしたいなって今思った。
とか経営者しているっていう人とかね。やっぱり雇われてる側って雇われてる側のマインドセット染まってるかもしれない。
中小企業でもいいしスタートアップでもいいし、なんかその経営してる側っていうとちょっとやっぱりマインドセットが、特にお金に対しては変わってるような気がする。
そうだね。ちょっとそうだね、自分が今見えてない部分がなんかあるなっていうところに気がついたので、ちょっとそこを探索したいっていう今気分になってるな。
結構自分の中でお金に対する考え方って、なんかもうこんなもんだろうみたいな感じで思ってた部分があるんだけど、まだまだわからないというか、未知の領域がたくさんありそうだなっていう感じを得たね、さっきのこの話をしてみて。
自分たちが知らないことを知らないっていうのがね、その部分を知るって結構難しいもん。どうやったら知らないことに気づけるかみたいな。
そこが一つの収穫。話的にはね、結構迷走してるというか、あんまり掴みどころがない会話になっちゃったのかなっていう感じがしてる。
そうね、とかもうちょっとなんかね、専門的に多分分析してるというか、経済学とかね、あと過去の資本論とか、いろんな人がこういうことを理論を提唱して話してる気もするんだよね。
経済学のミクロとマクロ
そういうカッチリしたもののバックグラウンドがないから、きっと言葉がモヤモヤしてすんじゃってるのかなと思った。
結構そういうマクロ経済的な本は多少読んできたりするんだけど、それでもやっぱりよくわかんないなっていうのもあるし、
そういうマクロ的なお金の動きと、ミクロ的というか、我々個人としてお金にどう向き合っていくかっていうのはだいぶ違うような気がしていて、話のポイントというか。
ミクロの方ってあんまり自分よくわかってないんだなっていうのがすごい感じたな今。
今ミクロって言ってるのはそのミクロ経済学って意味じゃなくて、自分がお金とどう向き合ってるか、他の人がどう向き合ってるかみたいなこと。
そういう感じ。個人としてのそのお金っていうものに対する関わりかなっていう。
続く。
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