前回の最後の方で、タカシさんが英語の勉強をしてると仰ってて
人に対して言う言葉が、自分に対してだと好き嫌いがあるから違ってくる
それがシュウとしては面白くて、日本語は自他の区別があまり違いがなく…
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収録日:4月9日
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感想
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00:03
前回からの続き。 でも人のことなんて分かんないんで。 うん。
どうぞお好きなようにっていう方がやっぱり ニュアンス的には合ってるのかな。
面白い! なんかそこにさっきの僕が言ったことの答えまでいかないけど傾向が一個あったのかなって思っちゃった。
日本ではその区別があんまりない状態で 喋れてしまう言語よりなのかなみたいなことを思いました。
べきの中に3番階ぐらいの表現があるといいですね。
そもそも主語つけないで会話しがちですもんね、日本語。 ね。
ほとんどそうです。 だからこそ自分に言ってるのか何に言ってるのか分からなくなるっていうのもあるんですよね。
そっか。主語つけましょうか、じゃあ。
いやー、主語つけようとかになるんですかね、これ。 シュウホウは。
シュウホウじゃなくてシュウショウ。
シュウさんがもう働かない方向を目指すべきだとか。
シュウさんが。
でも主語つけても、主語つけたら変わるのかな。
その人の状況によっちゃうから、主語つけると。
そっか、伝わり方は変わるのかもしれないですね。
日本人が主語つけないで言うときは、英語で言ったらウィンみたいな感じですよね。
全体に対して言ってるっていう感じになるんですよね。
ウィンがめっちゃ広いですよね。
今、バチンと来たって勝手に僕の的に思ってるんですけど、
だからアイメッセージって言うのが大事なんだって思いました。
例の村の。
例の村の。
例の村の。
なんだろう。
怪しい言い方にしちゃらんまずいかなみたいな。
むしろめっちゃ健全なティーチャーティーチャー村ですけどね。
アイメッセージっていう教えがあるってことですか。
結構あれですけど、割と一番有名じゃないけど。
03:00
確かに確かに。
例えばどんな。
僕は前、職場で聞きましたね。
職場でアイメッセージ?
僕、前ボーダレスグループの会社がやっている農業のアルバイトやってたんで、
ボーダレスの社員の人が上司みたいな感じだったから、
ボーダレスの社内でいろいろ流行ってる喋り方とか、
こういうワークをやるのが今流行ってるだとか、
それこそコテンラジオ、僕その人に聞いたんですよね。
その人からアイメッセージ。
具体的な使い方はどんな感じなんですか。
それは僕が辞めるときの話なんですけど。
僕がアルバイト先の社長に対するこういう理由で、
僕はちょっと無理ですみたいなことを言ったわけですよね。
社長に直接っていうよりはその理由として、
僕の上司にあたる、でも僕よりだいぶ若い人だったんですけどね。
その人にこういう理由で、今月いっぱいでみたいなのを伝えたときに、
その伝え方の中で僕が、
僕がどうこうだっていうよりはその社長がどうこうだみたいな言い方を、
多分LINEの文章で書いてたんですよ。
で、それをこれこれこういう感じのっていうふうな、
シューさんのアイメッセージとして捉えておきます。
って返事が来たんですね。
で、へーと思って、確かにそれは勝手な俺の都合だって思って、
アイメッセージめっちゃいいなってそのとき初めて思ったから、
もう5年以上前に聞いたのかな、最初に聞いたのは。
なるほど。
なんか子育ての本とか読んでるとよく、よくというかたまに出てきますよね。
そうなんですか。
あとなんか真剣ゼミのなんか雑誌とかに雑誌?
なんか届くじゃないですか。
付録じゃないか。
親の方へのなんか説明みたいなやつにもたまに書いてますね。
それはどういう使い方をしなさいって書いてあるんですか?
