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どうも、ここのサンカクです。質問、答えていこうかなと思うんですけれども、
サンカクさんが大切にしている心意気を教えてください。
えっとですね、私が大切にしている心意気というものは、えっと、才能ですね、結局。
才能という言葉を大切にしているのかもしれません。
よく私はね、Twitterで才能が欲しいと言っているんですけれども、
その才能というものは何なのかというところから、ちょっと説明していこうかなと思います。
私が思う才能というのは、まず、やってて苦じゃないことですね。
やってて楽しいな、これはやってて苦じゃないなって思えることがまず一つ。
二つ目が、いくらでも続けられる。どんだけやっても飽きないって言ったほうがいいかな。
常にやってられるとか飽きないとか、いつまでもできるっていうそういうことが二つ目です。
三つ目が、評価される。他人からね。この三つで初めて才能だと思うんです。
やってて苦じゃなくて、いつまでも続けられて、なおかつ他者から評価される。
この三つが私の中での才能の定義です。
この才能の定義を踏まえた上で、ありがたいことに私が続けている活動で、
面白いなとか評価してくれたりとかで、いいねを押してくれる。分かりやすい指標がありますよね。
いいと思ってくれたからいいねを押してもらえた。いいねを一つでももらえた瞬間、
それは評価されている他者に、それは才能として評価されるべきことなんです。
私の中では。一人でもいればね。
これがゼロいいねだった場合、誰からも評価されてない場合は、才能ではないわけですよ。
どんなに続けられても、どんなにやってて苦じゃなくても、それは才能じゃないという評価になります。
そういうことですね。
ツイッターで評価されていて、評価されればされるほどもっと評価されたいなって思うわけですよ。
これって貪欲な話なんですけど、でもこれって向上心とも言い換えられるじゃないですか。
だからこそ私は才能が欲しいと言い続けているわけですよ。
あなたには才能がありますと言われることがたまにあるんですけども、それはそれなわけですよ。
俺は才能を提示して評価された。だから一旦この才能はここに置いといて、
もっと評価されたいから別のことをやらないといけないってなったときに、もっと才能が欲しいってなるわけですよね。
一個何か終わりました、そしたらまた次のことをするわけですよ。
そしたらそれって別のことなわけ。同じこと何回もやってるわけじゃないから。
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例えばさ、同じものを作っている。全く同じものを作ろうと頑張っているってなったときに、
それが評価されたら次も同じものを作ったら、その評価って同じものに対しての評価じゃないですか。ほとんどね。
でも私は同じものをずっと作り続けてるわけじゃないから、その瞬間瞬間で評価っていうものの差が生まれるわけですよ。
例えば前回のポッドキャストはめちゃくちゃ面白かったな、めっちゃいいねついた、めっちゃ再生数伸びたなって思ってた次のやつで、
その流れで行こうと思って早めに出したってなったら、そっちはあんまり再生されなかった。
いいねがつかなかったってなったら、評価としては下がってるという見え方がするわけですよ。
ってなったときに、ああダメだったなってなるわけ。
でももっと何かしらの才能がないと無理だってなるから才能が欲しいとね、貪欲に言い続けているわけなんです。
あれは、何だろう、私には才能がないから才能が欲しいって言ってるわけじゃなくて、
次何かを目指すための才能がすぐに欲しいわけですよ。
才能が欲しいからあれを言ってるわけじゃなくて、次に目指すためにあれを言っているみたいな感覚ですね。
伝わりますでしょうか。
これがここの三角が大切にしている心意気というところになるんですけれども、
これをね続けたら何だろう、ストイックだねとかたまに言われるんですけど、全然ストイックじゃないんですよ。
っていうのもやりたいときにそれをやっていて、自分の心が乗っているときにそれが発動するわけですよね。
自分の心がこれを進めたい、もっとやりたいって思ってるけど、その体力的に続かないとか、
そういう何かの理由をつけてね、できないときにもっと才能があればな、すぐできるわけですよね。