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2023-11-09 11:12

#176 【介護】市のアンケート:認知症に関する意識調査に回答してみた

不可能な望みかな?綺麗事じゃ無い業界からのコメント書きました。
00:09
毎度、ごりです。
えーっとですね、これで撮れてるのかな?ちょっと今日は、資料を見ながら喋ろうかなと思います。
えーっとですね、本日、2023年の11月の8日、であってるかな?
ですね、8日。えーっと、ちょっとね、私が住んでる市の方の、
これ何て言うんだろうな、まあ、メールでね、アンケートが来たんですね。まあ、いろいろに登録してあるんで、それでアンケートメールが来たんですけども、
うーん、まあ、認知症に関する意識調査というね、そういうアンケートでした。
で、これが届いたんですけども、えー、まあ、どういうアンケートかというとね、まあ単純に、今までに認知症の人と接したことがありますか?
まあ、ありますよね。僕、仕事でもね、ありますし、家庭でもあります。
で、どのようなイメージを持っていますか?あなたが思う最も近いものを一つだけお答えください。
っていうのがあって、まあ、いろいろあるんですよね。あったんですけども、選択肢の中に僕が答えたい選択肢がないというふうに答えました。
まあね、そのいわゆるこれ質問っていうのは、非常にこう、認知症になってもその人がその人らしく自分らしく生きていくっていうことへの意識調査ですよね。
それをすごくやってて、まあ、だんだん良くなってきたのか、まだまだダメなのかっていう、まあそういう答えを導きたいのかわかりませんけども、
僕は現場で仕事をしていて、より強く感じる部分ってものをもう率直に書かせてもらいました。
その自由に、思うように自分の思うように生きているっていうふうに本当は答えたかったんですけども、そういうふうには見えないんですよね。
自分が仕事をしている中でね。なので、本当に素直なことを書かせてもらいました。
どんなふうに書いたかというと、医療や介護の枠内に入ってしまった場合、本来の意思とは関係なく意思を伝えられない場合も含みますが、各種のサービスを利用しながら健康で長生きを目標にさせられている事例があるのではないでしょうか。
03:11
現行法上仕方がないのですが、生存権ばかりに重きが置かれていて、本当の意味での自分の好きに生きるということを制限させていないだろうか。
それを考えるとどの選択肢も選べないと思いますというふうに書きました。
そのままです。今、原文ままみたいな感じで読んでみました。自分はもうこういうふうにコメントを書きまして送りました。
さらに、あなたが認知症になったとき、周囲の誰かにそのことを伝えますか?ということで、私は伝えると思います。
多分、僕は認知症になると思うんですよ。自分の家計を見てもね、なるんだと思うんです。
でも、自分でそれを理解できた場合は言いますね。
さらには多分ね、SNSでの発信やこのポッドキャストでもしゃべろうかなと思っています。継続していれば。
もしくはしてなくても多分思い出すかもしれませんけども、その時点でポッドキャストということを忘れていなければ、しゃべると思います。
それも楽しいんじゃないでしょうかね。当事者としてしゃべりたいと思いますけども、全然いいんじゃないでしょうかね。
認知症当事者がしゃべるポッドキャストって面白いと思いますよ。
最後の質問ですね。認知症になってからも自分らしく暮らし続けるためにどのようなことが必要だと思いますか?
結構なオープンクエスチョンが来ましたね。これ最後にね。
認知症になってから自分らしく暮らし続けるためにどのようなことが必要だと思いますか?という質問に対して
僕はいつもこの堂々巡りの中で言ってる内容を書いたんですけども、ちょっと読んでみますね。自分がどう書いたか。
とても一般的でない意見であることは100も承知だし、現状では実現不可能であることも承知ですが、意見させていただきます。
本当の意味で自分の好きに生きることを認められるようにならなければ、自分らしくは暮らし続けられないのではないでしょうか?
ちょっと言い方がね、遠回しですけども。
病院にかかりたくない、薬を飲みたくない、他人の世話になりたくないなど、本人の意思は往々にして無視されているでしょう。
現在ね。認知症になった当事者が食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、出かけたいところに出かけ、帰りたい時に帰る、または時には帰らない。
06:07
そういう自由は現状あまりないように見えます。
憲法25条における健康で文化的な最低限度の生活とは権利であって、その権利を行使しないのも自由であらねばならないでしょう。
自分らしく暮らし続けてほしいということを私自身を含む隣人などの他者に迷惑をかけない限りという正しがきが透けて見えるのが現状ではないでしょうか。
このような考え方の下で実施されている自分らしい暮らしの継続というものは、どこか素晴らしいお題目に目を奪われていて、本質から目を背けている場面はないでしょうか。
不健康に暮らす権利、病気で死ぬ権利は奪われるべきなのでしょうか。
私の考えたみんなが自分らしく暮らし続けることができる素晴らしい世界というものがキラキラと輝いて美しい世界でなければいけないような方向に誘導されるのであれば、私はそれは実現されるべきではないと考えます。
人間は年齢に関係なく必ず死を迎えます。
このことから目を背けるのではなく、どのように生きそしてどのように死ぬのか、それを社会全体で考えられる日が来れば、もしかしたら自分らしく暮らし続けることができるような世界が来るかもしれないと私は考えます。
長ったらしい文章を書かせていただきましたが、これ、市の方のアンケートの設定でも6000文字まで設定されていたので、僕より長い文章を書く人は山ほどいると思います。
僕も、僕大したこと言ってないけど、長ったらしく遠間氏に説明しているような感じになっちゃいましたけれども、口悪すぎない程度に言おうと思うとこうなるわけですね。
自分らしく生きるということをどのように捉えるのか、本当に捉え方次第なんだとは思いますけれども、
僕はね、本当にこの中でも書いた、不健康に過ごす権利、病気で死ぬ権利、とか、出かけたいところに出かけて帰りたい時に帰る、帰りたくない時には帰らない、
それがどういう状況であっても、その人が望むような行動をその人がとっている、いわゆる認知症の人ですよ。
09:05
認知症の人が、例えば実際によくある話で、ご飯食べてもすぐご飯食べたいっていう、いや食べてないからっていう、
で、食べさせると本当に2食目ペロリと食べちゃう。で、しばらくして食べてないっていうから3食目ペロリと食べちゃう。
あるんですよね、こういうことがね、実際。食べられないと思うじゃないですか。でも食べちゃうんですよ。
いいんじゃないですか、食べちゃって。食べたくない人に食べさせる必要もないし、お風呂に入りたくない人にお風呂を提供する理由もないと思います。
暴れて蹴ってくる人いますからね。別にいいんじゃないですか。
お風呂に入らない権利だってあるじゃないですか。自由だってある。それがその人の過ごしたい方法、やり方ですから。
いや、でもこの人は認知症で訳が分かんなくなっちゃってるから、正しい生き方、正しい生活を教えてあげましょうというような姿勢は全くもっておかしいんだと思います。
僕はね、そういうふうに思うんです。思って悪いこともないと思います。
なので、今一度ね、認知症になっても自分らしく暮らし続けるっていうことを、あまりね、キラキラした世界に捉えてほしくないなというのが、現場で働いてる、
しかも結構ドロドロとした現場の中に身を置いている人間の一人のつぶやきでした。
いろんな意見はあると思いますが、かなりドロドロとしたところにいると、こういう意見も出てくるっていうことを知ってもらえたらいいかなと思います。
それでは、おやすみなさい。
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