えっと、アイメッセージというメッセージがあるよっていうのと、
使い方をしなさいとは特に書いてないんだけど、
例えば子供に何か言うときに、
なんでしょう、例えばが出てこない。
例えば、なんか危険なところに行ってほしくないみたいなときに、
06:00
私はあなたがそこの危険な場所、そこに行ってほしくないから心配ですみたいな。
で、私はあなたがそこに行くのを心配ってちゃんと言わないといけない。
それをアイメッセージじゃなくて、
言うメッセージにすると、
言うメッセージ変換すると、
あなたはそこに行ったら危険ですとか、
あなたはそこに行ったらダメですって、
そういうことをしたらダメですっていうメッセージになるんだけど、
主語を私にして、
もうちょっと解決可能、自分の中で解決可能な言葉にして、
解決可能じゃないわ、なんて書いてあったかな?変換可能だったかな?忘れた。
なんちゃら可能な言葉にして言うことをアイメッセージって書いてあったんだけど。
へー。
何々しちゃいけません、ではなくて、
それをすると、お母さん心配だからやめて、みたいな感じですかね。
うんうん。
理由づけが結構明確になる。
確かにそうですね。
なんでやったらダメなのっていうのが、
言うメッセージだと伝われにくいってことですよね。
へー、なるほど。
子供ってバカだから、
いや、僕平気だし、みたいな。
私平気だし、みたいな感じで言うんで、
自分のものを止めるために、
あなたがこうなってしまったら私が悲しいから、とか。
守護の置き換えみたいな感じかな。
僕はアイメッセージの文脈はそういうふうに捉えてますけど、
結局その理解度を上げさせるためにどうするかみたいな。
そういうことですよね。確かに確かに。
明確に何かって言われると、
あなたがこうなっちゃうからやめてって言っても、
僕大丈夫だしって言われたらそれ以上反応がない。
アイメッセージだと、あなたがこうなったときに
私はとてもつらいからやめてくれっていうのは、
言ってることは同じですよね。
そうですね。でも一段階深まりますね、確かに理解は。
その発言の意味が生まれますからね。
そうですね。その人が発言しているっていう意味付けができますよね。
っていう感じかなと思いました。
それでも関係ねえって言ってる奴はしょうがないんですよね。
まあじゃあ言ったらいいんじゃないみたいな感じになりますね。
09:04
子供に対してじゃなくても大事ですよね。
恋人とかパートナーとかにも関係性が対等な場合でもね。
こうしてくれると嬉しいっていう方が、
伝え方としてはニュアンスが柔らかいですよね。
そうですね、確かに。
なんでLINE返事しないのって言われても、
言われてもというかっていうか、
LINEの返事がないと心配ですっていうか。
そうですね。
ってことですよね。
返事があったら嬉しいなとか。
そういうことですよね。
僕それも結構あるかもなあ。
子供と大人でなんで分けるんだろう的な感覚。
もうここで喋りたいネタの一つとして、
いつもうっすら持ってるかなあ。
仕事だと俺もでもiMessage使いますよ。
あ、そうなんですか。
その枕言葉的にも使うし、
ちょっと悪いんだけどこれやってくれたら助かるなとか。
たぶんiMessageの一種だと思う。
これやってるよりは、
ちょっと今こうで、これやってくれたらめっちゃ助かるわとか。
やってくれた後の話にしても、
ありがとうとかご苦労様とかだけではなくて助かったわって。
そうですね。確かに。
使ってますね。
知らないうちにみんなiMessageを使ってますね、そうやって言われると。
オブラートに包むっていう最初の動機はそっちなのに、
結果的にiMessageになってるみたいな。
オブラートに包みたいときになってる。
完璧な主従関係があったら必要ないんですけど。
そうですね。
確かに。
100%従う人には使う必要はないけどね。
でも何かをお願いしたり、その人の時間を使ったりみたいなときには、
やると楽かなと思うんです。
楽って言い方あるよね。
でも100%主従関係…。
僕はできてる自覚が全然ないんで、
だからこそこれ大事だよなって思ってるんだけど、
気ぬいたらめちゃくちゃ言うメッセージになっちゃってるんですよね。
意外。
イメージとしては、たいきさんは完全にiMessageで普段から話す癖がついている人なんじゃないかって思ってました。
12:05
うん。
なんだろう、できてないときにできてないってめっちゃ思いますね。
あー。
それだけそれをめちゃくちゃ意識できてるから。
でしょうね。
思って思いました。
私もそんな気がする。
全部言うメッセージの人は気がつかないですもんね。
気がつかないね。
たまに言うになっちゃうからこそ、あって思うんでしょうね。
そうか、両方あるのかもしれないな。
うーん。
でもそのiMessageに限らずみたいにこれも思ったんですよ。
あー。
さっきのべきの話に限らずみたいな感じで、
でもこれはこのiMessageに限らずっていうやつは、
一個直近の、直近って言っても前々回の収賞の収録のときに思ったんで、
一応そういう例として出せるんですけど、
でも前々回あの大輝くんはいたからわかるけど、
6人で喋ったとき。
おー。
うーん。
だからどこまで細かく説明するかっていうのがあれだけど、
キギさんが話題を持ってきてくれていて、
うーん。
えー、どこまで説明しようかな。
全部説明しようとするとめっちゃ長くなるもんな。
確かに。
えーっと、
アップ。
アップって。
ありがとうございます。
はい。
えーっと、
うーん。
キギさんがヨガの先生が言われたことに、
違和感を感じたっていう話で、
で、ざっくりいろんな表現が、
それぞれ6人もいたし、みんなそれぞれ違って面白いなみたいな感じだったけど、
なんか僕の感覚で言うと、みんな結構厳しいなーって思ったんですよ。
えー。
で、みんなが一致してたのが、その先生の言ってることは傲慢だ、みたいな。
うーん。
傲慢センサーみたいな感じで言ってたんですよね。
もう本当にざっくりで言っちゃうと、
なんか過去にすごい辛い経験をされて、
で、それをなんかもうだいぶ時間が経ってって言うんで、きっかけがあって、
そのヨガを教えてる生徒さんたちに、
その辛い経験を話して、
で、こんなひどい、
まあ、自分もその経験を話すのは勇気がいることだったけど、
15:01
こんなひどい経験よりはマシだっていう風に思って、
癒されてね、みたいに言ったっていうような話だったんですよ。
で、それに対してキギさん違和感を感じるみたいな話だったんですけど、
で、まあ要はその先生がこういう風な形で癒されてねっていう風に言うことは傲慢だみたいな表現があって、
まあ僕もそれ全然わかんなくはないんですけど、
なんかすげえ厳しいなって思ったんですよ、僕は。
うーん。
で、僕はその時たとえとして出したのが、
もうその子供だったとして、
子供だったとしていうか、
たとえ話として子供がお父さんの絵を描いて、
お父さんこの絵あげる、みたいな感じで。
で、この絵見て仕事いつも疲れてるから、
この絵見て元気出してね、みたいに言うみたいなのってあり得るじゃないですか。
これ全然架空の話なんですけど、
全く架空の話なんですけど、
そういう時にその子供に対して、
傲慢っていう風には思わないなーって僕は思ったんですよ。
ちょっと極端な例なんですけどね。
で、まあでも、
子供に対してはそれを、
まあまだ今後成長していってわかるようになるから、みたいにして、
こう、なんていうか、
その伸びしろを予想して、
そこを無理にというか、
傲慢みたいな風に判断して、
決めつけるみたいにしないけど、
大人が発言したことってなった時に、
みんな結構厳しいなって僕は思ったんですよね。
今の子供の話と、
ヨガノ先生の話の、
共通点がよくわからなかったです。
共通点と、
そのヨガノ先生も、
もうというか、
その時もまあいろんな話に及んだから、
あれなんですけど、
僕としてはやっぱ、
なんていうか、
まだその、なんていうか、
その話を聞くことで、
癒されてね、みたいなのも、
僕はまあ傲慢とまで思わないけど、
傲慢というか、
視点を矯正してるというか、
視野が狭いというか、
みたいな、
そういう要素があると思ったんですよね。
あの、
しゅうさんと桐井さんが2人で話されてる回に、
その話を、
桐井さんがしてましたよね。
あれを聞いたんですよ。
18:01
そうですね。
多分だけど、私の解釈は、
その先生がようやく話せるようになって、
人に話すっていうことで、
自分の傷を癒している、
そういう作業だなと思ったんですね。
その作業に生徒さんを付き合わせてしまった。
だけど先生としては、
その意識よりも、
この話でみんな、
あなたたちは幸せだと思ってねっていう。
だから、両者にとって、
ウィンウィンなことをしているって、
先生は思っているんだろうなと思ったんです。
ただ、桐井さんのような感性の方は、
ここで私は、
先生よりマシだ、やったって、
思わない人なので、
そんなふうに思えないし、
どう捉えたらいいんだろうって、
戸惑ってしまう、
そういう戸惑うようなことを、
先生に強いられてしまったっていう、
見方をもしするんであれば、
先生はちょっと傲慢っていう、
捉え方もできなくはないけど、
なんだろうって思ったんですね。
今の話と混ぜて考えると。
だから先生は自分を癒している。
そしてさらに、
人のためにもなるだろうと思った。
みたいな感じなのかな。
そういう状況なのかな。
でも結果的には、
それは成功しなかった。
桐井さんたちのね、戸惑いを考えると。
っていうところ。
だとすると、
さっきの子供が絵を描いて、
お父さんに渡したっていう、
どの共通点が分からないっていう感じ。
ごめんなさいね。
今話がまだ終わってなかったです。
ごめんなさい。
大丈夫ですか?
いやいや、
桐井さんの話が終わってないのに、
僕がぶって切っちゃったかなと思って。
一応そこが、
中小度を上げたときに、
多分何か共通点があるんだろうけど、
私にちょっと理解できなかったので、
口を挟んじゃいました。
全然です。
あの、
その話って本当に僕も、
めちゃくちゃいろいろ捉えようがあって、
ちょうどまた6人になっちゃった。
僕も含めて6人になっちゃったから、
それぞれ視点が違って、
本当に面白かったんですけど、
捉えようによっては、
ざっくり雑に捉えてしまうと、
その先生が傲慢っていうふうに、
言えなくもないなっていうのが、
僕の感覚だったんですね。
ほとんど僕以外の人が大体が、
傲慢みたいな感じで。
え?
こんばんは。
ごめんなさい。
ちょっと僕老眼で、
ちっちゃいとよくわかんないけど。
言わないほうがいいのかな、これ。
21:01
言っていいかわかんない。
大丈夫です。
はい。
たまちゃんです。
たまちゃん?
はい、たまちゃんです。
たまちゃん。
はい、僕のパートナーです。
たまちゃんって言うんですね。
ともちゃん。
ともちゃん。
初めまして。
初めましてでした。
こんばんは。
収録してるんだったら、
言えよって言ってました。
そんな笑顔でした。
すいません。
急に僕、考えながら喋ってて、
左斜め上を向いてて、
画面に視線を戻したら、
大輝くんが誰かに手を振っていて。
そしたら、ともちゃんっていう、
僕もちょっとオハツだったんで、
画面がちっちゃくて、
望眼鏡もなかったんで、すいません。
ともちゃんなんか素敵な方ですね。
こういうカメラだって思った。
でもあんなに笑顔が。
そう、ちゃんと笑顔。
そして手を振ってくれて、
すごい素敵。
ごめんなさい、
しゅーさんの話全部吸っとんじゃった。
すいません。
また実際、僕らがこれ、
話が下手すぎてね、
あれなんですけど、
だからその先生、
ざっくりかな、
ざっくりってさっきから言いながら、
全然ざっくり言えてないんですけど、
その先生が自分のことを癒すみたいな感覚で、
本当に言ってれば、
そういう言い方になるだろうっていう風に、
みんな言ってる感覚で聞こえたんですよね。
そういう風に言うだろうっていうのは、
どういう意味?
私が癒されるだけなんだけどね、
この話聞いてくれる?みたいな。
だったら、たぶんキギさんは、
いう風なモヤモヤはしなかったんじゃないかな。
この話を聞いて、
私の苦しさなんてマシだっていう風に、
癒されてねっていう表現が、
違和感あったって思ったんですよ。
それは確かに、
僕もちょっと視野が狭いかなって思ったんですよ。
それによって癒されるかどうかっていうのは、
人によるし、
それで癒されるっていうのは、
僕はなんとなく癒しとしては、
ぶっちゃけちょっと浅いんじゃないかなって、
人と比較して自分が上に立って、
安心するみたいな癒され方あって、
違和感ある人はめっちゃ違和感あるよなって思って、
その時もいろんな人来てたけど、
特にこのポッドキャスト界隈の人たちから見たら、
傲慢って言われちゃうことも、
わかんなくはないか。
でも厳しいなぐらいな感覚だったんですよ。
そうですね。
傲慢ってワードがちょっと厳しい印象がありますからね。
でもわかるなって気がしますね。
その意味で、
突き詰めていけば視野が狭いって言えなくもないっていう意味で、
その子供の例は、
視野が狭い例をなんとか僕が出そうとして、
無理矢理作った作り話なんですよ。
子供はこの絵を見て、
お仕事頑張れるんだろうなお父さんって思った。
24:02
そこの部分ですね。
そうそうそうそう。
全然それに誤魔化しても絶対ないんですけど、
例の出し方が下手すぎるっていうだけなんですよ。
でもその時言ってたのは、
人の感情をコントロールしようとしてるっていう傲慢さでしたよね。
先生も子供も。
僕が覚えているのは、
感情をコントロールするっていう風に感じていたのは、
大輝君とキギさんかなと思って。
僕がそう思ってたときか。
だけとは限りないけど、
別れてて面白いなって思ったんですよね。
ケイジ君はまたキャパシティっていう言い方をしてたりして、
いろいろあったんですよ。
あれ面白いんでまた今後流れるから聞いてほしいなとか思うんですけど。
でも僕は先生もまだ発展途上というか道中だみたいな感じで思って、
その時点でその視点が足りないことに対して、
その傲慢みたいにあんまり感じないって言ったら嘘になるけど、
全然そこを突っ込むほどのものと捉えなかったんですよね。
捉える感覚になれなかったんですよね。
あるあるみたいな、あるよねみたいな感覚だったんですよ。
それが唯一僕が出せる例だったんですけど、
子供に対しては、まだ子供だしねみたいな。
許せる、許容できるみたいな。
それが今後例えばiメッセージとかを使って自分で学べるような、
みたいな感じの接し方が子供に対してはいいことだよねって言ってどんどん推奨されてるけど、
子と大人になった瞬間にみんな結構厳しくなるなみたいな体感があるんですよね、僕の中で。
そこを、キギさんの話の時にみんなめっちゃ厳しいなって言う時にも、
同じように感じたっていう感じだったのかなって思ったんで、
珍しく僕が事例を覚えてるっていう経緯なことだったんで、ちょっと説明下手だったんですけど。
ちなみに僕がその時子供に対しての罪悪感、罪悪感じゃないわ。
傲慢さを感じないって言ったのは子供だからっていうのはもちろんあるんだけどっていうよりも、
なんか関係性だったんですよね。
対等な関係か、権力勾配があるかどうかで、先生と生徒だったら権力差があるから、
それは傲慢さなんだけど、子供からだったら権力差が、
27:02
権力差はあるんだけど、その勾配が逆だから、傲慢って言えないよなって思ったなって言ったかどうかは覚えてないけど思いました。
いや、全然言ってた。全然というか、僕も覚えてます。
そんな感じで大輝君は言われてたと記憶してます、僕も。
でもまあ僕はその時にどんな風に喋ったか、それに対してのリアクション的に返したかっていうと、
ヨガの先生もヨガを指導してる最中とかだったら、そういう権力勾配っていう風に感じるかもしれないけど、
ここはこういう風にしなさいみたいな指導だったら、
でもそれはヨガが始まる前の雑談的な時に出た話題だったから、
まあ先生が話してみんなが聞くみたいなところに若干の権力勾配あるかもしれないけど、
そんなのほぼ意識しないでもいいぐらいな勾配かなって僕は感じたんですよね。
だからどういう風に感じるかっていうのに強制力みたいなの、僕だったらあんまり感じない感じだったんですよね。
だから先生も、僕だったらね、聞いてて、
ああ先生もまだこれは偉そうだけど、今後そういうところに気づいていかれるのかなみたいな感覚で聞くと思うんですよ。
そういう親が子を見守るみたいな視点でって言うと本当偉そうだけど、
僕はそういう感覚であのエピソードを捉えていたんですね。
なんかこう、聞いたあれだけですけど、
先生もたぶん良かれと思ってやってるじゃないですか。
うんうん。
その受け取り方の違いだけが感じます。
うんうん。
受けていく。
子供がお父さんの絵描いたよみたいなのも、やっぱり孫頃なわけじゃないですか。
うんうん。
たぶん先生もきっとその真心で言ってるんじゃないかなって想像するでしょうね。
それを受け取れるかどうか。
受け取り方、みたいな。
たぶんめちゃくちゃ嫌な期間を過ごしていて、
もう世界なんか滅びてしまえばいいと思ってたら、
たぶん嫌に受け取るんですよね。
自分の状態によって変わってくると思うんですよ。
例えば、もうこういうことがあって、
私もこういうことがあってすごくつらかったんですよ、みたいな話されるので、
こっちにある程度ケイジ君が言ってたキャパシティみたいなのがあって、
30:01
自分にある程度バッファーみたいな部分があったら、
ああ、そうなんだ。それは大変でしたね。私もこういうことがありました。みたいなふうに対話ができると思うんですけど、
バッファーがなくてキャパがパンパンな人って、うるせえよとしか思わないんですよね。
てめえの話だか知らねえよみたいな話になってくると思うんですよ。
てめえはそうだったかもしれないけど、私はこうなんだよみたいになると思うんですよ。
だから人に寄り切るというよりは、やっぱりケイジ君が言ってたキャパシティの問題になる気がしますね。
それもありますよね。
ああ、ケイジ君が言ってたキャパシティって先生側なのかと思ってたら、そうじゃないんですね。聞く側のキャパシティのことなんですね。
僕はそういうふうに思いました。
広い、どれに対してもキャパシティで捉えるみたいなこと言ってました。
どっちも?どっち側も?
どっち側もというか、あらゆることにケイジ君は。みたいな表現をされてたと思います。
あれ、今日配信されたやつで言ってたかなそれ。
多分、今日配信されてたやつで言ってた気がするんで、ぜひ、僕が間違えてる可能性があるんで、よかったらケイジ君がどういう表現されてるか聞いてみてください。
すべての人間関係から起こる摩擦、摩擦って呼んじゃっていいのかどうかわかんないですけど、こういったことってキャパシティって一言ですべて言えてしまうと言えば言えてしまいますよね。
そうですね。誰かが言ったことを受け入れられるかどうか、受け入れられる余白があるかどうかみたいなところってめちゃくちゃ大事なことで。
キャパシティって許容量みたいなことですよね。
自分の考えとか、肉体的にも精神的にも、少し空白の部分っていうか、ほっとしてるみたいなときだったら、
僕は例えば誰かに、ふざけんなバカ野郎とかって言われても、
そうですね、僕がこれ悪かったっすねって言えるんですけど、
空白の部分がないと、なんだって猫の野郎ってなるわけですよ。うるせえバカ野郎ってなっちゃうんじゃないかなって気がして。
何回か聞いたことがある。ごめんなさい、すみません。ついついめっちゃ聞き取りが悪いと思っちゃって。すみません。
なんかその違いじゃないかなって気がするけどね。
33:00
分かります分かります。
だからその話を聞けるかどうかみたいな。もちろんキスもあるでしょ。
そうですね。
その人に聞く側の一人一人の体験にもよりますからね。
どう響くかっていうのは。
その体験を自分の中で飲み込んで、まるで咀嚼できてると、
ああそうだよねってなるかもしれないし、
まだそれが消化できてなくて、めちゃくちゃしこりとして残ってるんだったらうるせえよってなっちゃう。
そうですね。生傷だらけで全然かさぶたになってないと全部痛いですもんね。
そうだと思うんですよね。
ちょっとした言葉みたいなところも本当に引っかかっちゃうんですよね。
僕は本当になんかそれぞれ。
そのキャパシティの広いか狭い、小さいか大きいかの分け方ですよね、多分それって。
キャパシティが小さい人って繊細な人っていうことですか?
あまりまだしっくりきてなくて。
その人の状態によると思ってます。
例えば僕がめちゃくちゃ…タンキーだって有名なんですけど。
とはいえ、僕がすごく落ち着いている状態であれば引き流すことができたりとか、
あなたはそう思ってるのね、じゃあどうしていこうかっていうふうな考え方になったりとか。
僕がタンキーなので、それができないような状態というか、
自分もいっぱいいっぱいでみたいな。
要は自分のバッファーがないときに何でもないようなちょっとしたことを言われただけで、
うるせえよってなったりするんですよ。
それは人によるというよりはその人の状態によるみたいな。
そう、両方ですよね。
僕も両方だと思う。
特に僕はタンキーなんで。
なんかめっちゃ自己責任論みたいな感じになりません?
違うのかな?
なりますなります。本当にそうなると思います。
なんかその社会ってあんまり優しくないように聞こえちゃって、
キャパシティーで物を図ると。
要はキャパシティー狭い人が良くないっていうことになるじゃないですか、それで言うと。
キャパシティー広い…
いやいや、ごめんなさい。今たかしさんも言われてたのに。
36:01
どうぞどうぞ、2人とも喋りかけだからどちらとも。
たかしさんどうぞ。
キャパシティーが狭い人っていうのはもちろんいるんですけど、
じゃあそのキャパシティーって何なんだっていうと、その人の状態なんですよね、たぶん。
キャパシティーがあるないっていうのはもちろんあると思うんですよ。
キャパシティーが広めな人、狭めな人っていうのもあると思うんですけど、
その人の今現在置かれている状態によって、キャパシティーって結構幅ができるんじゃないかなと思って。
僕みたいにめちゃくちゃ短期なやつでも、人の話を受け入れられる状態があるかもしれないし。
本当のキギさんの例で言うと、キギさんはキャパシティーが小さかったっていうことですか?
その時は、たぶんですけどね、僕もあの全部しっかり聞いてるわけじゃないんでわかんないけど、
その話を受ける側の人間の受け入れられないときもある。
受け入れられなさ度をその人のキャパシティーのせいにしちゃうと、
僕の思いとしては、受け入れられないよーってなってる人って被害者で、
発信者が加害者側だとして受け入れられないよーってなってる被害者だっていう風に見た時に、
キャパシティーのせいにしてるので、
もうちょっと被害者に寄り添って、被害者と加害者に分けた場合ですけど、
加害者側の課題として語った方がいいんじゃないって思って、言いながら聞いてました。
そう思うと、それは関係性によっても変わってくるんじゃないかなと思うんだよね。
たとえば俺としゅうさんとか、俺と大木君とか、俺と南岡さんとかの関係性において、
たぶん俺が大木君にバカかって言ったとして、
それを大人の人が聞いたときに、なんてひどいこと言うんだっていう人もいると思うし、
でもそれって、僕と大木君の間の関係性においては、
39:00
またあいつ言ってるわぐらいの感じになったりするわけじゃないかなと思っていて、
それは先生と木木さんの関係性にもよると思うし、
そのときの木木さんの状態にもよると思うし、
先生がその話をした真意にもよると思うんだよね。
俺の感じからすると、別に誰が被害者で誰が加害者みたいな感覚は今なくて、
ただその事実だけ。先生がこういう話をしました。
木木さんはその話を聞いて嫌な気持ちになりました。
みたいな事実があるだけっていう感じのように。
その木木さんの捉え方っていうのが、先生との関係性だったりとか、
木木さんの状態によって、話の主体みたいなのが変わっていく感じです。
だから一概に、嫌な気持ちを受けたっていうこと、
その物事自身は大事にされるべきだとは思うけれども、
でも視点を変えて考えるってことも大事だよなって思う。
じゃあなんでそういう気持ちになったのか。
じゃああなたはどういう状態になったのか。
その先生の語気の強さだったりとかってのはどうだったのか。
めちゃくちゃ細かいことがいっぱい出てくるから。
それを木木さんが嫌だったっていうことに関しては、木木さんは被害者ではあるんだけれども、
じゃあそれ以外の観点で入れたほうがいいよねって思う。
嫌だったっていう気持ちは尊重されるべきではあると思うんだけども、
じゃあなんで嫌だったのか。どの言葉が嫌だったのか。
その先生もその話をなんでしたのか。
その先生も選んだワードもなんでそういうワードを選んだのか。
っていうところにもっと細々なフォーカスしていかないと、
もう私は被害を受けたみたいな。
僕もそう思うんで、さっき言ってたのはキャパシティの方に論点が行ってたから、
被害者側に論点が行っちゃってるなって思ったので、
もっとなんで言ったかっていう方とか。
それこそ関係性によってきっと変わると思うので、
それは考えたほうがいいよなとは思うけど、
42:00
なんでキャパシティっていう話が出たんだったっけな。
キャパシティは刑事君が単純に捉えたっていうのの説明の中に出てきただけで、
言われる言葉って、自分でコントロールできないから、
その言葉をどう受け取るかっていうのは、
その人の考え方だったり、その人の心情だったり、その人の状態だったりとか、
によって変わってくるなと思うから。
教えられた言葉っていうこと自体は変わらないから、
受け手側の状態っていうのをキャパシティって俺は思ったんだよね。
バカがって言われたことに対して、
すごい辛かったらもうふざけんなよって思うし、
別になんともない。
自分が絶好調ですみたいなのが、
バカとか言われたけど言っとけって思うかもしれないし。
その差がキャパシティかなっていう感じだった。
43:37
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